『定本 柳田國男集 第三十一卷 雜纂Ⅲ』 (新裝版)

「新しい文化の潮流に乗じ、是と適応し又妥協し得なかつた者の行先が、如何に悩ましく又憂鬱なものであつたかは、決して空漠なる詩材で無く、又単なる他山の石でも無い。」
「以前我々が山立の気風として、(中略)あれほど注視し又批判した正直・潔癖・剛気・片意地・執着・負けぎらひ・復讐心その他、相手に忌み嫌はれ畏れ憚られ、文芸には許多の伝奇を供し、凡人生涯にはさまざまの波瀾を惹起した幾つともない特色は、今や悉く解銷して虚無に帰したのであらうか。或は又環境に応じ形態を改めて、依然として社会の一角を占取し、この今日の日本的なるものを、撹乱せずんば止まじとして居るであらうか。」

(柳田國男 「山立と山臥」 より)


『定本 柳田國男集 
第三十一卷 (新裝版)』 

雜纂Ⅲ

筑摩書房 
昭和45年12月20日 第1刷発行
563p 目次7p 口絵(モノクロ)1葉
菊判 丸背バクラム装上製本 機械函
定価980円

月報 31 (12p):
柳田先生を偲びて(金田一京助)/柳田先生追憶(石田幹之助)/柳田さんの論説(殿木圭一)/柳田先生と放送(熊谷幸博)/賢者の幻覚(富木友治)/順正書院のこと(生田清)/柱のかげから(鎌田久子)/次回配本 他/図版(モノクロ)1点



全31巻・別巻5巻。本文正字・正かな。


柳田国男集 三十一


内容 (初出):

現代科學といふこと (昭和二十二年十月、「民俗學新講」明世堂書店)
郷土研究の話 (昭和十五年十月、教養放送九十二號)
成長は自然 (昭和十一年二月、近畿民俗一卷一號)
日本民族と自然 (草稿)
農村保健の今昔 (昭和十六年四月、醫事公論一五〇〇號)
おとら狐の話 (未完草稿)
飯綱の話 (未完草稿)
山立と山臥 (昭和十二年六月、「山村生活の研究」民間傳承の會)
傳説のこと (昭和二十五年三月、「日本傳説名彙」日本放送出版協會)
富士と筑波 
瑞穗國について (昭和二十六年十月、國學院雜誌五十二卷一號)
米の島考 (未完草稿)
倉稻魂考 (未完草稿)
農村と秋まつり (昭和二十年十一月、建設靑年九卷七號)
村を樂しくする方法 (昭和二十二年八月、社會と學校一卷四號)
關東の民間信仰 (昭和二十二年五月、苦樂二卷五號)
新式占法傳授 (大正七年十月、同人二十八號)
前兆 (昭和十三年七月、民間傳承三卷十一號)
アイヌの家の形 (明治四十三年十一月、人類學雜誌二十六卷二九八號)
つぐら兒の心 (昭和九年八月二十六日、朝日新聞)
寄り物の問題 (昭和二十五年四月、加能民俗一號)
郷土舞踊の意義 (大正十五年六月、七月、靑年十一卷六號、七號)
舞と踊との差別 (草稿)
假面に關する一二の所見 (昭和四年十月、民俗藝術二卷十號)
田植のはなし (昭和九年六月、經濟往來九卷六號)
歌と國語 (昭和十七年五月、短歌研究十一卷五號)
歌のフォクロア (昭和二十三年三月、短歌研究五卷三號)
俳諧雜記 (昭和二十二年三月、文藝春秋二十五卷二號)
テルテルバウズについて (昭和十一年十月、小學國語讀本綜合研究卷二―一、岩波書店)
かぐやひめ (昭和十一年十月、小學國語讀本綜合研究卷四―一、岩波書店)
浪合記の背景と空氣 (未完草稿)
方言覺書 (昭和十一年四月、近畿民俗一卷二號)
江湖雜談 (昭和九年二月、河と海四卷二號)
デアルとデス (草稿)
今までの日本語 (昭和三十年一月、二月、教育研究十卷一號、二號)
話し方と讀み方 (昭和二十四年一月、教育復興二卷一號)
文章革新の道 (昭和二十二年一月八日、九日、夕刊新大阪)
春來にけらし (昭和二十六年一月九日、十日、十一日、東京新聞)
思ひ言葉 (昭和二十六年七月四日、朝日新聞)
和歌の未來といふことなど (昭和二十九年一月、短歌創刊號)
平瀨麥雨集小序 (昭和二十三年九月、科野雜記社)
イブセン雜感 (明治三十九年七月、早稻田文學七號)
讀書餘談 (明治四十年十二月、趣味二卷十二號)
伊頭園茶話から (大正十五年三月、民族一卷三號)
飜譯は比較 (昭和十四年九月、白水六十六號)
「少年の悲み」などのこと (國木田獨歩・石川啄木作品集内容見本)
二階と靑空 (昭和二十四年十二月、成城文學三號)
「ドルメン」を再刊します (昭和十三年五月、ドルメン廣告)
「農家と人」審査感想 
「孤島苦の琉球」 (大正十五年五月、大阪朝日新聞)
「朝鮮民俗誌」 (昭和二十九年)
「近畿民俗」 (昭和十一年二月、民間傳承六號)
系圖部を讀みて (昭和六年四月、歴史と國文學四卷四號)
「村のすがた」と社會科教育 (昭和二十三年六月、朝日出版月報第四號)
「遠野」序 (昭和二十四年十二月、遠野町)
旅と文章と人生 (昭和二十五年四月、「ふるさとの生活」序 朝日新聞社)
大嘗祭と國民 (昭和三年十一月十二日、朝日新聞)
大嘗祭ニ關スル所感 (草稿)
史學興隆の機會 (昭和二十一年八月十五日、時事新報)
一つの歴史科教案 (昭和二十二年二月、教育文化六卷二・三號)(原題、「歴史を教へる新提案」)
新たなる統一へ (昭和二十七年一月四日、朝日新聞)
中農養成策 (明治三十七年一月、中央農事報四十六號)
保護論者が解決すべき一問題 (明治四十年十一月、中央農事報九十二號)
産業組合の道德的分子 (明治四十三年九月、産業組合五十九號)
農業用水ニ就テ (明治四十年一月、法學新報十七卷二號)
將來の農政問題 (大正七年六月、帝國農會報八卷六號)
次の二十五年 (大正十四年六月、農業組合)
塔の繪葉書 (明治三十八年九月、十月、ハガキ文學二卷十四號、十五號)
マッチ商標の採集 (明治四十年六月、趣味二卷六號)
友食ひの犠牲 (昭和二年三月二十六日、朝日新聞)
山帽子 (昭和二十一年十二月、「百人百趣上」土俗趣味社)
山の休日 (昭和二十三年十月、山一二四號)
作之丞と未來 (昭和二十四年四月二十六日、二十七日、東京日々新聞)
特攻精神をはぐくむ者 (昭和二十年三月、新女苑九卷三號)
女の表現 (昭和二十三年一月、朝日評論三卷一號)(原題、「女」)
教師は公人 (昭和二十四年十月、教育女性一卷六號)
通信の公私
讀書人の眼
常民の生活知識 (草稿)
鷺も烏も (大正十三年七月、アサヒグラフ夏季增刊號)
あなおもしろ (大正十三年七月、アサヒグラフ三卷五號)
發見と埋沒と (大正十三年九月、アサヒグラフ三卷十二號)
大佛と子供 (大正十三年九月、アサヒグラフ三卷十三號)
仙人の話 (大正十四年十二月、アサヒグラフ五卷二十五號)
誰に見せう (昭和四年五月、アサヒグラフ十二卷二十號)
夏祭進化 (昭和十三年八月、新風土一卷三號)
喜談小品 (昭和十四年六月、アサヒグラフ三十二卷二十五號)
「野方」解 (昭和十二年六月、高志人二卷六號)
ツルウメモドキ (昭和十三年三月三十日、一卷三號) 【原文のママ】
東北の芹の鹽漬 (昭和十五年一月、主婦之友二十四卷一號附録)
故郷の味
梅についてのお願ひ (昭和二十四年五月、民間傳承十三卷五號)
私の書齋 (昭和二十二年十月、婦人四號)
町の話題 (昭和二十七年十一月二十七日、「きぬた」)
泥棒公認 (大正十三年十月十七日、朝日新聞)
猿落しの實驗 (大正十三年十二月二十日、朝日新聞)
御誕生を悦ぶ (大正十四年十二月七日、朝日新聞)
あつい待遇 (大正十五年九月七日、朝日新聞)
新しい統一のため (昭和二十四年一月五日、朝日新聞)
日本民俗學の前途 (昭和二十二年五月二十三日、二十四日、時事新報)
紙上談話會 (昭和二十五年二月、民間傳承十四卷二號)
創刊のことば (昭和三年一月、民俗藝術創刊號)
新しい光 (草稿)

内容細目
あとがき




◆本書より◆


「農村保健の今昔」より:

「こゝで申上げたいことは、自癒力といふことである。
 昔の人は自癒力が強い。これは動物などにあるのだが、とかげの再生力と行かないまでも、受けた傷に對して何らの手當をしないでも、體力によつて治癒させてしまふ、あの力である。
 いつか、木曾の山奧に行つた時一しよになつた炭燒が鉈で指を切つてしまつた。すると指を抑へて「砂糖、砂糖」と云つて、その傷口に砂糖を塗りつける。まさか砂糖では治る筈がないが、それで充分だといふのである。切落した指をしつかりと抑へて、くつゝけてゐるうちに、癒着してしまつたといふ話も多いけれど、これらはみんな自癒力だと稱して差支へあるまい。
 昔の通りの生物が持つてゐる力を、人間が文化的になつてからも保存してゐた。それが自癒力である。
 ところが今日では、醫藥をあまりに重んずるために、あまりにもこの力が失はれたやうである。
 これは一種の精神力で、死なゝい、必らず治るといふ氣持が、人間を病氣から救ふことは珍らしいことではなく、このやうな氣力を失ふことは歡ぶべき現象ではない、むしろ損だとわたしは考へる。
         ○
 更にもう一つ、現在あまりに天然療法を馬鹿にしすぎることである。
 明治になつて、西洋醫學が王座を占めてから、わたしどもの周りにある草根木皮は全く顧みられなくなつてしまつたが、あまり之を輕視したゝめに、今日恰度その逆の結果や影響が現はれて來てゐるやうに思はれる。
 漢方醫のなかにも二種あつて、傷寒論その他支那の醫書に現れた藥劑をのみ尊重する人と、病氣にはその郷土にあるもの、その周圍にあるものが治療の役に立つと考へて、郷土を重んずるものとがある。
 極端な一例を擧げると、これは有名な話であるが、殿樣の病氣がなかなかなほらない。たくさんの醫者が匙を投げてしまつた後、ある醫者がすつかり治癒させた。何を藥に用ゐたかと云ふと、壁土をのませた。また、便所のすぐそばの土を取つて來てのませたといふ話がある。
 かういふ醫方が昔あつたのを、西洋醫學がすつかりこはした。
 まだ殘つてゐるものは、みんな迷信として一笑に附される。
 病人の郷土に藥があるといふ思想は、今日單なる迷信とされてゐるけれど、これはたはごとでも、神がゝりでもなく、(中略)輕々しくすべきものではないのに、誤まれる科學觀は、かういふ傳統の所産を玉石共に捨てゝしまつたので返す返すも殘念なことである。」



「おとら狐の話」より:

「先一疋の犬を縛つて、思ふさま腹を減させて置く。其から旨さうな食物を持つて來て、犬の口から一尺位の處に置く。食ひたくて食ひたくて一念が全く此皿に集注するを見澄まし、可愛さうに犬の首をちよん切る。さうした念の繋かつた食物を人が食へば、其人が犬神筋になると謂ふが、多くの人の説では、其の斬つた首を髑髏にして、箱か何かに入れて携へると、影の如く身に添うて、少くとも憎いと思ふ者を、攻撃することの役だけは忠實に勤める。是が一部の俗人の、信じて居る犬神の起原である。」
「犬の髑髏の話は、口寄せをしてあるく市子(いちこ)の箱に關聯して、寧ろ人がよく知つて居る。市子之を容れた箱に凭つて居ると、自然と只の人の知らぬことが判つて來ると謂ふ。勿論怖しい秘密であるが、時として之を見たと云ふ者がある。例へば江戸の昔、相州から毎年來る歩行巫、甚しい粗忽者と見えて、大切な服紗包を置忘れて歸つた。開けて見ると二寸程の厨子に、一寸五分ばかりの何とも分らぬ土の佛像と、外に猫の頭かとも思はれる干固まつた一物がある。そこへ大汗に爲つて巫女走り戻り、漸と返して貰つて其禮心に秘密を明した。是は(中略)六代も前から持傳へた尊像である。一種特別なる格好をした人の首を、死ぬ前に貰はうと兼て約束して置いて、今はと云ふ際に其首を切落し、人通の多い場所に十二ヶ月埋めて置く。其から取出して髑髏に附いた土を集め、斯した像を造るのである。之を懷中して居れば、神靈の力で如何やうの事でも判ると謂つた。今一つの獸の頭の方は、宥してくれと言つて何も教へなかつた。此等が犬の頭の評判を世に高くしたのである。異相の人の首の骨と云ふことも、亦色々奇抜な實驗談があつて、一概に同じ方法とも言はれぬ。或地方では髑髏を其儘使ふ者もあつた。」
「東北地方には此類の人又は家に屬して、一定の地には祭らぬ神樣が多く、御神體は大抵神秘であつて、其效驗はやはり人に憑いて不思議を語る點に在るが、唯憑かれる人が持主自身で、從つて害はせずに爲になる場合の多いことが、人狐や犬神と別物らしく考へしめるのみである。而も其神の淡泊で無く、何かと云ふと祟が烈しいことは、往々にして持主をうんざりさせる。恐くは今一時代を過ぎたならば、或は其家筋を畏れ且つ忌むやうになるであらう。出羽の莊内でイタカ佛を持つ家は、今既に縁組に障がある。陸前黑川郡の某家のオシラ佛などは、御利益は別に無く祟ばかり多いが、昔から有る故に祭つて居る。或年洪水を幸に川に流したが、やつぱり逆流して還つて來たので、怖しくなつて今まで祭つて居ると云ふ。此類の神は弘く後佛(うしろぼとけ)の名を以て知られて居る。元はオシラと關係の有つた語かも知らぬが、人は文字に據つて、正面には拜まれぬ佛と解して居るやうである。ゲホウ頭などのゲホウは外法であらう。今昔などには外術者と云ふ語もある。犬神を外道と謂ふと、同じ意味に出でたものと思ふ。
 人の髑髏が外法の用を爲したことは、至つて古くからの話である。其を如何して得たかは記録には無いが、能ふべくは出來合よりも誂へて造らうとするのが、斯な後暗い邪術に携はる程の者の人情で、從つて有得べからざる怖い話も遺つて居るのである。時も處も判然せぬやうな話であるが、曾て或老人最愛の孫を見失ひ、狂人のやうに爲つて探し廻つて居る中に、夕方の俄雨でとある農家の軒に立つとき、至情が感應したものか、幽に兒供の呼ぶ聲を聞き、どう聞直しても我孫であつた。そこで之を官に訴へて、役人たち共々無理に其家に押入り、奧深く覓めて人の長ほどの甕の中に、其兒の匿されてあるを見出した。始勾引(かどわか)されて衣食頗る足る。夫より日に食を減じて此甕の中に入れ、終には何物をも與へず、唯毎日法醋を身に注がれ、關節脈絡悉く錮釘し、苦痛既に極まれりと、語り終つて氣絶えた。仍て其家老少盡く極刑に處せられた。是も一種の魔術があつて、かうして死んだ兒の枯骨を收め、其魂を掬し貯へて置けば、常に耳の邊に在つて物を教へてくれるのだと云ふことであつた。食物で魂を誘ふと云ふのは、質朴時代からの信仰の形である。」



「山立と山臥」より:

「熊野の北山、日向の那須などの舊記を讀んで見ると、山民は近世の平和時代に入るに先だち、又その平和を確保する手段として、驚くべく大規模の殺戮を受けて居る。他の多くの山地でも、文書の史料は無いけれども、恐らくは亦同一の趣旨、同樣の利害衝突によつて、たとへ殺されないまでも強い壓迫を受けて、散亂してしまつたらうことは想像せられる。彼等の生活法則に農業者と一致せぬ何物かゞ有つたとすると、それは勿論世の所謂亂世に適したものであつて、言はゞこの以前が幾分か榮え過ぎて居た爲に、反動が特に悲慘であつたのである。勿論その中には懲戒し治罰せらるべき者が、少數は確かにまじつて居つたらう。しかし他の大多數は無辜であつた。婦女幼童は申すに及ばず、爭ひ又は制する力が無くて、盲從して卷添を食つた者は幾らあつたか知れない。さうして近頃までの異色ある山村生活は、この一種の廢墟の上に、再び築き上げられて居たものゝ樣に、自分等には感じられる。
 新しい文化の潮流に乘じ、是と適應し又妥協し得なかつた者の行先が、如何に惱ましく又憂鬱なものであつたかは、決して空漠なる詩材で無く、又單なる他山の石でも無い。」

「自分は大正八年に世に出した「神を助けた話」といふ小冊子の中に、故人佐々木喜善君が陸中宮守村のマタギから、見せて貰つて寫し取つたといふ山立由來記の文を附載して置いたが、この際に始めてヤマダチといふ語の、惡い言葉でなかつたことを知つたのである。都市の文藝に於ては、山立は乃ち山賊のことであつた。是を自身の最も莊重なる由緒書に、我名として一方は使用して居るのだから、彼と是と感覺の喰ひちがひがあつたことは明かで、或は同一筆法で野伏といふ人々、即ちまけ戰の軍勢を横合から不意に襲撃して、太刀や鎧を剥ぐのを職業として居るやうに、軍書や芝居には定義づけて居る者なども、少なくともそれで生計を立て又其名を得たのではないことを、疏明し得るやうに思つても見たのである。社會科學の野外作業に携はるものは、斯ういふ文庫の壓制とも名づくべきものから、弱者を擁護する義務があるのでは無からうか。
 勿論山立は以前は決して弱者ではなかつた。今でも個人々々の氣魄體力、物に執する意志の強さなどを評價すれば、我々は一人として之に敵する者も無いのだが、奈何せん數少なく組織は衰へ、第一に環境が元のまゝでない爲に、いつしか一種の旅商人の、最も賴りない者に變化しかゝつて居るのである。」

「マタギ山立の群は既に數を減じ、又生業の基礎に離れてもはや特異の存在を保てなくなつた。驗者の佛法は潰滅して跡方も留めなくなつて居る。しかも彼等を祖先とする者の血は、里に入り農民の中をくゞり、今日の所謂大衆の間に混入してしまつた。以前我々が山立の氣風として、又は山臥行者の長處短處として、あれほど注視し又批判した正直・潔癖・剛氣・片意地・執着・負けぎらひ・復讐心その他、相手に忌み嫌はれ畏れ憚られ、文藝には許多の傳奇を供し、凡人生涯にはさまざまの波瀾を惹起した幾つともない特色は、今や悉く解銷して虚無に歸したのであらうか。或は又環境に應じ形態を改めて、依然として社會の一角を占取し、この今日の日本的なるものを、攪亂せずんば止まじとして居るであらうか。」





































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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