ウド・トゥウォルシュカ 『遍歴』 種村季弘 訳 (【叢書】象徴のラビリンス)

「すなわち、大本のところでは多くの宗教は皆一つなのだ、と。それらは皆、同じ目的に通じる複数の道と見られるのである。」
(ウド・トゥウゥルシュカ 『遍歴』 より)


ウド・トゥウォルシュカ 
『遍歴
― 約束の土地を求めて』 
種村季弘 訳
 
【叢書】象徴のラビリンス

青土社
1996年11月10日 第1刷印刷
1996年11月20日 第1刷発行
337p 別丁図版(カラー)6葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー
装幀: 戸田ツトム+岡孝治



本書「訳者あとがき」より:

「本書は以下のテクストの全訳である。
 Udo Tworuschka: Sucher, Pilger, Himmelsstürmer. Reisen im Diesseits und Jenseits. Kreuz Verlag. Stuttgart 1991.
 題名を文字通りに訳せば、『探究者、巡礼、天界突撃者――此岸の旅と彼岸の旅』とでもなろうか。」
「もっとも本書はかならずしも聖地詣でのみをモティーフにしていない。副題にもあるように「此岸の旅と彼岸の旅」であり、天上界を経めぐる旅がそのまま模型的に地上を漂泊する各種の旅になり、その逆もまた真、という、上にあるものと下にあるものとの錬金術的対応の原理から構想されている。それかあらぬか、伝統的な聖地詣で、神社仏閣めぐりに加えて、きわめて現代的擬似イヴェント的聖地詣でとしてのディズニーランドなどのテーマ・パーク詣でが顔を見せたりもする。こうして、マス・トゥーリズムが繁盛し旅行がパック商品化し尽くすと、かえって「最後の楽園」式のコピーにつれてたましいの古層が浮かび上がってくるというパラドックスに読者はあらためて当面させられる。」



本文中図版(モノクロ)多数。


トゥウゥルシュカ 遍歴 01


カバー文:

「楽園表象の起原はどこにあるのか? 楽園――それは宗教史の最古の日々から伝えられてきた、
約束という魔法の呪文だ。もともとは――古代イランでは――楽園とは、生垣で囲われて塀囲いをした庭園を意味した。
庭園を造営すること――はじまりのカオスの世界に型を組み入れ、不要のものを排除して、秩序、すなわちコスモスを創出すること――、
秩序づける創造という思想が楽園思想と大いに関わっている。」



目次:



探究の旅
 回り道を経て目的地へ
 楽園の旅
  ザラスシュトラと神の王国
  阿弥陀と浄土への旅
  イスラームの「平和の家」
 幸福の旅
 約束の地
  「あなたは国を出て……」
  「アブラハムの脱出」――約束の地と神殿共同体
  「第二のイスラエルのように……」
 天上のエルサレム
 西方の救済
  「虹の端に至るまで……」
  モルモン教徒の西部移住
  「はるか海のなか、スペインの西に、その名もコカーニエンという国ぞある」
  ユートピア
 救世主をもとめて
  聖なる三人の王の探究
  「魔術師の旅」
  シメオンとアジタ
 牛探し

脱出と逃走
 逃走の理由
 動物のパニック逃走
 家出と帰宅: 放蕩息子
 エクソダス(脱出)
 エジプト逃亡
 教祖の放浪と逃亡
  ムハンマドのヒジュラとその象徴表現
  ザラスシュトラ(ゾロアスター)の逃亡

先に立つ者と後に従う者
 教祖の「さすらいの運命」
  イエス――放浪の奇蹟救済者
  「我が騎獣は我が足なり」
  仏陀の出家遁世の旅
  老子出関
 イエスと仏陀における後に従う思想
  イエス
  仏陀
 十字架への道の祈禱とボロブドゥール

巡礼旅行
 世俗的巡礼旅行
 聖地詣で
 探究の道
 イスラームのハジュ
 トゥーリズムと巡礼旅行

内部への道、上方への道
 神秘の旅
 神秘的上昇と神秘的合一の舞踏
 『闇の奥』
 「たましい」のさすらいと旅
 天界旅行と脱魂
 イエスとムハンマドの天路歴程
 グノーシスの天界旅行
 シャーマンの天界旅行
 トランスパーソナル体験旅行

人生行路のイメージ
 卓越せる人生-象徴
 「さすらう神の民」
 巡礼旅行としての生
 ジョン・バニヤンの『天路歴程』
 世界旅行者と諸世界旅行者
  生きものの諸世界迷行(輪廻転生)
  筏と船について: 災厄の大海を渉る海


 道と街道の象徴表現
 「天のタオ」と「地のタオ」
 「故郷を出て無故郷に入るあゆみ」、「覚醒への道」と「禅-仏教の道」
 「精霊たちの道」
 ヒンドゥーのマルガ
 「神の道と人間の道」
 「道に所属する者たち」
 イニシエーションの道
 コーランの道
 「岐路」
 救済にいたる多くの道

原註

訳者あとがき



トゥウゥルシュカ 遍歴 02



◆本書より◆


「探究の旅」より:

「古代チグリス、ユーフラテスの住人たち、エジプト人、ギリシア人、ローマ人、またケルト人も、その時々に、楽園の庭という夢想を夢見た。古代ヘブライ人は「エデンの園」の光景をまざまざと思い浮べた。個々の楽園にどれだけ差異があろうと、すべて楽園は創造の朝の時刻のうちにある。楽園の再帰は、しばしばあらゆる時代の暮れ方に待望されるのである。」


「内部への旅、上方への旅」より:

「アッタールは旅をするたましいを鳥になぞらえる。鳥は宗教説話にしばしば登場する形象である。薬物学者にして壮大な物語作家たるアッタールは慰撫への旅のための一種の時刻表をのこした。地上の鳥たちが、とアッタールはその『鳥の言葉』のなかで語っている、むかし自分たちの王様をみつけに一堂に会した。地上のどの国にも王様のいない国はないからだ。集まった鳥たちにヤツガシラが重要な情報を教えてくれた。鳥たちの神秘的な王様はシムルグという名だというのだ。シムルグは、聞くところによれば、世界を包む山であるクアフに棲んでいる。そこまでたどりつく旅は長く、不案内で、危険に満ちている。すでに命を落としたものがすくなくない。結局何千羽という鳥がヤツガシラの案内で飛び立ってゆく。旅は七つの谷を横断しなくてはならない。愛の谷、悟りの、無欲の、一体性の、奇蹟と驚異の、最後に無と死の谷の七つである。鳥たちの旅はまことに長かった。(中略)旅路の終わりまできても鳥はまだ三十羽いた。シムルグの許まできて彼らは、シムルグとは彼ら自身にほかならないと分かる。つまり、シムルグとは語義的には「三十羽の鳥」という意味なのだ。

  彼らはいまや至高の平和のうちにあった。ある新たな生命がシムルグとともに彼らに語りかけていた。これまでの旅のあらゆる心労、あらゆる苦難が一挙にけしとんだ。彼らは驚きのうちに、自分たちがシムルグそっくりであり、シムルグが自分たちにそっくりなのに気がついた。そしてもう、自分たちがシムルグなのか、シムルグが自分たちなのか、訳が分からなかった……。汝らの存在を我がうちによろこんで消滅せしめよ、さすれば汝らは我がうちにて汝ら自身を見出すであろう。」

「ギリシア人の間では美しい調和的神的秩序の総括概念であったコスモスは「闇の住い」と化し、「牢獄」と化す。人間の肉体はこの疎ましいコスモスの一部と目され、救済を必要とする自己が解放されるのを待ってひそんでいる「悪臭を放つ肉体」として蔑視される。この未救済の孤立している光の火花は痛切な悲嘆に暮れて根源的故郷を思い出しており、マンダ教のさるテクストでは次のように絶望的に問いかける。「世界の苦患に私を投げ入れたのは何者なのか?」、「なにゆえにそなたたちは私を私の場所から離して牢獄に入れ、悪臭を放つ肉体に投げ入れたのか?」。みずからに何の負い目もないのに、自己はみずからが遠方と故郷喪失に「投げ込まれている」のを目のあたりにし、そこで孤独に救出を待ち焦がれている。分離の苦痛と憧憬――この対照をなす感情が、超越的な光の火花の実存的孤独体験を創出する。(中略)グノーシス主義者は、かつて光の火花が生まれてきた場所へこそふたたび立ち帰らんとするのである。」



「道」より:

「いかなる宗教伝統も人間に、その信仰を生き、みずからにふさわしい道を見出す一連の可能性をゆだねている。ある人に適合するものが、他の人にはまるでしっくりこないこともあるかもしれない。結局、宗教の道はほとんど無限に多数主義(プルラリスムス)化する傾向があるのである。

 神に向かう道は、人類一人ひとりのたましいの数とほぼ同数なのである。」



























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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