『集英社版 世界の文学 20 ノサック』 中野孝次 他 訳

「いわゆる模範的なもの、賞讃に値すると認められているものが、この世にいかに益をもたらさないかということ、いや、むしろ害があるといっていいくらいだということについて、いずれそのうちだれかが一冊の本を書く必要があると思う。」
(ノサック 『弟』 より)


『集英社版
世界の文学 20 
ノサック』 
弟 (中野孝次 訳)
ルキウス・エウリヌスの遺書 (圓子修平 訳)
待機 (小栗浩 訳)


集英社
1977年1月20日 印刷
1977年2月20日 発行
414p 口絵i 
四六判 丸背布装上製本 
貼函 函プラカバー
定価1,300円
装幀: 坂野豊

月報《12》 (2p):
地平線について(日野啓三)/訳者紹介/次回配本



Hans Erich Nossack:
Der jüngere Bruder, 1958
Das Testament des Lucius Eurinus, 1964
Bereitschaftsdienst, 1973


ノサック 01


帯文:

「数年前、奇妙な伝染病が
西欧世界に流行した。
――――自殺病である。
自殺の方法はまちまちで、
原因は全くわからない。
もちろん、対策も立たない。
共産主義社会にも
資本主義社会にも
この伝染病は
平等に訪れた。
なぜ、人はこのように簡単に
自殺の道を選ぶのだろうか――。
虚無の嵐に吹きさらされる
現代人の心の病根を鋭くえぐる
ノサックの最近作『待機』他を収録。」



帯裏文:

「『弟』(一九五八年)
技師シュテファン・シュナイダーは、十数年ブラジルの奥地で暮らしたあと、第二次大戦後のハンブルクに帰ってきた。留守中に奇妙な死にかたをした妻について調べるうち、カルロスと呼ばれる一人の若い男の痕跡につきあたる。その姿を追ううちに次第にカルロスを自分の〈弟〉と感じるようになっていくのだった…。
『ルキウス・エウリヌスの遺書』(一九六五年)
古代ローマの高官エウリヌスが自殺に到る心理的葛藤の経緯を書き記すという体裁をとった小説。時代の変革期における生の根本的な与件を含蓄深く物語る格調高い作品。
『待機』(一九七三年)
自殺病の蔓延した西欧世界。化学者の主人公は教護団に志願する。ある夜、任務の途中で呼びかえされた彼の目の前には、ガス自殺をとげた妻と幼い二人の子の姿があった……。

ノサック HANS ERICH NOSSACK
(一九〇一~    )
ドイツの作家。貿易商の息子としてハンブルクに生まれる。大学で言語学と法律学を学び、一時工場労務者、ジャーナリストなどをし、その後ナチスの追及から逃れるため父の商会で働く。14歳の頃から「書く」ことに興味を覚えるが、書きためた原稿は大空襲の際に焼失。彼のいう「失われた過去」は、有形無形に彼のすべての作品に尾を引いている。1948年に出た『死とのインタビュー』がサルトルの目にとまり、注目を浴びる。簡潔な文体と緊張感のある描写で現代ドイツを代表する小説家の一人である。」



目次:

弟 (中野孝次 訳)
ルキウス・エウリヌスの遺書 (圓子修平 訳)
待機 (小栗浩 訳)

解説 (中野孝次)
著作年表



ノサック 02



◆本書より◆


『弟』より:

「汽船はゆっくり桟橋に近づいていった。」
「朝も早く、それに船というのが古い貨物船だったものだから、桟橋に立っているひとの数は多くはなかった。どうやら前の晩に雨が降ったらしく、ひどく痛んだ舗道のいたるところに水溜(たま)りが光っていた。桟橋の荷揚げ場もずいぶん破損していて、コンクリートの岸壁がところどころ水の中に崩れ落ちていた。町への眺(なが)めは、一つだけ立っている埠頭(ふとう)倉庫と、そのむこうの倉庫の壮大な廃墟(はいきょ)によってさえぎられていた。埠頭倉庫のほうは、赤煉瓦(れんが)といい、骨組み、それに錆(さ)びた鉄板で作られた引き戸といい、いかにも仮のものという感じであった。その右手にはスクラップの荷揚げ場があるらしく、さかさになった軌道式クレーンや、古いボイラーの円蓋、マンホール、その他のがらくたが、一時しのぎに有刺鉄線で囲われているのが見えた。そしてそんなものすべての上に、すでにところどころ草が生えていた。
 接岸しつつある汽船がすさまじい騒音を立てているさなかに、とつぜん教会の塔時計のなりひびくのが聞こえてきた。どこに教会なんかがあるんだろう? とわたしはびっくりして自問した。音のする方に目を向けると、例の倉庫の左手、いまはもう使われていないレールのわきの草地に、無数の緑青(ろくしょう)色の教会の鐘が、大小とりまぜて並んでいるのが見えた。それはまるで植木畑か、あるいは、もっと巧(うま)くいえば、なにか異国ふうの墓地のようだった。どこかの人びとが、死者たちを鐘の下に葬るという風習を採用したかのようだった、おとなは大きな鐘の下に、子供は小さい鐘の下に。そしてとくに大きな鐘の下にはおそらく有名な人か、あるいは一家族ぜんぶが横たわっているのだ。鐘と鐘のあいだにはしかし、青い服をきた労働者が動いていて、遊んでいるのか、音色でもためしているみたいに、鉄の棒で鐘を叩きまわっていた。」
「だれかがそうブラジルまで知らせてよこしたか、あるいは新聞でそう読んだかしたので、わたしはすっかりハンブルクの大部分は破壊されたとばかり思いこんでいた。だのに、わたしへの挨拶(あいさつ)のために鳴っているかのような、この鐘はどういうことなのだろう?」

「わたしはぐらぐらする非現実的な地面の上を動いているようなものだったから、見とおしのきかない、どうしようもない状態に陥ちこむまいと思ったら、本能的に、夢遊病者のように受動的にふるまうしかなかったのだ。」

「もし読者が、自分の体験をわたしがまじめにとっていないというような印象をうけられたとしたら、どうかこう考えてくださるようわたしは読者にお願いする、事実わたしは自分のことをそんなに大まじめにとることができないのだ、というよりむしろ自分をなにか風変りな他人のようにみなしているのだ、それほどわたしにとっては自分自身がなじめないものなのだ、と。」

「どうしてわたしが舞台裏にはいりこむことになったのかわからない、なぜといって、もともとわたしの意図はたしかに、舞台の上でなにかの役を演じることだったのだから。おそらくその原因は、本来ならわたしは十六歳で自殺すべき人間だった、という点にあるのだろう。あのときは自殺すべき正当な動機がたしかにあった、が、わたしはそれを見逃してしまい、(中略)あとになってはもう自殺をするわけにゆかなかった、あとでそんなことをしたら、もう正当ならざること、笑うべきことでしかないだろうから。だれにとってもそういう機会はただの一度しか与えられないのである。その機会を見逃したら、あとはもう外部からの死を希望するしかないのだ。そしてわたしは、自分のことをいわしてもらうなら、この外部からの死を心の底から求めたし、一度だってそれから逃れようとしたことはなかった。」

「いわゆる模範的なもの、賞讃に値すると認められているものが、この世にいかに益をもたらさないかということ、いや、むしろ害があるといっていいくらいだということについて、いずれそのうちだれかが一冊の本を書く必要があると思う。」

「わたしが自分の中で根絶したもの、あるいはもっと正確にいえば、目に見えぬ地下牢(ろう)の中で餓死の判決をくだしたもの、それは夢というものであった。」

「わたしは長年インディオといっしょに暮してきた。かれらと仕事をしていると、何週間かは万事がスムーズに運ぶ。仕事というものにたいしてかれらはわれわれよりはるかに熱心なのだ。しかしまったくとつぜんかれらは道具を手から放りなげてしまう、あるいはなんらの明瞭なきっかけもないのにすわりこんでしまって、もうなにもしようとしなくなる。ときにはそれはひとりひとり別々にであり、ときにはまた、あらかじめ別に談合したともみえないのに、一グループ全部であったりする。どうしたんだ、と質問しても、『いや!』とか『今日はだめだ!』などというばかり。あるいは、まるでそんな質問なぞ聞こえなかったというように、おし黙ってひとのことを見つめるばかり。また、もしかすると本当に質問なぞ聞かなかったのかもしれない。われわれとしてはむろん、強情なやつらだ、賃上げを要求しているんだな、などと思うが、しかしそんなことではないのだ。かれらはただそこにうずくまって、待っているだけなのである。そんなかれらをどうすることもできない。そして結局のところひとは、かれらと同様に待つよりほかどうしようもないことを悟る。悟らせられる。それから初めとまったく同じようにとつぜんそれが過ぎてしまう。かれらはまた、なにごともなかったみたいに、なんでもいっしょにやり始める。
 すこしずつわたしはようやく、待つというかれらの態度が正しいことを認めた。」

「たとえば義父だとか妻だとかが、化粧鏡の前で完全にその役割に没頭しているのを見ると、こう自問せざるをえなかった、どうして人間はあんなにも非現実的な役割の中にがまんしていられるのだろうか、と。」
「こういったことはすべてきわめて滑稽な議論なのかもしれない。わたしはむろんそのことは承知している。しかし、自分たちの役柄を信じている、そしてそのために他のすべてを忘れてしまう人びとだけが、世間では完全とみなされるということ、これはごく簡単な体験でも証明される事実だ。そして、そんなふうにみなされるということが、逆に役柄にたいするかれらの信仰によく作用して、その結果それはかれらにとってしだいに現実以上に現実的なものとなってゆくのだ。いっぽうわたしのような男は、盲信的にこの絵の中の生活にもどり、ちょっとばかり休息してくる可能性を、懐疑によってみずからなくしてしまっているのである。」

「「きみはブレックヴァルトがこれをどう描写しているか知ってるかい? (中略)あの男は完全にまともだよ、ともかく。いささか神経質じゃある、(中略)だが、彼は何度かいい本を書いたんだ。たとえば螺旋(らせん)の霧とかいうやつ、あれはほんとうにいい、あれなら絵になるよ。彼はぼくのいう午後の状態を、空(から)の洗面盤に落ちこんだ蜘蛛(くも)にたとえているんだがね。蜘蛛はツルツルの壁をよじのぼろうと絶望的な努力をしては、何度でもまた、つるっと滑り落ちてしまうんだ、排水口のすぐそばまで、もしその中に落ちこんだら、それで一巻の終りというわけだよ。」
 「あの人は気が狂ったのよ。」
 「いや、彼はただ明瞭(めいりょう)に表現しているだけだ。それに、狂っているなんていうなら、狂っているのはむろんぼくたちみんななんだ、なにしろぼくらは自分になんの関係もない事柄で苦しんでいるんだからね。しかし、この洗面盤と蜘蛛の絵はいい。洗面盤が作っている、白い、ピカピカの、人工的な質量(マッス)と、それからその漏斗(ろうと)状の形。すべて完全に無彩色で冷たい。けれどももしそのとき、とこれはブレックヴァルトがいってるんだけどね、蜘蛛がそうやってむなしく這いずりまわっているようすを上からだれかが覗いている、などと想像すると、事態はもっとひどくなってしまう。なぜって、彼はそいつにただ人さし指をさしだしてやりさえすればいいんだ、そうすれば蜘蛛は救われるんだ、が、いっぽうではまたそれと同様に彼が蛇口をひねることだってありうるわけだよ。けっして悪意からじゃなくて、ただなんとなく、たぶん退屈から。場合によってはちょうどその観察者が午後の最悪の状態にあって、気紛(きまぐ)れにそうするかもしれない。それとも好奇心から。つまり、この哀れな生き物がどうするか、それを見るだけのために。あるいはただ、いっさいの結着をつけてしまうだけのために。」
 「でもいったいだれが覗いてるっていうの?」
 「そしてその蜘蛛が、とブレックヴァルトはさらにいってるよ、上で音楽が鳴っているのを聞いたら、事態は完全に最悪になるんだって。遙(はる)かな、丸味をおびた音楽。そうなったらやつはもう完全にだめなんだ。」」



「ルキウス・エウリヌスの遺書」より:

「一個人の自由意志による死はしかし生への信仰告白なのである。」


『待機』より:

「それはさておき、私がこの身に味わったことをあれこれ書きとめるのに、「疫病」という言葉を用いるのは、あの事件が当時からそう呼ばれていたからだ。「自殺伝染病」という言い方も時に耳にするが、これにはある軽蔑(けいべつ)的な響きが感じられる。この言い方ははなはだ私の気に入らないし、適切とも思えない。なぜといって、先立って言わせてもらうなら、私たち当事者にとってあの事件の恐ろしさや感染の危険性は、ある個人が人生と折り合いがつかなくなって命を断ったということではなく、やめてしまおう、終りにしようという気持がほとんど自然に湧(わ)き起こってそれが全体に広まっていったことにあるからだ。」

「当時の出来事を、したがってまた今日の世界の状態を、疫病をまぬがれた者の立場から非難するということは、すこぶる真相に遠い、道学者流の見方に他なるまい。だれかが助かったという事実を、その人が健康であることの証明と考え、同時に、犠牲者はすべて生きる力のない弱虫として断罪してしまうとは、なんという思いあがった振舞であろう。
 もしそんなことができるなら、鉾先(ほこさき)を返してこう言うことも同じく容易であろう。疫病にかからなかったのは鉄面皮の鈍物だけだ。奴(やつ)らは人間らしい感受性などこれっぽっちももっていないのだ。そんなものが健康だというなら、へどが出る。」

「外側にいるという状態に私は力のかぎり抵抗し、それを認めまいとしていろいろ愚かしい努力もしてみたが、ごくゆるやかにではあるが私はその状態に慣れてきた。慣れるという言い方は強すぎるが、ともかく私は、これが自分にふさわしい状態で、これはもう変えることができないのだという気持に甘んじるようになった。」
「この「外側」ということを、哲学者は心理学者はきっともっと正確に言いあらわすことができるだろう。私としては、政治的な分類で言えば、「左」でも「右」でもなかったということをこの語で示したいと思うだけだ。(中略)そうではなく、つまり私は「外側」にいたのだ。これは、極左として振舞うのよりもはるかにけしからぬことであるらしい。だから、左派か右派か、どちらにでも所属するふりをすることが好ましいとされる。着る物でも、人にうしろ指をさされまいと思えば、流行に従うのと同じことだ。」

「むしろ私はある一にぎりの人たちに注意をうながしたいと思う。それはきわめて少数ながら、疫病を完全にまぬがれていた人たちだ。(中略)私は囚人のことを言っているのだ。つまり、牢獄(ろうごく)、刑務所、その他の司法執行機関に入れられた人たちのことだ。」
「ところが、病院、兵営、収容所といったような、多少とも強制的に集団生活を余儀なくされているところでは、疫病がおおいに暴れまわった――」

「私たちの隊に配属させられていた若い医師たちが言うところでは、「助かった連中」――この奇妙な言い方を今も使わせてもらえば――は、ことごとくこの自殺病から治ったそうである。」
「この点についてはもっと知りたいと思う。なぜといって、(中略)「助かった連中」がどうなったかということがまず疑問になるからだ。(中略)彼らはまた正常な人間になっただろうか。人並に仕事を終えたら夜はテレビを見るのだろうか。それとも、じつはそうではないのに、私たちがみな無関心になりすぎているためにそれに気がつかないだけなのだろうか。」
「いわゆる「助かった連中」のだれだって、一度自殺しかけたがまたこの世に呼びもどされたのはむしろ手違いだったなどということを認めるはずがないのは明らかだ。それにもかかわらず、それらしい印もないということが私を悲しい気持にすることがある。むろん私は、傷あとのような、お互いにそれとわかるような印のことを言っているのではない。
 彼らはあきらめて妥協してしまったのだろうか。そうだったら恐ろしいことだ。疫病とほとんど同じくらい恐ろしいことだ。」





























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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