F・ヴェデキント 『地霊・パンドラの箱 ― ルル二部作』 岩淵達治 訳 (岩波文庫)

「人間って自分のことはほんとうに分らないものだわ(中略)。人間が分ってるのは、自分が人間でないものだけよ。(中略)。理性をもっているのは子供だけだわ。」
(F・ヴェデキント 「パンドラの箱」 より)


F・ヴェデキント 
『地霊・パンドラの箱
― ルル二部作』 
岩淵達治 訳 

岩波文庫 赤/32-429-1 

岩波書店 
1984年12月17日 第1刷発行
1985年4月10日 第2刷発行
310p
文庫判 並装
定価500円



Frank Wedekind:
Erdgeist, 1895
Die Buchse der Pandora, 1906

本文中図版2点(「シェーン博士に扮するヴェデキントとその妻ティリーのルル」、舞台装置図)。


ヴェデキント 地霊 パンドラの箱 01


帯文:

「あらゆる男たちを魅惑し惹きつけ破滅させるルル。世紀末社会の虚偽・退廃を、ルルを通して鋭く描いた戯曲は今もなお新鮮である。」


目次:

地霊
パンドラの箱
〔参考〕第三版への序文

訳注
解説



ヴェデキント 地霊 パンドラの箱 02



◆本書より◆


「地霊」より:

「みなさんが喜劇悲劇で見せられる人物はどんなやつです?
おとなしく躾(しつ)けられた家畜ばかりだよ。
味気のない菜食でおのが血気を冷却し、
当りさわりのないおしゃべりにふける連中、
ちょうど客席の平土間にいるほかの人たちとそっくりの連中だ。」
「ほんものの けもの、野生の美しい けもの
そいつを――淑女のみなさん――わたしの小屋ではお目にかけますよ。」

ルル  自分を偽っているのは、あなたご自身じゃないの――わたしが自分を偽るなんて、どうしてそんなことをお考えになったの――あたしは、そんな必要を感じたことは一度もなかったわ。」

ルル  あの人はわたしを愛してるわ。
シェーン  なるほどそいつは致命的だ。
ルル  わたしを愛している……
シェーン  越えがたい溝だね。
ルル  わたしのことが分っていないくせに、わたしを愛している! ほんのおぼろげにでもわたしって女が分ってしまったら、あの人はわたしの首に石をゆわえつけて、深い海に沈めることでしょうよ。」

ルル  わたしは踊ったり、モデルになったりして、自分で生活費を稼げるととても幸せだったわ。でも人を愛せと命令されても、それはできないわ!」

シェーン  君は彼女を裁ける人間じゃないんだよ。ミニヨンのような素性の女に、市民社会の常識をあてはめて考えることはできないんだ。」
シュヴァルツ  誰のことです?
シェーン  誰だって?――君の奥さんさ。
シュヴァルツ  イヴが?
シェーン  僕はミニヨンと呼んでいるがね。
シュヴァルツ  彼女のほんとうの名はネリーというんだと思っていましたが?
シェーン  そう呼んだのはゴル博士だよ。
シュヴァルツ  僕はイヴと呼んでいます。
シェーン  ほんとうの名前がなんというかわたしも知らないね。」

シュヴァルツ  (絶望して)僕はこの世には適応できないんだ。」

アルヴァ  あの人は自分の運命ときちんと決着をつけようとしたんだ。
ルル  あの人はいつもすぐ自殺をするといったわ。
シェーン  やつはふつうの人間なら空想しかしないことをやってのけられる男だった。
ルル  それがずい分高くついたわね。
アルヴァ  われわれの持たないものをもっている人だったんだ!」

ルル  わたしは一晩でも舞台に出ないと、一晩じゅう踊っている夢をみるのよ、そして翌日はまるで車裂きにあったようにからだが痛むんです。」
ルル  客なんかどうでもいいんです、どうせわたしは客なんか誰も見ていないんですから。」

ルル  ひとがわたしのことをどう考えようとそんなことはどうでもいいの。わたしは自分以上のものになりたいなんてちっとも考えないわ。これで満足なのよ。」

シゴルヒ  あれには父親なんかいないんだよ。
ルル  あたしに何がいないんですって?
三人  父親がさ。
ルル  その通りよ。わたしは奇跡によって生まれてきたのよ。」



「パンドラの箱」より:

ルル  (プライドをもって、澄んだ声で)あんた方の永遠の正義なんてわたしには関係ないわ!」

ルル  あたしは、別にかまわないわ。もう落ちるとこまで落ちちゃったんだから。」

ゲシュヴィッツ  (一人で)このドアの傍に坐ってやろう。何もかも見とどけてやるわ。そして睫毛(まつげ)ひとつ動かさないでいよう。(中略)――人間って自分のことはほんとうに分らないものだわ――自分がどんな人間か分っていないのよ。人間が分ってるのは、自分が人間でないものだけよ。人間が口にする言葉は、どれもこれも真実ではない、嘘八百なのよ。でも人間にはそれが分っていない。人間なんて、今日がこうだと思うと明日はああなる、(中略)すぐに変ってくるのよ。しばらくのあいだでも変らないでいるのは肉体だけ。理性をもっているのは子供だけだわ。大人になれば人間はみな化けもののよう。自分のやってることも分らない。(中略)――ああ神様、あなたがあたしをそんな人間に作り上げて下さらなかったことに感謝します。――わたしは人間ではない、わたしの肉体は、人間の体とは全く違ったものだ、わたしは、人間の心なんか持ってないわ!」

ゲシュヴィッツ  (ひとり)ルル!――わたしの天使! (中略)――わたしはこんなにそばにいるのよ! このままずっとそばに――いつまでも! (中略)ああ、なんてこと!――(死ぬ)」



「第三版への序文」より:

「この作品の悲劇的な主役は、(中略)ルルではなくて伯爵令嬢ゲシュヴィッツである。ルルはいくつかの散発的な策略はするが、三幕全体を通じて受身の役である。それに対して伯爵令嬢ゲシュヴィッツは、自信をもって言うが第一幕では超人的な自己犠牲の実例となっている。第二幕では彼女は筋の運びに従って、彼女の重荷となっている恐るべきあの不自然な性向という宿命を、自分の一切の精神的エネルギーを投入しながら克服する試みをせざるを得なくなる。そのあと第三幕では恐るべき精神的な苦悩をストイックな態度で耐えたのち、自分の女友達を護ろうとして殉死するのである。
 不自然な性向という、この人の子にのしかかっている恐ろしい宿命を劇化する対象に選ぶことを、許し難いと判決した裁判所は、三つのどこにもなかった。事実古代ギリシア悲劇でも、主人公はほとんどいつも自然さからは外れた人物たちであった。かれらはすべて、タンタロスの一族であり、神々によって、額に金属性の刻印の環をはめられていたのだ。ということは、こういう一族の戦い立ちあっている人間の誰でも、彼らほど強大な精神的発展をもてば、人間の最高の幸福に到達できるであろうが、彼らだけはそれだけ発展進化していながら、不幸な遺産として彼らにまといついている呪いをふるい落とすことができず、人間の共同体の役に立つこともなく、ひどい苦悩のうちにこの宿命のために惨めに破滅していくのである。観客が、自然に悖(もと)る性向そのものの刻印が焼きつけられる有様をこれほど強い恐怖で感じることはあるまい。」
「そうではあるが、私が、この不自然さという呪いを劇化の対象に選ぶ気になった動機はこの呪いだけではない。むしろ私がそれを劇化したのは、今日の文化のなかでわれわれの目につくこの宿命が、これまで悲劇的に扱われたことがないと思うからである。私をつき動かした衝動は、この異常に巨大で完全に不毛な精神的闘争という巨大な人物的悲劇性を、これまで与えられていた滑稽さの手から奪い返し、こういう性向に生まれつかなかった人々にもそれに関心や同情をもたせたいという願いであった。」





こちらもご参照ください:

大岡昇平  『ルイズ・ブルックスと「ルル」』














































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