平田篤胤 『仙境異聞・勝五郎再生記聞』 子安宣邦 校注 (岩波文庫)

「我が師を始め山人となり天狗と成れる人々は、何か因縁ありて成れる物なるべく、我とても小児(こども)にてありし時よりの事を思ひつづけ、また願ひもせずして彼の境に伴はれたるなどを思へば、何か定まれる因縁ありげに思はれ、我が身で我が身の事すら知られず、(中略)かく成れるも善き事か悪しき事か分からぬから、身の毛の立つやうに恐ろしく思ふ事もあり、夢のやうにも有るが、とてもかく成れる上は天道様の御さしづ次第、また師匠の心次第と打ち任せて居るなり。」
(平田篤胤 「仙境異聞」 より)


平田篤胤 
『仙境異聞 
勝五郎再生記聞』 
子安宣邦 校注

岩波文庫 青/33-046-3 

岩波書店 
2000年1月14日 第1刷発行
432p
文庫判 並装 カバー
定価800円+税



本書「解説」より:

「本文庫は『平田篤胤全集』第八巻(内外書籍、昭和八年刊)所収のものを底本とした。全集は両者とも平田家蔵本を収めている。」


本文中図版多数。


平田篤胤 仙界異聞 01


カバー文:

「文政三年、浅草観音堂の前にふいに現れた少年寅吉。幼い頃山人(天狗)に連れ去られ、そのもとで生活・修行していたという。この「異界からの帰還者」に江戸の町は沸いた。知識人らの質問に応えて寅吉のもたらす異界情報を記録した本書は、江戸後期社会の多層的な異界関心の集大成である。生れ変り体験の記録『勝五郎再生記聞』を併収。」


目次:

仙境異聞
 仙境異聞(上)
  一之巻
  二之巻
  三之巻
 仙境異聞(下) 仙童寅吉物語
  一之巻
  二之巻
 注

勝五郎再生記聞

解説 『仙境異聞』――江戸社会と異界の乗法 (子安宣邦)



平田篤胤 仙界異聞 02



◆本書より◆


「仙境異聞上 一」より:

「文政三年十月朔日夕七ツ時なりけるが、屋代輪池翁の来まして、山崎美成(やまざきよししげ)が許(もと)に、いはゆる天狗に誘はれて年久しく、其の使者と成りたりし童子の来たり居て、彼(か)の境にて見聞きたる事どもを語れる由を聞くに、子のかねて考へ記せる説等(ことども)と、よく符合する事多かり、吾いま美成がり往(ゆ)きて、其の童子を見むとするなり、いかで同伴し給はぬかと言はるゝに、余はも常にさる者にただに相ひ見て、糺(ただ)さばやと思ふ事ども種々きゝ持ちたれば、甚(いと)嬉しくて、折ふし伴信友(ばんのぶとも)が来合ひたれど、今帰り来むと云ひて、美成が許へと伴はれ出づ。」
「さて途中にて屋代翁に言ひけらくは、神誘ひに成りたる者は、其の言おぼろおぼろとして慥(たし)かならず、殊に彼の境の事をば、秘(かく)しつゝしみて顕(あらわ)に云はざる物なるが、其の童子はいかに侍ると云へば、翁云はく、大抵世に聞こゆる神誘ひの者は然(さ)有れど、彼の童子は蘊(つつ)まず談(かた)る由にて、(中略)よく問(たず)ねて忘れず筆記せられよ、と返(かえ)す返す言はるゝに、余諾(うべな)ひてまた心に思へるは、現世の趣も昔は甚(いた)く秘したる書も事も、今は世に顕はれたるが多く、知り難かりし神世の道の隅々も、いや次々に明らかになり、外国々(とっくにぐに)の事物、くさぐさの器どもゝ、年を追ひて世に知らるゝ事と成りぬるを思ふに、此は皆神の御心にして、彼の境の事までも聞き知らるべき、所謂機運のめぐり来つるにやなど思ひ続けつゝ、間もなく美成が許になむ至りぬる。
時宜(よ)くあるじ居相ひて、彼の童子を呼び出だし、翁と余とに相ひ見せしむ。然るに彼の童子はも、二人の面をつくづく打守りて、辞儀せむとも為(せ)ざりしを、美成かたはらに居て、辞儀せよと云へば、甚(いと)ふつゝかに辞儀を為(し)たり。憎気なき尋常の童子なるが、歳は十五歳なりと云へども、十三歳ばかりに見え、眼は人相家に下三白と称(い)ふ眼にて、凡より大きく、謂(いわ)ゆる眼光人を射るといふ如く、光ありて面貌すべて異相なり。(中略)江戸下谷七軒町なる、越中屋与惣次郎といひし者の二男にて、名を寅吉といふ。」

「偖(さて)まづ神誘ひに逢ひたる始めを尋ぬるに、文化九年の七歳に成りけるとき、池ノ端茅町なる境稲荷(いなり)社の前に、貞意といふ売卜者ありしが、其の家の前に出でて日々売卜するを立寄りて見聞くに、乾の卦出でたり坤の卦出でたりなどいふを、此は卜筮といふ物は、くさぐさ獣の毛を集め置きて擬(うらな)ふ法ありて、其の毛を探り出だし、熊の毛を探り得れば、いかにとか、鹿の毛を探り出づればいかにとか、其の探り出でたる毛により判断する事なるべく思ひて、頻(しき)りに習はまほしく覚えしかば、或日卜者の傍らに人なき時を窺ひ、いかで我に卜筮のわざを教へて給はれと請ひしかば、卜者我を幼き者と思ひて、戯言(ざれごと)したるか、此は容易に教へがたき態(わざ)なれば、七日がほど掌中に油をたゝへ、火を灯す行を勤めて後に来たるべし、教へむと云ふ故に、実(げ)にも容易には伝ふまじく思ひて家に帰り、父母も誰も見ざる間を忍びて、二階に上りなどして密(ひそ)かに手灯(てあか)りの行を始めけるに、熱さ堪へがたかりしかど、強ひて勤め七日にみちて、卜者の許(もと)に到り、手の此(か)く焼け爛(ただ)るゝばかり、七日が間手灯りの行を勤めたれば、教へて給はれと云ふに、卜者ただ笑ひのみして教へざりし故に、いと口惜しくは思ひしかど、詮方なく、倍々(ますます)此のわざの知りたくて、日を送りけるに、其の年の四月ころ、東叡山の山下に遊びて、黒門前なる五条天神のあたりを見て在りけるに、歳のころ五十ばかりと見ゆる、髭長く総髪をくるくろと櫛まきの如く結びたる老翁の旅装束したるが、口のわたり四寸ばかりも有らむと思ふ小壺より、丸薬をとり出だして売りけるが、取並べたる物ども、小つづら敷物まで、悉くかの小壺に納(い)るゝに、何の事もなく納まりたり。斯(か)くてみづからも其の中に入らむとす。何として此の中に入らるべきと見居たるに、片足を蹈み入れたりと見ゆるに皆入りて、其の壺大空に飛揚りて、何処(いずこ)に行きしとも知れず。寅吉いと奇(あや)しく思ひしかば、其の後また彼処(かしこ)に行きて、夕暮まで見居たるに、前にかはる事なし。其の後にも亦行きて見るに、彼の翁言をかけて、其方(そち)もこの壺に入れ、面白き事ども見せむと云ふにぞ、いと気味わるく思ひて辞(ことわ)りければ、彼の翁かたはらの者の売る作菓子(つくりがし)など買ひ与へて、汝は卜筮の事を知りたく思ふを、それ知りたくば此の壺に入りて吾と共に行くべし、教へむと勧むるに、寅吉常に卜筮を知りたき念あれば行きて見ばやと思ふ心出で来て、其の中に入りたる様に思ふと、日もいまだ暮れざるに、とある山の頂に至りぬ。」
「又或時の事なるが、七軒町の辺を謂(いわ)ゆる、わいわい天王とて、鼻高く赤き面をかぶり袴を着し太刀をさし、赤き紙に天王と云ふ二字を搨(す)りたる小札をまき散らして子共を集め、天王様は囃(はや)すがおすき、囃せや子ども、わいわいと囃せ、天王様は喧嘩がきらひ、喧嘩をするな間(なか)よく遊べ、と囃しつゝ行くを我も面白く、大勢の中に交りて共に囃して遠く家を離るゝ事も知らず、今思へば本郷のさきなる妙義坂といふ辺まで至りけるに、日は既に暮れたれば、子共はみな帰りたるに、札を蒔きし人、路の傍らによりて面を取りたるを見れば、いつも我を伴ふ翁にぞ有りける。」

「十一日の朝早く屋代翁がり、夕方に美成が童子を伴ひ来るよし消息す。(中略)申の刻過ぎれど美成来たらねば、皆待ちあぐみけるに、屋代翁消息したゝめ、使ひを遣はさむとしける時に、童子を伴ひて美成来たりぬ。此れぞ寅吉が我が許へ来つる始めなりける。
偖(さて)童子にかねて約しつる岩笛を見せけるに、自然の状にて音の高く入るが、甚(いた)く心の応(かな)ひて悦ぶ事限りなく、吹き入るゝ音もよく入りて、止まる期(とき)なくぞ吹き鳴らしける。」
「翌十二日に岩崎吉彦を使ひにて、昨日の夜の謝を言はしめ、(中略)更にまた笛製(つく)らむ料の竹を求めて待ち居(お)らむ、近き程に童子を貸し給へと云ひ遣りけるに、間もなく童子を伴ひて走り帰りぬ。いかにと問へば吉彦云はく、大人(うし)の宣はせる如く申して侍れば、美成が母出でて、寅吉は流行子(はやりこ)にていと鬧(さわ)がしく今日も早く美成と伴ひて他へ行きたりと云ふ間に、童子は我が笛作る竹を求むといふ声を聞きて奥の間より走り出でて、笛の竹買はむとならば、我も共に行かむと云ひて、外にかけ出でたるに、美成が母は甚(いと)心苦しく思へる状(さま)に見えつれど、又しも他へ出でたりと云へるが憎さに、いざやとて伴ひ侍りと笑ひつゝ云ふに、予もをかしく、常には汝が遠慮なきを叱りたれど、今日のみは遠慮の無きが用に立ちけりと云ひて笑ひぬ。然るに童子は辞儀もせず、来るとやがて神前なる岩笛を吹き鳴らし、かばかり自然の面白き物はなしと悦びて、また止むる期(とき)なく、人の言(ことば)の耳にも入らぬ状なるを、菓子など与へ、予も共に種々の戯れ遊びなどして見合せつゝ、岩笛の成れる始めの考へ、石剣の事、矢の根石のこと、石を造る力、また石をつぐ法、月に穴ありと云へること、星を気の凝(こ)れる物と云へる事、空行の委しき事ども、人魂の行方、鳥獣の成り行きなどの事を問ひたりき。」
「然るに予が家のまた隣にて、所謂はごと云ふ猟事して、数丈なる高木の枝に鳥黐(とりもち)をつけ、媒鳥(おとり)を出だして日々に鳥を捕るを、予が妻の母なる人の、常に無益の殺生と厭(いと)ひて在りけるに、をりしも鵯(ひよどり)のかゝりければ、居合ひたる者ども立ち見て、また鳥のかゝりつると云ふを、童子聞きて今の間に其の鳥を放ち飛ばして見せ参らせむ、茶椀に水を賜はれと云ふに、与へつれば、我が書斎の椽側に立ち居て、太刀かきの真似などし、口に何やらむ唱へつゝ、茶椀なる水を指先にてはじき注ぎ、吹飛ばす状をなす。爰に己れも対馬も立ちて見るに、体も羽も多く指したる枝にひしとつきて、少しも動かず。殊に我が書斎よりかのはごの所までは三十間余りも有れば、心中に、いかに神童なりとも、彼の所までは咒(まじな)ひとどくべしとも覚えず。放ち得ざらむには、恥見する事ぞと、此を放つ事能はじと思ひて、彼の鳥を飛ばしてば、捕人の本意なく思ふべし、止めよと云へど、童子はひたすら咒ふを、人々に目合せして、傍らより然しも促さしめず、対馬と予とは、わざと知らぬ状にて在りけるに、立ちて見居たる者どもの、すわや鳥の片羽の放れたりと云ふに、予も対馬も立ちて見れば、右の羽がひ誠に放れて、見るが間に左の羽がひも体も放れて下りたるが、また中なる小枝の多く指したるはごにつきたり。甚(いと)惜しき事と見るに、童子は猶も咒へば、また下なる枝に落ち止まり、羽づくろひして飛び去りぬ。其の落ちたる状を見るに、黐は蛛の糸の如く引きたりき。然れば咒ひにて力なくうすく成れりと思はる。人々甚(いた)く感ずるに、童子は更に珍しとも思はぬ状にて、いざ竹買ひに行かむと云ふ。」

「然れどわやくに徒(いたずら)なること誠に類ひなし。そは己れ思ふ旨ありて少しも逆らはず、気儘に捨ておけば膝(ひざ)にもたれ、肩に取付きて学事を妨ぐる事は更にも云はず、机前に居ては机のふちを噛み砕き、錐もて穴をもみ、筆をとりて鋒(さき)をもみ、小刀とりて硯屏(けんぺい)におく。雲根石、孔雀石など打ちかき、筆墨をけづり、すり墨をこぼし、灰を吹きたて、傍らにあるほどのもの悉く瑕(きず)をつけ、庭に出でて枝を作れる木草を折り、庭中をば、いつも素足にてあるき、高みへ上りて下には何物あるをもかまはず飛び下りて打ちこはし、また竹馬に乗りて泥に落ちたるを洗はず、席上を泥まみれとなし、張り調へて程もなき障子ふすまを引破り、小児のもて遊ぶ竹もて作れる紙鉄炮といふ物を自ら甚(いと)強く作り、小石を拾ひ入れてふすまを打ち破り、天井板をさへにうち抜くを、其はあぶなしと制すれば畏(かしこ)まりはすれど、直に忘れては人にもうちあて、既に健雄が物書き居たる傍らより、其の耳に小石を打入れ、大きに悩ませたる事さへ有りけり。細工ずきなる故に、彼(かれ)を作る此(これ)を作るとては、鉋(かんな)鋸(のこぎり)などの類ひを再び用立たざる如く害なひ、台所むきの諸道具まで損なひ捨てたる物いと多く、家ぬちの者どもゝ稍(やや)あぐみて見ゆれど、己が愛しむ者なれば、何事も忍び居る状(さま)なり。帯も得結ばず、くるくると回して端を挟みをる故に、誰にまれ朝ごとに帯を結び遣はすを、結び果てざるに駈出すは常の事なり。またいつも寝所より帯も結ばず、かけ出ては直に誰にても取付きて角力を取らむとて、抓(つか)み掛かる。然るにわざと負けては悦ばざる故に幾度となく投付ければ、己れが負けたるかぎりは果てしなく取らむといふ。遇(たま)にも勝つときは悦ぶ事限りなし。始めて逢ひたる人をばいつも暫く其の面をうち守りてあるが、意にかなへるは、始めて逢ひたる人へも、其の肩馬に乗りなどす。世に甚(いた)くわやくなる子をば天狗の巣立ちの如しと云ふ諺のあるは、かゝる状よりは云ひ始めけむ。」

「廿七日に伴信友来たりて、夜に入るまで予と共に種々の事を探(たず)ぬる。(中略)此の日山にて、師の夜学するに用ひらるゝ器の事に及びぬ。そは山に月夜木とて、十五六町ばかり放ち見るに、光る木あり。其を細かにして硝子をかゝる形に吹きたる中に入れて、机上に置くに、夜光の玉といふ如く光る物なりといふ物語を為出して、今その器を作らむといふにぞ、然る木は現世にいまだ見たる事なし、夏になりて光木の出づるを待ちて製せよと云へど、何事にても云ひ出しては其の事のみを打ち置かず物せむとする性急ゆゑに、今はなき物と得心しつゝも、山にては夏に限らず何時にても有り、然れば此の世にも尋ねてなき事は非じとて、来る人ごとに尋ぬるにいと煩(うるさ)くぞ覚えける。さて此の事に就きて可笑しき事ありき。然るは其の十日ばかりほどは、余りに光木を欲しける故に、稲雄が戯れて、わぬしは光木をもて夜光の器を拵(こしら)へむとすれど、我は元より神の御霊によりて、この軀に夜光る物を持ちたれば、然る器は入らずと云ひしかば、其はいかなる物をか持ちたると問ふ。稲雄わざと驚きたる状して、わぬし程の人の、此を知らざるかと云へば、誠に知らず、其は何物なるぞといふ。稲雄すまひて、此は謾りに云ひがたしと云へば、強(あなが)ちに聞かむといふ故に、稲雄うべしげに容を改めて、産霊(むすび)の大神は、我が大人(うし)の常に人に説き諭(さと)さるゝ如く、上なく尊き神にて、其の産霊の徳によりて、かく人を造り成し給ひ、人体の上つ方には眼をつけて昼の用を弁へしめ、下つ方には睾丸(きんたま)をつけて夜の用を弁ぜしめ給ふ、いかに尊き御徳ならずやと云ひしかば、寅吉うち笑ひて、其は何さまにして夜の用を弁(わきま)ふぞといふ。稲雄云ひけらく、其の用ふる状は、譬へば闇なる所にて物尋ねむとする時など、褌をかゝげ睾丸を手に握りて、ゆらゆらと振るへば、小さく電光の如き光りきらめきわたる、其の光にて用を弁へらるゝ事なり、此は誰にてもしかする事ぞと云へば、寅吉云はく、そは偽りなるべし、我が睾丸のつひに光りたる事なしといふ。稲雄笑ひて然らば振りて試みたる事有るかと云へば、いまだ試みたる事はなしと云ふに、山人たちの、此の事を教へざるはいと麁略(そりゃく)なり、若しくは山人の睾丸は光なきにや、など不審(いぶか)しみつゝ、真顔にいふを、寅吉真信(まこと)にうけて、然らば夜になりて試し見むと、日のくるゝを待ちけるが、其の夜闇き所に行きてしきりに振りたれど光り無かりしかば、腹を立て稲雄に攫(つか)みかゝり、偽りする事は神の甚く悪(にく)み給ふ事なるを、能くも我をば欺きたると云ふに、稲雄なほも欺きて、其は合点行かざる事なり、人として夜に睾丸の光らざるは無きが、わぬしの睾丸のみ光り無かるべき謂(いわ)れなし、若しくはいまだ毛の生えざるには非ざるかと云ひしかば、寅吉面を和らげて、毛の生えざる程は光りなきかと問ふ。稲雄答へて睾丸の光ると云へど、実は毛にも光りある故に其の光りと互ひに映じて、光りを放つことなりと云へば、実に然も有るべし、我が睾丸にはいまだ毛の生えざる故に、光りなき物と見えたり、然は知らず子の偽りせると思へるは、我が誤りなりけりと云ひて、其の後は毛の生えるを待ち居る状なりとぞ。此は後に聞きたるが、甚(いと)愚かなる事の、よく思へば、実は己が怜悧のすぐれて、窮理に心深き故に、かくは欺かれしなり。然るは是れより前に人々集ひて、人の髪の毛より火いで、また火気つよき人は其の衣服よりも火の出づるものなる事、また黒猫の毛を闇なる所にて逆に撫づれば、火の出づる事など、語りけるを、寅吉かゝる事を聞きては、必ず試し見る性質なれば、我が家に畜(か)ひおく猫は黒き故に、そを捕へて闇き所にてかき撫でたるに、火のきらめき出しかば、甚く悦びて、常に制すれど、わざと戸をたて、屏風を引廻しなどして、猫の逃げむとするを捕へて撫でけるが、此を山人天狗などの体中より火を出すなどにも思ひ合せて居つる故に、己が心と欺かれたるなり。」

「己れは何ちふ因縁の生まれなるらむ。然るは藁の上より親の手にのみは育てられず、乳母子よ養子よと、多くの人の手々にわたり、二十歳を過ぎるまで苦の瀬に堕ちたる事は今更に云はず、江戸に出て今年の今日に至るまでも、世に憂しと云ふ事のかぎり、我が身に受けざる事は無けれど、是れぞ現世に寓居(かりずまい)の修行なれど、世の辛苦をば常の瀬と思ひ定め、志を古道に立て、書を読み、書を著はし、世に正道を説き明かさむとするに就きては、目に見えぬ幽界は更なり、鳥獣虫魚、木にも草にも心をおきて、憎まれじと力(つと)むれば、況(ま)して世の人には我が及ぶたけの、所謂陰徳をつむを常の心定めとして、人はよしいかに云ひ思ふとも、幽(ひそ)かに恥じる事はせじと、仮りにも人の為に宜(よ)からぬ事を為たりと思ふことは無きに、上の件の如く作り言(ごと)さへして、我を謗(そし)り憎む人も多かりと聞こゆるは、いかなる由ならむ。」



「仙境異聞上 二」より:

「○或日人々と種々の物語の序に、中村乗高の集めたる奇談の書に、或人の女の鉄を食ふ病を煩ひたる由を語りけるを聞きて、
寅吉云はく、鉄の出づる山に生ずる奇(あや)しき物あり。生(な)り始めは山蟻の大きさにて、虫といふべき状なるが、鉄ばかりを食ふ。始め小なる時は鉄砂を食ひ、大きく成るに従ひて釘、針、火箸何にても鉄物を食ひて育つ物なり。形は図の如く毛は針金の如し。師の此れを畜(やしな)ひ置きて試みられたるに、夥(おびただ)しく鉄を食ひ馬ほどに成りて身より自然に火出でて焼け死にたりとぞ。名は何と云ふか知らず。」



平田篤胤 仙界異聞 05


「○高橋安左衛門正雄、傍らに居て問ふて云はく、浅間山の常に火燃ゆるは如何なる由ぞ。神の御怒りにて然るか。其の由を聞かざりしか。
寅吉云はく、燃ゆる事は、彼の山に硫黄の多く有る故にて、焼ければ焼けるほど硫黄は多く出で来たる物ぞとなり。」

「○中村乗□言ひけらく、遠州□□郡□□村に□□□といふ者ありしが、其の若かりし時いと無頼にて、名主を罵りたりし尤(とがめ)にて、処を逐はれしかば、何思ひけむ其れより深山に入りて、世人と交はらず、五年ばかりは出でざりしが、或とき着物を欲しき由にて里に出でたる故に、人々いかにして深山に数年居たると問へば、今は獣らと仲よく交はりて、食物をもうけ、鐺(なべ)も無けれど飯を炊く事を知り、何も不自由と思ふ事も無しと語りて、其の後も三年に一度ほどは、里に出づるが、やゝ仙人と云ふ物の状になりたりと語りしかば、
寅吉云はく、仙人と云ふ物の状になるには、別に仙骨といふ骨なくては成りがたきには非ず。誰人にても深山に三十年も住む時は、始めの程こそ獣らも厭ひ逃れど、遂には、なれてまづ種々の食を持ち来て養ひ、後には奇術を得たる鳥獣なども使はれて、いつとなく仙人と成らるゝ物ぞと師に聞きたり。」

「○或人問ふて云はく、三十歳ばかりの男なるが、幼少の時より二十ごろまで、癲癇の病を持ち、其の頃までいと聡明なりしが、医療祈禱をもして其の病は癒えたるが、後に健忘の症の如くなりて、世事に通ぜず。然れど折々聡明なる言語所行もありて、全く痴と成れりとは思はれず。聊(いささ)かも色情なし。此を癒す法は有るまじきか。
寅吉云はく、そは癲癇の変じて、然る症と成れるなれば、癲癇の療治にて宜し。」



「仙境異聞上 三」より:

「○問ふて云はく、山住居の時に、何ぞ恐ろしき物を見たる事は無かりしか。
寅吉云はく、恐ろしき物と云ふは妖魔なり。人の透き間を伺ひて、其の道に引入れるから、此れほどに恐ろしき物はなし。此の外には然しも恐るべき物もなきが、或時一人山奥を行きけるに、足元より団子ほどの白き光り物現はれて、目前を横にひらひらと飛びたるが、漸々に大きく成りて、能く見れば人のやうにも見え、鬼の様にも見えて、見定めがたく消えたり現はれたりする故に、気味わろくて、土にうづくまり額の所にて十字を切りたれば、暫くして消えたる事あり。」

「寅吉云はく、豆つまと云ふ物は、産の時の穢物、また胞衣より出で来て、其の人の生涯に妖を為し、殊に小児の時に禍ひをなす物なり。其の状は四五寸ばかりにて、人の形に異ならず。甲冑を着し、太刀を佩(は)き、鎗、長刀など持ちて、小さき馬に乗りて、席上にいと数多(あまた)現はれて、合戦を始むるに、太刀音など聞こえ、甲冑も人間のに異(ちが)ひなく、光り輝きて甚だ見事に面白き物なり。此のほか種々のわざを現はして、小児を誑(たぶら)かし悩ましむる物なるが、何にても持ちて打払へば、座敷に血つきて消え失せる物なり。此は度々見たる事ありし故に、師に問へば、其は、豆つまといふ物なるが、産の穢物、また胞衣より成る物なり。」



「仙境異聞下 仙童寅吉物語二」より:

「○或人戯れて、寅吉に謂ひけらく、我は此の世に住み侘びたれば、山人に成りたくと思ふを、山に帰るときいかで我をも伴ひ給へと云へば、
寅吉真と思ひ、居直りて云はく、それは以ての外なる事なり。(中略)山人天狗などは自由自在がなると云ふばかり、山人には日々に種々の行ありて苦しく、天狗にも種々の苦しみあり。それ故に彼の境にても、人間といふ物は楽な物ぞと常に羨み居るなり。此方にては彼方を羨み、彼方にては此方を羨む、これ皆その道に入りて見ざる故の事なれど、(中略)我が師を始め山人となり天狗と成れる人々は、何か因縁ありて成れる物なるべく、我とても小児(こども)にてありし時よりの事を思ひつづけ、また願ひもせずして彼の境に伴はれたるなどを思へば、何か定まれる因縁ありげに思はれ、我が身で我が身の事すら知られず、(中略)かく成れるも善き事か悪しき事か分からぬから、身の毛の立つやうに恐ろしく思ふ事もあり、夢のやうにも有るが、とてもかく成れる上は天道様の御さしづ次第、また師匠の心次第と打ち任せて居るなり。然るに好みて成りたがるは、入らざる事なり。」

「寅吉云はく、我が師を始め山人の男女の交はり無き事は、山人の仕来りの法にて、此の道あるときは自在の術を得ず、長命もならぬ故に絶(た)ちたる物と云ふ人もあれば、其の故なるか。人にして人の道を絶ちたるは、かの因縁による事と見えたり。」



平田篤胤 仙界異聞 04


平田篤胤 仙界異聞 03








































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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