ロレンス・スターン 『トリストラム・シャンディ (上)』  朱牟田夏雄 訳 (岩波文庫)

ロレンス・スターン
『トリストラム・シャンディ (上)』
朱牟田夏雄 訳

岩波文庫 赤/32-212-1

岩波書店 
1969年8月16日 第1刷発行
1990年3月8日 第8刷発行
400p
文庫判 並装 カバー
定価620円(本体602円)
カバー: 中野達彦



Laurence Sterne: The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman, 1760-67
『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』

ホガースによる挿絵1点。黒塗り&マーブル各2p。


スターン トリストラムシャンディ


カバーそで文:

「十八世紀イギリスの平凡な田舎牧師スターンを一躍著名作家の列に押し上げた一大奇書。内容といい形式といい、まったく奇抜そのもの。(全3冊)」



目次:

訳者まえがき

第一巻
第二巻
第三巻

訳者注




◆本書より◆


「行為にあらず、
行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。
――エピクテータス」



「第一巻」より:


「一七一八年十一月の五日という日、――この日は上に推定した私の受胎の日から数えて、およそ世の夫たる者が正当に期待しうるかぎりで暦の上の九ヵ月に最も近い日数を経た時ですが――その日に私、紳士トリストラム・シャンディは、この浅ましくも禍の多い世の中に生み出されました。――私はいっそ月の世界か、そうでなければどれでもよい、どれか惑星の一つに生まれたらよかったと思います(もっとも木星と土星は別で、寒さという奴は私にはとても堪えられません)。それらのどれに生まれたところで、この地球という下劣なうす汚ない惑星に生まれ合わせたのに比べて、私の毎日がなお悪かったろうとは到底考えられないことです(まあ金星は保証のかぎりでありませんが)。――この地球という星は、悪意でなく良心にかけて申しますが、ほかの星のかすやきれっぱしで出来ているのだと私は考える。――もちろんこの地球にしたところで、そこに生まれた者が、生まれながらに立派な爵位とかたいへんな財産とかを持っているのなら、あるいは、何とか工夫して高位高官、顕職、権力の座にのぼる余地があるというのなら、まんざらでもないでしょう。――が私の場合はそうは行かない。――したがって、誰にしても市(いち)のよしあしは自分の店の売り上げの高できめる道理で――重ねて断言いたしますが、私はこの地球を天下最も下劣な世界の一つと考える。――それというのも、この点ははっきり言えますが、私がこの地球ではじめて息を吸いこんだその瞬間から、フランダースで風に逆らってスケートをしたときにとっつかれた喘息(ぜんそく)のおかげでほとんど息を吸いこむことができなくなってしまった今日に至るまで、――私という人間は、世間でいわゆる運命の女神の絶えざるなぐさみものだからです。」


「ヨリックの家系についての私の信念をぐらつかせたのは、あとにも先にもこの点だけでした。ヨリックについて私の記憶にあるすべて、また私が入手しえた彼についてのあらゆる記事から察するかぎり、彼の全体液の中に、デンマークの血はただの一滴もまじっていなかったようです。九百年の間にことによるとすべて流れ出してしまったのかも知れません。――私はこのことについてあなた方に小むずかしい理窟をきかせるつもりは毛頭ありません。それは、理窟はどうであれ、事実はこうであったからです。――つまりこの男は、デンマークの家系とあればあなた方が期待されるであろうような、冷やかな粘液質とか、きわめて几帳面な分別や気質とかを、すこしも持ち合わせず、――むしろ逆に、きわめて快活なふんわりした性分、――行住坐臥にきわめて奇行に富み、――また、きわめて豊かに活気と気まぐれと陽気な心とをそなえた、どう見ても温暖な風土のみが生み出し作り上げることのできる人柄だったのです。しかも、いわば帆のほうはこれだけ揃っているのに、気の毒なヨリックは、船を安定させるための底荷のほうはただの一オンスも積んでいないのです。世事にはズブの未経験者で、二十六歳にもなりながら、世の荒浪に梶(かじ)をとってゆこうにも、その操り方を知らないことは、十三歳の無邪気なお転婆娘よろしくという始末でした。当然のことながら、彼が最初に船を乗り出すと、ご想像の通り、持って生まれた性分の強風が吹き荒れて、一日に十遍も誰かの船の索具にぶつかるという有様です。それも、大概の場合彼の行く手に立ちはだかるのは、糞(くそ)まじめな、船脚のおそい手合でしたから――この男が不運にもきわめて厄介なゴタゴタを起した相手というのが、おおむねこういった連中であったことは、これまた十分にご想像願えましょう。もっともそのような紛争の底には、彼のほうにも多少意地のわるい底意があったのかも知れません。――というのは、本当をいうとヨリックは、糞まじめというものに対して生来おさえがたい嫌悪と反感を持っていたからです。――いや、糞まじめそのものを憎んだのではない――糞まじめが要求されるとなれば、彼自身何日間でも何週間でも、だれにも負けない糞まじめな謹厳な態度をつづけることだってあったのです――彼がにくんだのは糞まじめの皮をかぶる奴で、糞まじめを隠れみのにして無知や愚鈍さをおおうような奴を見ると、彼は公然と戦を宣言する、そして、行く手にそういう奴があらわれるたびに、たとえ相手がどんなに遮蔽(しゃへい)物や掩護(えんご)物のかげにひそんでいようとも、情容赦を加えるということはなかったのです。
 時としてこの男は独特のはげしい口調で、糞まじめな奴はとんでもない大悪党だ、と言いました。――それも、狡猾なだけに実に油断のならぬ悪党なんだ、とつけ加えました。――こういう手合にだまされて金品をまき上げられる正直な善意の人々の数は、一年間で、すりや万引にやられる人数の七年分よりも多いにちがいない、ともいいました。陽気な心の持主がむき出しに本性を見せるのには、何も危険はない――彼はよく言いました――あるとすれば自分自身への危険だけだ。」

「ヨリックは今○○○教区の、自分が管理した墓地の片隅に眠っています。――その上には何の飾りもない平らな大理石の石がおいてありますが、これはその友ユージーニアスが、遺言執行人たちの許しを得て、友の墓の上においたもので、そこには、墓碑銘と挽歌と二つの役目をかねて、次のような三語が彫ってあるだけです。
 
  ああ、あわれ、ヨリック!」



スターン トリストラムシャンディ 上 01


「かの学識高きホール主教、もっと詳しく申せばジェイムズ一世王の御世にエクセターの主教を勤めたあの有名なジョウゼフ・ホール博士は、その著作の一つ、これも詳しく申せば一六一〇年、ロンドンはオールダーズゲイト街に住むジョン・ビールの印刻に成るその天与の黙想録の最後のところで、こう言っています。「およそ人間として、自分で自分を推賞するなどは言語道断のことだ」――私もまったくその通りだと思います。
 とはいうもののまた一方に、あることが非凡な巧みさで行なわれて、しかもそれが人目にはちょっとわかりそうもないという場合――その本人がそれに伴う名誉を受ける機会もなく、徒(いたず)らに自負の心を脳裡に朽ちさせつつこの世から消えてゆくということでは、これまたまことに言語道断のことと私は考えます。
 実は私の今の立場がまさにそれなのです。
 と申すのは、現在私がはからずも迷いこんでしまったこの長い脱線ですが、ここには私のすべての脱線の場合と同じく(ただ一回だけ例外あり)、脱線術としての入神の妙技が秘められているのです。がそういう秘術を残念ながら読者諸賢は終始見おとしておいでらしい――それは何も諸賢に洞察の力がないからというのではなく――ただ、このような神技が脱線というものに普通予想も期待もされないからにほかなりません。――それというのはこういうことです。たしかに私の脱線ぶりは、諸賢も御覧の通り公明正大なものであり、自分の従事している仕事をそっちのけに、大英帝国のいかなる文士にも負けぬほどに、遠いかなたまで、またそれも機会あるごとに、逸脱してしまっているにはちがいありませんが、それでいて私は、私の留守中といえども私の本来の仕事が歩みをとめてしまわないような布石だけは、一瞬も忘れていないのです。」
「このような工夫によって、この私の著作の仕組みはまことに無類独特のものになっております。二つの相反する動き、お互いに両立はできないようと考えられた動きが、この著作に持ちこまれて、しかも融和している――一言でいうならば私の著作は、脱線的にしてしかも前進的――それも同時にこの二つの性質を兼ね備えているのです。
 と申してもこれは、たとえば地球が毎日地軸のまわりを自転しつつ、しかもその楕円形の軌道の上を前進してゆき、それが年というものを生み出し、またわれわれを楽しませる四季の移りかわりのもとになっている、という話などとはまるで別のことです。――もっとも、あの現象からこの名案のヒントを得たことは私も認めます――考えてみればわれわれの自慢する改革や発見の最大のものといえども、大抵はもとをただせば何かこのような些細なヒントから出ていると私は思うのです。
 脱線は、争う余地もなく、日光です。――読書の生命、真髄は、脱線です。――たとえばこの私の書物から脱線をとり去って御覧なさい――それくらいならいっそ、ついでに書物ごとどこかに持ち去られるほうがよろしい――あとに残るのは各ページ各ページを支配する一つづきの冷たい永遠の冬です。」
「秘術のすべては、この脱線というものを巧みに料理し按配して、単に読者にとっての利益だけでなく、同時に作者にとっても利益であるように持ってゆくことにあります。これが巧くゆかない時の作者の情なさくらいあわれなものはありません。脱線をはじめれば、途端に本筋の仕事のほうはピタリととまってしまう――本来の筋を進めれば、脱線はその場でお陀仏――というのは世間によく見かけるところなのです。
 ――これでは救いようはありません。――そう考えて私は、この書物の最初から、本来のお話と気まぐれ的な部分とが適当に交差し合うような組み立てにし、脱線的な動きと前進的な動きとを一所懸命からみ合わせ、ないまぜにして、二つの輪がお互いに別々には動かぬように気をくばりつつ、大抵の場合、全体のからくりが進みをとめないようにと努めて来たわけです。――いや、それだけではありません、もし健康の源泉さえ私にそれだけの生命と元気とをめぐんでくれるならば、今後四十年間くらいは同じ努力をつづけて行きたいと考えている次第なのです。」



「第三巻」より:


「私の父が自分の立てた仮説のささえにと、たいへんな骨折りで手にも入れ研究もしたすべての文献の中で、あの尊敬すべき偉大なエラスムスの清浄のペンで書かれた、そして大きな鼻のいろいろな用途や時宜を得たその利用法を説いた、有名なパンファガスとコクレスの対話ほどに、最初父に残酷な失望感を与えたものはありませんでした。――ところでお嬢さん、この章では、どんなことをしてもよいから何とか抵抗して、あの悪魔に、あなたの想像に馬乗りになることだけはさせないように。あいつは、どこかの高みでも見つけたら、すぐそれを利用してあなたの想像にまたがろうとしますぞ。もしまたあいつに、なにしろ敏捷な奴ですから、いつの間にか乗っかられてしまったとしたら――その時はお願いですからあなたは、まだ人間に乗られたことのない仔馬みたいに、跳ねまわり、走りまわり、とびまわり、棒立ちになり、はずみあがり――また大蹴り小蹴り、何でもよいから蹴っとばして、とどのつまりはティクルトービーの牝馬みたいに、腹革でも しりがい でも引きちぎって、悪魔どのをごみの中にほうり出してやりなさい。――まあ殺してしまうまでのこともないでしょうけれども。――
 ――〈ちょっと待った、そのティクルトービーの牝馬ってのは何者だね?〉――それはまた、ご主人、まことに名誉にもならぬ、学のないご質問! それではまるで、第二ポニエ戦役のはじまったのはローマ建国から数えて何年だっけとたずねたみたいなものじゃありませんか。――ティクルトービーの牝馬をご存じない! 本を読んで下さいよ、本を、本を、本を! どうぞ無学の読者諸公、もっと本を読んで下さい――いやそれよりも、いっそあの大聖者パラライポメノンどのの知識にかけて――はじめからはっきり言っちまいましょう、今すぐそんな本などはお捨てになるほうがよろしい――と申すのは、つけ焼刃の読書くらいでは、というのは申すまでもなくつけ焼刃の知識ではという意味ですが、この次に出て来る墨流し模様のページの教える教訓など、とてもあなたにわかるものじゃありませんからね(このページこそ、私のこの著作のゴチャゴチャした象徴なんですがね!)。それはちょうど、世間の人たちがあれだけの賢こさを持ち寄っても、いつかの真黒なページの暗黒のヴェールの下に今なお謎のごとく隠されたままになっている、無数の思想やら行為やら真理やらを、ついに解明できなかったのと同じことなんですよ。」



スターン トリストラムシャンディ 上 02


「何とも残念なことだ、私の父がある冬の夜、三時間ばかり骨を折ってスラウケンベルギウスを訳してきかせていたあとで、さけびました――何とも残念なことだ、そういって父は、母の、糸を包んだ紙を、目印に本にはさみました、――真実というものが、なあトウビーよ、こうも難攻不落のとりでの中にピッタリと閉じこもってしまって、これだけ手段のかぎりをつくしての城攻めにも、頑としていっかな降参の様子もみせないというのは。――
 この時たまたま叔父トウビーの空想は、こういうことは前にもしばしばあったのですが、父が自分にむかってプリニッツの説明をしてくれている間――何しろその話のほうには何も叔父をひきつけるものはないのですから、ちょっとすきを見て例のボーリングの芝生のほうに飛んで行っていました。――いや、できれば体のほうもそっちへ行って一まわりして来たいくらいのところでした。――したがって、見たところはいかにもスコラ派の哲学者が媒体概念に熱心に没頭している時のように見えながら――叔父トウビーには実はその講義の内容はなに一つとしてわかっていない、だれが何に賛成したのやら反対したのやらも、まったくのチンプンカン、かりに父がハーフェン・スラウケンベルギウスをラテン語から英語にでなく、北米土人の使うチェロキー語に訳してきかせていたとしても、結果は同じだったでしょう。が今、父の比喩の中の「城攻め」という言葉が、まるで呪文の魔力のように、叔父トウビーの空想を引きもどしました。ひびきの声に応ずるようなすばやさでした――叔父は耳をすませました――父は、叔父がパイプを口から離し、かけている椅子をテーブルに引きよせ、一語も聞きのがすまいとするかのような様子を見てとると、――大よろこびでふたたび言葉をはじめました――ただ今度はちょっと方針をかえて、城攻めの比喩は取り下げました。この比喩には若干の危険がともなうことを父は憂えて、それを避けようというのでした。」



















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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