ロレンス・スターン 『トリストラム・シャンディ (下)』  朱牟田夏雄 訳 (岩波文庫)

ロレンス・スターン
『トリストラム・シャンディ (下)』
朱牟田夏雄 訳
岩波文庫 赤/32-212-3


岩波書店 
1969年10月16日 第1刷発行
1990年3月8日 第8刷発行
319p
文庫判 並装 カバー
定価520円(本体505円)
カバー: 中野達彦



Laurence Sterne: The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman, 1760-67
『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』

「年譜」は二段組。本文中図1点。


スターン トリストラムシャンディ


カバーそで文:

「本書によって小説における物語性を否定し去ったスターンは、ジョイスやプルーストなど「意識の流れ」派の先駆とも見られている。」


目次:

第七巻
第八巻
第九巻

訳者注
年譜



スターン トリストラムシャンディ 下 02



◆本書より◆


「第七巻」より:


「こは作品よりの逸脱にあらず、作品そのものなり。
――小プリニウス、書簡集第五巻、第六」



「第八巻」より:


「ところで読者にお考えいただきたいのは、武器をとるにもせよ、筆をとるにもせよ、あるいはそのほか(何かをとろうととるまいと)人間のやらねばならぬ何事の場合にもせよ――あらかじめ設計図を引いておいてその図面通りに事を進めるということがどれくらいばかげているかということです。」


「世間はあまりの清浄さには顔を赤らめるものです――が叔父トウビーは世間などというものを一向知りません。したがって叔父は自分がウォドマンの後家に恋したと感じた時、こういうことはたとえばウォドマン夫人にギザギザのナイフで指に切り傷を負わされたなどというのとはちがって、秘密にしておいたほうがよいのだなどとは夢にも考えつきませんでした。もしそれに気がついていたら――いえ、それでも叔父は常日ごろトリムを高ぶらない味方と思っていましたし、またそのようにトリムを扱ってよい新しい理由を毎日発見してもいましたから――結局叔父がこの男に一件を打ち明けたその打ち明け方には、何の変化もおこりはしなかったことでしょう。
 「わしは、伍長、恋にかかった!」叔父トウビーは言ったのです。」

「恋ですって!――伍長は言いました――隊長どのは一昨日はピンピンしておられたじゃありませんか。ほら、あのボヘミアの王様の話をお話しした時は――ボヘミアの王様! 叔父トウビーはさけびました――それから大分長い間考えこんでいましたが――あの話は、トリム、どうなったんだっけな?
 ――あの話は失礼ながら隊長どのと私の間で、何だか行方不明になってしまいました――でもあの時は隊長どのは私同然、恋などにかかってはいらっしゃらなかった――おまえが手押車を押してむこうに行ったあいだの出来事なのだ――相手はウォドマン夫人だ、叔父トウビーは申しました――ここにたまを一発ぶちこまれたのだ――叔父は自分の胸を指さしながら――つけ加えました――」


「いや、シャンディ大尉の恋愛観には、ヨリックが言い出しました、少くとも多分の理由があり常識もある。わし自身は若い頃の大事な年月をずいぶんむだに過してしまって、その点はいまだにわし自身を責める以外だれを責めることもできないと思っているけれども、そういうころにこれでもわしなりに当時流行の詩人やら文章家やらの書いたものをずいぶんと読んだものだ。ただそういう読書から何を学びえたかというと、残念ながら――
 ヨリック君、君はプラトンを読めばよかったのじゃ、私の父が申しました、プラトンを読めば愛に二通りあることも学びえたろうし――古代には宗教に二通りあったことはわしも知っているが、ヨリックは答えました――つまり一つは――俗人むけ、もう一つは学のある者のため、というわけだ。だが愛の場合はそのどちらにとっても一種類で十分に用が足りたろうと思えるが――
 そうはゆかんさ、父は答えました――その理由は宗教の場合と同じことで、二つの愛というのの一方は、フィチーノがウァレシウスにつけた註解によれば理性的な愛で――
 ――もう一方は肉体的な愛なのだ――
はじめの古いほうのは――生みの母もなく――ヴィーナスとも何の関係もない。それに対して第二の愛はジュピターとディオーネーの間に生まれ――
 ――ちょっと伺いますが兄上、叔父トウビーが申しました、キリスト教の神を信ずる者にとって一体このお話はどういう関係があるのですか? 私の父は答えている余裕がありませんでした。それはせっかくの話の糸がたち切られることを恐れたからです――
 このあとのほうの愛が、父はつづけました、もっぱらヴィーナスの性質を受けついでいるのだ。
 それに対してはじめの愛は、天上からおろされた金の鎖であり、これによって英雄的な愛が引きおこされる。その英雄的な愛という中に包含されており、したがってそれと同時に引きおこされることになるのは、哲学と真理への欲求だ――第二の愛のほうがひきおこす欲求は、これは単に――
 ――人間が子供を生殖する行為は、ヨリックが言いました、この世の中にとって、経度を測定する方法の発見に劣らぬ有益な仕事だとわしは考えるが――
 ――愛こそは、母が口をはさみました、この世の中に平和を保つもとですわ――
 ――家の中に――というのならわしも認めるが――
 ――生めよ、殖えよ、地に満てよのもとは愛ではありませんか、母が申しました――
 でもそういう愛だけでは、地は満ちても天はからになってしまう――父が答えます。
 ――天国をみたすものは、スロップが勝ち誇ったようにさけびました、純潔さ。
 うまい所に尼さんを押しこんだというわけか! 私の父は申しました。」



「第九章」より:


「――それにつけても、もし論理というものが少しでも信頼できるものであり、同時にこの私が自惚に目がくらんでなどいないものとするならば、羨望ということを知らないという、天才の徴候をそなえたこの私は、その点だけからいっても多少は真の天才たる素質を持っているにちがいありません。事実私は、すぐれた文学を推進させるのに役立つような新案、新機軸の類に思い到れば、必ずそれを公開せずにはいられない人間なので、それというのも私の願いは、全人類が私に劣らぬ名文をものするようにという一点にあるからのことなのです。
 ――いや、それくらいのことならだれにだってできるさ、君くらいにものを考えないようにさえすればね。」


「もちろん情欲というものもそれだけを切り離して考えれば、と父は(予防線論法を利用して)つづけました、――飢えや渇きや眠りやと同じように――それ自体は善でも悪でもない――恥ずべきものでもその逆でもないという反対意見があろうことはわしも知っている。――しかしそれならばディオゲネスやプラトンのような人物が典雅な心からああまでも情欲を毛ぎらいしたのはなぜだろうか? なぜわれわれは人間を一人製造し種つけをする時に、蠟燭を消すのだろうか? またそういうことに関係のある何もかもが――つまり構成部分にしても――準備行動にしても――道具類にしても、その他それに仕えるすべてのものが、清浄な人にむかってはどんな言葉ででも言い換えででも遠まわしにでも、伝えてはならぬとされているのはどうしてだろうか?
 ――人ひとりを殺して命を奪う行為は、と父はいちだんと声をあげ――叔父トウビーのほうをかえりみてつづけました――知っての通り栄誉の行為とされる――殺すための武器には名誉がともない――われわれはそれを肩にして行進もすれば――脇に横たえて濶歩もする――黄金で飾り――彫刻をほどこし――貴金属をちりばめ――いろいろと豪華によそおいもする――それどころか、たかがふらちな大砲にすぎなくても、その砲身に鋳物の装飾をくっつけるのだ。――」



スターン トリストラムシャンディ 下 01


本書第九巻十八章・十九章は白紙の章になっています。





























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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