クリバンスキー/パノフスキー/ザクスル 『土星とメランコリー』 田中英道 監訳

「世間から離れた、とある深い谷間で、
あなたは、頬杖をついて、
最後の微かな光の輝きを眺めて座っている」

(ジョン・ホワイトハウス)


レイモンド・クリバンスキー
アーウィン・パノフスキー
フリッツ・ザクスル
『土星とメランコリー
― 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』
田中英道 監訳
榎本武文/尾崎彰宏/加藤雅之 訳


晶文社 
1991年4月30日 初版
1991年9月15日 2刷
605p lxix 図版(モノクロ)84p 
「著者・訳者について」1p
菊判 丸背紙装上製本 
本体カバー 函
定価9,800円(本体9,515円)
ブックデザイン: 日下潤一



本書「凡例」より:

「本書は Raymond Klibansky, Erwin Panofsky and Fritz Saxl, Saturn and Melancholy: Studies in the History of Natural Philosophy, Religion and Art (London: Thomas Nelson and Sons Ltd, 1964) の全訳である。」
「翻訳分担は下記の通り。第一部―加藤、第二部・第三部―榎本、第四部―尾崎」



二段組。
別丁図版146点、本文中挿絵5点、「訳者解説」中図版3点。


クリバンスキー他 土星とメランコリー 01


帯文:

「古代ギリシアにおける
その起源から、
それに最高の表現を
あたえたとされる
デューラーまで、
土星の下に
生まれた者の
運命をたどり、
人間の根源的
状態としての
メランコリー像を
発掘した古典的大著。」



帯背:

「二〇世紀を代表する
三人の碩学が精魂を
傾けた古典的大著!」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 02


目次:

凡例

はしがき
謝辞

第一部 メランコリーの概念と歴史的発展
 第一章 古代生理学におけるメランコリー
  一 四体液の理論
  二 逍遙学派がメランコリーの概念を一新する――『問題集』三〇・一
  三 逍遙学派以降のメランコリー概念の展開
   a 病としてのメランコリー
    i ストア派の見解
    ii アスクレピアデス、アルキゲネス、ソラノス
    iii エフェソスのルフス
   b 四気質の体系におけるメランコリー
 第二章 中世の医学、科学、哲学におけるメランコリー
  一 中世に息づくアリストテレス学派のメランコリー概念
  二 病としてのメランコリー
   a 神学および倫理哲学におけるメランコリー
   b スコラ学の医学におけるメランコリー
    i 初期のアラビア医学、および西洋への翻訳
         ――コンスタンティヌス・アフリカヌス
    ii 体液病理学に基づく体系化の試み
         ――アヴィケンナの四形態説
    iii 心理学に基づく分類の試み
         ――アヴェロエスとスコラ哲学
  三 四気質の理論体系におけるメランコリー
   a ガレノス医学の伝統、とりわけアラビア学者とコンスタンティヌス・アフリカヌスの場合
   b 十二世紀前半の西洋自然哲学における体液=性格決定説の復活
   c 中世後期における庶民の気質理論とその影響

第二部 土星、メランコリーの星
 第一章 文学的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 アラビア占星術における土星-サトゥルヌスの観念
  二 古代文学における土星-サトゥルヌス
   a 神話的存在としてのクロノス-サトゥルヌス
   b 惑星としてのクロノス-サトゥルヌス
    i 古代天体物理学におけるクロノス-サトゥルヌス
    ii 古代占星術におけるクロノス-サトゥルヌス
    iii ネオプラトニズムにおけるクロノス-サトゥルヌス
  三 中世文学における土星-サトゥルヌス
   a 教父たちの論争におけるサトゥルヌス
   b 後期中世思想におけるサトゥルヌス
    i 道徳神学におけるサトゥルヌス
    ii 中世神話学におけるサトゥルヌス
    iii 中世占星術におけるサトゥルヌス
         ――スコラ自然哲学が採用した占星術の教説
 第二章 図像的伝統における土星-サトゥルヌス
  一 古代美術におけるサトゥルヌス、および中世美術に継承されたその伝統的姿像
  二 写本の挿絵と東方からの影響
  三 土星とその子供たちの肖像
  四 中世後期の神話学の挿絵におけるサトゥルヌス
  五 人文主義におけるサトゥルヌス

第三部 「詩的メランコリー」と「高邁なるメランコリア」
 第一章 中世以後の詩歌における「詩的メランコリー」
  一 中世後期の詩における主観的な気分としてのメランコリー
  二 「貴婦人メランコリー」
  三 強められた自己意識としてのメランコリー
 第二章 「高邁なるメランコリア」
        フィレンツェ・ネオプラトニズムのメランコリア・土星-サトゥルヌス礼讃、
        および近代における天才という観念の誕生
  一 新しい教説の知的背景
  二 マルシリオ・フィチーノ

第四部 デューラー
 第一章 コンラート・ツェルテスにおけるメランコリー
        ツェルテス著『愛の四書』の扉絵のデューラーの木版画
        デューラーの著作に見る四気質についての理論
 第二章 銅版画『メレンコリアⅠ』
  一 『メレンコリアⅠ』の歴史的背景
   a 伝統的モチーフ
    i 財布と鍵
    ii 頬杖をつくモチーフ
    iii 握り拳と黒ずんだ顔
   b デューラーの銅版画に含まれた伝統的な画像
    i 病気をあらわす挿絵
    ii 四気質の絵の連作
     Ⅰ 記述的な単身像(四気質と人間の四期)
     Ⅱ 演劇的グループ、すなわち四気質と悪徳
    iii 自由学芸の擬人像
  二 『メレンコリアⅠ』の新しい意味
   a 新しい表現形式 
   b 新しい概念的な内容
    i サトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル
    ii 〈幾何学〉のシンボル
    iii 〈幾何学〉のシンボルと結びついたサトゥルヌスあるいは〈メランコリー〉のシンボル、すなわち〈神話〉と〈占星術〉の関係――認識論と心理学について
    iv 芸術と実践
   c 『メレンコリアⅠ』の意味
   d 『四人の使徒』
 第三章 『メレンコリアⅠ』の芸術的な遺産
  一 デューラー風に女性の単身像で表現された〈メランコリー〉の擬人像
  二 中世後期の暦に見られる〈メランコリー〉の典型的な擬人像
  三 サトゥルヌスやその子供たちの絵におけるメランコリー
  補遺1 『メレンコリアⅠ』にある多面体
  補遺2 銅版画(B70)の意味



訳者解説 (田中英道)
訳者あとがき (田中英道)

略称・原典一覧
図版目次
写本索引
索引



クリバンスキー他 土星とメランコリー 03



◆本書より◆


「はしがき」より:

「本書では様々な制約から、エリザベス朝とジェームズ朝のメランコリーという複雑で魅力的な主題が見送られた。ロバート・バートンの豊かな文学領域を探索するのは心そそられる仕事だが、われわれはそれを断念し、代わりに本書の扉にかの「偉大な憂鬱症学者」本人の肖像を掲げて敬意を表するにとどめざるを得なかった。」


「第一部」より:

「現代の会話で「メランコリー」と言う場合、それは異なったいくつかの意味で使われている。それはたとえば主に不安の発作や重い鬱屈、疲労からくる心の病を意味する。もっとも最近の研究ではそうした医学上の概念は厳密に固定的なものではなくなってきている。また一般に体型の種類と連動した性格類型を意味することもある。それは多血質、胆汁質、粘液質と共に、古くは「四体液」とか「四気質」とか呼ばれた体系を形成している。さらにそれは一時的な心の状態を意味する。すなわち心に痛みを感じ落ち込んでいたり、単に少しばかり物思いにふけっているとか、望郷の念にかられたりしている時の心の状態である。こういう場合のメランコリーは完全に主観的な心の状態でありながら、転移作用によって客観的事物にも適用できる。「夕暮れのメランコリー」とか「秋のメランコリー」とかさらにシェイクスピアに出てくるハル王子のように「どぶ水のメランコリー」などと使うことができるのである。」

「この『問題集』三〇・一は「黒胆汁論」と呼ばれているが、その中で議論されているのは黒胆汁はどの人間にも存在しており、必ずしもそれがあるからといって体の調子が悪くなるとか特別変わった性格の人間になるというわけではないという点である。体の不調とか変わった性格とかを引き起こす原因は黒胆汁の存在そのものではなくむしろそれが一時的に変質するため(中略)であったり、黒胆汁が構造的、量的に他の体液よりも優位になるためである。黒胆汁の変質は「メランコリー性の病気」を引き起こす。(たとえば癲癇、麻痺、鬱病、恐怖症などがある。また、極端に熱せられる場合には無思慮になったり潰瘍を発生させたり狂乱状態を招来したりする。)量的な変化は人の性質をメランコリックなもの(メランコリコス・ディア・ピュシン)に変える。」
「メランコリックな気質の持ち主が特にメランコリー性の病気にかかりやすい、それも悪性のものにかかりやすくなるというのは当然であった。その逆に、生まれつき正常な体液の割合を持つもの――大多数の者――は元来の性質上、憂鬱質者(メランコリクス)が持つような特徴を獲得することはありえなかった。たしかに正常な人間でもメランコリー性の病気にかかることはあるがそれは一時的な体の不調にとどまり、精神上の問題に及ぶことはない。それによって彼の性質が一生影響され続けるようなことはなかったのである。しかし生まれつきメランコリックな人間の場合には、体調が最高の時であっても、ある特殊な「エスト」を抱えており、それがいかなる現れをしたとしてもその人間を根本的かつ普遍的に「常態」とは異なるものにしてしまう。いわばこの人間は常態として異常なのである。」

「『問題集』三〇・一の作者は(それが誰であれ)人並み外れた人間を理解し、ある程度まで正当化しようとしている。その理由はそうした人間の情熱が普通の人々よりも激しく、そうであるにもかかわらず彼は過度の能力をバランスよく用いることができるからである。アイアスやベレロフォンのみならずプラトンやソクラテスが属していたのもこのタイプである。」

「狂乱の概念を高次の創造的才能の土台と捉えるのはプラトニズムである。次に、プラトンが神話の中でしか述べていない天才と狂気の間の広く認められた神秘的関係を理性の明るい光の下に引きずりだしたのはアリストテレスの功績である。(中略)二人の結びつきにより価値観の変動が起こり、「多数」は「人並み」とみなされるようになり、倫理的な「徳をもて!」に代わり心情的な「個性的であれ!」というスローガンが強調されるようになった。この主観主義がヘレニズム時代の特徴であり、ヘレニズムにどこか現代風の香りがあるとすればそれはおそらくここに起因する。(中略)結果的に『問題集』三〇・一で提示された観念はテオフラストスにつながる。この哲学者は、初めてメランコリーに関するまとまった本を書き、ヘラクレイトスに関してメランコリーゆえに著作の大部分を未完で終えたのだとか、矛盾に陥る議論を展開したのだとかと述べている。
 ここで初めて天才を生み出す暗い源が――その暗さはすでに「メランコリー」という言葉の中に暗示されてはいたが――明らかになった。」



「第二部」より:

「中世後期・ルネサンスのほぼすべての作者は、それが病であれ、体質のひとつであれ、メランコリアが土星(サトゥルヌス)と特別な関係にあること、そして、土星こそが、メランコリア体質の人間の不幸な性格と宿命をもたらす真の原因であることを、疑いのない事実と考えていた。今日でもなお、暗く陰鬱な気質は「土星的」(“Saturninr”)と言われている。また、(中略)十六世紀の画家にとって、メランコリア体質の人間を描くことは、土星の子供を描くことに等しかったのである。」


「第三部 第一章」より:

「ミルトンの二篇の詩においては、「喜び」“Mirth”と「メランコリー」“Melancholy”が、それぞれ「快活な人」と「沈思の人」に呼びかけられている。」
「「メランコリー」の代弁者につけられた、「沈思の人」“Penseroso”という名前(中略)は、「メランコリー」が持つ肯定的な、いわば霊的な価値を表わしており、また、二篇の詩の順序は、「最後に語るものが勝利を得る」という、古くからの詩的論争の規則に従って――「メランコリー」が快活な生の享受にまさることを示しているのである。フランス語ロマンスに現われる「貴婦人メランコリー」が、リーパの「マリンコニア」と同じように、その祖先にあたる「悲しみ(トリステス)」と比べてさえ、さらに大きな恐怖と嫌悪を読者に与える一種の悪夢だったのに対して、ミルトンの「メランコリー」は、「この上なく神々しい」と呼ばれ、「賢明にして神聖なる女神」として、また「敬虔で清らかな、沈思する尼僧」として賛美されている。(中略)かつての「メランコリー」を取り巻いていたのは、「陰鬱な女たち、『疑念』、『怒り』、『絶望』」だったが、いまや彼女は「平和」、「静寂」、「閑暇」、「沈黙」に囲まれ、「観想の智天使」に導かれている。」
「「メランコリックな人」は、孤独の塔で、
 
  ……しばしば、三重にも偉大なるヘルメスとともに、
  大熊座が姿を消すまで見守り、
  あるいは、プラトンの霊魂を天上から招く……
  また、火、空気、水のなかや大地の下に棲む、
  あれらの霊を呼び出す……

しかし、この詩のなかには、もうひとつの世界からの反響を聞き取ることができる。つまり、(中略)強められた感受性の世界、優しい調べや甘い香り、夢や風景が、暗闇や孤独、苦悩そのものと混じり合い、苦くて甘い対立によって、自己の意識を高めている世界である。」

「すでに十五世紀初めのある作家が、死、メランコリー、自己意識という三つの観念の関係を、奇妙な表現で明らかにしていた。ジャック・ルグランは、「死と最後の審判の日についての見解」で次のように言っている。「意識が強くなるにつれて、不安が増す。そして、人は自己の状態について、真の、完全な意識を持つに従って、ますますメランコリックになる。」このような意識は、およそ百年後には、自己意識の重要な一部分となったために、およそ傑出した人間は例外なく、真にメランコリックであるか、少なくとも自他ともにそのように認められるようになった。われわれがまず澄明で幸福な人間であると考えがちなラファエルロでさえ、ある同時代人によって、「並外れた才能の持ち主の常として、メランコリーの傾向がある」と言われている。一方、ミケランジェロにおいては、この感情は、苦々しくはあるが喜ばしいある種の自己意識となるまでに、深められ、強められた。「私の快活さは、メランコリーなのだ」。“La mia allegrezz' è la malinconia.”」



「第三部 第二章」より:

「こうしてフィチーノの体系は、――おそらくこのことが、その最大の成果だったかもしれない――土星(サトゥルヌス)の「内的矛盾」に、ある救済の能力を付け加えることに成功した。天性豊かなメランコリア体質の人間は、――身体および下位の能力を、悲しみ、恐怖、陰鬱さで苛まれるという点では、土星から害悪を受けているが――同じ土星に自ら進んで向かおうとすることによって、自己を救済することができるのである。別の言い方をするならば、メランコリア体質の人は、この崇高な思索の星に固有の領域であり、この惑星が通常の心身機能を害するのと同じくらい大きな援助を与える、あの活動、すなわち、「精神」だけに可能な創造的観想に、自発的に没頭すべきなのである。現世に従属するあらゆる生に敵対し、これを抑圧するものとしての土星は、メランコリアを生み出す。しかし、より高い、純粋に知的な生に好意を送り保護するものとして、土星は、メランコリアを癒すことができるのである。」

「こうして、フィチーノには、この古代の邪悪な霊鬼に対する恐れが絶えずつきまとって離れなかったにもかかわらず、彼の著作は、最後に土星礼讃を謳い上げるにいたった。この年老いた神、世界の支配権を手放して叡智を求め、オリュンポスを去って最高位の天球と地底の最下部での分裂した生活へと向かったサトゥルヌスは、ついに、フィレンツェのプラトン・アカデミーを祝福する第一の守護神となる。この「プラトン一族」が、その名を戴いた英雄をサトゥルヌスの子と考えたように、そのなかには、「サトゥルヌスの子供たち」と称するさらに少数の集団があって、自分たちが神々しいプラトンに対して、またお互いに、特別な絆で結ばれていると感じていたのである。」



クリバンスキー他 土星とメランコリー 04




こちらもご参照ください:

若桑みどり 『イメージを読む ― 美術史入門』 (ちくまプリマーブックス)
アーウィン・パノフスキー 『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸術』 中森義宗・清水忠 訳
Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)




















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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