ヴィーコ 『学問の方法』 上村忠男・佐々木力 訳 (岩波文庫)

ヴィーコ 
『学問の方法』 
上村忠男・佐々木力 訳 

岩波文庫 青/33-672-1 

岩波書店 
1987年7月16日 第1刷発行
229p
文庫判 並装 カバー
定価350円



本書「凡例」より:

「本書は Giambattista Vico, De nostri temporis studiorum ratione (Napoli, 1709) の翻訳である。」


ヴィーコ 学問の方法


カバー文:

「近代ヨーロッパ諸学を支配してきたデカルト的方法に対し、最初に全面的批判を展開したのがヴィーコ(1668―1744)である。共通感覚・創造力・レトリック等を重視する彼の思想は、学問のあり方が根底から問われつつある現代に、学問論・科学論・教育論としてあらためて重要な問題を提起する。原題「われらの時代の学問方法について」。」


目次:

凡例

献辞
一 講演の構成
二 諸科学の道具から得られるわれわれの学問方法の利点
三 新しいクリティカの不都合
四 幾何学の方法が自然学に導入されることによる不都合
五 解析について(機械学との関連における)
六 われわれの学問方法は医事にいかなる不都合をもたらすか
七 われわれの学問方法がそれの目的と関連して道徳と政治の学および雄弁にもたらす不都合
八 詩作について
九 キリスト教神学について
一〇 賢慮に属する諸主題について技法集が編まれていることの不都合
一一 法賢慮について
一二 芸術作品の最良の手本について
一三 印刷について
一四 大学について
一五 講演の結論

訳注
解説 (上村/佐々木)




◆本書より◆


「解説」より:

「ジャンバッティスタ・ヴィーコは、一六六八年六月二十三日、ナポリの小さな古本屋の息子に生まれた。幼少のころから利発であったと見えて、親は貧しいながらも彼を初等教育のための学校に通わせている。しかし、たぶん知的に早熟過ぎたのと、七歳のときに階段から転落して頭蓋骨を損傷するという事故にあったことも関係しているのであろう、学校にはなじめず、ほとんどを自学自習で通す。
 一六八六年、十八歳のとき、縁があって侯爵ドメニコ・ロッカ(Domenico Rocca)の子息の家庭教師に雇われ、それからの九年間をナポリよりさらに南方のチレント半島のヴァトッラというところにあった侯爵の居城で過ごす。僻遠の地にあっての青春時代の九年間である。しかし、城中の書庫には古今の書物が数多く集められており、ヴィーコにとっては、哲学、文学、歴史から法学、さらには自然学の分野にいたるまで、幅広い知識を蓄積するためのまたとない「森の中の九年間」であったようである。
 一六九五年にナポリに戻り、新たな職探しに奔走の末、一六九九年一月、王立ナポリ大学に職を得て、修辞学(雄弁術)教授に就任。そして、一七四一年、その席を息子のジェンナーロに譲って引退するまで、その地位にとどまりつづける。」
「『われわれの時代の学問方法について』は、もともとはこのヴィーコがナポリ大学で行った講演である。(中略)ナポリ大学では、毎年十月十八日の開講時に修辞学教授が新入生を前にして「学問のすすめ」とでも言うべき内容の講演を行うことが規程に定められていた。その修辞学教授であるヴィーコが、職責上、一七〇八年に行った第七回目の講演をもとに、加筆のうえ、翌九年に出版されたものが、この(中略)著作である。」



「一三 印刷について」より:

「さらに、印刷がわれわれの学問方法の大きな補助手段になっていることは疑いない。実際そのおかげで、われわれは古代人たちが辛抱した不都合をすでに回避している。彼らは、たとえば巨費を投じ長旅をして、手写本を探し求め調査していたし、さらにまたその場合もしばしばそれらが得られないことがあったのである。」
「今や有り余るほどの量の多様な書物がどこでも、(中略)適当な定価で売りに出されている。しかし、あまりの豊富さと安価が、よくあるように、われわれを勤勉でなくしてしまってはいないか。またわれわれが、見栄えがする豪勢な食事を目の前にして通常の活力がでる栄養素を遠ざけるよう命じ、よく料理されてはいるが滋養になることの少ないものを大食する食客に似てしまっているのではないか、と私は恐れている。
 だがしかし、本が手で書き写されていた時代には、筆写者たちはやりがいのあることをしようとして、世評の定まった著者たちを筆写していたのである。また、それらはしばしば高価で売られていたから、研究者たちは自らの手で筆写することを余儀なくされた。何と驚くべき進歩がそういった訓練によってなされることであろうか! というのも、われわれは書くもの、それもまさに攪乱されず、急がず、とぎれとぎれにならず、穏やかに、終始整然と書くものについては、それだけいっそう正しく思索するからである。そうすれば確かに、粗略に理解するということもなくなり、著者自身とわれわれとの長い交流が介在することになるし、またそのことを通して、われわれはまさしく純粋な著者それ自身に変わってしまえるわけなのである。それにまた、これが原因で、筆写の過程で粗悪な著者は関心をもたれなくなったし、良き著者は有用性が増し、大いに称賛されるようになったのである。」
「なるほど私の記憶をたどってみると(中略)、現存の著者で、その著作が十二回あるいはおそらくそれ以上版を重ねたために称賛を享受したが、今や無視されているだけでなく、蔑まれているのを目撃したことがある。他の著者たちで、ずっと知られず見捨てられていて、ついに間接的な機会から何らかの方法で、今やきわめて学識ある人々によってもまた称賛されている人も見ている。」
「このことには多くの原因がある。確かにその時代にはその時代の精神があるのである。新しさは、美しさと同様、時代が廃れると明らかになる悪を奨励してしまう。学問から得られる報酬をつかもうと望む著者たちは、時の様式に仕える。そして、芸文はその党派、好意と敵意を持ち、また芸文の共和国においても権力の奥義に通じている人がいるのであり、青年たちは、慎ましく才能があればあるほど、信じやすく、学問において有力な人々に柔順なものなのである。
 それゆえ、われわれは数世紀の判断をもとにして読書を行うべきであり、われわれの学問方法をそういった庇護のもとで規律づけるべきである。まず古代人を読もう。」





こちらもご参照ください:

『世界の名著 続 6  ヴィーコ』 (責任編集: 清水幾太郎)





























































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