『世界の名著 続 6  ヴィーコ』 

『世界の名著 続 6 
ヴィーコ』 
新しい学

責任編集: 清水幾太郎

中央公論社 
昭和50年10月20日 初版印刷
昭和50年10月30日 初版発行
594p 年表(折込)1葉
口絵(カラー/モノクロ)2葉
17.6×12.8cm 
丸背クロス装上製本 貼函
本体ビニールカバー
函プラカバー
定価1,700円
装幀: 中林洋子



本書解説後記より:

「本訳の原典は Giambattista Vico; Principj di Scienza Nuova, 1744 である。(中略)本書の初版(通称 Scienza nuova prima)は一七二五年にナポリ(モスカ)で出版されこれに大幅な改訂増補を加えた第二版(Scienza nouva seconda)が一七三〇年に同じくナポリ(同書店)で出版された。しかしヴィーコは、本書の補正をさらに死ぬまでつづけた。したがって本書原本は、第三版ともいうべきもので、これが出版されたのはヴィーコの死後六ヵ月のことである。本訳は、Riccardo-Ricciardi 社(ミラノ)出版の La letteratura itarliana, storia e testi (第四三巻)に含まれている G. Vico, Opere, 1953 中の Principj di Scienza Nuova を底本とした。」
「同底本には「著作の結論」につづいて、一四〇頁余の付録(中略)が付けられているが、今回は(中略)省略せざるをえなかった。」
「なお本訳は、前半(第二巻第四部まで)を清水純一が、後半を米山喜晟が分担し、さらに校正過程において相互検討し、できるだけ訳語の統一を期した。年譜は米山が作成した。」



二段組。図版(モノクロ)多数。


ヴィーコ 世界の名著 01


目次:

私のヴィーコ (清水幾太郎)

新しい学 (清水純一・米山喜晟 訳)
 著作の理念 〔一~四二〕
  巻頭の口絵の説明。これは著作の序文の役割を果たす
 第一巻 原理の確立 〔四三~三六〇〕
  第一部 年表の説明。この説明によって本書の素材となるものが明らかにされる
  第二部 原則
  第三部 原理
  第四部 方法
 第二巻 詩的知恵 〔三六一~七七九〕
  緒論
  第一部 詩的形而上学
  第二部 詩的論理学
  第三部 詩的道徳学
  第四部 詩的家政学
  第五部 詩的政治学
  第六部 詩的歴史学
  第七部 詩的自然学
  第八部 詩的宇宙学
  第九部 詩的天文学
  第十部 詩的年代学
  第十一部 詩的地誌学
 第三巻 真のホメロスの発見 〔七八〇~九一四〕
  第一部 真のホメロスの探究
  第二部 真のホメロスの発見
  付録 劇詩人および抒情詩人の理論的な歴史
 第四巻 諸民族のたどる過程 〔九一五~一〇四五〕
  第一部 三種類の(時代の)本性
  第二部 三種類の習俗
  第三部 三種類の自然法
  第四部 三種類の政治
  第五部 三種類の言語
  第六部 三種類の文学
  第七部 三種類の法学
  第八部 三種類の権威
  第九部 三種類の理性
  第十部 三種類の裁判
  第十一部 三種類の時代の党(学)派
  第十二部 英雄的貴族制の特質から得られるその他の証拠
  第十三部
  第十四部 諸民族の過程を裏づけるための最後の証拠
 第五巻 諸民族が再帰したときに生ずる文明の反復 〔一〇四六~一〇九六〕
 著作の結論 〔一〇九七~一一一二〕
  神の摂理によって定められた、それぞれの種類において最良なる、永遠的で自然的な国家について

訳注
年譜
人名・神名索引



ヴィーコ 世界の名著 02



◆本書より◆


「年譜」より:

「一六六八年 寛文八年
六月二十三日、ジャンバッティスタ・ヴィーコは、貧しい古本屋アントニオ・ヴィーコの三男(八人兄弟の六番目)として、ナポリの古本屋街サン・ビアジオ・デイ・リブライ通りに生れる。(中略)きわめて貧しい家庭であったが、生来の性格は、陽気で活溌だったという。」
「一六七五年 延宝三年 七歳
七歳の頃、すでに初等教育を施す文法学校に通っていたヴィーコは、階段から床上に転落。頭蓋骨を損傷し、五時間にわたって人事不省。医師が、死ぬか、たとえ一命をとりとめても馬鹿になるだろうと予言。治療に三年を要した。性格は一変して、憂欝質で辛辣になった。
 一六七八年 延宝六年 十歳
十月頃、もとの文法学校に戻るが、程度が低すぎるため、最上級に移っても学ぶことがなく、結局自学自習しなければならなかったという。」
「一六八一年 天和元年 十三歳
五月頃、他の生徒との競争の際、不正がなされたことに腹を立てて学校をやめ、独学でラテン語文法を修了した後、さまざまの学問を独学しはじめる。」
 一六八二年 天和二年 十四歳
やはり独学で、パオロ・ヴェネト著の『スンムラエ』の学習に取りかかるが、難解すぎるため、学問への自信を失い、一年半ほど学問から離れていた。」
「一六八五年 貞享二年 十七歳
夏二ヵ月フランチェスコ・ヴェルデの法律学校に通う。法律に興味を抱き、裁判のことを独学で学ぶ。」
「一六八六年 貞享三年 十八歳
(中略)たまたま、法学の教授法に関して会話を交したイスキアの司教ジェロニモ・ロッカに気に入られ、その弟ドメニコ・ロッカの子供たちの家庭教師に雇われる。ドメニコ・ロッカの居城は、サレルノに近いチリエント半島のヴァトッラという僻地にあったため、以後九年間、時折ナポリに出て来る時期を除くと、もっぱらヴァトッラの「森の中」で暮すことになった。このヴァトッラの城中にあるロッカ家の書庫には多数の書物が集められており、ヴィーコはそのおかげで古代の哲学、文学、歴史、法律から、中世およびルネサンス期のイタリア文学にいたるまで広範囲の読書にふけることができた。
 一六八八年 元禄元年 二十歳
この年、彼はナポリ大学の法学部に登録したものの、一度しか出席しなかった。またこの頃から、私的な学会やサロンなどに出入りし、特に「インフリアーティ(怒れる者たち)」と称するグループと付き合った。」



ヴィーコ 世界の名著 03


『新しい学』より:

「〔五〇〕 中国人は、古代エジプト人と同様、象形文字を使用してきた。もっともスキュタイ人にいたっては書き方さえ知らなかったのだが。彼らは何千年にもわたって、他民族と通商をもたなかったから、世界の古さについて正しい情報を得ることができなかった。ごく小さな暗い部屋で眠っていると、人は暗闇の恐怖から、手に触れた部屋を実際よりもずっと大きなものと思い込みがちなものだが、中国人にもエジプト人にも、年代記の無知という暗闇のなかで、これと同じことが起ったわけである。カルデア人も同じである。」

「〔五四〕 (「世界史年表」の)第一欄はヘブライ人に捧げられる。ヘブライ人フラウィウス・ヨセフスおよびラクタンティウス・フィルミアヌス(中略)の信ずべき説によれば、ヘブライ人はどの異教民族にも知られることなしに暮していた。しかも彼らは世界(創造以来)の時の遷り変りを正しく数えていたのである。ヘブライ人フィロンによるそれは今日でももっとも厳密な批評家から正確なものとして承認されている。(中略)これによっても、ヘブライ人がこの世界の最初の民族であり、創世以来その記憶を聖史のなかに正しく留めてきたという説は、否定しえないものといえよう。」

「〔一四二〕 共通感覚とは、ある一つの集団全体が住民のすべて、民族のすべて、人類のすべてが共通して感ずる判断で、反省の結果生ずるものではない。」

「〔一四四〕 互いに没交渉の住民たちの間に生れた共通観念は、真理についての共通の要因をはらんでいるに違いない。」

「〔一四五〕 共通感覚とは、人類の自然法にたいする確信を深めるために神の摂理が諸民族に授け給うた基準である。」

「〔一四六〕 この公理はまた、これまで人類の自然法について抱かれてきた考えをすっかり覆(くつがえ)してしまう。即ち今までは、人類の自然法はまずある一民族によって作られ、そこから他の民族に受け継がれていったのだと考えられてきた。エジプト人やギリシア人が自分たちこそ世界人間文明の種を播いた民族である、と自惚れ誇ったことが、この誤りに輪をかける結果となった。(中略)つまり、人類の自然法は、互いに全く没交渉の諸民族の間でそれぞれ個々別々に生れたものである。それが後に戦争や使節や同盟や通商などの機会に、全人類に共通して所有されていることが認識されたのである。」

「〔一四九〕 民間伝承には(それが生れてくるべき)真実の公的な根拠があったに違いない。だからこそ民間伝承は生れてきたのだし、長い間にわたって住民全体によって語り伝えられてきたのである。」

「〔一五一〕 俗語は、言語が形成されつつあった時代に行われていた古代住民の習俗についてのもっとも重要な証人となるはずである。」

「〔一六一〕 人間文化の本質のなかには、あらゆる民族に共通する一つの精神言語が必ずや存在するに違いない。この言語は人間の社会生活のなかに起りうる事象の本質を理解して、それらの事象が呈しうるさまざまの様相を通じて、それに相応した変化をもって、この本質を説明してくれるはずである。その証拠が諺、即ち世俗的知恵の格言である。諺のなかには、本質的に同一のことが、古代・近代のありとあらゆる民族によって、国の数だけ異なった表現で理解されているのである。」

「〔一八六〕 詩のもっとも崇高な仕事は、感覚のない事物に感性と感受性を与えることにある。それはまさしく、生命のない事物を手にとって、あたかも生きもののごとくにこれと戯れ遊ぶ幼児の特質である。
 〔一八七〕 この言語文献学的哲学的公理は、世界の幼年期に生きた人間たちが、生来崇高な詩人であったことを証明する。」

「〔三八三〕 この永遠の人間特質によって詩の発生もようやく確立されたわけである。詩の本来の素材は、不可能事を信ずることにある。(中略)したがって、詩人のなす業としては、魔女が魔法で行う驚異を歌うこと以上に大きな活躍場所はどこにもないのである。これは結局は神の全能について諸民族が抱いている隠れた感覚に還元さるべきものである。これから生れたさまざまなものを介して、人々は知らず知らずに神の無限の讃歌を歌わされているのである。そしてこういう仕方で詩人たちは異教徒のために宗教の基礎を築いたのである。」

「〔四〇五〕 あらゆる言語にあって、無生物に関する表現の大部分が、人間の身体やその各部、また人間的感覚や情念から転用されたものであるということは注目に値する。たとえば、「頭」は頂上や始まりを、「額」「背中」は前後を意味する。また、ねじの「目」とか、家々に灯(とも)る「目」とか。「口」は開いたもの。「唇」は瓶などのへり。鋤や熊手や鋸や櫛の「歯」。「鬚(ひげ)」は根。海の「舌」(入江)。川や山の「喉」とか「喉頭部」。土の「頸」(丘)。川の「腕」(支流)。「手」はわずかな数を。海の「胸」は湾を。「脇腹」や「横腹」は隅を。(中略)果実の「肉」とか「骨」。水や石や鉱石の「脈」。ぶどうの「血」はぶどう酒。大地の「腹」。空や海は「笑い」、風は「(息を)吹き」、波は「囁(ささや)き」。(中略)ローマ時代の農夫たちは〈土地がかわく〉とか〈果実が働く〉とか〈麦が肥る〉といった表現を用いていた。また今日の農夫たちも「草木が恋する」とか「ぶどうが狂う」とか「とねりこの木が泣く」とか言う。こういう表現例はどの言語からも無数に集めることができる。その結果例の公理〔一二〇〕が生れるのである。即ち「無知な人間は己れを宇宙の尺度とする」。つまりさきの例のようにして、彼は自分を材料として全宇宙を作り出せると考えたからである。合理的形而上学は〈人間は知ることによって万物となる〉と教えているが、この想像的形而上学は、〈人間は無知であることによって万物となる〉ことを主張しているのである。そしておそらくはこの方が前の提言よりもより真理を語っているのかもしれない。なぜならば、人間は、理解することによって、自らの精神を拡大して事物を包摂するけれども、理解しないことによって、自らを事物そのものと考え、自己変身することによって事物となるからである。」

「〔八一三〕 詩人が確実に民間の歴史家よりも先に現われている以上、最初の歴史は詩的なものであったに違いあるまい。」

「〔八二一〕 詩の本性にもとづき、誰一人として、卓越した詩人であると同時に、卓越した形而上学者ではありえない。なぜなら、形而上学者は感覚から精神を抽出するのにたいして、詩人の才能は、精神をことごとく感覚のうちに埋没させざるをえないからである。形而上学は普遍性のかなたに飛翔(ひしょう)するのにたいし、詩人の才能は特殊性の底深く沈下せねばならない。」

「〔一一〇八〕 なぜなら諸民族からなるこの世界を作り上げているのは人間であるが(中略)、それは疑いなく、しばしば人間が自ら設定した意図とは異なり、時にはそれと完全に矛盾し、そして常にそれよりもすぐれた精神から生じた世界であった。そして、その精神は、人間精神の限られた目的を、より大きな目的のための手段と化し、常にこの地上に人類を保存するために利用したのだった。だから人間が野獣のように性欲を満たし、自分の子孫を捨て去ろうとするとき、かえって彼らは婚姻にもとづく貞節を守り、家族を作り出す。また家父長たちが被保護民にたいして無制限の家父長権を行使しようと意図したとき、実際には彼らを社会的支配権の下に服従させ、そこから都市が生れる。貴族という支配階級が、平民にたいする領主としての自由を濫用しようとすると、法の支配に服さざるをえなくなり、そこから民主的な自由が生れる。すると自由民たちは、法の束縛からのがれたいと望み、かえって君主に服従することになる。君主たちが自分の地位を強化するため、ありとあらゆるふしだらな悪習で臣民を堕落させようと企てると、その結果人民をより強力な他の民族に隷属させるのである。諸民族は自ら四分五裂することを望み、彼らのうちの生存者は、安全を求めて荒野に逃げる。するとその荒野の中から、彼らは不死鳥のごとくよみがえるのだ。こうした企てのことがらを行うのは、結局精神なのである。なぜなら人類は知性によってそれを行うからである。それを行うものは、運命ではない。なぜなら、人々は選択にもとづいてそれを行うからである。また偶然でもない。なぜなら彼らは常にそのように行い、しかもそうすることによって生ずる結果は永遠に等しいからである。」



ヴィーコ 世界の名著 04


『新しい学』口絵。




こちらもご参照ください:

ヴィーコ 『学問の方法』 上村忠男・佐々木力 訳 (岩波文庫)
















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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