ボッカッチョ  『デカメロン (上)』  柏熊達生 訳  (ちくま文庫)

「さて、神の子の降誕から、すでに一三四八年目におよびましたが、その時イタリアの地のすべての都市にまさって明媚(めいび)をもって鳴るフィレンツェの都に、致死の疫病が見舞ったのであります。」
(ボッカッチョ 『デカメロン』 より)


ボッカッチョ 
『デカメロン (上)』 
柏熊達生 訳
 
ちくま文庫 ほ 3-1

筑摩書房
1987年10月27日 第1刷発行
475p
文庫判 並装 カバー
定価680円
装幀: 安野光雅
カバー装画: 大矢英雄「情熱の運動について」


「この作品は、一九五七年一一月一〇日、河出書房から刊行された「世界文学全集 1」に収録され、のち一九八一年三月二五日、ノーベル書房から三冊本で刊行された。」



ボッカッチョ デカメロン 上


カバー裏文:

「教会でたまたま落ち合った男3人、女7人が、毎日1人1話ずつ10日間話した100篇の物語。中世の終末と近代の人間解放を告げる最初の作品の一つといわれる。上巻では精力絶倫の修道士が自分の不行跡に修道院長を引きずり込んで罪をのがれる話、恋多き女が修道院を舞台に巧みに思いをとげる話など、人間本能を哄笑の対象として描く。」


内容:

序 〈十日の間に七人の淑女たちと三人の若い紳士たちによって語られた百の話を含むデカメロン、別の名をガレオット公という書物がはじまる〉

第一日 〈デカメロンの第一日がはじまる。この日には、次に示すような人々がどうした理由で一緒に話をするために集まるような仕儀になったかが、作者によって説明された後、パンピネアの主宰のもとに、それぞれが最も得意とすることを話しあう〉
 第一話 〈チャッペッレット氏はいつわりの懺悔をして信心深い修道士をだまして死に、その在世中は極悪な人間だったが、死にぎわに聖人とみなされて、聖チャッペッレットとよばれる〉
 第二話 〈ユダヤ人アブラハムはジャンノット・ディ・チヴィニーにすすめられて、ローマの政庁に行き聖職者たちの邪悪を見てパリに帰り、キリスト教徒となる〉
 第三話 〈ユダヤ人メルキセデックは三つの指輪の話をして、サラディーノが自分をおとしいれようとした一大危難をのがれる〉
 第四話 〈ある修道士が厳罰に値する罪におちて、同じ罪を犯した自分の修道院長を手際よくとがめ立てて、その懲罰からのがれる〉
 第五話 〈モンフェルラートの侯爵夫人が、めんどりの饗応と機智にとんだことばで、フランス王のくるおしい恋情をおさえる〉
 第六話 〈才人がたくみなことばで、宗教家の邪悪な偽善を当惑させる〉
 第七話 〈ベルガミーノは、プリマッソとクリーニーの修道院長の話をして、めずらしいことにカーネ・デッラ・スカーラ卿の胸におこった吝嗇(りんしょく)を、たくみに諷刺する〉
 第八話 〈グイリエルモ・ボルシェーレが、たくみなことばをもって、エルミーノ・デ・グリマルディ氏の貪欲を痛烈にこらしめる〉
 第九話 〈チプリの王がグァスコーニャの一婦人により痛罵されて、暗愚より脱脂、英邁になられる〉
 第十話 〈ボローニャのアルベルト先生が思いをよせたある婦人から恥をかかされようとして、かえって彼女をはずかしめる〉

第二日 〈デカメロンの第一日が終わり、第二日がはじまる。この日はフィロメーナの主宰の下に、いろいろのことで苦しめられた人が、はからずもしあわせな結末に到達したことを話す〉
 第一話 〈マルテッリーノは麻痺患者であるとよそおい、聖アルリゴの遺骸の上にのせられて、快癒したと見せかけた。しかしそのたばかりを見破られて、殴られて捕えられた上、絞殺される危難におちいったが、最後にこれをのがれる〉
 第二話 〈リナルド・ダ・アスティが追剥の難をうけ、カステル・グイリエルモにいたり、ある寡婦に宿を提供され、盗まれた物を返されて、無事に自分の家に帰る〉
 第三話 〈三人の若者がその財産を浪費して貧乏になる。彼らの甥の一人が失望のあまり家に帰る途すがら、一人の修道院長と近づきになり、それが英国の王女であることを知る。彼女は彼を夫に迎え、彼の伯父たちの一切の損失をつぐない、彼らをよい身分にもどしてやる〉
 第四話 〈ランドルフォ・ルッフォロは落ちぶれて海賊となり、ジェノヴァ人たちに捕えられる。しかし、その船が難破し、貴重な宝石が一杯はいっている一つの小箱に乗って難を脱し、グルフォに漂着する。ある女に助けられ、金持ちとなってわが家に帰る〉
 第五話 〈アンドレウッチョ・ディ・ピエトロが馬を買いにナポリにきて、一夜のうちに三つの大きな災難に見舞われながらも、どの危険からものがれ、一個の紅玉(ルビー)をもってわが家に帰る〉
 第六話 〈マドンナ・ベリートラが二人のこどもを失い、ある島で見つけた二頭の子鹿とともにルニジャーナに行く。そこでこどもの一人が彼女の主人のところにいて、主人の娘に恋し、牢にいれられる。シチリア島民がカルロ王に反抗し、そのこどもは母にそれとみとめられ、主人の娘と結婚する。またその弟も見つけられて、高い身分にもどる〉
 第七話 〈バビロニアの皇帝がその姫の一人をガルボの王に王妃として送るが、彼女は種々の事件にあって、四年のあいだにいろいろの土地で九人の男の手におち、最後に、処女として父親のもとに返され、最初のように、ガルボの王のもとに妃としておもむく〉
 第八話 〈アングェルサ伯は冤罪(えんざい)に問われて、亡命し、その二人のこどもを英国の別々の土地に残す。あとで一人ひそかに、スコットランドから帰って、双子が幸福な境遇にあることを知る。彼はフランス王の軍隊に雑役夫として加わり、その無罪をみとめられて、もとの地位に服した〉
 第九話 〈ジェノヴァのベルナボは、アンブロジュオロに欺されて、その財産を失い、罪のない自分の妻を殺すように命じる。彼女はのがれて男の着物をまとって皇帝に仕え、だました男を発見して、ベルナボをアレキサンドリアに呼んで、そこでその男を罰し、ふたたび女の着物をつけて、夫とともに、金持ちになってジェノヴァに帰る〉
 第十話 〈パガニーノ・ダ・モナコはリッチャルド・ディ・キンツィカ氏から妻を盗む。リッチャルドは、彼女がどこにいるのかを知って、パガニーノのところに行って、その友人になり、彼に女を返すように要求する。パガニーノは、彼女がそう望むならば返そうという。彼女は夫と帰ることを望まない、そしてリッチャルド氏が死んで、パガニーノの妻となる〉
 
第三日 〈デカメロンの第二日が終わり、第三日がはじまる。この日にはネイフィレの主宰のもとに、「自分で非常に切望したものを巧みに手に入れた者か、あるいは失ったものをとりもどした者」について語られる〉
 第一話 〈ランポレッキオのマゼットは唖(おし)をよそおって、女修道院の園丁となる。修道女たちがことごとく競って彼と共寝をする〉
 第二話 〈王アジルルフの一人の馬丁が、妃と寝る。それをひそかにアジルルフが知り、その馬丁を見つけだし、髪の毛をきる。髪をきられた馬丁は他の馬丁全部の髪をきる。そしてその不幸をのがれる〉
 第三話 〈一人の青年に恋したある夫人が、懺悔と純愛を口実にして、ある血のめぐりの悪い修道士に、それと気取られないで、彼女の悦楽が十分に満たされる方法をとらせる〉
 第四話 〈ドン・フェリーチェ氏は、フラーテ・プッチョにどうしたら贖罪を行なって福者になることができるかを教える。フラーテ・プッチョは贖罪を行ない、フェリーチェ氏はそのあいだに友人の妻と楽しむ〉
 第五話 〈ツィマがフランチェスコ・ヴェルジェッレージに一頭の馬を贈り、その代わりに彼の許しを得て、彼の妻に話をするが、彼女が黙っているので、彼は彼女の代わりに答え、やがて彼の返事どおりの結果となる〉
 第六話 〈リッチャルド・ミヌートロはフィリッペッロ・シギノルフォの妻を愛する。リッチャルドは彼女が嫉妬深いことを聞いて、自分の妻とフィリッペッロが翌日温泉宿に行くはずだと思いこませて、彼女にそこに行かせ、彼女が夫と一緒にいると思いこませ、実はリッチャルドと寝床を同じくする結果となる〉
 第七話 〈テダルドは、自分の女に腹を立ててフィレンツェを出奔する。しばらくの後、巡礼の姿でその地に帰り、その女と話をかわし、彼女の誤りをさとらせ、また自分を殺したという証拠があがっていたので死刑にされるはずだった彼女の夫を救い、その兄弟たちと仲直りさせたうえ、彼女と巧みにたのしむ〉
 第八話 〈フェロンドは、ある粉薬を飲んで死者として埋葬される。そして彼の妻をたのしむ修道院長によって、墓からひきだされて、牢獄に投ぜられ、煉獄にいると思いこまされる。やがてよみがえらされて、修道院長が彼の妻に生ませた一子を、自分の子として育てる〉
 第九話 〈ジレッタ・ディ・ネルボーナは、フランス王の潰瘍を癒し、ベルトラモ・ディ・ロッシリオーネを夫にと願いでる。彼はいやいやながらジレッタと結婚するが、憤慨してフィレンツェへ去り、そこで一人の若い婦人に想いをよせる。ジレッタはその婦人のふりをして彼と同衾(どうきん)して二人の子をもうける。そこで彼はやがて、ジレッタをいとおしく思い、妻として遇した〉 
 第十話 〈アリベックは隠遁者となり、修道士ルスティコは、彼女に悪魔をふたたび地獄に追いこむことを教える。やがてその後、彼女はそうしたことから引き離されて、ネエルバーレの妻となる〉

解説 (柏熊達生)





◆本書より◆


「第一日」より:

「そうして棺をかついだのは、身分のある立派な市民ではなくて、こうした仕事を金をもらってやっていた死体運び(ベッキーノ)と呼ばれていた細民(さいみん)の出である一種の死体運搬埋葬人でございました。で、彼らは、死者が生前に手配しておいた教会などはほうっておいて、大抵の場合は一番手ぢかの教会に、四人か六人の聖職者に従って、わずかの灯をとぼし、時には一つの灯もつけずに足ばやに、棺を運んでいきました。聖職者たちは先に述べた死体運びに助けをかりて、手間どりすぎる儀式や、崇厳な儀式で骨を折るようなことはしないで、ふさがっていない墓穴ならなんでもかまわずに見つかりしだい、死体をそのなかに埋めました。細民や、あるいは恐らく中産階級の大部分については、そのありさまはさらにずっとむごたらしい、悲惨なものでした。なぜなら彼らの大部分は、希望したためか、それとも貧乏のためか、自分たちの家か、その地区内にひきこもっていましたので、毎日何千人となく罹病し、何の看護も世話もうけられず、ほとんど救いの手らしいものは何一つのべられぬまま、ことごとく死んでいきました。街の通りで、昼となく夜となく、果てる者がいっぱいおりました。家のなかで息をひきとる者はさらに多く、その人々は、何よりもまず、自分たちの腐爛した肉体の悪臭を放って、自分たちが死んだことを隣人たちに気づかせました。ですから、この人々や、いたるところで死んだ別の人々の悪臭が、あたり一杯にこもっておりました。
 死者に対して抱いている同情からというよりも、死人の腐敗が自分たちに害をあたえないようにとの心配から、隣人同士が大体同一の方法をとっていました。彼らは自分でやるか、見つけることができた際は、運搬人たちの助けをかりて、すでに死んでしまった人々のからだを、自分たちの家からひきずりだしました。そして、それを自分たちの戸口の前におきました。そのあたりへ行った者は、特に朝でしたら、数限りない死体を見ることができたでしょう。それで棺を運ばせたり、また棺がたりないので板切れの上に死体をのせることもありました。二、三人の死体を一緒にいれている棺も珍しいことではありませんでした。夫と妻を、二、三人の兄弟を、あるいは父と息子を、あるいはそれに類した者たちを一緒におさめている棺も、非常に多く数えあげることができたでしょう。また二人の修道士が一つの十字架をもって、だれか一人の死人をとりにいくと、運搬人にかつがれた三、四の棺が、その棺の後ろにはいりこんでしまって、修道士たちが、うずめる死体は一人だと思っていたのが、六人か八人、時にはそれ以上もの死人があったという話も、何度も聞きました。ですから、これらの死人には、涙もそそがれず、灯もとぼされず、野辺の送りもされませんでした。それどころか、死んだ人間のことについては、死んだ山羊に対して気を用いるくらいにしか、心をかけていないというありさまでした。」





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ボッカッチョ  『デカメロン (中)』  柏熊達生 訳  (ちくま文庫)

























































































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趣味: 図書館ごっこ。

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