塚本邦雄 『風神放歌 ― 加藤かけいの宇宙』

「かはほりやわがふところに人の遺書」
(加藤かけい)


塚本邦雄 
『風神放歌
― 加藤かけいの宇宙』


書肆季節社 
1979年7月15日 第1刷刊
141p 
四六版 
丸背布装上製本 貼函 
装幀: 政田岑生 
篆刻: 常石三郎



俳人・加藤かけい論および三〇句鑑賞。正字・正かな。
加藤かけいは明治三十三年生、昭和五十八年没。


塚本邦雄 風神放歌 01


塚本邦雄 風神放歌 02


内容:

第一部 作家論 優雅なる暴力
 Ⅰ
 Ⅱ
 Ⅲ
 Ⅳ
 Ⅴ
 Ⅵ

第二部 作品鑑賞 天領の菫
 1 名張川ひかりまぎらふ白梅と
 2 山吹の黄の照り騷ぐ別離の後
 3 凍蝶や百濟國ありてほろびけり
 4 大霞して一蝶の眩み落つ
 5 百日紅眞晝の砂の臈たけて
 6 惜春や生死の奧にわれを置き
 7 激浪に赤い冰菓をもてあます
 8 草競馬人生の涯まつさをに
 9 初蝶のいまだ過ぎねばたゞの石
 10 薔薇置けば疊は限りなくまづし
 11 言爭ふ大根畑の隅を指し
 12 蓮の花ささぐるものゝたしかにある
 13 萬歳に貧居たること見抜かれて
 14 黑葡萄買ひしが風のごとく去る
 15 きりぎりす死後の世界に舌打ちし
 16 寒がらす飼ひて女中を晝犯す
 17 くつがへる流灯一基溺死靈
 18 能面のはつしと割れて梅匂ふ
 19 繭ふつて不思議な音をきゝなさい
 20 葱ごときが九頭龍川を流れをり
 21 砂を刺す日傘も凶器月見草
 22 初神樂吹かねば冰る笛を吹く
 23 岩清水岩の胎内淋漓たり
 24 炎天や金色なせる釋迦の臍
 25 涅槃西風辛夷の燭を吹き消さず
 26 佛飯の凍てすさまじき破戒かな
 27 赤貧や風の日暮の唐辛子
 28 末の世も花で翳らす花御堂
 29 かへりみてはげしきわれぞ菫摘む
 30 天領や一瓣のみの水芭蕉

第三部 作品総覧 滴瀝鈔 「定本加藤かけい俳句集」引用作品ならびに鑑賞作品總覽




◆本書より◆


「第一部 作家論 優雅なる暴力」より:

「人はかけいの拉鬼體の、溌剌と躍り殷殷と底籠る言葉の、耳に立つ響きを容易に容れようとしなかつた。私は意見がましい批評の幾つかをたまたま目にしたこともある。(中略)たとへ耳に立つても、今日、この句にはこの言葉を充填し、不可視のものを射たねば、それは自分の死を意味すると思ひ定めての、覺悟の上の試行であつたものを。」

「しかしながら、私は別の感慨を齎す。すなはち昭和二十九年十一月の「俳句」特輯「搖れる日本」に名を連ねたかけいの句「庶民には冰旗はためき休戰成る」をまざまざと思ひ出すのだ。私の諳じてゐるかけい作品中一番嫌ひな一句だが、作者と「社會性」の不似合いを理由に拒むのではない。庶民への悲しいほどの配慮が、この句にこそ必須の猛毒を消してしまつたのが口惜しい。(中略)この稀なる俳人に新聞とは叩き賣りのバナナを包む紙に過ぎず、ラジオとは體操の伴奏以上のものではなかつたはずだ。」



「第二部 作品鑑賞 天領の菫」より:

「きりぎりす死後の世界に舌打ちし   『甕』

   くつわ蟲ゆらゆら思へ秋の野の藪のすみかは永き宿かは  好忠
   鳴けや鳴け蓬が杣(そま)のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき  同
 「曾丹集」秋の蟲は、これで破格自在、宮廷歌人の眉を顰めさせるに十分な文體を持つてゐた。それでも「舌打」にまでは思ひ及ばなかつたらう。言ひ得て妙である。そして舌打だけなら妙であるに止まる。見所(みどころ)は「死後の世界」であつた。現世に舌打する姿に通俗を感じる人も、これには愕然としよう。
 生きてゐて華華しい日は絶えて無く、おのが志を得ることもこの分ではまづあるまい。他人は泥棒、明日は雨どころか、肉親すら掏摸(すり)・詐欺のたぐひ、明日と言はず今日既に土砂降りだ。さて味氣ない一生終つて目を瞑るとしても、あの世も、この分では世智辛く油斷も隙もあるまい。嚏(くしやみ)をしても靑鬼が税金を取りに來るだらう。何度生れ變つても人である限り。何の救ひがあらう。舌打は死後にも未生の暗闇にも及ぶ。ニヒリズムでもアナーキズムでもペシミズムでもない。もっとどす黑く、ひねくれた厭世であり達觀の一種だ。
     きりぎりすしんしんと世のほろびゆき  『淡彩』
     きりぎりす死靈は影もなくゆけり  『生涯』
     きりぎりす既にこゝろに墓の位置  同
 句の深さ嚴しさを云云するなら「墓の位置」を先に舉げねばなるまいが、この斷定のゆるぎのなさに私は卻つて作者の安心立命を思ひ、敬ひつつ遠ざかりたくなる。「舌打ちし」と連用形で流す泣き笑ひが好ましい。」

「くつがへる流灯一基溺死靈  『甕』

 死後の世界に舌打した作者だけあつて、供養の燈籠流しにさへ、引つくり返るのは溺死者の精靈と差別をつける。ならば燒死した人のは、水の上でもめらめらと燃え上り、交通事故死の場合は他の流燈とぶつかつて毀れるのであらうか。ではでは、服毒死、墜落死、野垂れ死に等等等、一體いかなる樣相を呈するのか、鑑別方法を聽聞したいものだ。このやうな減らず口を叩かせる契機をこの句はどこかにひそませてゐる。「溺死靈」と低音ピアニシモの座五を置いて、作者が首をすくめてゐる氣配が感じ取れるのだ。流燈の句としては蛇笏『山廬集』の「流燈やひとつにはかにさかのぼる」の凄じさに、私は魂を奪はれて久しい。また逆に、往年「天狼」には、誌の中に「流燈」「精靈船」が押あひへしあひしてをり、ほとんどが低俗な穿ちと、寢言同樣の思ひつきばかりであつたやうに記憶する。かけい流燈がこれらの中においても他と分つのは、初五以外全部體言と言ふ破格の構成と、その效果による不思議な齒切のよさ、獨斷のおもしろさによる。「一基」が「一つ」でもこの句は弱くなる。「溺死靈」なる造語も稀なる成功例と言へよう。
     亡靈の喚ける墓を洗ひけり  『生涯』
     手を入れて手の翳は死者走馬燈  『愚』
     狐火とあそぶ死靈は祖父の祖父  同
 亡靈も死者も死靈も、かけいの句の中ではおほよそ陰に籠らず、むしろ剽輕(へうきん)な顏つきで死後の國に遊んでゐる。舌打することもあるまい。」



「第三部 作品総覧 滴瀝鈔」より:

梟の日に曝されて盲ひけり
かはほりやわがふところに人の遺書
これだけのわが生涯や秋の風
冬ざれのこゝろを殺すすべなきか
くちなしのはなのねぢれのあぶな絵よ
通り魔が通りて消えし冬すみれ
山椒魚いやでたまらぬときも生く
白桃の尻からくさる施餓鬼棚
紙の傘さして雨月の蕩兒かな
死ぬために馬關の河豚を食ひに來し
死蝶百匹流れて昏き水なりけり



塚本邦雄 風神放歌 03


「風立てば飛びかふ谷の薄紅葉/耀(かが)よふや今日のいのちの焰(ほむら)  塚本邦雄
篆刻――常石三郎」
















































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本