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三木成夫 『生命形態学序説』

「われわれは、胎児が、受胎一ヵ月後の、ホンの数日の間に、古生代から中生代を経て新生代にいたるほぼ3億の歳月を、いわば瞬時に凝縮させて通り過ごすさまを現実にこの眼で見る。そして同時に、人類の祖先が中生代では当時の爬虫類の、さらに古生代では古代魚類の、それぞれ一員として生存していたことを、ひとつの実感として想い浮かべるのである。」
(三木成夫 「生命の形態学」 より)


三木成夫
『生命形態学序説
― 根原形象と
メタモルフォーゼ』



うぶすな書院 
1992年11月3日 第1刷発行
2004年10月30日 第6刷発行
ix 307p
B5判 並装 カバー
定価3,690円+税
表紙原図: 三木成夫



横組。図版(モノクロ)多数。
本書収録論文中、「生命の形態学」(1~5)及び「解剖学総論草稿」(本書収録分を含むほぼ全文)は、『生命形態の自然誌 第一巻 解剖学論集』(うぶすな書院)にも収録されています。



三木成夫 生命形態学序説 01



目次 (初出):

序文 (平光厲司)

生命の形態学
 〈1〉 生の原形――人体解剖学総論 (「総合看護」第12巻 第3号 昭和52年8月15日 現代社)
  Ⅰ 宇宙の根原現象――「らせん」と「リズム」
  Ⅱ 生の波――食と性の位相交替
 〈2〉 植物と動物――人体解剖学総論 (同 第12巻 第4号 昭和52年11月15日)
  Ⅰ 生物の祖先――“進化”とはなにか
  Ⅱ 植物的および動物的――「遠」の観得と「近」の感覚
  Ⅲ 植物と動物の体制――“つみ重ね”と“はめ込み”
 〈3〉 動物の個体体制――人体解剖学総論 (同 第13巻 第1号 昭和53年2月15日)
  Ⅰ 植物器官と動物器官――“内臓系”と“体壁系”
  Ⅱ 両器官の形成――体制の分極
  Ⅲ からだの極性――分極の意味するもの

解剖生理 (『高校看護 看護一般Ⅱ』 昭和42年度版 メヂカルフレンド社)
 Ⅰ 人間とはいかなる生物か
  1 生物とはなにか
  2 植物と動物はどのように異なるか
  3 動物のからだにおける植物性器官と動物性器官
 Ⅱ 人体における植物性器官
  1 呼吸系(消化・吸収系)
  2 循環系(血液・脈管系)
  3 排出系(泌尿・生殖系)
 Ⅲ 人体における動物性器官
  1 受容系(感覚系)
  2 伝達系(神経系)
  3 実施系(運動系)
 Ⅳ 人間と動物のちがいについて

解剖学とは何か (「解剖学総論草稿」の一部 昭和44年夏~52年春 現代社)
 第一節 構造の意味
  1 人為の構造――二つの側面
  2 自然の構造――その“しくみ”
  3 自然の構造――その“かたち”
 第二節 形態学について
  1 ゲーテの自然観――形態学の樹立
  2 植物変容論――Bildung und Umbildung
  3 生物学と形態学――自然を見る二つの眼
 第三節 原形について
  1 原形とはなにか?――“おもかげ”の意味
  2 原形体得の歴史――「記憶」について
  3 原形の探究――Phylogenie の遡及

三木成夫シェーマ原図

「三木成夫シェーマ原図」解説 (後藤仁敏)
生命記憶と古代形象 (金子務)




◆本書より◆


「生命の形態学」より:

「古生物学の教えるところによれば、脊椎動物の祖先は、今を去る数億の昔、当時の古生代の海に古代魚類としてその姿を現わしたという。それは現在の魚類とは著しく形を異にしたものであるが、この原始の脊椎動物は興亡の歴史を繰り返したのち、やがてそのあるものが、この古生代も終わりに近い石炭紀の“古代緑地”に上陸を敢行し、そこで現代の両棲類の祖先の形象にめざましい進化をとげたという。一方、そのあるものは、陸上生活に完全に適応した体制を獲得し、これが、続く中生代の全期にわたってその豊饒の陸地にひとつの王国を築き上げる。今日の爬虫類の先祖である。この地球の中生代は、しかし、やがて起ったアルプス造山運動の雄大な地殻変動ののち、ついに新生代の幕明けを迎えるのであるが、そこでは、まったく装いも新たに、全身に毛皮をまとった新型の動物種が登場する。これが現在の哺乳類の起原である。われわれ人類を含む霊長類が、この最も新しい脊椎動物の一派であることはいうまでもない。なお、今日生存する魚類・両棲類・爬虫類のめんめんは、こうした地球の歴史の途上に、相ついで現われた当時の新型の fashion を、時の流れに適応させながら、それぞれのかたちで、今日まで伝えたものに他ならない。」
「そこでいま、これら現実の動物の顔と、さきに示したヒトの胎児のそれを較べてみると、われわれはここで、母胎内の出来事の意味するものを、ほとんど直観的に読みとるのではなかろうか。そこには、上述の古生物学の教える脊椎動物の歴史の、まぎれもない「再現」が見られる。それは、過去のそのままの再現ではなく、いってみれば“かくありなん”という、まさにその“おもかげ”の再現なのである。しかもそれはつかの間の形象として走馬灯のごとくに過ぎ去ってゆく。
 われわれは、胎児が、受胎一ヵ月後の、ホンの数日の間に、古生代から中生代を経て新生代にいたるほぼ3億の歳月を、いわば瞬時に凝縮させて通り過ごすさまを現実にこの眼で見る。そして同時に、人類の祖先が中生代では当時の爬虫類の、さらに古生代では古代魚類の、それぞれ一員として生存していたことを、ひとつの実感として想い浮かべるのである。左の動物のその相貌の中に読みとられたもの――それはまさしく、人類の遠い祖先の持つ、ひとつの“おもかげ”に他ならなかった。それはあの人の胎児に見られた“おもかげ”とともに「古代形象」と呼ばれるが、われわれは、こうした動物や胎児の姿に潜む、遠い彼方の諸形象を「古生物学」の窓を通して眺め、そこから生物の宗族発生 Phylogenie の歴史をその淵源にまで遡って求めようとするのである。」



「解剖生理」より:

「さて、植物と動物の栄養のとりかたの違いについては、どの生物の教科書にもくわしく述べてあるので、ここでそれをくり返すことはやらない。ただここでは、その中の最も重要な一点――すなわち、“植物のもつ生まれながらの合成能力が、動物にはまったくない”というひとことを指摘するにとどめる。というのは、まさしくこのひとことから両者の生き方が分かれてくるのであるから。
 窓の外に眼を向けよう。そこには豊かにふりそそぐ太陽(光)のもとで、地上のどこにでもある材料(水、二酸化炭素、無機物)をもととして、自分ひとりで生命の源をつくりあげていく植物たちの姿がある(光合成)。すなわちかれらは自然のすべて(地・水・火・風)を最大限に利用するのであるが、この時かれらは大空と大地に向かってまっすぐにそのからだを伸ばす、というきわめて有効なしかも無理のない姿勢をとる。そして四季の移り変わりにそのまま従って生長と繁殖の営みをつづけていくのである。すなわち植物たちの生き方にはなんの無理もない。
 これに比べ、生まれながらにしてこの合成能力に欠けた動物たちは、いきおい植物のつくりあげた“平和のみのり”にたよらざるを得なくなってくる。すなわち居ながらにして、自分だけでからだを養うことができなくなり、ついに大自然の中から、ただ自分の好みにあった“えさ”だけを見つけ(感覚)、それに向かって動く(運動)という新しい仕事をはじめるのである。
 しかもこの時かれらは、泳ぎ(魚類)、のたうち(爬虫類)、飛び(鳥類)、歩く(哺乳類)という、いずれも地球の重力にさからったひとつの冒険をおかすのであって、あるものは冬の荒野に木の実を求めてさまよい(草食動物)、あるものはこの動物にとびかかり(肉食動物)、あげくのはては仲間に襲いかかる(人類)といったさまざまの方法をあみだすのである。
 つまりこのようにして、好むと好まざるとにかかわらず「感覚―運動」という特殊の栄養方法にたよらざるを得なくなった動物たちの生き方に、自然の多くを無視したひとつの無理が生じてくることとなっても、それはしかたがないというものであろう。
 「動く」ことは、だから、合成能力の欠けた動物たちに課せられたひとつの“宿命”と考えられるが、このようにして、大自然の中でゆったりと腰をすえ、みのり豊かな一生を送る植物の生活は、ついに自然にさからって、ただ“えさ”というそれだけの目標に動かされつづける動物の生活へと大きく変わっていくことになるのである。」

「動物とはいわば“胃袋と生殖器”(植物性器官)に、“眼と手足”(動物性器官)がついたもの、ということになる。そして血管神経がこのようなからだのすみずみにまでいきわたり、それぞれ植物性過程と動物性過程の進行をつかさどるのであるが、心臓は、実はおのおのの一部が極端に発達したものにほかならないのである。われわれ人間の日常生活の中で、ことごとく対立する“こころ”(心情)と“あたま”(精神)は、まさしくこの心臓と脳に由来したものであって、以上のことから、これらはそれぞれ人体における植物的なものと動物的なものの象徴であることがわかってくるであろう。」



「解剖学とはなにか」より:

「精神と心情の本来の関係はなにか? クラーゲスは、それは精神が心情を抹殺するのではなく、心情に奉仕する間柄でなければならないことを指摘する。したがって人間の思考の本来の姿は、論理中心ではなく生中心のそれであるという。」
「われわれにとって精神の能作とは“しくみ”を暴いて自然をわがものにするためではなく、心情によって受容された“かたち”を時に応じて固定し、計測可能の側面を見出すという、ただそれだけのものということになる。」

「ひとびとはたれしも動物に、そして幼児に、ある限りない力でもってひきよせられる。そこには、われわれの遠い過去の面影いいかえれば、われわれ人間の原形そのものがじつは秘やかに宿されていたのである。
 「原形とは、現象する過去の諸心情である」(クラーゲス)」




三木成夫 生命形態学序説 02



三木成夫 生命形態学序説 03





























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、デレク・ベイリー、森田童子。


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