『坂口安吾全集 18』 (ちくま文庫)

「とにかく美しいですよ。その技術になんらの曇りをとめないし、その作者の魂にもなんらの曇りのカゲもない如くである。(中略)とにかく、アア美しい、という作品ですよ。仏像だって、それでタクサン、それで全部ではないですか。(中略)アア美しい、ということは、要するに仏像だろうと魔王であろうと、芸術の全部ではないですか。」
(坂口安吾 「飛騨の秘密」 より)


『坂口安吾全集 18』 
明日は天気になれ/安吾新日本地理/安吾新日本風土記 ほか
ちくま文庫 さ 4-18

筑摩書房
1991年9月24日 第1刷発行
794p 「編集付記」2p
文庫判 並装 カバー
定価1,340円(本体1,301円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 横尾忠則
カバー原写真: 濱谷浩



本書「解題」より:

「第十八巻には、「安吾新日本地理」と「安吾新日本風土記」を中心に昭和二十六年三月から昭和三十年三月にかけて発表されたエッセイ九十五篇と題跋・後記十三篇を収めた。」


新字・新かな。


坂口安吾全集18 01


目次:

明日は天気になれ
 ゴルフをしなかった話
 日本の常識
 うっちゃり
 寄りの三根
 かわずがけ
 乱世の抜け穴
 アンコウのドブ煮
 相撲とフグ
 冬の怪談
 年賀状
 日本犬の話
 コンニャク論
 豪勢な貧乏
 神伝夢想流
 真庭念流
 エライ狂人の話
 バカの仕放題
 炭坑の偉業
 芥川賞一風景
 ある九州の魂
 最も健全な夢の国
 文化の序列
 モロッコミヤゲ物
 戦備ととのわぬ話
 女子衰えたり
 日本のアンマ
 珍試合の巻
 空とぶ円盤
 小戦国の話
 立直りの試合の話
 引越し性分
 神薬の話
 木炭の発明
 ささやかな愉しみ
 楽天国の風俗
 二番目は酒
 目的を失った脱獄囚
 池の金魚との戦い
 長崎チャンポン
 悲劇のままの城趾
 名のない女
 予言狂時代
 発明の拷問
 お灸好き
 雑草と痩せた人間
 ビラまき飛行機
 日本の道路
 無料言いわけ業
 詩境と借金
 碁会所開店
 日本の便所
 宮様屋敷
 松井大将の書斎
 ウドンへの反逆
 冷水浴
 バカヤロー
 山菜料理
 文士の碁将棋
 多忙な人たち
 現代ヤジロー
 簡単生活
 忍術
 ドデウ論争
 一ツの最後的な革命
 解散列車
 現代の忍術
 泥酔三年
 酒の飲み方
 健全な胃袋
 酒豪日本一
 音速の壁
 キャッチボール
 高校野球
 桜の花ざかり
 山里の悲劇
 変な弟子
 春の訪客
 すばらしい根気
 ケダモノと武器
 動物の言葉
 さようなら
安吾新日本地理
 安吾・伊勢神宮にゆく
 道頓堀罷り通る
 伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻
 飛鳥の幻――吉野・大和の巻
 消え失せた沙漠――大島の巻
 長崎チャンポン――九州の巻
 飛騨・高山の抹殺――中部の巻
 飛騨の秘密
 宝塚女子占領軍――阪神の巻
 秋田犬訪問記――秋田の巻
 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻
安吾新日本風土記
 「安吾・新日本風土記」(仮題)について
 高千穂に冬雨ふれり《宮城県の巻》
 富山の薬と越後の毒消し《富山県・新潟県の巻》
題跋・後記
 『小魚の心』序
 『炉辺夜話集』後記
 『秋風と母』跋・尾崎士郎氏へ
 『逃げたい心』序
 『白痴』後記
 『いずこへ』あとがき
 『堕落論』後記
 『吹雪物語』再版に際して
 『道鏡』後記
 『風博士』後記
 『教祖の文学』後記にかえて
 『火 第一部』作者の言葉
 「明治開化 安吾捕物帖」第一巻序文

坂口安吾年譜
解説 (奥野健男)
解題 (関井光男)



坂口安吾全集18 02



◆本書より◆


「雑草と痩せた人間」より:

「人間の記憶というものは妙なもので貧乏時代の苦しいときを思い出しても、それにつれて浮び出てくるお天気はいつもいいお天気のことしか記憶にない。
 「人間の過去はいつでも晴天らしいや」と私は近ごろふと思った。雨の日、嵐の日がないわけではなく、雨漏りに苦しんで水の落ちてこないわずかの場所に小さくなって寝たような思い出すらも、それにもう一つのお天気がつきまとっていてそれがうららかなお天気なのだ。そしてそれが思い出のつねに主たるお天気だ。
 だから人間は思い出に化かされやすい。戦争中雑草やさなぎを食べなければならなかった思い出でもお天気の方の感傷に耽ればなつかしくさえなるのだ。」

「東京ではみるみる野犬も根だやしに喰べ尽されてしまったものだ。はじめのうちは赤犬は食えるそうだなどといわれていたが、またたくうちに白犬も黒犬もいなくなってしまったのである。広い焼野にはもう犬もいない。痩せた人間がいるだけだ。お天気がうららかだ。いつもさんさんと太陽が輝いている。そして雑草だけが青々としている。」



「桜の花ざかり」より:

「戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当り前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。」
「私の住んでるあたりではちょうど桜の咲いてるときに空襲があって、一晩で焼け野原になったあと、三十軒ばかり焼け残ったところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやっぱり焼け残っていたのが異様であった。
 すぐ近所の防空壕で人が死んでるのを掘りだして、その木の下へ並べ、太陽がピカピカ照っていた。我々も当時は死人などには馴れきってしまって、なんの感傷も起らない。死人の方にはなんの感傷も起らぬけれども、桜の花の方に変に気持がひっかかって仕様がなかった。」
「三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。
 まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風がヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。
 我々は桜の森に花がさけば、いつも賑やかな花見の風景を考えなれている。」
「けれども花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。
 ある謡曲に子を失って発狂した母が子をたずねて旅にでて、満開の桜の下でわが子の幻を見て狂い死する物語があるが、まさに花見の人の姿のない桜の花ざかりの下というものは、その物語にふさわしい狂的な冷たさがみなぎっているような感にうたれた。
 あのころ、戦死者と焼鳥とに区別をつけがたいほど無関心な悟りにおちこんでいた私の心に今もしみついている風景である。」



「変な弟子」より:

「私は弟子というものをとらないことにしている。文学は一人に師事するものはむしろ良くないことのようだ。古今東西の良書に師事すれば足りる。一人の師について、師匠に似たものを作るようではダメにきまっているのである。」
「その私にもたッた一人弟子がいるのである。もっとも、私が弟子入りを許したわけではなく、彼が勝手に私の弟子を称し、私に対してもそれを勝手に宣言しただけのことなのである。
 終戦まもなく物資の何もないころにスコッチウイスキーを送ってよこした者があった。そのスコッチは今でもヤミですら手に入らない高級品であった。
 「土蔵の中からオヤジの秘蔵品を失敬して差上げます。弟子入りのシルシです。お邪魔すると悪いからお訪ねしませんが、一度だけ会って下さい。そして先生とよぶことを許して下さい」
 そういう意味のハガキもとどいた。法政大学の生徒でムラサキという人物である。ところがこれは変名で、私のところへ便りをくれるたびに姓が変っている。
 「この前はムラサキでしたが、気に入らなくなりましたので改名いたしました」
 という風にコトワリ書きがついている。しょッちゅう変っているので覚えきれない。これが私の本名ですと四国から便りをくれたが、本名をバカバカしくて覚える気持にならないのである。
 彼は自ら宣言した通り、一度しか私を訪ねてこなかったが、本人が私の弟子のツモリでいることはマチガイがなかった。
 私が伊東で税務署の差押えをうけ、それが東京の新聞の雑報にも報じられたとき、その翌日、彼は火事見舞いのように駈けつけてくれた。
 「途方にくれていられるだろうと思いまして、とにかく、これを持ってきました」
 彼がカバンから取りだしたのは登山用のコッヘルであった。これ二つで煮炊きができると思ったのだろう。私は彼が考えたほど差押えに驚きもしていなかったが、彼の変テコな友情に感謝したのである。
 「君は勝手にオレの弟子を称するが、作品を書いたことがあるのかね」
 「作品なんか、どうでもいいんです」
 三十分ぐらい居たかと思うと、彼はたちまち風のように去ってしまった。もう入学して五、六年になるが、まだ大学生のようであった。」



「すばらしい根気」より:

「私が東大の精神科というところに入院して、最も意外にも、また面白くも感じたことは、そこの看護婦さんたちが非常に患者を愛していたことであった。患者というよりも、この場合は、ハッキリ狂人という方がよろしいだろう。彼女らは他の科へは行きたくない、という者が多かった。狂人は可愛いとハッキリいいきる人たちが多かったのである。私も同感せざるを得なかったのである。狂人は時に乱暴する。けれども、やがて従順となる。また本来従順でもある。彼らの正体を知ってしまえば、これぐらいつきあい易い人たちはない。なぜなら、裏がないからだ。看護婦たちが正気の人間よりも狂人の方が可愛いというのはもっともである。
 二人の患者が同室している部屋があった。一方はコクメイに日記をつけ、これをだれにも見せず肌身放さず身につけている。一方の患者はこれが見たくて仕様がないのである。ついに一日、一方が襲撃して日記を奪った。その日いらい、奪った方が肌身放さず所持するようになったばかりでなく、毎日コクメイに日記の続きを自分がつけはじめたのである。」
「狂人の世界には、こういう根気のよいことが多いのである。」
「一見バカバカしいように見えるかもしれないが、私はうらやましかった。その狂人の根気が私にも欲しかったのだ。それだけの根気があったら、いまよりもマシな、立派な芸術がつくれるだろうなと、自分がミジメに思われて悲しくなったりした。
 日記を奪われた方の患者は二十一、二のガッシリした元気のよい若者だった。彼もまた根気がよかった。彼はちょっと悪いことをして婦長さんに叱られ、罰として病室のドアをみがくように命じられた。
 婦長さんも他の看護婦たちもその日は忙しかったのか、彼がせっせとドアをみがいていることをウッカリしていたのである。夕方気がついた時は、彼はまだ一心不乱になって一枚のドアをみがきたてており、ペンキが全部ハゲてしまっていた。彼はまた婦長さんに叱られてショゲてしまったのである。」



「飛騨の秘密」より:

「ヒダ(どうもメンドウな字だからカナにさせてもらいますよ)は大昔からヒダのタクミの産地であった。つまり大工です。同時に彫刻家でもある。(中略)京都も、奈良も、そのまた昔の帝都も、ヒダのタクミの手がないと出来あがらない。いわば今日で云えば当時の最も文化人の住むところであるが、当時はそう考えずに、すべて文化人は公民以下の奴隷賤民にすぎない。公民というのは農民のことで、オオミタカラという。」
「だから、文明開化とは白米であるという昔の目から見ると、ヒダは山奥で未開国で熊と鬼とその親類が住むところであるが、今日の目から見れば、アベコベに、ヒダは大昔から代々ヒダのタクミという文化の創造にたずさわる職人芸術家の生産地であり、木の実や鳥獣を食っていたって芸一筋に打ちこんだ人々のふるさと、大昔から独自な文化をもつ土地である。」
「かにかくに物は思はず飛騨タクミ打つ墨縄のただ一筋に (万葉)」

「ヒダのタクミと云えば日本ではまるで一人をさす名詞のように見られがちだが、ヒダその土地に於ては全然普通名詞の如くであって、各時代の多くのタクミに個々の名があったということが全く問題でない如くであるから面白い。」
「ヒダのタクミ自身はただ一筋にうちこめば足りてその名を必要としなかったように、ヒダの他のすべての人々にとってもわが土地のタクミの作品が時代ごとに必要に応じて出来上れば足りて町に名をとどめる必要は考えられなかった。(中略)それが非常にすぐれた名作であるということも、それが名作であるという事実だけでタクサン。いつの時代の誰それの作であるということが問題でない如くに、それが国宝に指定されて天下に名を知られるというようなことも、ほとんどこの土地の問題にならなかったようである。」

「さすがに詩人人麻呂はよく見ていますよ。かにかくに物は思わず、ただ一筋に、ですよ。それは無慾で、一途で、本当に名もいらなくて、ただタマシイを入れているだけなのさ。(中略)全然名がなくてよいという、その伝統だけでも大変なことですよ。名作を生みだす母胎として、それが何よりのものであります。」



「高麗神社の祭の笛」より:

「つまり天皇家の祖神の最初の定着地点たるタカマガ原が日本のどこに当るか。それを考える前に、すでにそれ以前に日本の各地に多くの扶余族だの新羅人だのの移住があったということ、及び当時はまだ日本という国の確立がなかったから彼らは日本人でもなければ扶余人でもなく、恐らく単に族長に統率された部落民として各地にテンデンバラバラに生活しておったことを考えておく必要がある。」


「高千穂に冬雨ふれり」より:

「日向の海岸は雄大で美しいが、鵜戸神宮が別して雄大だ。ウガヤフキアエズノミコトの誕生地と伝えられ、神社は海に面した岩窟の中にあるが、その中で誕生したとの伝え、ただしこれも本家を争う同類の洞窟が他にもいくつかあるようだ。この神様は神武天皇のお父さんと伝えられている。この神様は岩窟の中でワニから生れたことになっているのである。
 この神様の誕生の話は美しい。山幸と海幸の兄弟が狩と漁の仕事を交換してやる話。そして兄の釣針をなくした弟が籠宮へつれて行かれて海神の娘と結婚し、ともに日向へ戻ってきてその娘がウガヤフキアエズノミコトを生むのであるが、産室をのぞいてみるとワニの姿でお産をしていたという話である。そのお産の岩窟が鵜戸神宮という伝えになっているのだが、風光は類を絶して雄大であり、いかにも伝説にふさわしいような美しく荒々しい幻想的な神社である。日向の伝説ではこのへんの物語が特に美しく私は好きであるが、神社の風光がいかにもそれにふさわしい点で日向で指折りの観光地と云えよう。日向の旅は神様の伝説地で食傷気味であり、それは概(おおむ)ね旅人を納得させるに力不足であるが、この神社だけは幻想的な伝説が風光の中に生きているのである。」



「『炉辺夜話集』後記」より:

「元来、私は、文学とは、人の心をすこしでも豊かにすればいい、人の生活をすこしでも高める力となればいい、そう考えていました。昔も今も、この考えに変りはありません。」
「私は常に「美しい物語」が書きたかった。私は常に「美しい物語」のことを考えていた。――美しい物語とは、決して、美男美女の恋物語ということではありません。
 私達の生きる道には、逃れがたい苦悩があります。正しく、誠実に生きる人に、より大いなる苦悩があります。そうして、ひとつの苦悩には、ひとつずつのふるさとがあります。苦悩の大につれて、ふるさとも亦(また)、遠く深くなるでしょう。そのふるさとが、私の意図する物語のただひとつの鍵であります。」

「要するに、私の苦悩は未熟です。人生に於ても、未熟です。そうして、直接人性にふれて書こうとすると、私の切願にも拘らず、美しい物語は、ただ汚らしくなるのです。どんなに美しい物語を書こうとしても、直接人性にふれる物語を書く限り、私は汚らしい、不幸な、救いのない、陰惨な物語しか書くことができません。
 このようにして、私は、自分の意図とうらはらな自作の暗さに絶望し、やりきれなくなるたびに、筆をやめ、そうして、直接人性と聯絡しない架空の物語を書きはじめます。それは、気楽で、私をたしかにホッとさせます。書いてみて、充実したものはなくとも、たしかに、気楽で、たのしかった。――その気楽さに倦(う)み、その充実の不足に反撥が戻ってくるとき、私は又、直接人性にふれた物語を書こうとし、結果に於て、自作の毒にあてられて、又しても、やりきれなくなるのです。
 この二つを、今まで幾たびも繰返しました。恐らく未来も、そうでしょう。この二つがひとつになるとき、私ははじめて立派なものが書けるのかも知れませんし、生涯そういうことがなくて、ただ不満な一生を終るのかも知れません。」



「『いずこへ』あとがき」より:

「私自身が何者であるかは私には分っていない。ただ、私は書くことによって、私を見出す以外に仕方がない。話つぃは原稿用紙に向うと、いつも、もどかしいだけで、そして、何がもどかしいのだか、それすらも、分っていない。
 そして、それならば、書きすてたものの中に私が在るかと云えば、そういう確たる自負は、全く、私には、ない。私はただ、いつも探しもとめ、探しあぐって、さまようているだけのジグザグの足跡だけ。私はいったい何者なのだか、みなさんよりも、私自身がそれを何より知りたいのだ。」



「『吹雪物語』再版に際して」より:

「「吹雪物語」は、ただ墓の影であり、その墓は名ばかり、真実屍を土中に埋めていない。空虚な、カラの墓であった。」
「私の過去の作品はすべて幼稚で、インチキで、惨たるものだ。嘘いつわり、心にもない虚勢、見栄、絶望。しかし、今日の私に至るともかく愚か者は愚か者なりの精一杯の悪戦苦闘がそこに在ることを、私は切なく、懐かしむ。思えば愚か千万な私であり、人が一里の道を私は十里に二十里に、曲りくねり、ぬかるみ、山路、川を泳ぎ、あえぎつづけてきたようなものだ。
 そして私の現身は、今尚、更に別な風に、廻り道をしたり、峠へ向かったり、歩いている。私はオプチミストではなかった。然し、オプチミストになったのだ。そして、オプチミストになり得たことを今は、ともかく、最も誇る。私は更にオプチミストにならなければならず、そしてオプチミストたることを、真実誇る。そのオプチミズムを批評家は笑うが、真実絶望を知らざる者に、オプチミズムは分らぬ。私は更に偉大なオプチミストとなる為に、多くの影を墓に埋めて行くであろう。あらゆる墓がインチキで、形ばかりで、嘘いつわり、毒にまみれて、常に馬脚をバクロしつづけているであろう。
 私はもはや、あらゆる私のインチキな墓を人前にさらすことを怖れない。その如くに、私はオプチミストたり得た。」
「私の小説は、虚しく、然し、常に絶望を踏んで立上るために、書かれ、書かれることによって見出し、知るために、そして、虚しく書きすてられてきたものだった。あらゆるものが書きすてられ、踏みすてられてきた。常に虚しく、私はただ、捨てたものから、上に向かう。何処に、何物に、私は向かい、行きつくのであるか、すべてが私には分からない。」



「『教祖の文学』後記にかえて」より:

「私は今の世に生れたから文士になったが、昔の世に生れても、決して大名貴人になろうとか、天下の豪傑になろうとは思わず、琵琶法師とか吟遊詩人というようなものになったろうと思う。」
「私は今も、楽器をかかえ、野山をヘンレキして、ひなびた村の門に立って、自作の詩劇を唄う旅人を考える。それは私の姿である。
 私には、女房や子供と一つ家に静かに余生をたのしむというような思いは、どうしても、なじまれない。
 私は時の政治に対する傲慢な批判や、権門富貴に対する反骨が生れながら身についていて、その生れながらの魂を唄声にして、ヘンレキ流浪の一生を送るように定まっているのだと考える。」
「私は村々の門口で、いつも唄っているだけなのだ。」













































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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