『坂口安吾全集 1』 (ちくま文庫)

「大きな闇が、目当ない彼の心を慰めてくれた。」
(坂口安吾 「麓」 より)


『坂口安吾全集 1』
木枯の酒倉から/風博士/黒谷村 ほか
ちくま文庫 さ 4-1

筑摩書房
1989年12月4日 第1刷発行
1991年7月1日 第5刷発行
588p 「編集付記」2p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 横尾忠則



本書「解題」より:

「第一巻には、坂口安吾が文学の前衛としてファルスを主張し、その実験作を試みていた昭和六年(一九三一)一月から昭和十年(一九三五)十二月にかけて発表した小説二十五篇を発表年代順に収めた。」


新字・新かな。


坂口安吾全集01 01


目次:

木枯の酒倉から――聖なる酔っ払いは神々の魔手に誘惑された話
ふるさとに寄する讃歌――夢の総量は空気であった
風博士
黒谷村
帆影
海の霧
霓(ニジ)博士の廃頽
竹藪の家

群集の人

Piérre Philosophale
村のひと騒ぎ
傲慢な眼
小さな部屋

姦淫に寄す
訣れも愉し
麓(戯曲)
淫者山へ乗りこむ
蒼茫夢
金談にからまる詩的要素の神秘性に就て
逃げたい心
西東
おみな

解説 (柄谷行人)
解題 (関井光男)



坂口安吾全集01 02



◆本書より◆


「木枯の酒倉から」より:

「俺(おれ)の行く道はいつも茨(いばら)だ。――茨だけれど愉快なんだ。茨よりほかの物を、俺には想像ができなかったから。」


「ふるさとに寄する讃歌」より:

「私は蒼空(あおぞら)を見た。蒼空は私に泌みた。私は瑠璃(るり)色の波に噎(むせ)ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかった。私は磯の音を私の脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動(ぜんどう)を空へ撒(ま)いた。
 私は窶(やつ)れていた。夏の太陽は狂暴な奔流で鋭く私を刺し貫いた。その度に私の身体は、だらしなく砂の中へ舞い落ちる靄(もや)のようであった。私は、私の持つ抵抗力を、もはや意識することがなかった。そして私は、強烈な熱である光の奔流を、私の胎内に、それが私の肉であるように感じていた。」



「風博士」より:

「諸君は南欧の小部落バスクを認識せらるるであろうか? もしも諸君が仏蘭西(フランス)、西班牙(スペイン)両国の国境をなすピレネエ山脈をさまようならば、諸君は山中に散在する小部落バスクに逢着(ほうちゃく)するのである。この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語に於て西欧の全人種に隔絶し、実に地球の半廻転を試みてのち、極東じゃぽん国にいたって初めて著しき類似を見出すのである。これ余の研究完成することなくしては、地球の怪談として深く諸氏の心胆を寒からしめたに相違ない。而して諸君安んぜよ、余の研究は完成し、世界平和に偉大なる貢献を与えたのである。見給え、源義経は成吉思汗(ジンギスカン)となったのである。成吉思汗は欧州を侵略し、西班牙に至ってその消息を失うたのである。然り、義経及びその一党はピレネエ山中最も気候の温順なる所に老後の隠栖(いんせい)を卜(ぼく)したのである。之即ちバスク開闢(かいびゃく)の歴史である。しかるに嗚乎、かの無礼なる蛸博士は不遜千万にも余の偉大なる業績に異論を説(とな)えたのである。彼は曰(いわ)く、蒙古の欧州侵略は成吉思汗の後継者太宗の事蹟にかかり、成吉思汗の死後十年の後に当る、と。実に何たる愚論浅識であろうか。失われたる歴史に於て、単なる十年が何である乎! 実にこれ歴史の幽玄を冒涜するも甚だしいではないか。」


「黒谷村」より:

「凡太はこの数年来、常に現実の事実に充分に浸ることが出来なくて、全てが追憶となってから、その時幻を描き出してのち、はじめて微細な情緒や、或いは場面全体の裏面を流れていた漠然たる雰囲気のごときものを、面白く感じ出す不運な習慣に犯されていた。ありていに言えば、この男は如何なる面白い瞬間にも、それに直面している限りは常に退屈しきっていて、今のことではない、その昔経験した一場面の雰囲気へ、何時(いつ)ともなしにぼんやりと紛れ込んでしまっている。音楽をきいていてさえ、スポオツを見ていてさえ、無論矢張りそれはその通りで、現在ショパンの音楽をききながら、それにすっかり退屈を感じて、いつか聴いたモツアルトの旋律を思い出してそれにうっとり傾聴していたり、一塁の走者を見ていながら頭の中でそれを三塁へ置いて盛んに本塁盗塁(ホオムスチイル)を企てさせて興奮していたり、そういう芸当は日常茶飯のことで、それでいてショパンの音楽を聴いていなかったわけでもない証拠には、他日又その瞬間を実に楽しく彷彿と思い出して来るのであった。」


「海の霧」より:

「その頃、永い雨が降り続いていた、もう丁度二週間……。時々僕の額から、圧し潰された癇癪が、どす黒い雨雲になって走り出す、窓から、煙る雨脚を眺めていたり眺めていなかったりすると、腐りかけた脊髄を冷いものがタラタラと這い流れて行く。そんな雨降りの日にも、僕は外出を止めるわけにはゆかなかった。この三月(みつき)僕は帽子を被らずに、杖を振り街を流れる、雨の日も傘や外套を僕は着けない、赤茶けた髪に風が騒ぎ、屑のように額に揺れ、僕の目に雨の滴(しずく)を差し落す、冷いものが襟に滲みる其の度に、僕は豪然と肩を聳(そび)やかして捩れた足の歩調を取った。斯様(かよう)なだらしない服装が僕の趣味だと言うのではない、なぜだか、不図そうせずにはいられない不思議な誰かと僕は一緒に住み慣れていた。」


「霓博士の廃頽」より:

「「実に怪しげな奴じゃアよ! 憎むべき存在じゃわい、坂口アンゴウという奴は! 万端思い合わせるところ、かの地底を彷徨(さまよ)う蒼白き妖精(グノーム)、小妖精(リュタン)の化身であろうか。はてさて悩ましき化け物じゃアよ!」
 ポン! と僕のドテッ腹を小気味よく蹴り捨てて、博士はプラタナのあちら側へフラフラと消えて行った。」

「僕はその頃獰猛(どうもう)な不眠症を伴うところの甚だ悪性な神経衰弱に悩まされていた。あまつさえ様々な「不幸」が、まるで僕一人を彼等の犠牲者として目星をつけたかのように群をなして押寄せてきた。自動車に跳ね飛ばされて頭を石畳に打ちつけるとか、河を跳び越す途端に確かに河幅が一米ばかりグーと延びて僕を水中へ逆立ちさせてしまうとか……凡そ意地悪るな「不幸」が丁度一種の妖気のように靄(もや)をなして僕の身辺を漂い、僕の隙を窺い乍ら得意げに僕の鼻先で踊りを踊ったり欠伸(あくび)をしたりしているのが光線の具合でチャント見えて了(しま)うのだ。僕は彼等に乗ずる隙を見せないために堅く一室に閉じ籠り、無論学校も休んで、その頃丁度二ケ月ばかりというものは頑固に外出を拒んでいた。」



「竹藪の家」より:

「駄夫は往来へ突っ立って、白い光の敷き詰めた路の最中(さなか)に踊るような様をしながら、二階の窓際に佇んで彼を見送る与里を見上げ、真上に拡がる莫大な渺茫(びょうぼう)とした蒼空を指し示してみせた。
 「ドドドド、どーんなものだい! 青い青い青い空だぞ! 真青だなあ! 空空空! 空! 素敵だあ……」」



「姦淫に寄す」より:

「九段坂下の裏通りに汚い下宿屋があった。冬の一夜、その二階の一室で一人の勤め人が自殺した。(中略)その隣室に住んでいて、死んだ隣人の顔さえ見知らずに暮していたという図抜けた非社交性と強度の近視眼をもった一人の大学生だけが、隣室のこんな大事に見世物ほどの好奇心さえ起すことなく寝ころんでいた。のみならず、こんな出来事があっては当分あの部屋も借手がつかないだろうと宿の者がこぼすのをきいて、大学生はお伽話(とぎばなし)に合槌を打つような静かな声で、そんなら俺が移ろうかと呟(つぶや)いた。別に義侠心を燃やしたらしい素振りではなく鼻唄のような物足りない様子だったので気にとめる者もなかったが、自分の部屋へ戻ってくると、この男はほんとにノコノコ隣室へ移ってしまった。どうという確(しっか)りした理由があったとは思われない。全ての挙動が原因不明で物足りない風に見えるくせに、引越してしまうと百年も前から其処に居ついていたように、至極自然で物静かで落付いていた。あの男も自殺臭いと言う者もあったが、彼の顔付を見たことのある人々は思わず噴きだしたりしながら、そんな突きつめた素振りは、微塵(みじん)もない彼の勿体ぶった顔を思い出して、あいつはつまり変り者という奴で、考える頭はいいにしろ生きる頭は悪い種類の、丁度動物園の河馬を考え深くしたような割合と無難な愚か者の一人だろうと噂した。そこで宿の亭主が考えたことには、これはてっきり下宿料を値切る魂胆に相違ないと勘のいいところを人々に洩らしていたが、実に呆れ果てたことには(中略)月末がくると催促もしないうちに定まった下宿料を届けてよこした。もともとこの男は金払いの几帳面な男であった。そのうえ部屋なども常に清潔で整然としていた。ただ彼は、めったに外出することがなかった。稀に机に向っていることもあったが、大概は整然と寝床をしいて矢張り整然と昼寝をむさぼっていたというのである。恐らくほんとの話であろう。彼は同宿人のどの一人にも挨拶することがなかったし物を言うこともなかったが、そのくせ物腰は無愛想でもなかった。なぜならば此の男は人の顔を見るときには、どうしても此れは笑いだと判断しなければならない種類の、そして決して其れ以上の何物でもない種類の、たしかに一種の笑いを機械的に顔に刻む習性を持っていたらしい。それは喪中の人に向っても例外はなかったし、怒った人に向う時でも例外はないように見えた。いわば全く張合いがなかったのである。こんな男を相手にするのはまるで雲をつかむようなもので、あいつは馬鹿だと決めなければ、こっちが馬鹿を見るばかりだと人々は考えた。」


「おみな」より:

「九つくらいの小さい小学生のころであったが、突然私は出刃庖丁(でばぼうちょう)をふりあげて、家族のうち誰か一人殺すつもりで追いまわしていた。原因はもう忘れてしまった。勿論、追いまわしながら泣いていたよ。せつなかったんだ。兄弟は算を乱して逃げ散ったが、「あの女」だけが逃げなかった。刺さない私を見抜いているように、全く私をみくびって憎々しげに突っ立っていたっけ。私は、俺だってお前が刺せるんだぞ! と思っただけで、それから、俺の刺したかったのは此奴一人だったんだと激しい真実がふと分りかけた気がしただけで、刺す力が一時に凍ったように失われていた。」
「私を大坂の商人に養子にやると母が憎々しげに嘘をついて私をからかったときのこと、私がまにうけて本気に喜んでしまったので、母が流石(さすが)にまごついた喜劇もある。それから、実は私が継子(ままこ)で、私のほんとの母親は長崎にいると嘘を語って、母は私をからかうことが好きだったが、その話の嘘らしいのが私に甚だ悲しかった。私は七つ八つから庭の片隅の物陰へひとりひそんで、見も知らぬふるさと長崎の夢を見るのが愉しかった。
 私の子供の頃の新潟の海では、二尋(ひろ)ばかりの深さの沖へ泳ぎでて水へくぐると、砂の上に大きな蛤(はまぐり)の並んでいるのを拾うことができたものだ。私は泳ぎがうまく、蛤や浅利(あさり)を拾う名手であった。十二三の頃の話だ。夏も終りに近い荒天の日で、町にいても海鳴りのなりつづく暗澹(あんたん)たる黄昏(たそがれ)時のことであったが、突然母が私を呼んで、貝が食べたいから海へ行ってとってきてくれと命じた。あるいはからかったのだ。からかい半分の気味が癪(しゃく)で、そんならいっそほんとに貝をとってきて顔の前に投げつけてやろうと私は憤って海へ行った。暗い荒れた海、人のいない単調な浜、降りだしそうな低い空や暮れかかる薄明の中にふと気がついて、お天気のいい白昼の海ですら時々妖怪じみた恐怖を覚える臆病者の私は、一時はたしかに悲しかったが、やがて激しい憤りから殆んど恐怖も知らなかった。浪にまかれてあえぎながら、必死に貝を探すことが恰(あたか)も復讐するように愉しかったよ。とっぷり夜が落ちてから漸く家へ戻ってきて、重い貝の包みを無言でズシリと三和土(たたき)の上へ投げだしたのを覚えている。その時、私がほんとは類(たぐ)い稀(ま)れな親孝行で誰れにも負けない綺麗な愛をかくしていると泣きだした女が一人あったな。腹違いの姉だった。親孝行は当らないが、この人は、私の兄姉の中で私の悲しさのたった一人の理解者だったが。……
 さて、こんな風な母と私だ。
 ところが私の好きな女が、近頃になってふと気がつくと、みんな母に似てるじゃないか!」





















































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本