『坂口安吾全集 4』 (ちくま文庫)

「私は愚な人間です。(中略)理論的には首尾一貫せず、矛盾の上に今までも生きてきた。これからも生きつづける。」
(坂口安吾 「わがだらしなき戦記」 より)


『坂口安吾全集 4』 
風と光と二十の私と/白痴/花妖 ほか
ちくま文庫 さ 4-4

筑摩書房
1990年3月27日 第1刷発行
595p 「編集付記」2p
文庫判 並装 カバー
定価1,030円(本体1,000円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 横尾忠則



本書「解題」より:

「第四巻には、坂口安吾が戦後文学の旗手としてジャーナリズムに迎えられ、旺盛な活躍をはじめた昭和二十一年(一九四六)六月から昭和二十二年(一九四七)五月にかけて発表された小説十七篇を中心に、自伝的な年代記小説「二十七歳」に続く「三十歳」を併録して発表年代順に収めた。」


新字・新かな。


坂口安吾全集04 01


目次:

白痴
外套と青空
女体
恋をしに行く
いずこへ
魔の退屈
戦争と一人の女
ヒンセザレバドンス
続戦争と一人の女
石の思い
風と光と二十の私と
私は海をだきしめていたい
わがだらしなき戦記
道鏡
家康
母の上京
花妖
二十七歳
三十歳

解説 (中上健次)
解題 (関井光男)



坂口安吾全集04 02



◆本書より◆


「白痴」より:

「だが、気違いと常人とどこが違っているというのだ。違っているといえば、気違いの方が常人よりも本質的に慎み深いぐらいのもので、気違いは笑いたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をやり、家鴨に石をぶつけたり、二時間ぐらい豚の顔や尻を突ついていたりする。けれども彼等は本質的にはるかに人目を怖れており、私生活の主要な部分は特別細心の注意を払って他人から絶縁しようと腐心している。(中略)彼等の私生活は概して物音がすくなく、他に対して無用なる饒舌(じょうぜつ)に乏しく、思索的なものであった。(中略)気違いがゲタゲタ笑うというだけで人々は別の人種だと思っていた。」

「白痴の女も時々豚小屋へやってきた。気違いの方は我家の如くに堂々と侵入してきて家鴨に石をぶつけたり豚の頬っぺたを突き廻したりしているのだが、白痴の女は音もなく影の如くに逃げこんできて豚小屋の蔭に息をひそめているのであった。」

「新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼等の心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。」

「伊沢は芸術の独創を信じ、個性の独自性を諦(あきら)めることができないので、義理人情の制度の中で安息することができないばかりか、その凡庸さと低俗卑劣な魂を憎まずにいられなかった。彼は徒党の除け者となり、挨拶しても返事もされず、中には睨む者もある。」

「なまじいに人間らしい分別が、なぜ必要であろうか。白痴の心の素直さを彼自身も亦(また)もつことが人間の恥辱であろうか。俺にもこの白痴のような心、幼い、そして素直な心が何より必要だったのだ。俺はそれをどこかへ忘れ、ただあくせくした人間共の思考の中でうすぎたなく汚れ、虚妄の影を追い、ひどく疲れていただけだ。
 彼は女を寝床へねせて、その枕元に坐り、自分の子供、三ツか四ツの小さな娘をねむらせるように額の髪の毛をなでてやると、女はボンヤリ眼をあけて、それがまったく幼い子供の無心さと変るところがないのであった。私はあなたを嫌っているのではない、人間の愛情の表現は決して肉体だけのものではなく、人間の最後の住みかはふるさとで、あなたはいわば常にそのふるさとの住人のようなものなのだから、などと伊沢も始めは妙にしかつめらしくそんなことも言いかけてみたが、もとよりそれが通じるわけではないのだし、いったい言葉が何物であろうか、何ほどの値打があるのだろうか、人間の愛情すらもそれだけが真実のものだという何のあかしもあり得ない、生の情熱を託するに足る真実なものが果してどこに有り得るのか、すべては虚妄の影だけだ。女の髪の毛をなでていると、慟哭(どうこく)したい思いがこみあげ、さだまる影すらもないこの捉(とら)えがたい小さな愛情が自分の一生の宿命であるような、その宿命の髪の毛を無心になでているような切ない思いになるのであった。」

「俺は何を怖れているのだろうか。(中略)怖れているのはただ世間の見栄だけだ。(中略)不思議な掟に怯えているのだ。」



「恋をしに行く」より:

「幼い頃、こんな遊びをしたことがあったようだと谷村は思う。柿の木に登って、柿の実をとってやる。下に女の子が指している。もっと上よ、ええ、それもよ、その又上に、ほら。そして枝が折れ、地へ落ちて、足の骨を折ってしまう。それは谷村ではなかった。隣家の年上の少年だった。生きておれば、今も松葉杖にすがっている筈なのである。
 この部屋には退屈と諦(あきら)めがない。それは谷村の覚悟であった。上へ、上へ、柿の実をもぎに上るのだ。落ちることを怖れずに。落ちるまで。
 谷村はこのまま、こんな風にして、眠ることができたらと思った。そして、そのまま、その眠りの永久にさめることがなかったら、と思った。
 「今、僕に分るのは、この部屋の静けさだけだ。世の中の物音は何一つきくことができない」
 と、谷村は譫言(うわごと)をつづけた。」



「いずこへ」より:

「人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切なものだ。とりわけ私のようにぐうたらな落伍者の悲しさが影身にまで泌(し)みつくようになってしまうと、何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていられなくなるものだ。
 私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ケ月の生活費を一日で使い果し、使いきれないとわざわざ人に呉れてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐だった。」

「私の原稿はもはや殆(ほとん)ど金にならなかった。私はまったく落伍者であった。私は然し落伍者の運命を甘受していた。」
「思えば私は少年時代から落伍者が好きであった。」

「私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢(ごうしゃ)はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。」

「私は女がタスキをかけるのは好きではない。ハタキをかける姿などは、そんなものを見るぐらいなら、ロクロ首の見世物女を見に行く方がまだましだと思っている。部屋のゴミが一寸の厚さにつもっても、女がそれを掃くよりは、ゴミの中に坐っていて欲しいと私は思う。」

「芸術家は――私はそこで思う。人のために生きること。奉仕のために捧げられること。私は毎日そのことを考えた。
 「己れの欲するものをささげることによって、真実の自足に到ること。己れを失うことによって、己れを見出すこと」
 私は「無償の行為」という言葉を、考えつづけていたのである。
 私は然し、私自身の口によって発せられるその言葉が、単なる虚偽にすぎないことを知っていた。」



「魔の退屈」より:

「単なる秩序道徳の平静のみすぼらしさ、虚しさ、つまらなさ。人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。」


「ヒンセザレバドンス」より:

「私はただ、本能的に、全然意味をなさぬムダが好きで、やらずにいられなくなるのであった。酔っ払いはみなそうだ。私もただ酔っ払いにすぎない。ただ、悔いないだけだ。」


「石の思い」より:

「この切なさは全く今と変らない。恐らく終生変らず、又、育つこともないもので、怖れ、恋うる切なさ、逃げ、高まりたい切なさ、十五の私も、四十の私も変りはないのだ。
 尤も私は六ツの年にもう幼稚園をサボって遊んでいて道が分らなくなり道を当てどなくさまよっていたことがあった。六ツの年の悲しみも矢張り同じであったと思う。こういう悲しみや切なさは生れた時から死ぬ時まで発育することのない不変のもので、私のようなヒネクレ者は、この素朴な切なさを一生の心棒にして生を終るのであろうと思っている。」

「私はだから子供の頃は、大人というものは子供の悲しさを知らないものだときめこんでいた。私は然し後年市島春城翁と知ったとき、翁はこの悲しみの別して深い人であり、又、会津八一先生なども(中略)、この悲しみは老後もつきまとうて離れぬ人のようである。」

「私は今日、政治家、実業家タイプの人、人の子の悲しみの翳(かげ)をもたない人に対しては本能的な反撥を感じ一歩も譲らぬ気持になるが、悲しみの翳に憑(つ)かれた人の子に対しては全然不用心に開け放して言いなり放題に垣を持つことを知らないのである。」

「石がその悲願によって人間の姿になったという「紅楼夢」を、私自身の現身(うつしみ)のようにふと思うことが時々あった。オレは石のようだな、と、ふと思うことがあるのだ。そして、石が考える。」

「私は「家」というものが子供の時から怖しかった。」

「私は幼稚園のときから、もうふらふらと道をかえて、知らない街へさまよいこむような悲しさに憑かれていたが、学校を休み、松の下の茱萸の藪陰にねて空を見ている私は、虚しく、いつも切なかった。
 私は今日も尚、何よりも海が好きだ。単調な砂浜が好きだ。海岸にねころんで海と空を見ていると、私は一日ねころんでいても、何か心がみたされている。それは少年の頃否応なく心に植えつけられた私の心であり、ふるさとの情であったから。」

「私の家から一町ほど離れたところに吉田という母の実家の別邸があった。ここに私の従兄に当る男が住んでおり、女中頭の子供が白痴であった。私よりも五ツぐらい年上であったと思う。
 小学校四年のとき白痴になったのであるが、そのときは碁(ご)が四級ぐらいで、白痴にならなければ、いっぱし碁打の専門家になれたかも知れない。」
「街のゴミタメを漁(あさ)って野宿して乞食のように生きており、どうしても掴まらなくなり、一年ぐらい彷徨(ほうこう)しているうちに、警察の手で精神病院へ送られた。そのときはもう長の放浪で身体が衰弱しており、冬の暮方、病院で息をひきとった。
 それはまだ暮方で、別邸では一家が炉端で食事を終えたところであったが、突然突風の音が起って先ず入口の戸が吹き倒れ、突風は土間を吹きぬけて炉端の戸を倒し、台所から奥へ通じる戸を倒し、いつも白痴がこもっていた三畳の戸を倒して、とまった。すべては瞬間の出来事で、けたたましい音だけが残っていた。それは全くある人間の全身の体力が全力をこめて突き倒し蹴倒して行ったものであり、ただその姿が風であって見えないだけの話であった。そこへ病院から電話で、今白痴が息をひきとったという報せがあったのである。
 私は白痴のゴミタメを漁って逃げ隠れている姿を見かけたことがあった。白痴の切なさは私自身の切なさだった。私も、もしゴミタメをあさり、野に伏し縁の下にもぐりこんで生きていられる自信があるなら、家を出たい、青空の下へ脱出したいと思わぬ日はなかった。私はそのころ中学生で、毎日学校を休んで、晴れた日は海の松林に、雨の日はパン屋の二階にひそんでいたが、私の胸は悲しみにはりさけないのが不思議であり、罪と怖れと暗さだけで、すべての四囲がぬりこめられているのであった。青空の下へ! 自分一人の天地へ! 私は白痴の切なさを私自身の姿だと思っていた。私はこの白痴とは親しかった。私は雨の日は別邸へ白痴を訪ねて四目置いて碁を教えてもらうことが度々あったのである。
 ゴミタメを漁り野宿して犬のように逃げ隠れてどうしても家へ帰らなかった白痴が、死の瞬間の霊となり荒々しく家へ戻ってきた。それは雷神の如くに荒々しい帰宅であったが、然し彼は決して復讐はしていない。(中略)彼はただ荒々しく戸を蹴倒して這入(はい)ってきて、炉端の人々をすりぬけて三畳のわが部屋へ飛びこんだだけだ。そしてそこで彼の魂魄(こんぱく)は永遠の無へ帰したのである。
 この事実は私の胸に焼きついた。私が私の母に対する気持も亦そうであった。私は学校を休み松林にねて悲しみに胸がはりさけ死ぬときがあり、私の魂は荒々しく戸を蹴倒して我家へ帰る時があっても、私も亦、母の鼻すら捩(ね)じあげはしないであろう。私はいつも空の奥、海のかなたに見えない母をよんでいた。ふるさとの母をよんでいた。
 そして私は今も尚よびつづけている。そして私は今も尚、家を怖れる。いつの日、いずこの戸を蹴倒して私は死なねばならないかと考える。一つの石が考えるのである。」



「風と光と二十の私と」より:

「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。(中略)本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。」


「わがだらしなき戦記」より:

「私は類例の少いグウタラな人間だから、酒の飲めるうちはノンダクレ、酒が飲めなくなると、ひねもす碁会所に日参して警報のたびに怒られたり追いだされたり、碁も打てなくなると本を読んでいた。防空演習にでたことがないから防護団の連中はフンガイして私の家を目標に水をブッカケたりバクダンを破裂させたり、隣組の組長になれと云うから余は隣組反対論者であると言ったら無事通過した。近所ではキチガイだと思っているので、年中ヒトリゴトを呟(つぶや)いて街を歩いているからで、私と土方のT氏、これは酔っ払うと怪力を発揮するので、この両名は別人種さわるべからずということになって無事戦争を終った。」

「私は規則には服し得ない人間で、そのために、子供の時から学校が嫌いで、幼稚園の時からサボッて、道に迷って大騒ぎをやらかしたりして、中学校まで全通学時間の約半分はひそかに休んでいるのである。」
「私が転校して三日目ぐらいに、用器画の時間に落書していると、何をしているかときくから、落書をしていますと答えると、そういう生徒は外へ出よ、私の時間は再び出席するに及ばないと言う。仕方がないからカバンをぶらさげて家へ帰り、それからの一年間は完全にその時間には出なかった。」



「二十七歳」より:

「英倫と一緒に遊びに来た矢田津世子は私の家へ本を忘れて行った。ヴァレリイ・ラルボオの何とかいう飜訳本であった。私はそれが、その本をとどけるために、遊びに来いという謎ではないか、と疑った。私は置き残された一冊の本のおかげで、頭のシンがしびれるぐらい、思い耽らねばならなかった。なぜなら私はその日から、恋の虫につかれたのだから。私は一冊の本の中の矢田津世子の心に話しかけた。遊びにこいというのですか。そう信じていいのですか。」















































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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