牧野信一 『バラルダ物語』 (福武文庫)

「「さあ、これで俺はいよいよ俺ひとりの天地になった。――ベリイ、ブライト!」
 僕は、薄明(はくめい)の彼方(かなた)に消え失せる彼等の姿を見送って、丘の頂きで双手を挙げて絶叫した。」

(牧野信一 「吊籠と月光と」 より)


牧野信一 
『バラルダ物語』
 
福武文庫 ま 0801

福武書店
1990年10月9日 第1刷印刷
1990年10月16日 第1刷発行
267p
文庫判 並装 カバー
定価550円(本体534円)
装丁: 菊地信義



新字・新かな。
紺色栞ひも(スピン)付。

本書とほぼ同時期(1990年11月16日)に岩波文庫からも牧野信一短篇及エッセイ集『ゼーロン・淡雪』が刊行されていますが、「吊籠と月光と」「ゼーロン」「天狗洞食客記」「夜見の巻」「鬼涙村」の五篇が本書と重複しています。


牧野信一 バラルダ物語 01


帯文:

「夢と快楽の
夭折作家
牧野信一の
傑作作品集!」



カバー裏文:

「昭和初期の時代のうねりのなかで、知的幻想趣味と徹底した快楽主義的生活との交錯によって、独自のボヘミヤニズムを生みだし、夭折した作家牧野信一。その真骨頂をなす「吊籠と月光と」「ゼーロン」「バラルダ物語」など傑作短篇小説9篇を収録。」


牧野信一 バラルダ物語 02


目次:

凡例

吊籠と月光と
西部劇通信
鱗雲
バラルダ物語
ゼーロン
夜見の巻 「吾ガ昆虫採集記」の一節
天狗洞食客記
月あかり
鬼涙村

解説 (柳沢孝子)
牧野信一略年譜



牧野信一 バラルダ物語 03



◆本書より◆


「鱗雲」より:

「「そうだろう、冬ちゃんはあの馬と一緒に育ったようなものだからね。」
 「まさか――」と冬子は、つまらなそうな苦笑を浮べた。彼女の眼は、此方の顔を眺めてはいるのだが、例えれば、その網膜には実在の物は映っていない、何か形のない物を視詰めている、明るく悩みなく一途に何かを見透している――そんな風に円(つぶ)らに光っているのだ。彼女の眼蓋は、ほとんど眼ばたきを見せない。彼女の唇から洩れる言葉は、彼女にとって徒然(つれづれ)に吹く口笛に過ぎない――そんな感じを私に与えるのであった。私は、悪酒に酔い痴(し)れて、一途に凧の影を追っているのみなのだ。そして彼女の呟く言葉も私にとっては遠い囁きに過ぎなかった。二人は勝手に辻褄(つじつま)の合わぬ言葉を交しているに過ぎない。それが何処かの点で稀(まれ)に対照されたに過ぎない。」

「彼女は、近頃の青野の愚かしげな動静を語ったり、また彼等兄妹が旧知の人々からどんな風に取り扱われているかということも告げた。気狂い兄妹だと云って、誰もが相手にしなくなっている……。
 「考えるまでもなく、それは無理はないんだけれどね……。あんた知っているわね、妾は子供の時分から癇性(かんしょう)で髪の毛を長くしてはいられない、子供の時のままで、ずっとこう断(き)っているのを? こんなことまで今更、気狂いの附け足しにして何とか云うのよ。」
 「この間うちそんな風な頭がはやっていたらしいが――」
 「どうだか知らない。」」



「バラルダ物語」より:

「この頃私は、「悲劇」「喜劇」の出生と、その岐(わか)れ道の起因に関して深く感ずるところから、劇なるものの歴史について遠くその源を原始の仮面時代の空にさ迷っていたところ、計らずもガスコンの原始民族が、酒神サチューロスを祭る大祭日に、あたかもこの龍巻村の神輿行列にも等しい仮装行列の一隊を組織して、バラルダと称する大太鼓を先頭に曳いて、山上の酒神の宮へ繰り込むという有様を詳(つぶ)さに伝えた文献に出遇って、目を丸くした。パン、ユターピ、カライアーピ、バッカス、エラトー、ユレーニア等々と、山羊脚を真似、葡萄(ぶどう)の房をかむり、狐頭(ガラドウ)や犬頭(アヌビス)、星の倅、恋の使者、雲の精と、とりどりの扮装を凝した行列が、手に手に携えた羊角型の酒壺(ジーランド)を喇叭(ラッパ)と鳴し喇叭呑みの乱痴気騒ぎに涌き立って、バラルダの音に足並みそろえるおもむきは、あたかも私達の天狗の太鼓隊につづいて、おかめ、ひょっとこ、翁、鬚(ひげ)武者、狐、しおふき等々の唐松村の仮面劇連が辻々の振舞酒に有頂天となって、早くも神楽の振りごとの身振り面白く繰り込んで来る有様をそのまま髣髴とさせる概であった。――因(ちな)みにバラルダの大きさは、直径およそ五碼(ヤード)とあるから、私達の水車の大きさであり、六頭の牛をもって曳かれ、二十人の使丁に後おしされて、はね吊籠(つるべ)型の投石機(スリング)仕掛になった大撥で打たれるとの事であった。それ故その音響の大は私如きの想像にあまったが、窓下の薄鈍(のろ)い流れに軋(きし)りをたてて今にも止まりそうに廻っている水車の影が、情けない痴夢に酔どれた私にはガスコンのバラルダとも見紛れた。明方の翼にややほのあかく染められた彼方の山の頂を眼ざして、月の白光の波のまにまに打ちつづく私の眼界に現れる大行列はガスコンと唐松の崇神者連をごっちゃにして、世にも怪奇瑰麗(かいれい)な賑々しい騒ぎであった。
 どうん、どうん、カッ、カッ、カッ!
 空一杯、胸一杯に太鼓の音が鳴り響いて、天狗が、牛頭(アービス)が、象が、山彦の精(エコウ)が、馬が、河童(ニッケルマン)が、風の神(ゼファラス)が、人形使い(ピグメーリアン)が、蝶々の精(サイキ)が、ダイアナがおかめと手を携えて往き、閑古鳥をささげた白鳥の精(レーダ)が笛を鳴らし、榊やオリーブの枝をさんさんと打ち振りながら続いて続いて止め度がない……。轢碌(れきろく)たるバラルダの廻転と、荒武者が此処を先途(せんど)と打ち鳴らす龍巻村の大太鼓の音が人波を分けて、行列を導いて行く。
 私は、声を張り挙げて歌いつづける……
 「鏘々として鳴って玲瓏たり……」
 ――「おお、もうお目醒めになりましたか。雪二郎が朝餉(あさげ)の仕度をして居りますから、どうぞ囲炉裡にお降り下さい。」
 窓下からの声で私は、夢から醒めると、朝餉の前の一働きに水門開きに出かける雪五郎と雪太郎であった。」



「天狗洞食客記」より:

「今更申すまでもないことだが、まったく人には夫々(それぞれ)様々な癖があるではないか、貧乏ゆすりだとか爪を噛むとか、手の平をこするとか、決して相手の顔を見ないで内ふところに向ってはなしをするとか、無闇に莨(たばこ)を喫するとか――とそれこそ枚挙に遑(いとま)はない。しかし私には他人目(ひとめ)につくかの如きおよそどんな類いの癖も生来から皆無であったのに、突然ちか頃になって、これはまたおよそ他人目につき易い実にも仰山(ぎょうさん)に珍奇な癖が生じていた。私は普段はかねがね唖(おし)のように無口であった。それがちか頃非常に嵩じて、私は何時(いつ)の間にかあらゆる感情を喪失している達磨(だるま)であった。私は、一体(いったい)どんな顔をしてどんな場合に嘆いたものか、笑ったものか、気分も表情も想像することは不可能であった。いつも、いつまででも凝然(じっ)としているばかりの私は木兎(みみずく)であった。強いて形容するならば憤ったような武悪面といえるであろうが、私にしてみるとむしろ一個の単純なる蠟燭であった。そして、いつまででも沈黙のまま背筋を延して大名のように端坐していたが、やがて私はそうした姿勢を保ったまま折々「エヘン!」という空々しく大きな咳払いを発すると、おもむろに右の手の先で頤(あご)を撫で、それから左の腕を何か隣りの人でも抱えるように横に伸して、薄ぼんやりとギョロリとしているという、そんなに勿体(もったい)振った癖が生じていた。相手の者が吃驚(びっく)りして私の顔を薄気味悪そうに眺めるので、私はハッとして吾に返り居住いを正しながら深呼吸を試みるのであったが、貧乏ゆすりの習慣の人が吾知らず膝頭を震わしはじめてしまうと同じように、いつの間にか私は蛙のように胸を張って、頤を撫で、そして左腕を挙げているという、そんなに鈍重な奇天烈(きてれつ)な癖が生じていた。」

「R市長は、当時同市の支局に派遣されていた新聞記者である私の義弟の従兄であった。そして市長の亡父が天狗洞の高弟であった由である。私が同市に到着した時に弟は、常々私の大酒に悩まされていたので、珍客をもてなすべく友達の間から大盃の豪の者を撰りすぐって歓迎の宴を張った。私は正面の座に据えられたが、ややきまりでも悪かったのかしら? ぎょっとしていつものように端坐していると、いっそうの憐れな癖の大見得が繰り返されていたのである。まさかそれが、私のいわば、宇宙に対するテレ臭さと憧れから発生した無意識裡の奇癖とは知る由もない義弟は、いつも私がややともすれば浮々と安っぽい態度をして失敗したことばかりを見慣れていたので、これはいつの間にか心を容れ代えて、努めて威厳を保つべく肚(はら)を据えているのであろうとその時は察したそうだった。
 「義兄は、酔が廻らないと何も喋舌(しゃべ)ることが出来ないのです。」
 弟はそんな説明の労をとっていた。
 「なるほど――さっきからしきりと腕を伸しているのは、あれは盃のさいそくなんだね。」
 などと囁く者があった。」





こちらもご参照ください:

牧野信一 『ゼーロン・淡雪 他十一篇』 (岩波文庫)







































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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