中里介山 『大菩薩峠 四』 (新装版)

「いいえ、あの子は人間と遊ぶよりは、山で兎や蛇と遊ぶのが好きなんですから、ほうっておきましょう」
(中里介山 『大菩薩峠』 より)


中里介山 
『大菩薩峠 四』


筑摩書房
昭和51年6月20日 初版第1刷発行
昭和54年6月15日 新装版第1刷発行
423p
四六判 丸背紙装上製本 機械函
定価1,800円
装幀: 安東澄



本文二段組。全十二冊。


中里介山 大菩薩峠


目次:

安房の国の巻
小名路の巻
禹門三級の巻
無明の巻

解題(四) (南波武男)




◆本書より◆


「安房の国の巻」より:

「「あゝ、蛇が木へのぼるとね、そうすると近いうちに雨が降るか、風が吹くか、そうでなければ大暴風雨(おおあらし)があるんだとさ。それで、こんなにたくさん、蛇が木の上へのぼったから、きっと大暴風雨があるよ」」

「茂太郎はありきたりの蛇使いではありません。この子は、子供の時分から蛇に好かれる子でありました。人のいやがる蛇を集めて大切(だいじ)に育てておりました。」

「「誰かいます、行ってはいけません、行くと殺されます」」

「「あいつは幽霊ぢゃねえのか知ら、どうもわからねえ」」

「「友造どん、お前の槍の手筋はどこで習ったか知らないが、まるで格外れで、それで、ちゃんと格に合っているところが妙だわい。拙者の如きは、これでも幼少より正式に剣を学んだのぢゃ、先祖以来の剣道の家に生れて、父と言い、師と言い、由緒の正しいものだ。拙者だけは破格だ、師に就いたけれども師がない、型を出でたけれども型が無い、一生を剣に呪われたものかも知れぬ、生涯、真の極意(ごくい)というものを知らずに死ぬのだ、もし、神妙というところがあるなら、それを知って死にたいものだがな」
 竜之助は平然として、こんなことを言い出したが、今日はその述懐に、多少の感慨があるようです。」



「小名路の巻」より:

「「わたしを見る人は、みんなわたしを嫌います、いい笑い物にします、それは無理はありません、ですから、わたしは人に見られるのは嫌いです、ですから、わたしがほんとうに好きな人は眼の見えない人だけなのです。」」

「「だから、わたしは、あの人が好きなのです、あの人は、平気で人を殺すから、それで、わたしは、あの人が好きです」」

「「わたしはまた、ひょっと振返って見た時に、幽霊! と思いましたよ、あの顔色をごらんなさい、まるで生きた人ぢゃありませんね、この世の人ぢゃありませんよ」」

「「四隣(あたり)、人定まった時に、過去のことと人とを思い出すことが彼にとっては、ひたひたと四方から鉄壁で押えつけられるように苦しい。枕許の水差を引寄せて、水をグッと一口呑んだ時に、つい隣の部屋で、思いがけなく短笛(たんてき)の音が起りました。
 一口飲んだ水さえが、火となって胸の中で燃えるかと思われる時に、短笛の音は、一味の涼風となって胸に透(とお)るのです。
 この真夜中に、隣の部屋で尺八を吹き出したものがあります。」
「尺八を吹いているのは金伽羅童子(こんがらどうじ)で、歌をうたっているのが制多伽童子(せいたかどうじ)です。
 二人は双子(ふたご)でありました。もとはしかるべきさむらいの子であったとかいうことですが、みなし児になってこの家に引取られ、実の名もあるにはあるが、この楼(いえ)の者は二人を呼ぶに、金伽羅、制多伽の名を以てして、その実の名を呼ぶ者がありません。」
「二人は、ここの家に拾われて、掃きそうじや、庭の草取りや、追廻しをつとめていました。天性、二人は音楽が好きで、楼の人の学ぶのを見まね、聞まねに、さまざまの音曲を覚えています。人定まった後に誰もいないような部屋を選んで、二人はこうして、笛を吹き、歌をうたうのが何よりの楽しみであります。
 「ねえ、金伽羅(こんがら)さん、今度はすががきをおやりよ」
とすすめたのは、歌をうたっていた制多伽(せいたか)であります。
 「制多伽さん、このお隣には人がいるのよ」
 金伽羅童子は、尺八を膝に置いて返事をしました。
 「え、人がいるの、お隣に?」
 「えゝ、病気なんでしょうよ、はじめのうちは大へん苦しがっていたんですけれど、そのうちに癒って寝てしまったようですから、それで、わたしは笛を吹き出しました。あんまり吹いたり、歌ったりして、せっかく寝た人を起すと悪いね」
 「そう、でも、病気が癒って寝てしまったんなら、いいでしょう、すががきをもう一つおやりよ、わたしは歌わないで、だまって聞いているから」
 「そうしましょうか」
 やがて、また、しめやかな尺八の音(ね)が起りました。
 「ウーホフ、ホウエヤ……」
 こんどはすががきを始めました。淀(よど)みもなく三べん吹き返したすががきは、子供の歌口とは思われないほどに艶(つや)のあるものです。
 「うまいね、金伽羅さん」
 制多伽は、その短笛の音色に心から感心して賞(ほ)めると、賞められた金伽羅は無邪気に嬉しがって、
 「あんまり賞めないで頂戴、笛がいいんだよ、笛のせいで、よく吹けるんだね」
 「金伽羅さん、こんどはおかざきをおやりよ、ね、おかざきをやって下さいな」
 「やりましょうかね。では、おかざきをやるから制多伽さん、お前、おうたいなさいな」
 「あ、歌いましょう」
 隣室の人を驚かすことを怖れて、歌わないと言った誓いを忘れて、二人はまた興に入(い)ってしまいました。
  岡崎女郎衆
  岡崎女郎衆
  岡崎女郎衆はよい女郎衆
  岡崎女郎衆はよい女郎衆
 二人を知っている者は、それでよかろうけれども、二人を知らない者にとっては、壁を隔ててするその会話は、一種異様なものに聞えます。まことの金伽羅童子、制多伽童子がこの場へ天降(あまくだ)りして、戯れ遊んでいるのではないかとさえ思われるほどに、世間ばなれがしています。
 思いがけなくその幸福を受けたのは机竜之助でありました。次の間で天童の戯れ遊ぶことによって、この世からなる地獄の責めを免れました。」



「禹門三級の巻」より:

「「右を向いても、左を向いても、癪(しゃく)にさわる世の中だ、いったい、おいらのような人間は、見るもの、聞くものが癪にさわるように出来てるんだと、このごろつくづくそう思った、だから、死んでしまった方がいいんだろう、命なんぞは惜しかあねえや、この世の中に未練なんぞはありゃしねえんだ、おいらは気が短けえから、いやになると自分の命までがいやになってたまらねえ」」

「何を吹き出そうかと思案している茂太郎の目の前を、二羽の鳩が飛んで行きます。それを見ると茂太郎は、急に笛を取り直して、ヒューヒョロロと吹きました。
 その笛の音につれて、不思議なことに、飛んで行こうとした二羽の鳩が、急に翼を翻して櫓(やぐら)の上へ戻って来ました。
 続いて茂太郎が笛を吹くと、どこにいたともない多数の鳩が、土蔵の鉢巻の裏や、屋根の瓦の下や、軒の間から姿を現わして、茂太郎の立っている櫓の上へと集まって来るのが、いよいよ不思議です。
 茂太郎は、足拍子面白く、なお吹きつづけていると、集まった鳩が、左右に飛び惑うて、さながら踊りをおどるが如き形が妙です。そうして或る者は茂太郎の肩につかまって、また離れ、或る者は茂太郎の周囲をめぐりめぐって、戯れ遊ぶもののようです。
 いよいよ吹いている間に、雀も集まります。烏もやって来ます。茂太郎の傍にあって舞い踊るのは鳩だけであって、そのほかの鳥は屋根の鬼瓦や、棟の上に集まって、首を揃えてそれを見物するかの如き形が、またすこぶる妙なものであります。
 と、また、庭に餌を拾っていた鶏がしきりに羽バタキをしました。高く櫓の上まで飛び上ろうとして、翼の力の足らぬことをもどかしがるように、居たり立ったりしている鶏もおかしいが、ついには例の梯子(はしご)を一歩々々と鶏が上って来る有様です。見ている間に櫓の上は無数の鳥で一パイになりました。」



「無明の巻」より:

「「人様の世にこそ月、雪、花の差別はあれ、私共にとりましては、この世が一味平等の無明(むみょう)の世界なのでございます。」」

「「私は口が過ぎていけません。そのことは知らないではありませんから、自分ながら慎(つつし)みをしようかとも思いますけれども、その場合になりますと、そういう感じがフイに湧き起って参りまして、そう言わなければだまっていられないのでございます。言ってしまったあとで、ハッとは思いますけれども、なおよく考えてみますと、自分のいったことが間違っていたとは思われませんので、これはいい過ぎたと後悔を致したことが更にございませんのです。」」

「ところで、悪魔は大抵はひとり歩きをするものである。ひとり歩きをする者の全部が悪魔ではないが――天才と悪魔とは往々ひとり歩きを好む。」
「偉人と悪魔のみが孤独である――」

「生れた奴は罰当(ばちあた)り
明日(あした)死んではかわいそう
かわいそうだが若緑
おっしゃらしゃらしゃら
しゃあらしゃら」





中里介山 『大菩薩峠 五』 (新装版)























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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