中里介山 『大菩薩峠 五』 (新装版)

「この男には、夢と現実との区別がありません。否、現実はことごとく暗黒の虚無で、夢みている間だけに、物の真実が現われてくるようです。」
(中里介山 『大菩薩峠』 より)


中里介山 
『大菩薩峠 五』


筑摩書房
昭和51年6月20日 初版第1刷発行
昭和54年6月15日 新装版第1刷発行
435p
四六判 丸背紙装上製本 機械函
定価1,800円
装幀: 安東澄



本文二段組。全十二冊。


中里介山 大菩薩峠


目次:

白骨の巻
他生の巻
流転の巻

解題(五) (南波武男)




◆本書より◆


「白骨の巻」より:

「ここに慶応のはじめ、大小日本の手品を表芸(おもてげい)にして、イギリスからオーストリーを打って廻り、明治二年に日本へ帰って来た芸人の一行がある。白い紙を蝶に作って、生命を吹き込んだ柳川一蝶斎を座長として、これに加うるに、大神楽(だいかぐら)の増鏡磯吉、綱渡りの勝代、曲芸の玉本梅玉あたりを一座として、日本の朝野(ちょうや)がまだ眠っている時分に、世界の大舞台へ押出した遊芸人の一行があります。」
「遊芸――なるが故に国境が無かった。吉田松陰は、これがために生命を投げ出し、福沢諭吉も、新島襄(にいじまじょう)も、奴隷同様の苦しみを嘗(な)め、沢や、榎本(えのもと)は、間諜同様に潜入して、辛(から)くもかの地の文明の一端をかじって帰った時分に、柳川一蝶斎の一行は、悠々として倫敦三界(ロンドンさんがい)から欧羅巴(ヨーロッパ)の目抜きを横行して、維納(ウインナ)の月をながめて帰ることができました。しかし、粗漏(そろう)なる文明史の記者は、こんなことを少しも年表に加えていないようです。」

「見渡すところ、この荒原の中、離々(りり)たる草を分けて歩み行くたった一人の人、這(は)うような遅い足どりで――
 天地が塗りつぶされた灰色の中に、その人も灰色。
 その人は、手に白刃をさげたままで、左の手で半身にあびた血汐(ちしお)を拭いながら、よろよろと荒原の中を歩いている。
 野袴の裾には、尾花すすきが枯れている。」

「さてここに、宇治山田の米友に至っては、空想と事実との境界が、ほとんど判然しない。この男は人間のこしらえた差別線と高低線に対しては、先天的に色盲のような男で、どうかしてその線にひっかかると、眼の色を変えて怒り出す。この男の怒り方は、反抗的、或いは相対的に怒るのではありません、先天的に怒るのであります。とはいえ、この男を狂者と見るには、あまりに道義的で、同時に常識的のところがあります。
 今や、不幸にしてこの男は、人生の水平線がわからなくなっているように、死と生との分界線がまたわからなくなっているのであります。死が万事の消滅だと信じきれなくなっているのであります。」

「ふと、少女の立っていた燈籠(とうろう)の火が消えました。一つ消えると、すべての火がことごとく消えてしまいました。
 竜之助は、こましゃくれた女の子だと思いました。
 しかし、燈籠が消えては一歩も進むことができない。
 「お待ちなさい、今、燈火(あかり)を持って来てあげますから」
 まもなく、螢火ほどの線香を掲(かか)げて、以前の燈籠に火を入れると、その燈籠の形が髑髏(どくろ)になりました。竜之助は、瞬きもせずにその髑髏を見つめていると、
 「あなた、その人を御存じ?」
と女の子がいいました。
 「知らない」
 「では、この人は?……」
 女の子は前に進んで、次の燈籠へ火を入れると、おなじような髑髏の形となりました。竜之助はそれに眼をうつし、
 「やはり、知らない人だ」
 「そうですか、それでは、この人は?……」
といって、女の子はまた三歩進んで、次の燈籠に火を入れると、同じくそれも髑髏の形。
 「知らない」
 「御存じのはずなのに……」
 女の子は小首を傾(かし)げて前へと進みながら、線香の火を大事にして、
 「これなら、キットおわかりでしょう」
 その線香を燈籠の下に入れる。と、そこに現われたのは髑髏ではありません、まさしく女の生首(なまくび)でありました。
 「…………」
 竜之助は、近く摺寄(すりよ)って、その生首をつくづくとながめます。
 「ちぇッ」
と彼の額に白い光がひらめきました。
 金剛杖を取り直して、それを打ち倒して、首を地上へ打ち落すと、女の子は、
 「そんなことをしたって駄目ですよ、あなたはこの燈火(あかり)がなければ、一足も歩けないくせに――」
と言って、その螢火ほどの線香を、竜之助の前にかざして見せましたが、やがて、竜之助には頓着なしに、先へ進んで、つぎからつぎへとその燈籠をつけて歩きます。燈籠という燈籠は、ことごとく髑髏にあらざれば人の首です。
 竜之助は、うんざりしました。何里あるか知れないこの道を歩くには、いちいちあの首を見て歩かなければならないのか。
 ふりかえって見ると、いつのまにか、後ろの方もおなじ髑髏の燈籠。
 はて、ここはいったいどこだろう。昨日塩尻峠を越えたばっかりなのに――桔梗(ききょう)ケ原(はら)か、五千石通りか……
 それを考えた時は、うつつ心の出でた時で、まもなく鶏の声が耳に入るのを覚えました。」
「あゝ、夢であったかと覚(さと)るのは常の人のことで、この男には、夢と現実との区別がありません。否、現実はことごとく暗黒の虚無で、夢みている間だけに、物の真実が現われてくるようです。」



「他生の巻」より:

「「あたい蛇だって、狼だって、何だって怖いと思ったことはないけれど、人に可愛がられるのが大嫌いさ、息が詰まるんだもの……」」

「「人間は、犬に吠えられるようでは、修行が足りない」」

「「でも、わたくしは、生ぬるいことが嫌い、この世の人は敵(てき)でなければ味方、味方でない者はみんな敵です」」

「「これは日蓮自身もいっています――世には王に悪(にく)まるれば民に悪まれない、僧に悪まれる時は俗に味方がある、男に悪まれても女には好まれ、愚痴の人が悪めば智人が愛するといったふうに、どちらかに味方があるものだが、日蓮のように、すべて悪(にく)まれる者は、前代未聞にして後代にあるべしともおぼえず……生年三十二より今年五十四に至るまで、二十余年の間、或いは寺を追い出され、或いは所を追われ、或いは親類を煩(わずら)わされ、、或いは夜打ちにあい、或いは合戦にあい、或いは悪口(あっこう)かずを知らず、或いは打たれ、或いは手を負う、或いは弟子を殺され、或いは首を切られんとし、或いは流罪(るざい)両度に及べり、二十余年が間、一時片時も心安き事なし――『日本国ハ皆日蓮ガ敵トナルベシ――恐レテ是ヲ云ハズンバ、地獄ニ落チテ閻魔(えんま)ノ責ヲバ如何(いかん)セン――』これですから堪りません、悪(にく)まれます――しかし、駒井さん、薄っぺらの、雷同の、人気取りの、おたいこ持ちの、日和見(ひよりみ)の、風向き次第の、小股すくいの、あやつりの、小人雑輩の、紛々擾々(ふんぷんじょうじょう)たる中へ、これだけの悪まれ者を産み出した安房の国の海は光栄です。」





中里介山 『大菩薩峠 六』 (新装版)











































































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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