ミッシェル・セール 『青春 ジュール・ヴェルヌ論』 豊田彰 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「私はヴェルヌを愛読した理由を今にして理解する。あれは、間違いなく、戦争や流血や涙からの、夢想による保護だったのだ。」
(ミッシェル・セール 『青春 ジュール・ヴェルヌ論』 より)


ミッシェル・セール 
『青春 
ジュール・ヴェルヌ論』 
豊田彰 訳
 
叢書・ウニベルシタス 396 

法政大学出版局
1993年4月1日 初版第1刷発行
7p+387p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,811円(本体3,700円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、ミッシェル・セール『青春 ジュール・ヴェルヌ論』(Jouvences sur Jules Verne, Les Editions de Minuit, 1974)の全訳である。」


だいぶまえに購入したミッシェル・セールの本が何冊かでてきたのでよんでみました。


セール 青春ジュールヴェルヌ論


目次:



Ⅰ 地図
 1 夜の果てへの旅
 2 伝令使オイディプス
 3 火線のための表
  道草Ⅰ アンティフェールの法則
Ⅱ よろめき
 1 平衡の形象
 2 分析、スパルトイ
 3 変化した水
  道草Ⅱ インターチェンジ
Ⅲ 飢餓
 1 毛皮を着たヴィーナス
 2 電気うなぎ
 3 アリスの中の不思議の国
  道草Ⅲ コスト
Ⅳ ゲーム
 1 並行的なテキスト――死の谷
 2 切り刻まれたオルフェウス
 3 燃える(列島と黒い)インド

原注
訳注

訳者あとがき




◆本書より◆


「夜の果てへの旅」より:

「あらゆる旅は、三つの次元をもつある伝承によって分類される。旅は、通常の空間内の移動、(中略)水平面もしくは垂直面内での向きのついた移動なのである。土地を占有するための行程、訪問、探検、一周である。旅は百科全書の教程をゆっくり覆っていく科学的調査である。だからこそ旅行者が牧師であったり、地質学者、昆虫学者等々の科学者であったり、彼らを同伴したり、彼らの跡を辿ったりするのだ。旅の目的は、ある問題がひとりでに解決されている地方を探し出すこと、ある認識が現存している特権的な場所を発見することである。(中略)これらの旅は、一連の規則的に加速される多数の障害に妨げられる。終点が近づいてくるにつれて、そこに到達することがますますむずかしくなるのだ。終点にごく近いところで、旅行者は自分が徒手空拳であり、とるべき手段がなく、移動手段も食糧もなく(時には方向も分からず)、腹を空かせ、傷つき、四方八方からの危険におびやかされ、死に瀕しており、大災厄に直面しているのに気づく。すると、この入門者を別の世界に送り出すような出来事が生じるのである。そこでは宗教的色彩の強い新たな旅が準備されて、この旅の性質に照らして、逆に最前の障害は加入儀礼の初期段階であったことが明らかになる。『オデュッセウス』や「出エジプト記」、それにほかのすべての驚異の旅の場合と同様に、三つの円がはっきり分節されてにしろ平行的にしろ共存しているのである。つまり、通常の周航、もしくは時には極地に行ったり惑星をかすめたりする異常な周航、緯線を辿ったり大円を航行するにつれて知を一巡する知的もしくは百科全書的な周行、それから、〈神〉、父……といった失われた形象、もしくは何かもっと不可思議な秘密を求めての加入儀礼的・宗教的・神話的な巡行の三つである。最初にきっかけが与えられるのは、海に浮かぶびん、傷ついた鳩、開かれたことのない揺籃期本とかのように偶然に出くわした解読しがたい文書、ある秘密を隠している暗号文によってである。メッセージは数ヵ国語で書かれているものの、未完であったり、暗号で隠されていたり、ルーン文字で作成されていたり、格子の下に閉じ込められていたり等々であるから、埋もれているわけだ。(中略)明晰な意味の探求というのが三つの旅の縮尺模型だといってもよいであろう。場所であれ知であれ公現(エピファニ)であれ、未知のものをあばき出すことが問題なのだ。」


「アンティフェールの法則」より:

「われわれは無知のゆえに、ヴェルヌの作品は〈科学〉の夢を描いたものだとしてきた。(中略)〈驚異の旅〉というフィクションはサイエンス・フィクションだといわれている。これは大嘘もいいところだ。(中略)ヴェルヌの偉大な教師たちは科学者というよりは旅行者たちであり、それからまたホフマンとかポーとかいったある種の作家たちなのだ。(中略)科学の夢などではなくて、さまざまな夢に関する科学なのである。」

「世界はサイクルであり、点はそれを縮小したものである。(中略)極とは凝縮された地球である。(中略)〈〔驚異の〕旅〉の地球全図は、ヘーゲルがエンチクロペディーについていったように諸円の円である。到るところにある円周、すべてのサイクルが挿入されるサイクル。形式的想像力は縮小化の段階に沿って、閉じた有限な世界という全般的なシェマを反復するが、この段階というのがまさに、あらゆる場所を含む円周から場所をもたない点へ、円から極へ、到るところからどこでもないところへと進むのである。島は水の円の中にある最小のミクロコスムである。閉じているから、そこに入っていくには奇跡を要する。上方には空気に押し上げられる気球があり、下方には海底の狭路を通り抜けてまん中あたりに噴火口の火の柱がある。空気の、水の、火の、土の奇跡。ひとがそこに到達するのは難破とか懲罰とかいったカタストロフの折りである。接岸、到着、上陸が救いの港を意味する以上に一つの危険を意味することを知るには、船員になってみなくてはならない。ヴェルヌの作品にあっては、人々は島の上に投げ出される。すなわち、世界に投げ出されるわけだ。(中略)閉じているから、そこから外に出るにも奇跡によるしかない。たとえば遭難者を探しに来る救援隊である。閉じていて、完結しているのだ。というのも、この島にはすべてが、世界の動物相、植物相、諸鉱物があるからである。島の見取図が教えてくれることは殆どないし、それは多種多様である。だが、その断面図や立面図は文句なしの不変性を示している。島は大抵円錐形であって、全地平線を一挙に眺望しうる山を頂いているが、この山は火道によって貫かれている。これが極である。島には地球と同じく穴がうがたれているのだ。これは時間が流れる井戸である。こういうわけで、島は一つの円であり、その中心のところに、見取図に垂直に、時間の円が滑り込んでいるのである。極をもった大地や火山のある島は永劫回帰に貫かれている。循環的な時間の井戸、世界の誕生と死、神秘の島の奥底にひそむ永遠のアダム。それゆえ、円は点であり、点は円なのであって、証明すべきことはこれであった。」

「アリアドネは糸を与えて、歴史を、テセウスを、彼女の恋人を救い出す。彼女は極の井戸を見せてくれる。(中略)アリアドネは最後から二番目のサイクルと、永劫回帰の中で財宝が埋もれている点とを発見した。彼女は戸口にいる。彼女は扉を指し示す。彼女は扉であり、出口なのだ。(中略)彼女が守っているのは循環的な時間である。(中略)ナージャはストロゴフを魔法の円から、彼の父親たちの三重の重みから解放する。エノガトはジュエルを欲望の迷宮と物語の三重の生成から解放する。パスパルトゥーもフォッグもインド婦人を死から解放するわけではない。謹厳なロンドン子〔フォッグ〕を八十日という無益な円から解放するのは貴婦人の方なのである。(中略)女こそ〈〔驚異の〕旅〉シリーズの主要登場人物であり、その鍵なのである。ヴェルヌの作品は、欲望の解放を称える一大賛歌なのだ。」



「インターチェンジ」より:

「つい今しがた大人になった私、ずっと以前から大人であった私は、自分の内にある子供という痛ましい死骸の残り少ない断片を探してみようと思った。この子供は相も変わらずシベリアや氷原や太平洋に魅せられている。海も、私の生半可な学問も、生活の火もこの子供をヴェルヌから解き放ってはくれなかった。目の見えないこの子供は、ナージャの肩に手を置いて、旅をし続ける。」


「毛皮を着たヴィーナス」より:

「私はヴェルヌを愛読した理由を今にして理解する。あれは、間違いなく、戦争や流血や涙からの、夢想による保護だったのだ。(中略)あれはまた飢餓を癒すものでもあった。私が地理学を好んだのも同じ理由からだった。章の終わりごとにでてくる何百万キンタルにのぼる米、小麦、肉の山積みに、私は満ち足りた思いを味わっていたのである。」


「燃える(列島と黒い)インド」より:

「火を制御するということは、一個の問題にすぎず、さらには、一連の規則的な調整操作にほかならない。歴史的な愚行は、これを科学者たちの手に委ねてしまったことである。というのも、彼らは、科学は危険な場所とは関係がなく、文化的に関係がなく、またそこに根ざしているわけでもないと信じこみ、無邪気にも純真にも、このすべてを政治家たちの手に委ねてしまったからである。」
「新しい火の誕生を眺めるとき、直ちに気がつくのは、それがイランから来ていること、火の宗教とはイランだということである。エネルギーや、それが与えてくれる力は、すでに二元論によって横取りされているということである。」
「火を制御するということは、さまざまな解答のある一個の問題にすぎず、さまざまな応答のある一個のプログラムにすぎないのである。問題は、われわれの制御の場所を制御することなのだ。火に関する知を、ということは一切の知を、それが出現したこの場所からそのままの姿で奪い取ることである。プロメテウスは火を発明したわけではない。彼はある場所から別の場所に運ぶためにそれを盗んだのだ。しかし、これは同一の場所であって、神々も人間同様、相互にいがみ合っていたのである。イランの二元論のとりこになって。哲学の課題は、古くからの癒着を切り離し、順序関係によって構造化されてもいなければイランの鋤の刃で耕されてもいない空間の上と中へ、火を移し変え、エネルギーを輸送し、翻訳を行ない、力を転写し、そう、知の評価換えを行なうことである。自由な、裸の、平坦な、白い、滑らかな、線引きされていない空間の上と中へ。(中略)制御ではなくて、移動なのだ。耕作ではなくて、葡萄の収穫なのだ。火は良くも悪くもなければ、破壊者でも芸術家でもなく、支配者たちの製造者や奴隷たちの泥棒でもない。火は火であるというだけのことだ。」

「一連の形象の全体は火によって初めて意味をもつ。」
「火、ゲーム、偶然、戦争。テキストは暴力と同じく四散する。制度や規則によって凍結された暴力と同じように閉ざされて。今日、熱い雲の中で暴力と同じように開かれる。物語は機械と同じように爆発する。雲という形態が科学を襲うように、それは文学をも襲う。そして社会をも。」
「火というサイクル全体は、この開き口から脱出する。」
「火山が、〈永劫回帰〉の原動機(モーター)なのである。」
















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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