ミッシェル・セール 『生成』 及川馥 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「それは灰色の海の響きと微風の音、基調のざわめきの中から生れる。無が存在し、多が存在する、そして両者とも可能性である。」
(ミッシェル・セール 『生成』 より)


ミッシェル・セール 
『生成
― 概念をこえる試み』 
及川馥 訳
 
叢書・ウニベルシタス

法政大学出版局
1983年11月4日 初版第1刷発行
1984年8月20日 第2刷発行
4p+249p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価2,200円



本書「訳註」より:

「noise 「本書はもともとこの語をタイトルとしてもっていた。ノワーズとは古いフランス語の古びた単語、響き(ブリュイ)と怒り(フュルール)、ものの騒がしい混乱と人々の憎しみを表わす語である。ノワーズは渾沌を示す」と裏表紙にあるように、ノワーズは騒々しい雑音と激怒狂乱とを同時に示す本書のキーとなる語である。なおノワズゥはその形容詞の形である。」


Michel Serres: Genèse, 1982

本書にでてくる「ノワズゥな美女」(la belle noiseuse=美しき諍い女)はバルザックの「知られざる傑作」にでてくる未完成の絵のタイトルです。


セール 生成


目次:

短い話
 本書の意図
  1 ノワズゥな美女
   2 アルバのバレー
    3 集団的狂乱
     4 時間の誕生
      夢

       原註
        訳註
         訳者あとがき




◆本書より◆


「ノワズゥな美女」より:

「ライプニッツには混乱、響きと怒り(ノワーズ)、騒音、激怒狂乱を否定しないだけの深さはあった。どうしてもフランス人は 響きと怒り(ノワーズ)という語を保存しなければならない。それは無秩序のように否定的な用語でしか指示されない一つの状態をいうための唯一の肯定的(ポジティヴ)な用語だからである。この 響きと怒り(ノワーズ)の海はいぜんとしてそこにあり、現前し、危険である。もちろん恐怖で戦慄させる何物かがあるのだ。」

「騒々しい、無政府的な、ノワズゥな、色合いの変化する、虎斑(とらふ)のある、縞のある、まぜこぜの、無数の色彩と色調とが入りこんだ多は、可能なものそのものである。それはいくつかの可能なもののひとつの集合であり、可能なもののまさに集合でありうる。
 それは潜在力ではなく、力の逆そのものである、しかしそれは能力(カパシテ)である。この騒音は開口部である。ギリシャ・ローマの古人は渾沌について、それがなかば開いているといったというが、それはもっともである。多は開かれていて、それから自然が生れるが、それはいつでも生れつつある自然なのだ。われわれは多から何が生れるか予言することはできない。多の中で、ここに何があるか、そこに何があるか、われわれは知ることができない。」

「哲学者の役割とすべきこと、哲学者が配慮し情熱をもつべきことは、可能なものをできるだけ保護することである。(中略)哲学者は変種を交配させてふやす庭師であり、原始林の群山を保護し、(中略)歴史と持続の新しい時間をもたらす天候に注意する、哲学者は多様性の牧人である。
 哲学者にはもはや道理がない、彼は存在も真理ももたないのだ。(中略)彼は可能性を自由にのばすことを念願とする。希望はこの周辺部にあるし、また自由もそこにある。」



「アルバのバレー」より:

「「存在」は白くそしてまったく一様に透明である。」

「白く、非限定的なものを「積極的(ポジティフ)」だと私はいいたい。」



「時間の誕生」より:

「時間はまず一つの渾沌である、それはまず無秩序であり雑音である。時間はつねに一つの渾沌であり、それはつねに一つの雑音であり無秩序である。現在、今とは、これらの分離できない混淆である。この渾沌は原始的であるだけではなく、歩くたびに私についてくる、われわれはしばしばそれを忘れている、(中略)渾沌は時間のより大きなかたまりであり、大洋のようなものである。ばら撒かれ、模糊として、ブラウン運動のようである。」

「われわれは哲学に渾沌の概念を導入しなければならない。」
「哲学者は裁判官ではない。もし彼が裁判官や批評家なら、彼は決して生産はしない、彼はもっぱら死をあたえる。(中略)考えようと試みること、生産してみようとすることは、危険を冒すこと、つまり百科全書の分類とは別の波の中でまさに生きることを前提とする。だからこそ渾沌の概念を導入してみよう。
 渾沌は開かれている、それは半開きである、それは閉じた体系ではない。コード化するためには閉ざす必要があり、分類するためには定義するかあるいは境界線で囲わねばなるまい。渾沌は誰の目にも明白である。それは体系ではない、それは多様性である。それは多であり、予期されないものである。渾沌は流れる。それは流れ出る。アルブラ河、白い河。私の耳には、絹のような白い音、ほとんどなめらかな、小さな粒がはねるような、揺れるような音が聞こえる。白い河は方向も正確な岸もなく、ただよい、定まらない。渾沌は漠然たるものである。それは規則に従ったり、掟に従って一定の方向に導かれたり、流れ出たりすることはない。(中略)理性はこぞって抗議する、(中略)われわれの理性はすみずみまで分類され、コード化されており、習慣と方法は外側からあるいは否定によって、つまりアウトローとノンセンスによって、渾沌を語るようにしむける。しかし私は渾沌を肯定的なものとして述べたい。」

「根源的な時間、渾沌に近い時間は動揺によって作られる。それは波動によって作られ、全体化しえないし、量として捉えることも、階級として捉えることもできず、凍結させることもできない。」

「私は発生状態にある知性の行為のごうごうたる叫び、認識の狂乱をじっくり聞いてみたいのだ。」

「時間と空間にかんしては、私は別のところで、問題ははるかに複雑であり、多くの空間が存在すること、おそらく人の望む数だけ空間が存在するし、またいくつもの時間が存在することを証明した。一から多へ、秩序ある状態から無秩序の状態へとさかのぼることには努力がいる。しかしこの無秩序(デゾルドル)という語は最低の語であって、学者からも無学な者からも嘆かわしい反応を引きだすためにのみそこにあるのである。
 私はむしろこの二つの状態を、単一的状態と多様的状態と名づけたい。一方は結合であり、また他方は分布である。
 無秩序ということは、それを考えることを望まないということか、考えることができないということを意味する。それは反秩序ではない、それはおそらくはるかに精巧な秩序であって、すっかり硬直してしまったわれわれの凡庸な悪い頭では捉えられない、しかもそれができないのは、概念つまり秩序にわれわれが身売りしたせいなのだ、ということにまだ気がつかないほどなのである。
 それゆえに私はまず乱流の状態を考えてみようとしたのである。」
「乱流とは何か。それは媒介的状態であり、また混合した集合である。われわれが無秩序の状態と秩序ある状態を区別すると仮定するならば、乱流はこの両者の中間であり、それは考えることがむずかしい、つまり科学的に研究するのが困難な状態であるが、しかし、始動的秩序か終結的な秩序があるところにも、また無秩序や渾沌のあるところにも同時に、共通して、いたるところに広がっている複雑繊細なものである。いつかわれわれは無秩序(デゾルドル)という名称、つまり秩序を措定することによってしかわれわれが考えられないという前提に立つこの否定的な呼称を、はっきり放棄しなければなるまい。乱流の状態は、一と多を、システマチックな結合と分布を、混合するかあるいは連合させる。システムはそこでは分布の中に出現し、またそこで消失する。分布はシステムの中で出現し、そしてそこで消失する。」

「乱流は 響きと怒り(ノワーズ)から生れる。それはいささか一元的に生れ、自分で自分を作る。それは自己形成し、雑音の中で自己を破壊する前に、海から水をしたたらせて立ち上る。」
「乱流は最初の形体であり、それは最初の塔である。」

「海の騒音の上に立ち上る乱流のヴィーナスを想像しなければならない。」



「夢」より:

「私は一つの塔を建てるが、その塔の名前はまだない。」

「人はさまざまの手段によって多様性を排除できるとつねに想定している。私はそんなことはできないと想定し、できないことを確認する。技術や工学の分野においてもできないことを確認する。私は義務論的に政治的にできないことを願う。
 建築中の塔は新しい合理主義である。」

「私は二元論の地獄から自己を解放しようと試みる。」
「科学は必ずしも一とか秩序の側にはないし、多や雑音は必ずしも非合理の側にあるというわけではない。」

「メッセージのためには雑音が必要である、石材のためには砂が必要である、生物にとって無秩序がどんなに必要なことか、歴史にとってざわめきがどんなに必要なことか。」

「私は塔を建てない、私は街みたいなものが建つのを眺めている、私は全然建てはしない、それはできてくるのだ、(中略)あまり多くて算えられないこちらの塔は消えてしまう、崩れてしまう。」

「いや、塔は存在しない、積分は存在しない、身分の上下関係、次元もない、(中略)一般的な秩序の構造は存在しない。(中略)したがって多や雑音や渾沌にひたされた断片的ないくつかの秩序がある。必然性はそこでは偶発事の中にはじけるように輝き、ひとはざわめきのただ中で必然のメッセージを聞く。」

「これらのヴァイオリンの演奏を聞きたまえ、真の音楽的ハーモニーを聞かせる人は、破局的な雑音とすれすれの限界に接近している。彼はその弓でこの境界に火をつける。弓の松脂が溶けるようにこの火をかきたてるのだ。」





こちらもご参照ください:

ミッシェル・セール 『青春 ジュール・ヴェルヌ論』 豊田彰 訳 (叢書・ウニベルシタス)



































































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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将来の夢: 石ころ。

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