ミッシェル・セール 『パラジット』 及川馥/米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「食客の理論は、状態の変化の超微細な価値査定へとわれわれを導く。この理論は思いもよらない連鎖を明らかにする。そこでは小さな原因が、あるいはきわめて微細なずれが、なんらの影響も及ぼさない場合もあれば、均衡回復の効果あるいは抵抗力強化という結果をもたらすこともあり、あるいはまた膨大なそして破局的な結果をもたらすこともある。」
(ミッシェル・セール 『パラジット』 より)


ミッシェル・セール 
『パラジット
― 寄食者の論理』 
及川馥/米山親能 訳
 
叢書・ウニベルシタス 222 

法政大学出版局
1987年11月20日 初版第1刷発行
1993年2月10日 第2刷発行
viii 454p 人名索引4p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価4,326円(本体4,200円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は Michel Serres, Le Parasite, Grasset, Paris, 1980 の全訳である。」
「パラジット parasite とは食客、居候、寄食者(中略)のことなのだが、これはヨーロッパの伝統ではきわめて古い語であるとともに、セールのいうように最古の職業であって、(中略)ギリシア、ラテンの多くの書物に顔をだすおなじみのものである。ところがこの同じ語が、生物学においては寄生生物、物理学においては雑音あるいは雑音を生じさせる電磁波、情報科学においてはノイズすなわち必要な情報に混ざって出てくる不必要なデーター、等々なのである。このようにこの語は、食客、寄食といった社会現象のみでなく、免疫学、生物学、情報理論、歴史理論など、広い分野をカバーする古くて新しい語である。いわゆる学術用語はもともと厳密な語であたとぁけではなく、「厳密科学の基礎的語彙は、知ってのとおり、きわめて古風できわめて日常的な習慣や風習から生じたもの」(本書八頁)なのである。(中略)セールがこのような古い語を好んで使ったのは、そうした語のもつ豊かさ、多義性、創造性に注目したからではなかろうか。」
「なお原著にはないが、(中略)扉にラ・フォンテーヌ『寓話』、「都会のネズミと田舎のネズミ」を今野一雄訳、岩波文庫より引用させていただいたこと、および副題「寄食者の論理」をつけたことをお断りしておく。」



セール パラジット


目次:

第一部 中断された食事/もろもろの論理学
 ネズミのごちそう/瀑布
 サチュロスの食事/招待者の二重性
 漸減する生産性/暗闇と混乱
 決定、裁断/包摂された第三者、排除された第三者
 ライオンの食事/一方向への矢印
 闘技者の食事/偏差と現実の構築
 悪漢物とサイバネティックス/新しい均衡
 五旬節

第二部 続・中断された食事/技術、労働
 ネズミのごちそう/二極管、三極管
 ゆらぎ論理
 主人と反-主人
 続・ネズミのごちそう/機械および道具
 手段、中間
 変換空間
 月の形をしたごちそう
 楽園での殿様の食事
 労働
 昆虫たちの食事
 エネルギー、情報
 神々、永遠の招待者

間奏曲 寄食者の全身像
 告白された食事
 ジャン=ジャック、立法者を裁く
 雑音
 音楽

第三部 太った牝牛とやせた牝牛/経済
 サラダの食事/土地私有権の糞尿的起源
 風刺の食事/交換と貨幣、正確とゆらぎ
 兄弟に囲まれての食事/ジョーカーの理論
 栗の実の食事/太陽と記号
 牝牛が川から上がってくる/貯え
 牝牛たちが牝牛たちを喰らう/列〔尻尾〕の理論
 最良の定義
 病気一般について

第四部 夜の宴/社会
 詐欺師の食事/分析する、麻痺させる、触媒作用をする
 招待主本来の名前/主人と奴隷
 準-客体の理論
 空の食卓/愛について
 悪魔/愛について
 最悪の定義
 物語、動物

原註
訳註
訳者あとがき (米山)
人名索引




◆本書より◆


「第一部」より:

「もし招待主(オート)が徴税吏であるならば、私は彼を政治的意味における食客であるとみなす。それは、人間の集団が一方通行の関係において組織化されているという意味である。つまり、一方は他方に寄食するのであるが、後者は前者から何らの利益も得ないという意味で食客なのである。(中略)私はこの半導作用、整流弁、一方向への矢印、方向の逆転なき関係を寄食性〔寄生性〕(パラジテール)と呼ぶ。さらに、招待主(オート)が農業経営者(アグリキュルトゥール)であるならば、私は彼を経済学的意味における食客であるとみなす。(中略)牛乳や住居や仕事や肉を人間に提供してくれる乳牛や樹木や肉牛に、人間は何をあたえるのだろうか。いったい何をあたえてやるというのだろうか。死をである。」

「ところで食客(パラジット)のつくるこの星座はひとつの定数である。われわれはそのことを確かめねばならないであろうが、それは寓話から歴史に至るまで、喜劇から哲学に至るまで、空想から科学に至るまであらゆるところに見出される星座なのである。策略に長けたユリシーズは、羊の長い毛に巣くうもののように、牡牛の腹にしがみついて、片目の巨人キュクロプスの洞窟から脱出する。彼はアルキノオス王の宮殿での祝宴には自らの教訓的な身の上話をもってその支払いとする。(中略)そして最後には、今度はやつらの方が食客として振舞っている求婚者(プレタンダン)と呼ばれる者どもを、自らの弓をもって排除しなくてはならない。西洋のもっとも古いテクストであるこの『オデュッセイア』は本書と同じタイトルをもちえたかもしれない。主題は同じなのだ。おそらく私はもう一つの『オデュッセイア』を書くことになるだろう。」

「一つのシステムはしばしば一つの調和として記述される。(中略)しかしながら、完璧に作動するシステムは一つとしてない。つまり、漏洩も、損耗も、摩滅も、誤りも、アクシデントも、不透明さもないシステムは知られていない。(中略)次のような命題、すなわち「それはうまく作動しないからこそ作動している」という命題が真実であるかのようにすべては生起する。」

「自分たちの理解できないものは壊してしまうような者がどんなに多くいることだろうか。(中略)無秩序と雑音を恐れるあまり、人はどれほど(中略)同質的で冷酷なシステムを構築してきたことだろうか。
 すぐさま問題は一般化される。すなわち、一方の寄生体はシステムを複雑なものへと発展させることにくみし、他方の寄生体はシステムを廃棄する。」



「第二部」より:

「私たちはどんなに幸せだったことだろう。覚えているかい、マルゴ。私たちの問題が、よくいわれるように、未解決なままであった間は。」

「古代および現代の哲学において述べられていることとはまったく逆に、人間は労働する唯一の生物であはない。人間は決してそれほど例外的ではない。動物たちは働いているし、生命ある有機体はすべて同様に働いている。生命は働いている、と私はいいたい。(中略)要するに、ミツバチと建築家との間に私はもはや相違を見ないのである。
 作品は、私の内から、直ちに、蜜のように、クモの糸のように流れでるのだが、いかなる外的な秩序によって私がこの第二の秩序を涵養したのかはわからない。私の身体は絹糸の生成器であり、また言語というこの蜜蠟の生成器である。それは私の五本の指からつむぎだされる長い分泌物である。私は動物のように働いているが、私は労働するのではない。それはゆっくりと、好き勝手にやってくる。動物が本能に導かれてするときもこのようにではないかとふと思う。よくいわれるように、動物にはそれぞれの本能がそなわっているように、私はまさに自らを滲出させる。それは恍惚状態であり、生きもののごく日常的な均衡状態に近寄ることである。私はミツバチであり、クモであり、あるいは木である。私にとって、作品と分泌物との間にはもはや相違はない。しかしそこにはすぐ雑音が存在する。一つの秩序が確立され整えられるその行為のなかにさえ雑音は存在している。」

「人間の寄食は動物の寄生に比較すれば別の等級に属する。後者の単位が一であるとすれば前者の単位は全体であり、(中略)後者の単位が菜園であるとすれば前者の単位は地方全体である。人間にとっては菜園の破壊にすぎなくても、動物にとっては世界の破壊である。
 こういうことはまだ教訓とはなっていないが、しかしそれは重要なものとなっている。自分の菜園を耕すこと、だがまず第一に菜園を破壊しないこと、菜園が破壊されるのを放置しないこと。毒草あるいは雑草という語に相当するギリシア語は毒麦(ジザニー)という語である。毒麦や、雑草を、要するにウサギを畑に入れておくこと。本書は、すでにおわかりのことと思うが、悪の書、悪の問題についての書である。ウサギを追い払わないがよろしい。(中略)やあ、こんにちは、ウサギくん、ずっとここにいてくれたまえ。たまたま菜園にウサギがいるかぎり、いるウサギがほんの一匹であるかぎり、ウサギとうまくやってゆくことである。(中略)これこそ知恵というものだ。(中略)ウサギは魔法使であり、悪魔である。しかし――悪魔ではあっても――良い悪魔である。(中略)ここから寛容が始まるのであり、おそらく教訓もここから始まる。」
「誰が菜園を破壊するのか知りたいものである。確かに、二種類の労働があるらしい。勤労社会の道徳学者(モラリスト)たちは、近頃は危険な存在となっている。」
「われわれの祖先は楽園から追放された。私もまた楽園を去った。われわれはみな追放されているのだ。追い払えば追い払うほど、追い払われる。排除すれば排除するほど排除される。ところが人は排除し続けて生涯をすごすのだ。」



「第三部」より:

「新しいものは外部から起こっている。外部のものは必ずしも否定的なものであるとはかぎらない。(中略)新しいものとは、ごく簡単にいえば、予見できないものである。それは、狂人や、天才や、英雄や、聖人といっしょに、外部に存在している。それらのものが外部に存在しているということはいかにして可能なのだろうか。
 囲いの内部に住まう者は誰であろうと生き長らえ、貯えを食べ、食客となる。そしてそれがシステムの閉鎖を正当化する。(中略)そこから締め出された者は誰であれもはや食べる見通しはたたない。その者はもはや食料貯蔵庫をもたないからである。彼は幸運を探し求めて世をさすらい、自分の見つけたもので自足しなくてはならない。彼は死ぬか狂人となる。彼は手のつけられない狂人となるか、あるいはまた天才の道を歩む。そして彼は生産者となる。土の上で拾い集めた誰の注意も引かないものや、分割の残りものや細胞の残滓や、下水処理場のなかで見つけた汚物や、主人たちの祝宴のパン屑でもって、彼は一つの作品を作ることに成功する。さもなければ彼は死ぬ。作品は彼にとって生か死かの問題である。彼は先ほどの原料のなかに自分の全生命を注ぎ込むことによって生産者となる。私は彼を次のような二重の理由によって大天使と名づける。一つには彼が情報、新しいもの、ニュースをもたらすからであり、もう一つには食客連鎖との関連において彼が必然的に先頭に位置するからである。連鎖の先頭にあること、囲いの外にあること、この二つは一次元か二次元かの相違はあるにせよ同一のイメージである。彼独自の新しさは、選んだ対象から自分の生命を引き出したことではなくて、生産された対象に自分の生命を注ぎ込んだことである。不確定な私の生命、それ以外に新しさは存在しない。
 追放は小さな不幸ではない。われわれは楽園を追放された一組の人間の子孫である。」
「こうして排除された者のなかに死者がおり、、またまれには生産者がいる。そこからふたたび行程が始まる。」





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ミッシェル・セール 『生成』 及川馥 訳 (叢書・ウニベルシタス)



















































































































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