ミッシェル・セール 『分布 〈ヘルメスⅣ〉』 豊田彰 訳 (叢書・ウニベルシタス)

「子供のままでいるのだ。子供になるのだ。(中略)時間を逆転させるのだ。」
(ミッシェル・セール 『分布』 より)


ミッシェル・セール 
『分布 
〈ヘルメスⅣ〉』 
豊田彰 訳
 
叢書・ウニベルシタス 312 

法政大学出版局
1990年1月30日 初版第1刷発行
iii 429p 人名索引5p
四六判 丸背布装上製本 カバー
定価3,914円(本体3,800円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、ミッシェル・セール『ヘルメスⅣ 分布』(HERMES IV La Distribution, Paris, Les Editions de Minuit, 1977)の全訳である。
 ここには、セール氏が一九七〇年代の中頃に発表した諸論文が収められている。」



セール 分布


目次:




 点、面(網目)、雲

 原動機、(付)後退
小川
 狼、鳩、娘の指し手

カオス
 永劫回帰
分子
 ボルツマンとベルクソン

混合
 スープ、嵐、女
腐敗
 『アンチクリスト』――感覚と概念の化学

襤褸
 言説と行程
群衆、市、荒野
 スペクトル分析

暗騒音
 言語の起源

航海
 船位推算

原注
訳注
訳者あとがき
人名索引




◆本書より◆


「嵐」より:

「歴史の黎明以来、哲学者の仕事は疑うことにある。そしてまた再び、たったひとりで、ひとりで絶望し、一切のグループから離れ、いかなる権力をも永久に剥奪され、たったひとりで、力のどんな見せかけも拒否し、自分らの利益のために辞書を盗んでいった者どもによってあざむきのことばを奪われ、透明になるまでにひとりである私は、すべてを疑っていくであろう。昔の世界、木々、天、地と海だけでもなければ、苦悩と平安に貫かれた私の身体だけでもない。諸々の力が築き上げた世界、単なるイメージであるどころか到るところでしかと見定められる欺瞞の諸力が築き上げた世界を疑うのだ。これらの力がその綺羅を飾っているこの世界という劇場をである。」


「混合」より:

「われわれは世界から排除されている。テキストの中に、単語の中に、文章の中に、言語の中に、語られたものの中に、書かれたものの中に、横たわるものの中に、主体の対象の中に閉じ込められているのだ。諸文化、諸イデオロギー、ひとを締めつけるさまざまないかがわしいしきたりからなる政治的場所(ポリトープ)の中に排除されているのである。われわれが知覚するものはといえば、もはや計算だけである。繁文縟礼、相手の裏をかこうとする駈け引き、嘘の代数学とでもいったもの。哲学はある種の人々(モンド)に迎合して、世界(モンド)を見失った。哲学にはもはや物が見えず、物がこわくなり、物の重さを見積ることも、それらの活発なエネルギーを評価することも、もうできないのである。(中略)主体が私からわれわれに、忠実性から恣意性に、必然性から文化に移動するからといって、観念論の機能の本質的なものが、いささかなりとも変化するわけではない。つまり、対象の世界を括弧に入れて、もはやわれわれの表象だけにしか注意を払わないことにしようというわけである。(中略)物ではなくて、その効果、その語られた効果、その盗まれた効果だけなのである。物理学ではなくて、言語活動なのだ。確かに世界は以前より尊大(アンペリエ)でなくなるが、われわれは世界の支配と引き換えに、人間集団と人文諸科学の帝国主義(アンペリアリスム)を受け入れてしまったのだ。(中略)語られた効果と掲示された諸表象の哲学、そして圧力集団の権力の哲学。ことばの、隔壁の、錯覚の牢獄から自らを解放しなくてはならない。外へ出るのだ。(中略)物じしん。そうだ、唯物論へ、忘れ去られた唯物論へ回帰するのだ。」

「百科学的な系列が再び始まる。天文学。ニュートンの引力は、エンペドクレス的な愛なのだ。(中略)初めてスタート・ラインに立った者にとっての、知の信じ難いまでの陶酔。(中略)毎日が新しく、世界の美しさは増すばかりである。毎朝が彼にとっては(中略)新たな言語の中で万物が結びうる同盟である。(中略)民衆の学問はその振動によって、理論とエロスとの不可避的な混合によって、それと知ることができるであろう。ある体系が誤謬とエロスという二つの振動するためらいを除去するや否や、それは支配階級の産物になるのだ。誤りを犯すことのできない、そして情動的な(パテティック)面を空白にする病んだ理性。パトス、パトスの論理(patho-logique〔=病理学〕)は、認識の健全な部分である。民衆をたわ言や教義によって押しつぶす代わりに、彼らに学問の道を開いてやれば、(中略)権力は感情の洪水の中に崩れてしまうことだろう。(中略)知は歓喜と涙の側に属するものなのだ。(中略)というのも、打ち明けていえば、かつて偏微分方程式が私を感動させたことがあるからであり、そのとき私は潮汐のリズムを計算する前に一個の振動する絃であったからである。」
「百科学も一つのサイクルなのだ。すべてのサイクルのサイクルであり、一切の循環、一切の交換、一切の混合に関する包括的な知なのである。そして、それだからこそ生命が問題になるのだ。循環を停めて見給え。海は塩とごみと結晶とで埋まってしまう。それはごみ箱としての海だ。死んだ海だ。それは死である。海は走り、輸送し、循環し、交換し、混合する。海は生きる。このように知も生きるのである。(中略)百科学とは海なのだ。サイクルのサイクルとしての海なのである。(中略)ライプニッツにとって、知とは、恣意性を伴わずにはエチオピア海とかカレドニア海とかに分割できない海のことである。(中略)ライプニッツにとって、知は分離できないものである。水っぽい環境における結合法の網であって、場所伝いに肥沃になっていくものである。(中略)流動的な百科学者であるライプニッツは、異宗派協調論者(イレニスト)である。海、平和。」

「プラトンの『ティマイオス』。一人の非常に年老いたエジプトの神官が語る。ソロンよ、ソロンよ、あなたがたギリシャ人たちは、いつまでも子供なのだ。ギリシャ人が年をとるということは決してないのだ。あなたがたはことごとく、心が若い。あなたがたには、古い伝統に根ざした昔からの信念もなければ、長い年月を閲した科学もありはしない。それは、火、雷、火災、太陽の息子であるパエトン、それから焰が歴史を破壊するためだ。それは、水、大水、洪水、それに海が歴史を断ち切るためだ。火や水の手から記憶を保護し、血統を守るか、さもなくば、天変地異が起きるごとに再び無知蒙昧になり、永劫回帰のサイクルごとに幼児にかえるかである。ギリシャでは、記録文書は失われてしまった。」
「ギリシャは燃え、アメリカは燃える。文書や古い系図を燃やすのである。ばかげた引き写しの反復を。それは新しい時間を創り出す。幼年期の時間を。(中略)幼年期の時間、科学の黄金時代は、系譜的な時間を逆転させる。プラトンは『政治家』の中で、そのことを語っている。老人が子供になると。(中略)記憶の保管庫をもたない子供の時間。幾何学は子供たちの時間である。ギリシャの少年幾何学者たち。(中略)伝統、規則、規範を屁とも思わぬ新来の、無知で無学な子供たち、水と火の息子たち、(中略)オイディプスから、系譜を抹消し、謎を解決する教育を受けた者たち。化石化したステレオタイプを大口を開いて笑い飛ばすようにと。(中略)最も正確に受信して、伝統的な連鎖の中で次の場所にいる人に順序よく伝達するのではなくて、循環の向きを逆転するのだ。川上に向かって伝達するのだ。老人たちはもはや何も知らない。(中略)エジプトの神官たちも、(中略)ヨーロッパの父祖たちも。ギリシャ人たるものは決して老いることがなく、(中略)子供のままでいるのだ。子供になるのだ。親は消えていく。(中略)時間を逆転させるのだ。驚くべき発見であるが、科学史は系譜学と相い容れないのである。そして多分、歴史とも。」



「暗騒音」より:

「内岸の絶えざる崩潰と山々の非可逆的な侵食の中にあって、流れるけれども安定な川。ひとはつねに同じ川に身を浸すのであるが、同じ岸辺に腰をおろすことは決してないのだ。川の水は、蒸発や雨や雲に対して開いた系として、その流れの中、そのクレオドの行程の中にあって安定している。それはいつでも、しかし確率的に、同一の水をもたらす。徐々に壊れていくのは、固い岸辺の方だ。安定なのは液体で、不安定なのは、磨滅する固体である。ヘラクレイトスとパルメニデスは、二人とも同時に正しかったのである。だからこそ、ホメオレイシス(homéorrhèse)である。生きた系は、ホメオレイシス的なのだ。
 可逆的ではないとはいえ、殆ど安定しているこの川、落ち着きの悪いずれの上で、そして死に向かうその流れの中でほぼ平衡を保っている流水、それはエネルギーと情報、つまりエントロピーとネゲントロピーを、秩序と無秩序を運ぶ。(中略)生きた有機体は、個体発生・系統発生の別なく、あらゆる時間に属している。その意味は、有機体が、永久的なものであるというのではさらさらなくて、われわれの知性が分析し、われわれの実践が識別し、あるいはわれわれの諸空間が支えている一切の時間で織り上げた独特の複体であるということである。ホメオレイシス的ということばは、少なくとも次のことを意味する。流れ(rhèse)は流れていくのだが、類似性が川上に向けて成長し、抵抗するということである。向きあるいは矢印を備えたすべての時間的ベクトルは、ここ、この場所では、星状に配置されている。有機体とは何か。時間の束である。生きた系とは何か。時間の花束である。
 こういう結論がもっと早く出ていなかったのは、全く驚くべきことである。おそらく、多重時間性というのは、直観するのが難しかったのであろう。しかしながら、われわれは、身の回りの事物がすべて同一の時間に属するものではないことを、何の苦もなく受け入れる。エントロピーの海の上あるいは中にあるネゲントロピーの島々、あるいはボルツマンの意味での個々の宇宙、つまり、増大するエントロピーの中における局所的な秩序の溜り場、灰燼のただ中にある結晶の保管庫、これらはどれもこれも、われわれの眉をひそめさせるようなものではないのだ。生きたシレイシスが、海と島々とを再結合する。全く新しい意味で、有機体は共時的なのである。(中略)有機体は、時間的なインターチェンジの上に立っているのだ。いや、有機体は時間のインターチェンジなのである。」

「流れの中にあって、殆んど安定している乱流。今後は、存在するとか認識するとかいうことは、次のようにいい換えられることであろう。ごらん、ここには島々があるよと。稀有な、あるいは幸運に恵まれた島々。偶然的に、あるいは必然的に生じた島々。」



「訳注」より:

「ホメオレイシス(homéorrhèse) セール氏が、恒常的な静止状態を含意するホメオスタシス(homéostasie)に対置するべく作った語。恒常的な流動状態をいう。」




こちらもご参照ください:

ミッシェル・セール 『五感 ― 混合体の哲学』 米山親能 訳 (叢書・ウニベルシタス)




























































































































































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