ロジェ・カイヨワ 『メドゥーサと仲間たち』 中原好文 訳 (新装版)

「人類がおしなべて現に仮面を着けているか、あるいは過去において着けたことがあるということは一つの事実である。この謎めいて、有益な目的をもたない小道具は、梃子や弓や銛、あるいは鋤などの道具よりも広範に行き渡っている。いくつかの民族全体が、(中略)もっとも貴重なこれら道具のかずかずを知らずに過してきた。ところが彼らはいずれも仮面というものは知っていたのである。」
(ロジェ・カイヨワ 『メドゥーサと仲間たち』 より)


ロジェ・カイヨワ 
『メドゥーサと仲間たち』 
中原好文 訳
 
新装版

思索社
昭和63年10月10日 印刷
昭和63年10月28日 発行
193p 図版12p
四六判 丸背紙装上製本
定価1,800円
装丁: 高麗隆彦



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Roger Caillois: Meduse et Cie., Gallimard, Paris, 1960 の全訳で、邦題もほぼ原題そのままである。」


邦訳初版は1975年、本書はその新装版です。
別丁モノクロ図版19点。


カイヨワ メドゥーサと仲間たち 01


目次:

問題提起
  対角線の科学
  擬人主義(アントロポモルフィスム)に関する短い覚え書

自然に復原(もど)された人間
  ウスバカマキリについておこなったある研究について
 1 紋様か構想か
  蝶の翅
  自然の絵画
 2 対比と類似
  擬態のもつ三つの機能
   変装(トラヴェスティ)
   偽装(カムフラージュ)
   威嚇(アンティミダシオン)
    1 眼状紋
    2 メドゥーサ
    3 妖術
    4 ビワハゴロモ
    5 結論

原注・訳注
訳者あとがき



カイヨワ メドゥーサと仲間たち 02



◆本書より◆


「対角線の科学」より:

「認識における進歩というのは、ひとつには、あらゆる表面的な類似性をしりぞけて、深い、恐らく目にはそれほどつきにくいかもしれないが、より重要で、意味深い親縁性(パランテー)のかずかずをあばき出すことにある。十八世紀においてもなお、動物を脚(あし)の数によって分類し、たとえば、トカゲとハツカネズミとを同類として扱うような動物学上の著作がいくつか公にされている。今日では、トカゲは、脚はまったくないけれども、同じように卵生動物で鱗(うろこ)に覆われているナミヘビ科と同じ項目に入っている。これらの特質は、当然のことながら、脚の数という、最初に人目を奪った特質よりもさらに重要ないくつかの帰結からはっきりと浮かびあがってきたものである。同様にして、その外見にもかかわらず、鯨が魚の仲間でないことも、コウモリが鳥の一種などでないこともよく知られている。
 私はわざと初歩的で異論の余地のない一例を取りあげてみた。だが、ごくおおざっぱにもせよ、もろもろの科学の成立に関する歴史をひもといてみるならば、すぐさま、そこには無限ともいうべき罠のかずかずがしかけられていて、科学者たちがたえずそれらの罠を避けながら、有益な識別基準、つまりそれぞれの学問分野を固定するさまざまな識別の基準に誤りがないかどうかを確認してきたことに気付くのである。
 あまつさえ、これらの罠、人を欺きやすいこれらの外見は、単なる見せかけでないばかりか、実を言えば外見ですらもない。それは現実なのであって、それらの現実には、他のいくつかの現実に対して与えられる係数に比べてより重要性の低い一つの係数が最終的に結びつけられたというにすぎないのだ。トカゲだとかカメは、哺乳類などではまるでないのに、哺乳類同様四肢をそなえているし、コウモリは、鳥の仲間でないにもかかわらず、翼をそなえている、というようなことは疑いようのない現実なのである。」
「だから、視点をどこに定めるかによって、二義的なもの、あるいは問題にもならないとされているようなこれらの分類の仕方が、突如として本質的なものとなってくる場合もいぜんとして存在するのである。たとえば、私が羽の機能を研究しようと思えば、今度は、コウモリを鳥のみならず蝶や蛾とさえも結びつけ、それぞれの成員をいくつかの異なった種類、つまり無脊椎動物・鱗翅類、脊椎動物・鳥類、等々に分類せしめるにいたったさまざまな理由(中略)のいかんにかかわらず、羽族全体を調べてみなければならなくなることは明らかである。さらに、私が羽のもつ機能の特殊な一面、たとえば、定点飛行、つまり羽の振動によって空中の同じ場所にとどまったまま、体を静止状態に保つ飛び方を検討するものと仮定するならば、私はハチドリとスズメガ科のホウジャク類というように、近接した種類には属していない動物の図解説明に頼る以外になす術がないわけであり、これらの動物はいずれも花の上方に静止し、口吻または長い尖った嘴をもちいて、花から離れたまま食物を摂取するのである。」

「科学者というのは、たとえば、生体組織の瘢痕(はんこん)形成と結晶組織の瘢痕形成とを比較することなどは一つの冒涜、スキャンダル、ないしは妄想と見なしがちなのである。にもかかわらず、事実に徴してみるならば、結晶体も有機体同様、思いがけぬ出来事の結果自らのうちに生じた毀損部分を構成し直すのであり、被害をこうむった部分は一段と活発な再生活動の恩恵に浴するのであって、この再生活動の増大は、きずによって創り出された損壊、不均衡、不相称の埋め合わせをすることを目的としているのである。(中略)ともあれ、ひとつの強力な作用が生じて、それが、動物におけると同じように鉱物においてもその規則正しい秩序を回復するということは事実なのである。私は、無生物と生物とを隔てている深淵を知ることにおいて人後に落ちるものではない。だが私はまた、そのいずれもがさまざまな共通の特性を示しうるのであり、これらの特性は、無生物であると生物であるとを問わず、その構造の全体性を回復しようとする傾向をおびているのだとも考えるのである。むろん私とて、数限りない世界を包みこんでいる一つの星雲と、海中に棲息するなにか軟体動物の分泌によって作られた一箇の貝殻とを比較対照するなどという試みは、それがたとえいかに控え目なものであろうと、人を見くびったものであることぐらい知らないわけではない。にもかかわらず、私にはそれらが二つながら、螺旋状の発達という同一の法則に従っているものと考えられるのである。しかも、螺旋というものが、とりわけ、相称と生長という宇宙の基本的な二つの法則の綜合をおこなうものであってみれば、これとてなんら驚くにはあたらないであろう。螺旋とは生長発達における秩序を構成するものなのだ。生きものも、植物も、あるいはまた天体も等しくその支配を受けざるをえないのである。」



「偽装」より:

「コノハチョウ(Kallima)という蝶は、その主たる葉脈と葉柄だけを残した、披針形形の枯葉のような姿を示す。ナナフシの雌は、緑色もしくは黄ばみつつある木や草の葉を模倣する。ブラジル産のドラーコニア・ルーシーナ(Draconia rusina)という蝶は、ポールトンによって研究されたものであるが、その翅には極端に深い切れこみをもったぎざぎざや、細い翅脈の走っているいくつかの透明な斑点があり、鱗粉がその斑点をいっそう強烈に描き出しており、そうしたものがこの蝶に、毛虫にいためつけられ、茸にやられて、黴の生えた落葉のような外見を与えている。」
「このような例は数え切れないほどある。ブラジルに生息するフロエイド科(Phloeidae)の昆虫は見まごうばかりに地衣を模倣しているし、カミキリムシ上科(Chlamys)の昆虫は植物の種子そっくりであり、ツノゼミ類のウンボーニア(Umbonia)は棘に、アズチグモは鳥の糞に似ている。
 そのうえさらに、姿態(アティテュード)がその形を補ってより完全なものとしている。昆虫は一般に認められている類似性を最大限に利用することのできるような行動を本能的に採り入れるのだ。そこから、なにはともあれ、そうした類似性を単なる錯覚であると見なすことはどうしても困難であり、あるいはまた、いかなる影響力ももたないにせよ、同じ一つの目的に向かっているかのように思われる植物と動物との類似的な適応作用の驚くべき結果をすらも単なる錯覚と見なすことはある程度困難になるだろう。なぜならば、類似性は開発されるものだからだ。ナナフシはその長い脚をだらりと垂らしたままにし、コノハチョウはその下翅の一部が伸びてできた尾状突起を茎や樹幹にくっつけて、それを自分が模倣している草や木の葉の葉柄のように見せかけようとする。(中略)シャクトリムシは、自分が真似ている灌木の若い枝木のように、体を硬ばらせて直立したままでいるので、時として庭師に刈込みばさみでちょん切られたりする。」

「ところが、擬態は有害なものではないにしても、無益なものである。昆虫の外敵は獲物の臭気だとか運動によってその存在に気付くのであり、外見によってその存在に気付くのはごく稀なことだからである。(中略)しかも、プテロクローザ(Pterochroza)という大型のバッタに関して、ヴィニョンがきわめて適切に指摘しているように、手つかずで無疵の葉も、いたんだ葉と同じようにやはり葉であることにかわりないのだ。そこからただちに、これらのバッタたちをして、枯葉だとか、なかば分解し腐敗した葉の疵や黴、さては透けて見える部分などまで模倣させる、この過度の凝(こ)りようは一体何の役に立つのかという疑問が生まれてくるのである。
 擬態という現象はいぜんとして神秘にとざされたままである。」



「威嚇」より:

「さしあたり、私は眼状紋の効力を書き留めるだけに限ろうと思う。」
「まさしく、問題は、眼状紋が目を真似て描いた紋様、目の見せかけであるかどうか、そしてその機能が昆虫のかわりになにかの脊椎動物がいるのだと思いこませることにあるのかどうかを知ることである。ここで思い出しておいた方が良いのは、固定されたどのような円もおのずから催眠的な作用をもっているということである。長時間見つめていると、それは見る者を不安にさせ、麻痺させ、眠りこませるのだ。しかも暗い、空虚のような中心の周囲にある鮮明できらきらと輝く環がその円に目のような姿をとらせるということ、それがまさしく不安と恐怖との補助的な源泉であり、魅惑と眩暈の可能性を増大させるのである。こうした曖昧さが純粋に視覚的な作用につけ加わり、人間にあっては、想像力を揺さぶるのだ。
 私には、眼状紋が目の略図などではないということを証明するのは不可能なことではないように思われる。まずもって、類似の根拠となっているのは、目という器官とこの紋とに共通に見られる円い形状だけである。しかし問題は二つの異った現実なのであり、そのいずれかが他方を連想させたり、その象徴となったりしているのではないということをもっとも見事に証明しているのは、これら二つの現実がたがいに連合されうるということである。(中略)見えるのは大きく見開かれた目だけであるが、それはもはや目などではない、すなわち、単純で当り前の視覚器官ではなく、さながらあの世からでも現われ出でたかのごとき超自然的なまぼろしであり、大きくて、盲で、無感覚で、燐光を発し、幾何学の図形のようにじっと動かず、奇妙なほどの完成度を示しているのである。一つの神話がほとんど一致して期待に応えるにはもはやこれで充分であろう。フクロウとミミズクとは縁起の悪い鳥であり、死の前兆であり、悪意に満ちた魂の化身なのである。眼状紋のもつ幻惑の力とはこのようなものなのだ。」
「兇眼、つまり、眼状紋は呪いをかけ、呪いを運ぶ。この不吉な眼差しから遁れ、なにか適当な魔除けによってそれから身を守ることが大切である。もっとも良いのは、その脅威を外らし、敵と自分との間に、同じように不吉な呪いの効力をそなえた目から発する、恐ろしい力を置くことである。」

「ペルセウスはとある洞窟の中で眠りこんでいるゴルゴーンの三姉妹を見出す。目をそむけ、鏡に助けられて、彼はメドゥーサの姿を直接見ないでその首をはねる。(私は彼がむしろ、その怪物に、見る者を眩惑する自分自身の顔を射返すために鏡を利用したのではないかと思う。)
 切り落された頭についている眼差しはその効力を完全に保っている。(中略)彼はこの無敵の武器によってアトラースを山脈に変え、ポリュデクテースやその他の者を化石にする。」
「ある人びとによれば、(中略)彼はそれをアテーナーに捧げ、アテーナーは火と鍛冶の神、ヘーパイストスに依頼してそれを自分の楯の上に着けてもらったという。」

「擬態と眼状紋との関連は単なる偶然によるものではありえないだろう。これら二つの現象の間には一定の脈絡があり、それを明らかにすることこそ望まれるのだ。私としては、見るものを眩惑するこれら眼状紋が露呈するメカニズムの中にそれを認めることができるように思う。眼状紋が存在するというだけでは不充分で、それが不意にあらわれることが必要なのだ。最初見えなかったのに、爆発でもしたかのように、突如としてくっきりと現われ出ることなのである。擬態は単にこれら眼状紋を隠すのみならず、同時にその所有者の姿をもまんまと見えなくする。つまりそれは眼状紋の所有者を周囲の色だとか形と混然一体とさせ、見分けられるのを妨げる。ところが、なにもないように思われていたところ、いわば一種の不在、あるいは少なくとも中性的で見定めにくい、あやしげな存在から、突然、ありうべからざるような、強烈な色彩をそなえた巨大な円が浮かびあがり、それがじっと動かないのだから、見る者は眩惑されるのだ。」
「昆虫は恐れを与える術をわきまえている。のみならず、それは一種独特な恐れ、つまり誇張された、想像上の恐怖を惹き起すのであるが、それはなんら実際的な危険の裏づけを伴わない恐怖であり、威嚇だけの威嚇であって、不可思議さと異様さとによって作用をおよぼし、まさに超自然的な外観をとり、なんら現実的なものに依存しないで、あの世から現われ出でて、その犠牲となるものを惑乱させ、それに麻痺ないしは混乱以外のいかなる反応をも禁ずるもののように思われる。」




















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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