ロラン・バルト 『物語の構造分析』 花輪光 訳

「問題は、少なくともわたしが身に課す問題は、実際「テクスト」を、何であれ一つの記号内容(中略)に還元せず、テクストの表意作用(シニフィヤンス)を開かれた状態に保つようにすることなのである。」
(ロラン・バルト 「天使との格闘」 より)


ロラン・バルト 
『物語の構造分析』 
花輪光 訳


みすず書房
1979年11月15日 第1刷発行
1988年12月5日 第10刷発行
219p 目次1p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,800円



本書「訳者解題」より:

「本書は、著者が指定した十五編のテクストのうち、(中略)八編を選んで収めたものである。」


バルト 物語の構造分析


カバー裏文:

「「物語はまさに人類の歴史とともに始まるのだ。物語をもたない民族はどこにも存在せず、また決して存在しなかった。あらゆる社会階級、あらゆる人間集団がそれぞれの物語をもち、しかもそれらの物語はたいていの場合、異質の文化、いやさらに相反する文化の人々によってさえ等しく賞味されてきた。物語は、良い文学も悪い文学も差別しない。物語は人生と同じように、民族を越え、歴史を越え、文化を越えて存在する」
 フランスにおける〈物語の構造分析〉は事実上、「コミュニカシヨン」誌、八号の物語の構造分析特集に始まると云ってよかろう。その巻頭を飾った、バルトの「物語の構造分析序説」は今や〈古典〉として名高い。この論文は現在においても、依然としてその重要性を失っていない。本書は、この記念碑的な労作をはじめ、批評家バルトの基調を示す「作者の死」「作品からテクストへ」、さらに、バルト的神話学ないし記号学の新しい方向を示す「対象そのものを変えること」等、八篇を収める。つねに変貌してゆくバルトの、60年代から70年代にかけての軌跡を明らかにする評論集。」



目次:

物語の構造分析序説
天使との格闘――「創世記」三二章二三-三三節のテクスト分析
作者の死
作品からテクストへ
現代における食品摂取の社会心理学のために
エクリチュールの教え
逸脱
対象そのものを変えること

原注
訳注
訳者解題




◆本書より◆


「作者の死」より:

「土俗的な社会では、物語は、決して個人ではなく、シャーマンや語り部という仲介者によって引き受けられ、必要とあれば彼の《言語運用》(つまり、物語のコードの制御)が称讃されることはあっても、彼の《天才》が称讃されることは決してなかった。作者というのは、おそらくわれわれの社会によって生みだされた近代の登場人物である。」

「「作者」の支配は、今もなお非常に強い(中略)が、言うまでもなく、ある作家たちは、すでにずっと以前から、その支配をゆるがそうとつとめてきた。フランスでは、おそらく最初にマラルメが、それまで言語活動(ことば)の所有者と見なされてきた者を、言語活動(ことば)そのものによって置き換えることの必要性を、つぶさに見てとり予測した。彼にとっては、われわれにとってと同様、語るのは言語活動(ことば)であって作者ではない。書くということは、それに先立つ非人称性(中略)を通して、《自我》ではなく、ただ言語活動(ことば)だけが働きかけ《遂行する》地点に達することである。マラルメの全詩学は、エクリチュールのために作者を抹殺することにつきる(ということは、これから見るように、作者の地位を読者に返すことだ)。(中略)彼は、(中略)「作者」を疑い嘲笑することをやめず、自分の活動の言語学的な、いわば《偶発的な》性質を強調し、散文の著作を通じて終始文学の本質的に言語的な条件を擁護した。この条件に比べれば、作家の内在性に頼ることはすべて、まぎれもない迷信であると彼には思われたのである。」
「言語学が示すところによれば、言表行為は、全体として一つの空虚な過程であり、対話者たちの人格によって満たされる必要もなしに完全に機能する。言語学的には、作者とは、単に書いている者であって、決してそれ以上のものではなく、またまったく同様に、わたし とは、わたし と言う者にほかならない。」

「われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(中略)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。」



「逸脱」より:

「言語(ラング)は無限です(終わりがありません)。そしてこのことから帰結を引き出さなければなりません。言語(ラング)は言語(ラング)以前に始まります。わたしは日本に関してこのことを言いたかったので、わたしがこの地でおこなったコミュニケーションを賞揚したのです。わたしは、自分の知らない話しことばのまさに外にありながら、この未知の言語のざわめきや感情的な息づかいを通して、それをおこなったのでした。ことばのわからない国で生活すること、観光地以外の場所で広く生活することは、あらゆる冒険のなかでもっとも危険なものです(この表現が青少年向きの小説のなかでもちうる素朴な意味において、そうです)。それは(主体にとって)ジャングルに挑戦することよりも危険です。というのも、言語を越えて、言語の補足的周辺に、ということは、深さをもたない言語の無限のひろがりのなかに、身を置かなければならないからです。新しいロビンソン〔・クルーソー〕を想像しなければならないとしたら、わたしは彼を無人島には置かず、彼が音声言語(パロール)も文字言語(エクリチュール)も理解できない、人口一千二百万の都市に置くでしょう。これこそロビンソンの神話の現代版であろうと思います。」




















































































































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