ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 富士川義之 訳 (講談社文芸文庫)

「ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」
(ナボコフ 『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 より)


ナボコフ 
『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』 
富士川義之 訳
 
講談社文芸文庫 ナ A 1

講談社
1999年7月10日 第1刷発行
328p
文庫判 並装 カバー
定価1,200円(税別)
デザイン: 菊地信義



Vladimir Nabokov: The Real Life of Sebastian Knight
巻頭の「主な登場人物」と巻末の「年譜」「主要作品」は二段組です。


ナボコフ セバスチャンナイトの真実の生涯


カバー裏文:

「一八九九年ロシアの名門貴族として生まれ、米国に亡命後
『ロリータ』で世界的なセンセーションを巻き起こした
ナボコフが初めて英語で書いた前衛的小説。
早世した小説家で腹違いの兄セバスチャンの伝記を書く
ために、文学的探偵よろしく生前の兄を知る人々を尋ね
歩くうちに、次々と意外な事実が明らかになる。」



目次:

セバスチャン・ナイトの真実の生涯

解説 同一性を求めて (富士川義之)
年譜――ナボコフ (富士川義之 編)
主要作品 (富士川義之 編)




◆本書より◆


「どれほど巧妙にしかも愛想よく新しい環境が彼の昔からの夢に取り入ったにもせよ、彼自身、いやむしろ、彼自身の最も貴重な部分は、始終そうであったように、どう仕様もないほど孤独のままであるということを厭というほど自覚するのだった。セバスチャンの生涯の基調音は孤独であった。思いやり深い運命が、彼が望んでいたものを見事に偽造して彼を気楽にくつろがせようとしてみても、そうされればされるほど、より一層彼はその具現化されたもののなかに――どんなたぐいの具現化されたもののなかにも――自分が溶け込んでいけないことを意識するのだった。彼がやっとこのことを徹底的に理解し、それが稀有な才能か情熱ででもあるかのように、自意識の教化を厳しくはじめたそのときになって初めて、セバスチャンは自意識の豊かで恐るべき成長から満足を得ることができ、自分のぎこちない不適応性についてくよくよ思い悩むことに終止符を打つことができるのであった――だが、それはずっと後になってからのことなのだ。
 明らかに、彼は最初、間違いを犯したり、なおそれ以上に悪いのだが、不体裁なことを仕出かすのを、ひどく恐れていた。」

「「そう、彼は確かにゲームは苦手でした。」
 「そのことで彼は動揺しませんでしたか?」
 「ある意味ではそうでしたね。実のところ、一学期はこうしたことへの劣等感で頭が一杯で、全く台なしになっていたからです。」」

「セバスチャンの劣等感の根底にあったものは、(中略)どうしても負けたくない一心でいろいろと試行錯誤を繰り返し、しかも一度だって成功したためしがなかったということであり、そうしてやっとのことで、自分を裏切っているものはこうした外面的な事柄でも、マンネリ化した当世風のはやり言葉でもなく、幸せなことに自分自身の自我という独房に閉じこもっているよう運命づけられているというのに、他人と同じようでありたい、他人と同じように振舞いたいと一生懸命努力した事実にあるのだということを、彼が本当に自覚するようになるまで、その劣等感に苦しんでいたと指摘する彼の言葉は正しいと、ぼくには思えるのだ。」

「三学期か四学期、こんなふうにして過ごした後で、奇妙な変化がセバスチャンを訪れた。彼は自分が楽しむべきだと思っていたことを楽しむのをやめ、本当に自分の興味を惹(ひ)くことだけに静かに心を集中するようになったのである。外見的には、この変化の結果は学寮生活のリズムからの脱落となって現われた。彼はぼくの情報提供者以外には、誰ともつき合おうとはしなくなった。その友人は、たぶんセバスチャンが全く率直に、自然なままで、接することのできた生涯を通じての唯一の人間であったのだろう――」

「「講義室で彼の姿を見かけないと、ぼくはよく彼の部屋へ行き、まだベッドのなかにいる彼を見つけたものです。彼は子供みたいに身体を丸めて寝ていましたが、しわくちゃになった枕じゅうに煙草の灰を散らかし、だらっと床(ゆか)に垂れ下ったシーツの上にインクの汚れをつけて、ぼんやり煙草をふかしていました。彼はぼくの元気のいい挨拶の返事としてただ口をもぐもぐさせるだけで、姿勢を変えようともしないのです。で、ぼくはあちこちうろつき回り、彼が病気でないことを確かめてから、中食に出かけたものです。それから、もう一度彼のところへ行ってみますと、彼は寝返りを打って、スリッパを灰皿の代りに使っている始末なんですからね。」」

「「ぼくは」と、セバスチャンは『失われた財産』のなかに書いている。「非常に内気な人間なので、ぼくが何とか避けたいと思っていた過ちをどういうわけかいつも犯してしまう破目になるのだった。周囲の環境に染まるために、やりきれない思いをしながら努力するぼくは、色盲のカメレオンになぞらえることができただろう。ぼくの内気は、それがごく普通に見られる皮膚がじとじとするとか、にきびのたぐいが原因だったのなら――ぼくにとっても他人にとっても――比較的我慢しやすかったことだろう。(中略)だが、ぼくの内気は思春期の悩みなどとは全く無関係な病的な秘密の形態をとったのだった。(中略)ぼくの場合、心のあらゆる鎧戸(よろいど)や蓋や扉が四六時中すぐに開いてしまうのだ。たいていの人の頭脳には日曜日というものがあるが、ぼくの頭脳には半日の休暇さえも拒絶されているのである。この間断なくつづく不眠状態は、それ自体きわめて苦痛なばかりでなく、その直接的な結果においてもまた苦痛をもたらすのであった。当然のことながら、ぼくが実行しなければならないあらゆる日常的な行動は、非常に複雑な様相を呈し、非常に多くの観念連合をぼくの心に生じさせるのだった。そしてこれらの連想は非常に手の込んだ曖昧模糊としたものであり、現実の場においてそれを適用することなど全く不可能だったので、連想に襲われるとぼくは手近な用事を避けてしまうか、さもなくば、全くの神経的発作からそれを滅茶滅茶にしてしまうのであった。ある日の朝、ケンブリッジ時代に書いた幾編かの詩をひょっとしたら活字にしてくれるかもしれないある評論誌(レヴュー)の編集者に会いに行ったときのことだが、彼が独特な吃り声をしていて、その声が窓ガラスを通して見える屋根や煙突の様式とある角度で混じり合っていることにぼくは気づいた。一切のものが窓ガラスの割れ目のせいでかすかに歪んで見えたのだ――これと部屋のなかに漂う奇妙にかび臭い匂い(中略)が、ぼくの思考をこのように長い手の込んだ道草へと追いやったので、肝心の用件をすっかり忘れてしまい、ぼくはこの初対面の男に向って、(中略)内緒にしておいてくれと頼まれていたある共通の友人の文筆上の計画について、いきなりベラベラ喋りはじめたのであった……」
 「……ぼくの意識の危険な気まぐれさ加減を自分でも十分承知していたものだから、ぼくは人びとに会って、彼らの感情を傷つけたり、彼らの眼に自分自身を愚かに見せることを恐れていた。しかしぼくを非常に苦しめていたこれと同じ特質ないしは欠陥が、(中略)ぼくが孤独を友としている際にはいつでもそれは申し分のない快楽の道具となるのであった。」」

「「ぼくの青年時代のロンドンについての思い出は、数限りなくあてどもなく歩き回った思い出であり、青みがかった朝の霧を不意に突きぬけて太陽のまばゆい光が射す窓や、ずらりと並んで垂れ下った雨滴のついた美しい黒い電線の思い出である。ぼくは雲を掴むような足どりでぼうっとかすんだ芝生を横切り、ハワイアン・ミュージックの鼻を鳴らすような音が溢れるダンスホールを通り過ぎ、可愛らしい名前のついた愛らしいくすんだ色の小さな通りをいくつも下っているようなのだが、ついにぼくはとある暖かな窪地へと出てしまい、そこにはぼく自身の自我の自我みたいなものによく似た何かが、暗闇のなかに丸くちぢこまって坐っているのだ。」」





こちらもご参照ください:

イーヴリン・ウォー 『ブライヅヘッドふたたび』 吉田健一 訳 (ちくま文庫)
Stanislaus Joyce 『My Brother's Keeper: James Joyce's Early Years』
















































































































































































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Author:ひとでなしの猫
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