島尾敏雄 『新編・琉球弧の視点から』 (朝日文庫)

「私が言いたいのは、日本の広さということをもう一度考えてみたいということです。それぞれの地方には、それぞれの歴史もあるし、それぞれの文化や考え方もあるということ。そうした広さをもう一度胸の中にたたみ込む必要があるのではないかという気がするのです。」
(島尾敏雄 「明治百年と奄美」 より)


島尾敏雄 
『新編・琉球弧の視点から』
 
朝日文庫 し 8-1

朝日新聞社
1992年7月15日 第1刷印刷
1992年8月1日 第1刷発行
385p
文庫判 並装 カバー
定価690円(本体670円)
カバー写真: オノデラユキ
地図製作: 石井啓之
カバー装幀: 笹川寿一
表紙・扉: 伊藤鑛治


「本書は、「島尾敏雄全集」(全十七巻・晶文社)のなかから、南島に関するエッセイを新たに編んだものである。」



巻頭に地図1点。


島尾敏雄 琉球弧の視点から


カバー裏文:

「琉球弧は先史の時代から、本土への文化的、政治的な影響を飛び石伝いに運びこむ海上の道であった。日本の国の歴史的な曲りかどにはかならずこの道すじからの歴史的契機の信号によって、国の命運の方向を設定してきたにもかかわらず、本土はこの島々の役割を見ぬき評価することができなかった。」


目次:

一部 ヤポネシアと琉球弧
 ヤポネシアと琉球弧
 琉球弧の吸引的魅力
      *
 加計呂麻島呑之浦
 軍政官府下にあった名瀬市
 琉球弧の感受
      *
 回帰の想念・ヤポネシア

二部 奄美と沖縄と 1955~78
 加計呂麻島
 奄美大島から
 南西の列島の事など
 久慈紀行
 アマミと呼ばれる島々
 沖縄らしさ
 悲しき南島地帯
 島の中と外
 奄美体験の途上で
 九年目の島の春
      *
 請島の結婚式
 奄美の妹たち
 奄美大島の食生活
 庭植えのパパイヤ
      *
 沖縄・先島の旅
 奄美・沖縄・本土
 沖縄紀行
 私の中の琉球弧
 明治百年と奄美
 沖縄島の城跡
 那覇に感ず
 「琉球弧」、改めて検討を
 那覇からの便り
      *
 名瀬だより(抄)
  一 名瀬の町、その最初の印象と町のすがたのあらまし
  三 町の人々と背後の歴史
  六 市民生活など
  七 災厄――台風とハブと癩と
  八 名瀬のことば
 那覇日記

巻末エッセイ “ヤポネシア”概要 (川村湊)




◆本書より◆


「ヤポネシアと琉球弧」より:

「ヤポネシアということばは、今までおそらく誰も使わなかったはずです。というのは、わたしはそれをどこかから借りてきたのではなくて、自分で組み合わせてこしらえたのですから。ヤポネシアと言うと、おそらく、ポリネシアだとかインドネシア、あるいはミクロネシア、メラネシアなどという名前が頭に浮かぶんじゃないか思いますが、つまり、それと似たような意味でわたしはヤポネシアということばを使いたいのです。太平洋の地図を見る時、たいていわたしたちは、アジア大陸がまん中になった地図をみるわけですが、それをずらして、太平洋をまん中にしてみますと、まず、当初は何もみえないほどですが、よくみると、ポリネシアなどはもちろんですが、もう一つ似たような島の群があり、それに「日本」という名前がついているのです。わたしはいっそのことそれにヤポネシアという名前をつけてみたらどうだろうかというのが、そもそもこの発想のはじまりなのです。
 日本という名前がついているのに、どうしてヤポネシアで呼びたいのかと言いますと、わたしは、「もう一つの日本」というようなことを考えたいからです。」
「この日本という国の、今までの歴史をふり返ってみますと、どうしても大陸の方にばかり向いていたのではないかという気がするのです。」
「それには何かこう固い画一性があるような気がしてなりません。みんな一色に塗りつぶされてしまうという息づまるような何かがあって、わたしはそこからどうしても抜け出したいという気持がおさえられないのです。」
「この抜け出せない日本からどうしても抜け出そうとするなら、日本の中にいながら日本の多様性というものを見つけていくより仕方がないんではないか。その日本の多様性というのは、ちょっと片寄った考え方かもしれませんが、(中略)もう一つの日本、つまりヤポネシアの発想の中で日本の多様性を見つけるということです。そういう気持でみますと、日本というところもかなり多様性を持っている国ではないか。(中略)たとえば方言一つとってみても、日本というところはたいへん多様性を持った国だということに気づくはずです。」
「ところで多様性を持ったいろいろな地方の中でもことに強く独自性を持った地方が琉球弧であり東北ではないかというのがわたしの考えですが、(中略)どうも琉球弧と東北というところは、一般的な日本のイメージの中に素直に入らないのではないかという気持がでてきたのです。」
「まず東北という地方について少し考えてみますと、あそこは国はじめの時から征伐ばかりされてきた地方です。たびたびの蝦夷征伐、それに「前九年の役」、「後三年の役」。それから、平泉の藤原氏が何か中央をまねした文化をこしらえかけたところ、それも亡ぼされてしまうし、伊達政宗が出かかってもうまくいかずに挫折してしまい、明治維新をむかえるのですが、新政府ができる後先に見舞われたあの「戊辰の役」にしてもやはり一種の東北征伐と見ることができるでしょう。」
「それともう一つ、この琉球弧が、やはり一種の異端の立場に立たされていると思えるのです。これまで中央の本流に流れこんだことはないし、本土からも何となくちがう場所だという待遇を受け、そういう考えられ方をし続けてきています。いわばまん中の日本をはさんで、はじっこの東北と、それから琉球弧が、全体の日本の中で、そういう位置を持っているということは、わたしにはなかなか興味深いのです。そのつもりで見ると、この両地域はいろいろな点で似ているところがあるような気がしてくるのも面白いことです。」
「何かまだ解明されない関係があって、北と南とが、ある近似を持っているのじゃないかという気がしてなりません。現実のアイヌは北海道にいるのですが、わたしは日本人の中にとけこんだ幻のアイヌがいて、東北と琉球弧により濃く入りこんでしまったのではないか、これはまったく学問的な根拠のない話かもしれませんが、そういうことさえ考えたくなるのです。というのも、両方の地方が、日本の歴史の中で果した役割みたいなものが、非常に似ている気がして仕方がないからです。」



「琉球弧の感受」より:

「実を言うと、本土で僕はコンプレックスのかたまりみたいなところがあったんです。生まれは横浜で、神戸で育ったり、九州の学校へ行ったりしたんですが、両親は東北ですから、どうも東北の血のせいか、「俺は友達とはいろんなことが違うな」という劣等感に襲われていたんです。特に神戸と九州の時にその思いが強くありました。その当時は自分が性格的に優柔、或いは内向的なんだろうと自分を責めるふうにばかりはたらいていたのが、奄美で生活するようになって、何となく自分のような性格でも許容されているという気がしたんです。遠い先祖の地に行ったように感じたということは、前にもちょっと言いましたけれど、それはここのところとつながっていたのかもしれません。つまり奄美の人たちが、自分たちは日本人だろうかという疑問も持っているという姿勢が、僕にはぴったりと心に感応するところがあったんです。」
「たまたまオセアニアの地図を見て、ふと或る考えが浮かんだんです。オセアニアは地図をごらんになるとわかりますが、その真ん中は太平洋です。もちろんポリネシアとか、ミクロネシア、メラネシア、オーストラリアが主体ですから、そういう地域が中心になるように按配すると、真ん中の大部分は太平洋になってしまうんです。そしておもしろいことに、日本列島の中の小笠原諸島と琉球弧がちらっと左上のはじっこに顔を出しているんです。あとさき考え合わせ、「あっ、われわれの列島は海洋性の強いところのはずだぞ」と思ったんです。日本人はいつも大陸のほうにばかり目を向けてきた。(中略)それにしてもいわば太平洋の中の島嶼群であることは事実なのだから、われわれの祖先は、海と密接なかかわりを持った生活をしていたにちがいない。そうすれば、ポリネシアとか、メラネシアという言い方があるのですから、(中略)われわれの島嶼群はヤポニアのネシア、つまり「ヤポネシア」じゃないか、と思ったわけです。その手がかりは、琉球弧でした。そこからの視点が持てたので、そのように写ってきたんです。」

「日本歴史を倭のにおいの強い目つきで見ると、琉球弧はどうも様子がちがった所になってしまうし、東北は、(中略)何となく異和の残る地域ということになるでしょう。時に風変わりな思想家が出てきたりするわけですから。しかしそういうさまざまな個性のある地域をヤポネシアという視点で見ると、その総体こそが日本であって、倭的な伝統ばかりが日本ではなくなり、そして今まで見えなかった事物が見えてくるんじゃないか、と考えているわけです。」



「加計呂麻島」より:

「一字姓のその起りは島津藩に強制されたものだが、結果として島びとの選んだ文字の素晴らしさに私は眼をみはる。その多くは、たとえば和(ニギ)、太(フトリ)、盛、基、祝、計(ハカリ)、禱(イノリ)、喜(キ)、与(アタイ)などはなはだ観念的な文字を選び、その文字をつきつけられるたびに、うかつなヤマトッチュを思わずどきりとさせる何かがあるではないか。
 それから私は彼らの古い名付け方を羨望する。それも今は次第に本土風に平板化されつつある。稲祥喜(イナショキ)、実祥喜(サネショキ)、赤坊果(アハボッカ)、佐栄百玖(サエモク)、伊能国(イノクニ)、前峰(マエミネ)、坊金(ボウガネ)などをいまの小学生徒の中に見つけることは困難であろう。私は島びとのそれらの名前にでくわしたときにはちょうど「古事記」を読んでいて、その中の耳ざわりのいい古代人の名付けをうらやんでいたが、それがその痕跡を眼前に見せつけられたのだ。いや痕跡などと遺物のようないいかたはよくあるまい。その感受性の豊かな独自の表現に驚いたのだ。
 また前 前広(マエ・マエヒロ)、福 福島(フク・フクシマ)、里 里禎(サト・サトテイ)などと苗字と名前とを重複させたユーモラスな方法にも眼を開かれたのに。しかしそれらも次第になくなってしまうだろう。それはなぜか私の心を寂しくさせる。」



「名瀬のことば」より:

「女生徒の「名瀬普通語」はいうまでもなく、男生徒の島ことばにしても、年よりたちのつかうことばよりずっとくずれたかたちになっているのはいたしかたなかろう。敬語などにもあまり頓着しなくなっているようだ。
 「おい。ときちゃん、帰らん?」「えー。帰りますが。まったい。帰っといっていいが。ごめん」「なんでえ」――これは女子高校生の会話だ。東京のあたりでなら、たぶん「ねえ、ときちゃん、帰らない?」「ええ、帰るわ。あ、だめ! 先に帰っててよ。ごめんなさい」「あら、どうして」――とでもいうところだろう。女生徒どうしの呼びかけは(小中学生も)すべて「おい」だ。「あたし」は「わし」という。「おい」も「わし」も少してあらいが、(中略)ききなれると、むしろ、さわやかなひびきもある。「先生、来(コ)んのは、なんでえ、あれなんか、もう裏山にのっとるよ。早くこんばあ」、これも職員室に教師を迎えにきた女子生徒のことばだ。先生どうしていらっしゃらないのですか、みんなはもう裏山にのぼっていますよ、早くおいで下さい、といえばいうところだ。敬語はほとんど考慮のなかにはいっていないだけでなく、少しこまかい表現になると標準語としての語彙がでてこず、またテニヲハがうまくつけられない。「あのひとのおこりー、おもしろいね」、これは「あのひと、怒ってるわ、おもしろいね」のことだし、「わしなんか、こっちから、帰ったんばよ」は「あたしここから帰ったのよ」の「名瀬普通語」的な言い廻しだ。」









































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本