谷川健一 『孤島文化論』

「所与の意味をまず拒否することから始めるべきである。その果てに、自分だけの意味が生まれるにちがいない。」
(谷川健一 「私の地方文化論」 より)


谷川健一 
『孤島文化論』


潮出版社
昭和47年11月10日 印刷
昭和47年11月25日 発行
246p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 角背紙装上製本 
本体カバー 機械函
定価850円
装幀: 菊池薫



本書はもっていなかったので、アマゾンマケプレで最安値(69円+送料)のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。

本書所収論考中、「シャコ貝幻想」は『古代史ノオト』(大和書房、1975年)に、「海神の使者」「わだつみのいろこの宮――青木繁の神話世界」は『海の夫人』(河出書房新社、1989年)にそれぞれ再録されています。


谷川健一 孤島文化論 01


帯文:

「日本文化にとって孤島とは何か!
南方の島々に生活する人びとをささえる
豊かな精神世界を「島」と「ヤポネシア」の
視座からとらえた出色の日本文化論!」



帯裏文:

「日本語の「かなし」には悲哀と愛着の両方の意味がこめられている。これは日本の昔にさかんに使われた言葉であり、現に南島では日常の上で両方の意味に使っている。
 「悲(かな)しい」というのは島の風土から、「愛(かな)しい」というのはヤポネシアの風土から生まれた語であろう。孤島の悲哀と、島国ののびやかな日常にたいする愛着とは不可分に一体をなす感情なのであった。それを切りはなすことのできないところに、日本という風土がある、と私は考えるのである。
〈「あとがき」より〉」



谷川健一 孤島文化論 02


目次 (初出):

口絵
 狩俣部落より大神島をのぞむ (撮影: 渡辺良正)


孤島文化論 (読売新聞 1972. 1. 22, 23, 25, 26, 27
遠い他者と欠けた自己――差別への一視点 (潮 1972. 2)
土着観念の再生を (共同通信 1972. 6. 1)
事大主義と事小主義 (朝日新聞 1972. 1. 17)
私の地方文化論 (新潟日報 1972. 7. 20)


沖縄先島の世界 (沖縄先島の世界(渡辺良正写真集)・解説)
太陽と月 (出版ダイジェスト 1971. 7. 21)
黄泉の国への通路 (グラフィケーション 1972. 5)
ユタと沖縄の人びと (新聞研究 1972. 7)
火にかけた鍋 (情況 1969. 5)
奄美の新節をたずねて (毎日新聞 1972. 10. 16)
わが沖縄 (叢書わが沖縄 3, 4, 5 巻解説)


海神の使者 (国文学 1972. 9)
シャコ貝幻想 (歴史と文学 2号)
わだつみのいろこの宮――青木繁の神話世界 (芸術生活 1972. 3)


成熟へのひとしずく――柳田国男との出合い (春秋 1972. 2, 3 合併号)
近代主義への一矢――宮本常一のこと (春秋 1972. 4)
常世の思想――折口信夫 (春秋 1972. 5)
喜舎場永珣をいたんで (読売新聞 1972. 4. 15)
『蠹魚庵漫章』について (読売新聞 1971. 11. 22)

あとがき
発表紙・誌一覧



谷川健一 孤島文化論 03



◆本書より◆


「孤島文化論」より:

「中央と地方という固定観念、あるいは国境という人為的な画定線を取り払ってみれば、地方とか辺境とかの概念はすこぶるあやしくなるのである。少なくとも地図の上の辺境は、かつて文化の取り入れ口であったばあいが多い。それが政治的な理由で辺境化させられただけの話である。かつて古琉球は南洋と貿易をおこない、那覇には十ヵ国の人たちが住んでいたという。沖縄は日本の辺境あつかいにされているが、日本列島のなかでもっとも先進的な地域であった時代が、今をさかのぼる五世紀なかば前までの琉球王国にはあった。」

「時間の尺度をどうとるか、視点をどこにさだめるかによって、それぞれの地方は中央ともなり辺境ともなる。そしてかつて中央であり、今辺境と化した地方は、その古い文化をたやすく捨てないのがふつうである。」
「中央にたいする辺境、頂点にたいする底辺は、収奪され、疎外される存在というほかに、中央もしくは頂点の対極概念としての不可視の文化の中心という意味をもっている。」
「島は小さいが海は広大である。その海の果てにたましいのゆくべき島があり、祖霊もまたそこから島にかえってくることを信ずるとき、眼にみえない、ゆうゆうたる無意識の時間は老人をとおして子孫に伝わってゆくのである。そこで南島の人たちの現実の空間は極小であるが、信仰上の空間意識はきわめて大きいということが可能である。」



「遠い他者と欠けた自己」より:

「かつて日本で村内婚が常態とされていた時代、他村との通婚にたいしては、きびしい規制がもうけられていた。つまり、村の娘で他村の若者と通じたばあい、この一対の男女は密通者として、村内の若者によって烈しいリンチを受けた。
 その一方では、遠来の客人を歓待する風習も長くつづいていた。この遠来の客人を「まれびと」と呼び、それが「まろうど」になったことはよく知られているが、まれに訪れてくる人が賓客となるのは、珍しいものが高貴なものであるとする日本人の認識をよく伝えている。
 ここでみられる現象は、遠来の客人には自分の娘を提供してもかまわぬほどのもてなしぶりをみせながら、その反対に隣村の若者にたいしては、容赦しないという狭量な態度である。遠い他者には寛大で、近い他者にはきびしい、という心理構造は日本人社会の特徴として成立する。つまり日本人は自分自身との差意識が大きい他者であるほど、寛大にあつかう。それはそうした他者が、ある種の威力をもつと信じられているからである。」



「沖縄先島の世界」より:

「このように木の葉や草の葉で身をよそおうというのは、日本における神出現のもっとも原始的なすがたにほかならなかった。」

「大神島の人たちは、この島が「神高い島」であると自負している。」
「だが大神島が孤島であることはいうまでもない。(中略)一周するのに半日はかからないこの島に埋もれた人生がある。そして夕方になると風は島をゆるがすように吹き、海は白波が立ち、暗い海の果てに壮大な虹がかかるのだった。
 私はあるとき、小学校の便所を借りた。そこには生徒の書き古しの帳面がおいてあった。中学生のものらしく、英語の単語とその訳語がきれいな字で書き並べてあった。
  prince   call    alone     sad     end
  王子    呼ぶ    ただひとり   悲しい   終わり
 私はこれらの文字をみているうちに、大神島という孤島を端的に表現する単語と思えてきたのである。」

「たこを五斤おさめるだけで、人頭税さえ免除になったというこのまずしい島は、みずから孤絶した姿勢をくずそうとしないのだった。」

「教員室に坐っていると、ひとりの女の子がふらりとやってきて、出された菓子をねだった。ひとつ渡してやると、ていねいにお辞儀をしたが、たべ終わると、またねだった。先生方に聞くと精薄の女児で、ふつうならば小学校五年だが知能のほうは三歳位だという。(中略)この女の子は早朝、子どもたちが校庭にあつまっておこなうラジオ体操のときも、かならずやってくる。そして、うしろむきのかっこうで海をみながら、ひとり手をあげている。授業中にもたえず教室に出入りして、授業を妨げる。しかし、みんなはこの女の子をけっして叱らず、迷惑を受けても自分たちの仲間に入れてやるのだった。(中略)あとでその理由が私なりに分かった。この女の子を疎外したら、この孤島では女の子は死なねばならぬ。子どもたちはそのことを孤島に住む人間の本能的な知恵で知っていたのだ。」



「黄泉の国への通路」より:

「沖縄では太陽は島の東のはしの洞窟からのぼり、中天高くかがやき、そして島の西のはしの洞窟に沈むと信じられている。沈んだ太陽は足元の大地の底、あるいは海の底をくぐって、また東の空にのぼる。そこに死と再生があり、それが人間の誕生と死の観念を生み出したのである。」


「成熟へのひとしずく」より:

「私はといえば、「善悪のまだ分かれないもっとも暗黒な意識の部分」を漠然と神と考える習慣がついている。」

「ナショナルなものの追求は意外にその底にインターナショナルな課題と通じていることを知った。特殊から普遍への道こそ真の普遍性を獲得する方法であることを私はまなんだ。」



「近代主義への一矢」より:

「『日本残酷物語』の主題は、つつましい欲求の持主である「小さき者たち」がいかに苦悩しなければならぬのか、という矛盾命題である。私のなかにはいつもイエスにしたがってあるく浮浪人や漁夫や娼婦のイメージが去来していた。私はカトリシズムには希望を失ってしまったが、そうした「小さき者」への執着は依然として残りつづけていた。こうした小さき者たちをつまずかせるくらいならば、海の底に沈められたほうがまだましである、というイエスのことばは私の耳に鳴りつづけていた。(中略)私は小さき者たちが好きなのである。(中略)私は小さき者たちとつき合っているだけで充分にたのしい人間なのだ。」


「常世の思想」より:

「常世ということばに、私の血はあやしくさわぐ。私は沖縄になぜ関心をもつかと問われて、返答に窮することが少なくなかったが、今は「明るい冥府がほしいばかりに珊瑚礁(リーフ)の砂に踝(くるぶし)を埋めているのだ」と答えることができる。私は死んでなお刑罰を受けねばならぬような他界を信じていない。」

「出雲の美保の岬に、波の穂にのってやってくる常世の神スクナヒコナは、「手の俣から漏(く)きた子」であるといわれたと『古事記』にあるが、沖縄では大正の頃までは、非常に腕白ですばしこく、もてあました子供を「手の俣からふきゆるわらび」と呼んでいたという。わらびは童である。この一語をもってしても、出雲と南方との密接な関係がおしはかられよう。」





こちらもご参照下さい:

島尾敏雄 『新編・琉球弧の視点から』 (朝日文庫)
岡谷公二 『島の精神誌』
川崎寿彦 『楽園のイングランド』
小野二郎 『紅茶を受皿で ― イギリス民衆芸術覚書』



































































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