種村季弘 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』

「人間というのは、胎児のままお腹の中で死んでしまっても、生れて三ヵ月で死んでしまっても、二十歳で死んでも五十歳で死んでも八十歳で死んでも同じなんだ」


種村季弘 
『澁澤さん家で午後五時にお茶を』


河出書房新社 
1994年7月15日初版印刷
1994年7月25日初版発行
233p 
四六判変型(19.5×12.5cm) 
角背紙装上製本 カバー 
定価2,000円(本体1,942円)
装丁: 中島かほる
カバー画: 野田弘志 「澁澤龍彦頌」



種村季弘が澁澤龍彦について書いた文章と対談を集成。既刊単行本収録エッセイの再録を含みます。
本書は2003年に学研M文庫の一冊として、『澁澤龍彦全集』の「解題」を追補した「増補版」が刊行されています。


種村季弘 澁澤さん家で午後五時にお茶を


帯文:

「澁澤龍彦の世界を読む
澁澤龍彦の長年の友人であり
最もよき理解者であった著者の
故人に関する全エッセイを集成!!」



本書の表題は、収録エッセイのタイトルから採られていますが、そのエッセイには「ファブリツィオ・クレリチがアルベルト・サヴィニオの死を悼んで編んだ画文集『アルベルト・サヴィニオの家で午後五時にお茶を』」という本が出てきます。


目次 (初出):

魔術的睡眠者の肖像 (『澁澤龍彦集成 第I巻』 月報 1970年2月 桃源社)
文学史の悪魔(『悪魔のいる文学史』) (「週刊読書人」 1973年1月1日号 書評として発表)
メートル原器のある庭園 (「ユリイカ」 1975年9月号 「特集・澁澤龍彦ユートピアの精神」)
夢の既視感(『幻想の彼方へ』) (「週刊読書人」 1976年10月25日号 書評として発表)
成長のない自叙伝(『玩物草紙』) (「図書新聞」 1979年3月24日号 書評として発表)
「七〇年代の澁澤龍彦」(対談: 澁澤龍彦) (『ビブリオテカ澁澤龍彦II』 月報 1979年11月 白水社)
陽根切断(『唐草物語』) (「朝日ジャーナル」 1981年9月18日号 書評として発表)
玉の話(『ねむり姫』) (「朝日新聞」 1984年1月9日 書評として発表)
驚異博物館 (『澁澤龍彦コレクション』 推薦文 1984年11月)
ロココの現場(『うつろ舟』) (「朝日新聞」 1986年6月 「文芸時評」として発表)
遊病記(「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」) (「朝日新聞」 1987年3月 「文芸時評」として発表)
卵生の女(『高丘親王航海記』) (「朝日新聞」 1987年5月 「文芸時評」として発表)
絵詞作者の肖像 (「國文学」 1987年7月号 「特集・澁澤龍彦 幻想のミソロジー」)
出棺の辞 (『新文芸読本・澁澤龍彦』 1993年4月 河出書房新社)
ふらんす怪談 (アンリ・トロワイヤ著 澁澤龍彦訳 『ふらんす怪談』 解説 1987年10月 河出書房新社)
庭園文学の系譜(『フローラ逍遥』) (「朝日新聞」 1987年8月 「文芸時評」として発表)
精神のアラベスク (「ユリイカ」 1987年9月号)
澁澤さんの靴 (「マリ・クレール」 1987年10月号)
ある書誌学者といる澁澤龍彦 (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 狐のだんぶくろ』 月報 1987年10月 白水社)
サロン、庭園、書斎 (「みずゑ」 1987年冬号)
幾何学的精神(『思考の紋章学』) (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 思考の紋章学』 解説 1988年5月 白水社)
澁澤龍彦の幸福な夢(対談: 出口裕弘) (「ユリイカ」 1988年6月臨時増刊号 「追悼・澁澤龍彦」)
澁澤龍彦・人と作品 (『昭和文学全集 31』 解説 1988年12月 小学館)
物理人間の系譜(巌谷國士 『澁澤龍彦考』) (「公明新聞」 1990年4月23日 書評として発表)
澁澤さん家で午後五時にお茶を (『澁澤龍彦文学館5 綺譚の箱』 解説 1990年5月 筑摩書房)
時計 (「太陽」 1991年4月号 「特集・澁澤龍彦の世界」)
鉱物 (「太陽」 1991年4月号 「特集・澁澤龍彦の世界」)
澁澤魔法劇場 (「太陽」 1992年12月号 「特集・澁澤龍彦の「驚異の部屋」」)
高丘親王道草記 (「高丘親王航海記」 パンフレット 1992年10月 少年王者館)
わたしの選んだ文庫ベスト3 (「毎日新聞」 1992年6月22日)
深谷のブッテンブローク家 (『新文芸読本 澁澤龍彦』 1993年4月 河出書房新社)
澁澤龍彦・その時代 (『新潮日本文学アルバム 澁澤龍彦』 1993年八月 新潮社 「評伝・澁澤龍彦」解題)

あとがき
初出一覧



種村季弘 澁澤さん家で午後五時にお茶を 02



◆本書より◆

 
「魔術的睡眠者の肖像」より:

「澁澤龍彦さんは睡眠という特技をもっている。昼夜を問わず、興到るところぶっつづけに、二日でも三日でも眠りをさまさないでいることができるそうである。
 いつぞや、どこかの雑誌の、あなたのいまいちばんしたいこと、というアンケートに答えて、澁澤さんの曰く――「眠ること。眠って夢を見ること」。むべなるかな、血走った眼(まなこ)であくせくと物欲しげに走り回る覚醒者の俗塵ごときは、この魔術的睡眠者のあずかり知らぬ苦界であろう。」



対談「澁澤龍彦の幸福な夢」より:

種村 (中略)だけどまあ、好きな小説のタイプは似ていたと思いますね。要するに、心情的なものを表出するってのがあまり好きじゃないということかな。それともう一つは、純粋抽象ってものもあまり好きじゃないってこと。僕が非常に尊敬している友達で、やはり早く亡くなった人に宮川淳がいますが、澁澤さんも晩年になってから、宮川さんのことを面白いって言ってるんですね。だけど宮川さんがちょっと違うのは、彼はブランショ的なアプサンスみたいなものに、直接、無媒介的に直面しちゃう人なんですね。
出口 ああ、そうですね。
種村 道草を食ったり、サボッたりしない。おそろしく速度が速い、迂回路がなくてね。無媒介的な対面だから、表現もどんどん切りつめちゃって、ゼロになれば一番いいわけですよ。そういうきりつめ方とはちょっと違うと思うんだけれど、ひょっとしたら同じものを違う道でやっていたのかもしれないと、この頃感じることはありますね。宮川は非常に若い頃から、「僕が書いたものなんか、どんどん切りつめていって、要するになくしちゃいたいんだ」って言ってましたね。「書きながらなくしちゃいたいんだ」ってね。それはよくわかるんだけど、でも僕は、「何かを書いて、しかもそれが何も書いてないっていうふうに書きたいなあ」って言ったことがあるんです。それはこっちがまだものを書いていない頃の話ですけど。でも今でも大体そういうつもりでやってるんですけどね。だから、いくら冊数が多くても、じつは何も書いてない(笑)。死んだあとにそれがバレれば一番幸福だと思うんだけど(笑)。」

出口 亡くなる四ヵ月くらい前に一種の快気祝いをやったとき、彼は筆談で「人間というのは、胎児のままお腹の中で死んでしまっても、生れて三ヵ月で死んでしまっても、二十歳で死んでも五十歳で死んでも八十歳で死んでも同じなんだ」ってしきりに言うのね。
種村 胎児という小さなものが、いろんな経験を積んだ老年の死と等価であるというか、それが胎児の夢の中に入ってきてしまっている。そういう夢野久作的・老子的な発想も、考えていたと思いますね。その入れ子が、もっとユニバーサルなもの、宇宙誌的なものになっている。(中略)「夢たがえ」の中に出てきた言葉なんだけど、これがそうなんじゃないかと思う。「としますと、すべてのひとの夢が、世界でいちばん力の強い、だれかひとりのひとの夢だということにもなりかねませぬ。すべてのひとの夢が入れ子になっていて、ひとりのひとの夢の中におさまってしまうということにもなりかねませぬ」。」



それはそれとして、マルクス・アウレーリウス『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫)には、「たとえ君が三千年生きるとしても(中略)記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何物をも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何物をも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。」とあります。





























































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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