スーザン・ソンタグ 『写真論』 近藤耕人 訳

「ほんものの人間がそこにいて自殺したり、べつのほんものの人間を殺したりしている間に、写真家は自分のカメラのうしろにいて、もうひとつの世界――私たちみんなよりも長続きすると宣言している映像世界――の小片をつくっているのだ。」
(スーザン・ソンタグ 『写真論』 より)


スーザン・ソンタグ 
『写真論』 
近藤耕人 訳


晶文社
1979年4月10日 初版
2001年5月20日 29刷
221p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,600円+税
ブックデザイン: 平野甲賀
カバー写真: 1850年ごろのアメリカのダゲレオタイプ写真



Susan Sontag: On Photography, 1977

本書は写真論なのに写真図版がいっさい掲載されていないところがいさぎよいです。
最終章「引用の小冊子」は、写真家のみならず哲学、推理小説、広告などから写真に関する言説を按配したベンヤミンふう引用集です。


ソンタグ 写真論


カバーそで文:

「写真は世界の断片を収集し、世界を複写する。多くの写真映像が氾濫する今日、写真について語ることは世界について語ることだ。本書は、絵画や文学との違いを明確にしつつ、写真が「現実と想像力の交差」という現代文化の中心テーマをとく鍵であることを指摘する。アッジェ、アーバスらの作品批評を通して「写真時代」の文化構造を読みとく本格的写真論。」


目次:

プラトンの洞窟で
写真でみる暗いアメリカ
メランコリーな対象
視覚のヒロイズム
写真の四福音書
映像世界
引用の小冊子

訳者あとがき




◆本書より◆


「プラトンの洞窟で」より:

「被圧迫者、被搾取者、飢餓者、大虐殺に遭った人たちの写真に反応して人びとがかきたてられる心情の性質は、(中略)やはり彼らがこれらの映像にどのくらい慣れているかによるのである。ドン・マッカリンが一九七〇年代の初頭に撮った痩せ衰えたビアフラ人の写真が、ひとによってはウェルナー・ビショフが一九五〇年代の初期に撮ったインドの飢餓の犠牲者の写真ほどの迫力はなかったのは、そういった映像が通俗的になっていたからであって、一九七三年にいたるところの雑誌に出た、サハラ砂漠の近くで飢え死にしかけているトゥアレグ族の写真は、多くのひとにはいまや見慣れた残酷もののうんざりする焼きなおしと映ったにちがいない。
 写真はなにか目新しいものを見せているかぎりはショックを与える。不幸なことに、賭金はこういう恐怖の映像の増殖そのものからもだんだん釣りあがっていく。根源的な恐怖の写真目録との最初の出会いというものは、一種の啓示、原型としての現代の啓示、否定の直覚である。私にとってそれは、一九四五年七月、サンタ・モニカの本屋で偶然見つけたベルゲン=ベルゼンとダッハウの写真であった。写真であろうと実人生であろうと、かつて私が眼にしたものでそれほど鋭く、深く、瞬時に、私を切りつけたものはなかった。それらの写真のほんとうの意味がわかるまでにはなお数年がかかったが、実際、それらの写真を見る以前(私は十二歳だった)と見たあとで、私の人生は二つに分けられるといってもおかしくないだろう。(中略)それらはただの写真で、私がろくに聞いたこともなければ自分でどうすることもできない事件、想像もつかない、和らげようもない苦悩を表わしていた。それらの写真を見たとき、私のなかでなにかが壊れた。ある限界に達したのだ。恐怖ばかりではなかった。私は癒しがたい悲しみと心の傷を受けたが、私の感情の一部は緊張しはじめた。なにかが死んだ。なにかがいまも泣いている。」



「写真でみる暗いアメリカ」より:

「アーバスの写真の主題はヘーゲルの立派なレッテルを借りれば、「不幸な意識」である。(中略)アーバスは生活に割り込む事故や事件は決して写真に撮らなかっただろう。彼女はじわじわとくる個人の災難を撮るのを専門としていた。その大部分は被写体が生まれたときから進行していたのである。」
「性的倒錯者やほんとうの奇型人の写真は彼らの苦痛ではなく、むしろ彼らの泰然自若の様子を強調している。」

「ひとは自分の苦痛――それはとにかく自分ひとりの財産である――に語らせる権利がある、あるいはそう強いられていると感じよう。ひとはまたすすんで他人の苦痛の探求を引き受ける。」
「アーバスは自己の内面を探求して彼女自身の苦痛を語る詩人ではなく、大胆に世界に乗り出して痛ましい映像を「収集する」写真家であった。そしてただ感じたというより調査した苦痛については、およそはっきりとした説明などないものだ。ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することからくるのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。情緒とか感覚の不感症を患った人たちは、ただなにも感じないよりは苦痛でも感じた方がいいのである。」

「アーバスのような人間以外のだれが奇型人の真実をこれ以上よく評価できたろう。(中略)アーバスの作品は(中略)上品なもの、是認されているものに対する反抗である。『ヴォーグ』糞くらえ、ファッション糞くらえ、きれいなもの糞くらえと彼女がいうときがそうだった。」

「アーバスにとっては奇型人も中流アメリカ人もともに等しく風変りであった。戦争賛成パレードに行進する男の子とレヴィットタウンの主婦は、小人や服装倒錯者と同じくらい違和感を与え、中流の下の階級の郊外生活様式はタイムズ・スクエア、精神病院、ゲイ・バーと同じくらい疎遠なものだった。」

「アーバスはもっとも厳密な意味で「個性派作家」なので、近代ヨーロッパ絵画史では半世紀間瓶の静物ばかり描き続けたジョルジォ・モランディがやはりそうだが、写真史では異例のことである。」





こちらもご参照下さい:

スーザン・ソンタグ 『アルトーへのアプローチ』 岩崎力 訳 (みすずライブラリー)
ロラン・バルト 『明るい部屋 ― 写真についての覚書』 花輪光 訳






















































































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