『ゴッホの手紙 中 (テオドル宛)』 硲伊之助 訳 (岩波文庫)

「しかし、地球もまた一つの遊星だ、つまり天界の一つの星なのだということを忘れまい。」
(『ゴッホの手紙 中』 より)


『ゴッホの手紙 中 
(テオドル宛)』 
J.v. ゴッホ-ボンゲル編
硲伊之助 訳
 
岩波文庫 青/33-553-2 

岩波書店
1961年5月5日 第1刷発行
1978年9月10日 第18刷発行
301p
文庫判 並装 
定価300円(☆☆☆)



本書「あとがき」より:

「ゴッホの手紙……中と下……は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホから弟のテオドルへ宛てた手紙を訳すことにした。
 この非常に仲のいい兄弟が取交した手紙の数は厖大なもので、文庫に入れる関係上、適当に取捨する必要があった。それで本書は、兄が弟を訪ねて突如パリに現われた時から、アルルで画室を整備してゴーガンが来るのを待っている時期までを纏めてみた。」



本文中図版32点。


ゴッホの手紙 中 01


帯文:

「本巻は弟テオドル宛書簡六十通を収録。これは名作の製作過程を示し、美術観、ゴーガンへの友情等ゴッホの生活と信条の総てを語る。」


目次:

第四五九信
第四六二信
第四六三信
第四六四信
第四六六信
第四六七信
第四六八信
第四六九信
第四七〇信
第四七二信
第四七四信
第四七五信
第四七六信
第四七七信
第四八一信
第四八二信
第四八三信
第四八五信
第四八七信
第四八九信
第四九〇信
第四九三信
第四九六信
第四九七信
第四九九信
第五〇〇信
第五〇一信
第五〇三信
第五〇四信
第五〇六信
第五〇七信
第五〇八信
第五〇九信
第五一〇信
第五一一信
第五一二信
第五一四信
第五一六信
第五一九信
第五二〇信
第五二一信
第五二三信
第五二四信
第五二六信
第五二七信
第五二八信
第五三一信
第五三三信
第五三四信
第五三五信
第五三七信
第五三八信
第五三八信 a
第五三九信
第五四〇信
第五四一信
第五四二信
第五四三信
第五四四信
第五四五信

あとがき



ゴッホの手紙 中 02



◆本書より◆


「第四九〇信」より:

「この世だけで神を判断してはいけないとだんだんおもうようになった。世界は彼のしくじった試作なのだ。
 作者を愛していれば、失敗した習作でも――それほど非難せずに――黙って居るだろう、そうじゃないか。
 でも、もっとよいものを要求する権利はある。
 そこでわれわれは同じ作者の手で造られた他の作品を見ることが必要なのだ。この世は悪い時期にはしょって造られたか、やっていることが作者自身にわからなくなってしまったか、または冷静さを欠いてしまったのだ。
 伝説によれば、神は彼の支配する世界の習作に非常に苦労したそうだ。
 この伝説は真実を語っていると思う、しかし、その習作はいくつかの点で失敗している。でも、こういう誤りをするのは大家だけである。おそらくこれが最良の気安めだ。おまけにその時からわれわれには創造者のおなじ手から報(むくい)を受取る権利が生じている。(中略)そして来世でよりよい生活ができるのを望むことだけがわれわれに残されている。」



「第五〇〇信」より:

「日本人は素描をするのが速い、非常に速い、まるで稲妻のようだ、それは神経がこまかく、感覚が素直なためだ。」


「第五〇六信」より:

「汽車に乗ってタラスコンやルアンへ行くように、われわれは星へ行くのに死を選ぶのかもしれない。
 生きているあいだに星の世界へ行けないのと、死んでしまったら汽車に乗れないのとは、この推理のうち、たしかに本当のことだ。
 要するに、コレラや、砂粒状結石、肺病、癌が、汽船や乗合馬車や汽車が地上の交通機関であるように、天上の交通機関だと考えられないこともない。
 老衰で静かに死ぬのは歩いてゆく方だ。」



「第五〇九信」より:

「〈お菊さん〉を読んだことがあるかい。それによると、本当の日本人は壁にはなんにも掛けないらしい、僧庵やお堂には書があるだけで何一つない、『素描と骨董は抽斗のなかに隠してある』。ああ! こうやって日本美術を観賞しなくちゃ、見晴しの利く、なんにもない、明るい室で。」


「第五一〇信」より:

「僕の仕事はみんな、多少とも日本画が基礎になっている。」


「第五一一信」より:

「しかし、地球もまた一つの遊星だ、つまり天界の一つの星なのだということを忘れまい。しかもほかのすべての星もみんなおなじことだとしたら……あんまり愉快なことではない、どこまでいっても切りのない話だ。ところで、芸術には時間が必要だ。人間の一生以上に長く生きられたら悪くはないね。ギリシャ人や昔のオランダの巨匠たちや日本人が、別の星の中でその輝かしい流派の仕事をつづけていると考えるのは魅力的だ。」


「第五一四信」より:

「新しい画家たちは孤立していて、貧乏で、気違い扱いにされる、こうした扱いの結果、少くとも彼らの社会生活は、ほんとうの気違いになってしまう。」


「第五二七信」より:

「ゴーガンやベルナールは今、「子供の絵」のように描くことについて語っている。」


「第五三四信」より:

「僕は《夜のカフェ》の絵で、カフェとは人が身を滅ぼし、狂人になり、罪悪を犯すような場所だということを表現しようとした。要するに僕は、やわらかいバラ色に鮮血のような赤と酒糟色や、ルイ十五世時代風のやわらかい緑やヴェロネーズ緑などに、黄緑とかたい青緑とを対照させて、地獄の坩堝と青白い燐光の雰囲気の中に、居酒屋の暗い機能を表現しようとしてみたのだ。
 しかもこれを、日本的な陽気さとタルタランのばか正直さという形に包んでね。」



「第五三九信」より:

「僕の心を一番強く打ったのはジョットだ。いつも悩んでいて、それでいていつも慈愛と烈しさにあふれていて、まるではじめからこの世界とは別の世界に生きてでもいたようだ。
 それにジョットには何か異様なものがある。僕はダンテやペトラルカやボッカチオのような詩人以上にそれを感じる。」

「僕以前に誰かが暗示的な色彩ということについて語っているかどうか、それは知らないが、しかしドラクロアとモンチセリは語らずにそれを実践した。
 僕はヌエネンで音楽を学ぼうと空しい努力をした頃とおなじ状態にいる。すでにあの頃、僕はわれわれの色彩とワグナーの音楽との間に関連があると強く感じていたのだ。」



「第五四二信」より:

「日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出合う。彼は歳月をどう過しているのだろう。地球と月との距離を研究しているのか、いやそうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか、いやそうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。
 ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、つぎには季節を、田園の広々とした風景を、さらには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。こうして彼はその生涯を送るのだが、すべてを描きつくすには人生はあまりにも短い。
 いいかね、彼らみずからが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか。
 日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因襲的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ。」

「僕は、日本人がその作品のすべてのものにもっている極度の明確さを、羨しく思う。それは決して厭な感じを与えもしないし、急いで描いたようにも見えない。彼らの仕事は呼吸のように単純で、まるで服のボタンでもかけるように簡単に、楽々と確かな数本の線で人物を描きあげる。
 ああ、僕もわずかな線で人物が描けるようにならなければいけない。」



「第五四三信」より:

「僕はただ誰かに、われわれの心を慰め落着かせるものを立証してもらいたい。われわれが自分を罪あるもの、不幸なものと感じることがなくなるように。そうして、われわれが孤独や虚無のうちにふみ迷うことなく、また一歩ごとに悪を怖れ悪に神経を立てることもなしに、生きて行けるように。またその悪が他人の上に落ちかかることを望むようなことがなくてすむように。
 あの変り者のジョットは、伝記の説くところによると、いつも悩んでいたが、それでいていつも熱情と創意に溢れていたという。どんな場合にも人を幸福にし愉快にし生き生きとさせるこの確信の境地に、僕も達することができたらと思う。」




こちらもご参照下さい:

『ゴッホの手紙 下 (テオドル宛)』 硲伊之助 訳 (岩波文庫)



































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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