『ゴッホの手紙 下 (テオドル宛)』 硲伊之助 訳 (岩波文庫)

「そうだたしかに、我々は自分たちの絵のことだけしか語れないのだ。」
(『ゴッホの手紙 下』 より)


『ゴッホの手紙 下 
(テオドル宛)』 
J.v. ゴッホ-ボンゲル編
硲伊之助 訳
 
岩波文庫 青/33-553-3 

岩波書店
1970年3月16日 第1刷発行
1978年10月10日 第10刷発行
292p 別丁口絵(モノクロ)1p
文庫判 並装 
定価300円(☆☆☆)



本書「あとがき」より:

「中巻と下巻とは、ボンゲル版の、ゴッホがパリへ向かってから、間もなくアルルへ行き、サン・レミへ移って、それからオーヴェル・シュール・オワーズで自害するまでの弟へあてた大部分の手紙を訳したものである。文庫本である関係上、手紙全部の収録は困難だったので、その取捨選択は私自身が当った。大切なものは全部入れたつもりである。」


本文中図版23点。


ゴッホの手紙 下 01


帯文:

「一八九〇年七月悲しい自殺をとげたゴッホが最後の二年間にアルルから、サン・レミの病院から弟に書き続けた手紙約六〇通を収める。」


目次:

アルルよりパリのテオへ(一八八八年十月―一八八九年五月)
 第五四六信
 第五四七信
 第五四八信
 第五四九信
 第五五一信
 第五五二信
 第五五四信
 第五五五信
 第五五六信
 第五五七信
 第五五九信
 第五六〇信
 第五六二信
 第五六三信
 第五六四信
 第五六五信
 第五六七信
 第五七一信
 第五七三信
 第五七九信
 第五八一信
 第五八一信 a (シニャックより弟テオ宛の手紙)
 第五八二信
 第五八三信
 第五八三信 a (シニャックよりヴィンセントへ)
 第五八四信
 第五八四信 a (シニャックよりヴィンセントへ)
 第五八五信
 第五八六信
 第五八七信
 第五八八信
 第五八九信
 第五九〇信

サン・レミよりパリのテオへ(一八八九年五月―一八九〇年五月)
 第五九一信
 第五九二信
 第五九三信
 第五九四信
 第五九六信
 第六〇〇信
 第六〇三信
 第六〇七信
 第六〇八信
 第六一〇信
 第六一三信
 第六一四信
 第六一五信
 第六一八信
 第六二一信
 第六二三信
 第六二五信
 第六二九信
 第六三一信
 第六三四信

オーヴェル・シュール・オワーズ(一八九〇年五月二十一日―七月二十九日)
 第六三五信
 第六三六信
 第六三八信
 第六四四信
 第六四五信
 第六五一信
 第六五二信(ヴィンセントが七月二十九日当日持っていた手紙)

あとがき



ゴッホの手紙 下 02



◆本書より◆


「第五五五信」より:

「もし僕が自分の気持ちのおもむくままにしようとするなら、今描いたばかりの作品に厭気(いやけ)をおこし、セザンヌ爺(じい)さんがやったようにそれを足で踏みやぶってしまうことぐらい、わけのないことだろう。しかし、足で踏みやぶってどうなるというのだ、それよりも習作はそのままそっとしておくことにしよう。いいところが全然ないと思われたって、いわゆるいい絵だと思われたって、どっちでも僕にはかまわない。
 要するに、善とか悪とかは常に相対的なものなのだから、そんなことは深く考えないようにしよう。」



「第五六四信」より:

「ゴーガンと僕とは昨日、モンペリエの美術館を見に出かけた、特にブリュイヤの室を見に行ってきた。そこには、ドラクロア、リカール、クールベ、カバネル、クーチュール、ヴェルディエ、タサール、その他の画家が描いたブリュイヤの肖像画がたくさんあった。(中略)まったくブリュイヤは芸術家たちの恩人だね、君にはただそれだけを伝えたい。ドラクロアの肖像だと、ひげのある赤毛の髪をした人で、君や僕におそろしく似ていて、僕にはミュッセの次の詩を思い出させた……「どこでも私が土にさわると、黒い服を着た不幸な人が、そばに来て腰をおろし、まるで兄弟のようにじっと私を見つめるのだった」」


「第五七三信」より:

「僕の制作には運と不運があるが、不運ばかりではない。もしわれわれが持っているモンチセリの《花束》が愛好家にとって五百フランの値打ちがあるなら、僕の《ひまわり》だってスコットランド人かアメリカ人にそれだけの値で売れるはずだ。」


「第五七九信」より:

「こんなに多くの人間が卑劣にも一団になって、病人の僕一人に対抗するのを見たときは、まるで胸を棍棒で打たれたみたいだったのがわかるだろう。
 さて――これ以上心配しないでいい。僕は精神的にひどく弱っているが、ある程度落ちつきを取り戻してきたから、腹を立てずにすんだ。
 たびたびいじめられた経験から卑屈の情が身につき、それで辛抱できる。」
「本当言うとこんな厄介な目にあうくらいなら死んでしまった方がましだよ。
 獄屋生活で得られる唯一の教訓は文句を言わずに堪え忍ぶことだけだ、なんとも仕様がないんだ。」
「弟よ、恐らくわれわれの小さな不幸や人生の多少大きな不幸だって茶化してみるのが一番いいのじゃないか。」



「第五八六信」より:

「いま頭がぼんやりしていて、どうしたら生活を調整できるか分らない。」

「もし私が療養所から出ても、働いたりやりくりする能力がないような気がする。」



「第五九〇信」より:

「犠牲的精神を持つのはよしてくれたまえ。先日も妹に便りした際に、僕の一生というか、ほとんど一生の間、殉教者などとは違った職業を求めて来た、殉教などとても僕の柄ではないと書いた。」
「もちろん殉教者たちを尊敬し、進んで讃えたいとも思う。だが、ブーヴァルやペキュシェのように、なにか我々のか弱き生命にもっと適合する他のものがあるようだ。」

「大勢の画家が気違いになるのは事実だが、少なくも極めて苦しい生活がそうさせるのだ。全面的に仕事に没頭出来れば、いいが、頭の方はなおるまい。」



「第五九一信」より:

「ここへ来てよかったと君に告げたい。こんな動物園のような所で、いろいろな狂人や頭のおかしい人間の実態を見ていると、わけの分らない心配や発狂への恐怖を感じなくなる。次第に狂気も病気の一種だと感ずるようになった。」


「第五九二信」より:

「冗談のつもりではないが、発狂への恐怖は、傍で気の狂った人をいつも見ていると、自分でも今に簡単に罹(かか)れると思うせいか、すぐ消えてなくなる。
 以前はああいう人達を嫌悪していたし、われわれと同じ天職に携わる者で、トロワィヨン、マルシャル、メリヨン、ジャント、M・マリ、モンチセリその他大勢のものが発狂して死んだことを思えば、なんだか失望してしまう。僕もそんな状態に陥っているとは夢にも想像しなかった。
 今でこそなんの心配もなく、こうしたことが考えられるし、今述べたような人が、結核か黴毒(ばいどく)のような病気で死んだのと同様に、特別むごいことではないと思う。」
「ある人は泣き叫び、またある人は無理ばかり言っているが、どの人にも真の愛情がみられる。」
「お互い同士よく理解できる。例(たと)えば、僕を恐れないから、まとまりのない音しか発せられない人とも話が出来る。」



「第五九四信」より:

「それにしても僕の心の内には、何か強すぎる衝動を受けるものがあるらしく、それが僕をこんなにしてしまったのだし、何がそのきっかけになったのかも分らない。」


「第五九六信」より:

「いつも糸杉に心をひかれる。ひまわりを扱ったように描いてみたいのだ。まだ僕が感じているように描いたものを見たことがないのだ。
 線が美事で、ちょうどエジプトのオベリスクのような均衡を備えている。
 それにその緑の質が非常に上品なのだ。
 陽の照った景色のなかでは黒い斑点になるが、その黒い調子は最も興味のあるもので、正確に捕えるのがとてもむつかしいと思う。」



「第六〇七信」より:

「僕はいま病気だから、自分を慰めるために、自分を喜ばせるためだけに何かしたいのだ。」




こちらもご参照下さい:

『ゴッホの手紙 上 (ベルナール宛)』 硲伊之助 訳 (岩波文庫)


































































































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