岡倉覚三 『茶の本』 村岡博 訳 (岩波文庫)

「まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。」
(岡倉覚三 『茶の本』 より)


岡倉覚三 
『茶の本』 
村岡博 訳
 
岩波文庫 青/33-115-1

岩波書店
1929年3月10日 第1刷発行
1961年6月5日 第38刷改版発行
2005年11月5日 第103刷発行
95p
文庫判 並装 カバー
定価360円+税



Kakuzo Okakura: The Book of Tea, 1906
巻頭に図版(著者肖像)。


岡倉覚三 茶の本


カバー文:

「茶の湯によって精神を修養し、交際の礼法をきわめるのが茶道である。その理想は、禅でいうところの「自性了解」の悟りの境に至ることにある。この本は、そうした「茶」を西洋人に理解させるために著者(1862―1913)が英文で書いたもので、単なる茶道の概説書ではなく、日本に関する独自の文明論ともいうべき名著。」


目次:

はしがき (岡倉由三郎)
訳者のことば
改版に際して

第一章 人情の碗
 茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す
 茶道は社会の上下を通じて広まる
 新旧両世界の誤解
 西洋における茶の崇拝
 欧州の古い文献に現われた茶の記録
 物と心の争いについての道教徒の話
 現今における富貴権勢を得ようとする争い

第二章 茶の諸流
 茶の進化の三時期
 唐(とう)、宋(そう)、明(みん)の時代を表わす煎茶(せんちゃ)、抹茶(ひきちゃ)、淹茶(だしちゃ)
 茶道の鼻祖陸羽
 三代の茶に関する理想
 後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあるが理想ではない
 日本においては茶は生の術に関する宗教である

第三章 道教と禅道
 道教と禅道との関係
 道教とその後継者禅道は南方シナ精神の個人的傾向を表わす
 道教は浮世をかかるものとあきらめて、この憂(う)き世の中にも美を見いだそうと努める
 禅道は道教の教えを強調している
 精進静慮することによって自性了解(じしょうりょうげ)の極致に達せられる
 禅道は道教と同じく相対を崇拝する
 人生の些事(さじ)の中にも偉大を考える禅の考え方が茶道の理想となる
 道教は審美的理想の基礎を与え禅道はこれを実際的なものとした

第四章 茶室
 茶室は茅屋(ぼうおく)に過ぎない
 茶室の簡素純潔
 茶室の構造における象徴主義
 茶室の装飾法
 外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂

第五章 芸術鑑賞
 美術鑑賞に必要な同情ある心の交通
 名人とわれわれの間の内密の黙契
 暗示の価値
 美術の価値はただそれがわれわれに語る程度による
 現今の美術に対する表面的の熱狂は真の感じに根拠をおいていない
 美術と考古学の混同
 われわれは人生の美しいものを破壊することによって美術を破壊している

第六章 花
 花はわれらの不断の友
 「花の宗匠」
 西洋の社会における花の浪費
 東洋の花卉栽培(かきさいばい)
 茶の宗匠と生花の法則
 生花の方法
 花のために花を崇拝すること
 生花の宗匠
 生花の流派、形式派と写実派

第七章 茶の宗匠
 芸術を真に鑑賞することはただ芸術から生きた力を生み出す人にのみ可能である
 茶の宗匠の芸術に対する貢献
 処世上に及ぼした影響
 利休の最後の茶の湯


解説 (福原麟太郎)




◆本書より◆


「はしがき」(岡倉由三郎)より:

「たやすく郷党に容(い)れられ、広く同胞に理解されるには、兄の性行に狷介味(けんかいみ)があまりに多かった。画一平板な習俗を懸命に追うてただすら他人の批評に気をかねる常道の人々からは、とかく嶮峻(けんしゅん)な隘路(あいろ)を好んでたどるものと危ぶまれ、生まれ持った直情径行の気分はまた少なからず誤解の種をまいてついには有司にさえ疑惧(ぎぐ)の眼を見はらしめるに至った兄は、いまさらのように天地のひろさを思(おも)い祖国のために尽くす新しき道に想到したのであった。」


「人情の碗」より:

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮(さつりく)を行ない始めてから文明国と呼んでいる。(中略)もしわれわれが文明国になるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。」

「現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大(ばくだい)な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇(やみ)に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。(中略)まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。」



「茶の諸流」より:

「茶はたてるごとに、それぞれ個性を備え、水と熱に対する特別の親和力を持ち、世々相伝の追憶を伴ない、それ独特の話しぶりがある。真の美は必ず常にここに存するのである。芸術と人生のこの単純な根本的法則を、社会が認めないために、われわれはなんという損失をこうむっていることであろう。」


「芸術鑑賞」より:

「美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。(中略)われわれの限定せられた性質(中略)は美術鑑賞力の範囲を制限するものである。われらの個性さえも、ある意味においてわれわれの理解力に制限を設けるものである。(中略)畢竟(ひっきょう)するところ、われわれは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのである。すなわちわれら特有の性質がわれらの理解方式を定めるのである。茶人たちは全く各人個々の鑑賞力の及ぶ範囲内の物のみを収集した。
 これに関連して小堀遠州に関する話を思い出す。遠州はかつてその門人たちから、彼が収集する物の好みに現われている立派な趣味を、お世辞を言ってほめられた。「どのお品も、実に立派なもので、人皆嘆賞おくあたわざるところであります。これによって先生は、利休にもまさる趣味をお持ちになっていることがわかります。というのは、利休の集めた物は、ただ千人に一人しか真にわかるものがいなかったのでありますから。」と。遠州は歎じて、「これはただいかにも自分が凡俗であることを証するのみである。偉い利休は、自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があったのだ。しかるに私は、知らず知らず一般の人の趣味にこびている。実際、利休は千人に一人の宗匠であった。」と答えた。」
































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本