沈復 『浮生六記』 松枝茂夫 訳 (岩波文庫)

「「君は僕を犬の仲間にひきずり込むつもりかい」
 「わたくしはとうの昔から犬になっています」」

(沈復 『浮生六記』 より)


沈復 
『浮生六記
― 浮生夢のごとし』 
松枝茂夫 訳
 
岩波文庫 赤/32-024-1 

岩波書店
1981年10月16日 第1刷発行
1991年12月16日 第4刷発行
270p
文庫判 並装 カバー
定価460円(本体447円)
カバーカット: 沈復作の山水画



本書「解説」より:

「『浮生六記』、これは今から二百年ほど昔、清朝時代の無名の一読書人によって書き残された手記である。はじめ写本の形で行われ、一部の人々の間で熱心に愛読されていたらしいが、いつのまにかすっかり忘れられてしまって、清末になって稿本が発見されたときは、すでに作者の名もわからず、本そのものももはやもとの完全な姿ではなかった。作者の経歴についても拠るべき資料は一つもなく、本書中に現われているものが、われわれの知り得るほとんどすべてだといってよい。」
「いってみればこれは素人の文学である。(中略)人の世に生きることに疲れはてた人が、愛する人の在りし日の面影(おもかげ)を偲(しの)んで、思い出づるままに書きとめただけである。」



本書は本来「巻六」まであったようですが、現存するのは「巻四」までであります。


沈復 浮生六記


カバー文:

「沈復(しんふく)は清朝・乾隆時代の人(1763―?)。わずらわしい封建的な家族関係にがんじがらめにされながらも、作者は世にもうるわしい夫婦の純愛をはぐくみ貫いた。片時も忘れえぬ亡妻への追憶を縦糸に、山水と詩画を愛する画家気質を横糸として織りなされたこの自伝小説は、切々と読者の胸に迫ってくる。」


目次:

題詞一 (管貽萼)
題詞二 (潘麐生)
序 (楊引伝)

巻一 閨房記楽(けいぼうきらく)(結婚の幸福)
巻二 閑情記趣(かんじょうきしゅ)(趣味の生活)
巻三 坎坷記愁(かんかきしゅう)(不遇に泣く)
巻四 浪游記快(ろうゆうきかい)(旅は楽し)
巻五 中山記歴(ちゅうざんきれき)(琉球遊記) 〔原闕〕
巻六 養生記道(ようじょうきどう)(永生の道を求めて) 〔原闕〕

跋 (王韜)

訳注
解説




◆本書より◆


「巻一」より:

「私は幼い時に金沙(きんさ)の于(う)家の女(むすめ)と婚約したが、その子は八歳で夭死(ようし)したので、陳(ちん)家の女を娶(めと)った。陳氏、名は芸(うん)、字(あざな)は淑珍(しゅくちん)といって、母方の叔父にあたる心余(しんよ)先生の女(むすめ)である。生まれつき頭がよく、言葉を覚えるころ『琵琶行(びわこう)』を口移しに教わって、すぐにそらんずることができたほどであった。」


「巻二」より:

「憶(おも)えば子供の頃、私は太陽に向かって眼を大きく見張っていることが出来た。また非常に細かいものを見分けることが得意で、そんなのを見つけると、必ずその形や模様を微細に観察して、俗世から脱け出したような気持になるのであった。
 夏になると蚊が雷のようにさかんに鳴きまわる。それを私は鶴の群れが大空を飛び舞っているところだと見立てた。してそういう気でながめていると、それはたしかに何百羽、何千羽とも知れぬ鶴に見えてくる。いつも仰向(あおむ)けになって観察したため、とうとう首の骨が強くなった。」
「土塀の凸凹(でこぼこ)しているところや、雑草の生い繁った花壇などによくしゃがみこみ、身体を花壇と同じくらいの高さにして、じっと息をこらして観察し、草叢(くさむら)が森林で、虫や蟻(あり)が獣(けもの)で、土や小石の高くなったところが丘で、凹んだところが谷で、などと見立て、うっとりとその中に魂を遊ばせていい気持になっていた。」

「もしそれ園亭、楼閣、套室(はなれ)、廻廊、築山(つきやま)の石の配置、花果の栽培となれば、やはり大の中に小を見、小の中に大を見、虚中に実あり、実中に虚あり、あるいは蔵(かく)れ、あるいは露(あら)われ、あるいは浅く、あるいは深く、単に「周廻曲折」の四字にとどまるべきではない。さればといって地域が広く、庭石が多くて、いたずらに工事に金をかけたというだけが能でもない。あるいは地を掘り土を積みあげて築山をこしらえ、ところどころ石をすえて、草花をあしらい、生籬(いけがき)は梅の木で編み、土塀(どべい)には蔦(つた)をまつわらせると、築山などできそうもないところに立派な築山ができるのである。
 大中に小を見せるというのは、広いばかりでまとまりのつかない処には、伸びやすい竹を植え、茂りやすい梅を編んで生籬にするのである。
 小中に大を見せるというのは、狭い中庭の土塀はよろしくその形を凹凸にして、緑色でもって飾り、蔦蔓(つたかずら)をまつわらせ、大きな石を嵌(は)めこんで、それに文字を鑿(ほ)りつけて碑記の形にするのである。このようにすれば、窓を押しひらくと、まるで岩壁に向かっているかのように、窮(きわ)まりなく峻(たか)くそそり立っているかに感じさせることが出来る。
 虚中に実ありというのは、一見もう先へは行けないと思われる処で、何気なくひと曲りすると、にわかにがらりと開けたところに出るとか、あるいは軒や閣の廚房(ちゅうぼう)を設けた処に、ちょっと戸を開けると、思いもよらぬ別院に抜けられるといった工合である。
 実中に虚ありというのは、通り抜けのできない中庭に向かって戸を設け、竹や石などをおいてこれを遮(さえぎ)ると、実は何もないのにいかにも何かあるかの如く思わせるし、低い欄干(らんかん)を土塀の上に設けると、実はありもせぬのに上に露台があるかに見えるのである。」

「私の閑居には、机上の花瓶に花を絶やしたことがなかった。芸がいった。
 「あなたの挿花は風晴雨露のあらゆる風情(ふぜい)を備え、まことに精妙神(しん)に入ると申すべきです。しかし絵画には草虫を添える一法がございます、どうしてあれに倣(なら)ってなさいませんか」
 「だって虫はこっちの注文どおりじっとしてやしない。真似ようたってできはしないではないか」
 「わたくし名案があるんですけれど。でも俑(よう)を作る罪過が恐ろしいわ」
 「いいから、いってごらんよ」
 「虫は死んでもその色は変わりません。蟷螂(かまきり)とか蝉(せみ)とか蝶(ちょう)といった虫をとってきて、針で刺し殺し、細い糸でその首をしばって花や草の間に繋(つな)ぎ、その足をそろえて茎にとまり葉を踏まえたりした恰好(かっこう)にすれば、まるで生きているのとそっくりで、きっと面白いにちがいないとぞんじますわ」
 私が喜んですぐ彼女のいう通りにやったところ、見る人ひとりとして賞嘆しないものはなかった。婦人のなかに今日こういった物の味を解する人を求めようとしても、恐らくは得られまい。」

「あるとき、楊補凡(ようほぼん)が花を作っている私たち夫婦の肖像を描いてくれたことがあったが、その絵がじつに生きうつしのような出来ばえであった。その夜はちょうど月がよく、蘭の影が白壁にうつって、いうにいわれぬ趣があった。すると突然、星爛が酔興をおこして、いった。
 「補凡が君のために肖像を描いたから、僕は一つ花のためにその影を描いてやろう」
 私が笑って、
 「花の影が人の影のように描けるかしらん」
というと、星爛は白紙を塀に当てて、蘭の影をなぞり、墨で濃淡をつけて描いた。昼間これを取って視れば、画になっているとはいえぬが、しかし花と葉とまばらな様子には、いかにも月夜の風情が出ている。芸は甚だこれを珍重し、いろいろの人がその讃をしてくれた。」

「蓮の花は夏咲き初めのうちは、晩にしぼんで明け方にひらく。芸は小さな絹の袋に少量の茶の葉をつまんで、花芯の中に入れておいた。翌朝それを取り出して、天然の泉の水の熱湯をそそぐと、えもいわれぬ香りがするのであった。」



「巻三」より:

「「このごろ毎日つづけて、わたくしの両親が私を迎えに舟をよこしてくる夢を見ますの。目をつむりますと、すぐふらふら上下に浮いて、まるで雲や霧のなかでも歩いているような気持でございます。きっと魂が離れて肉体の殻(から)だけが残っているのですわ」」


「巻四」より:

「嘉慶(かけい)九年甲子(かっし)の春、父上の死を機(しお)に、今こそ家を捨てて隠遁しようと決心したが、友人の夏揖山(かゆうざん)に止められて、暫くその家に厄介になった。
 秋八月、揖山が農地を所有している東海(とうかい)の永泰沙(えいたいさ)へ、小作料集金の旅に同行した。永泰沙は崇明(すうめい)県の管轄に属する。劉河口(りゅうかこう)を出て、海上を航行すること百余里、長江の流した沙が盛りあがって、最近開けたばかりの三角洲であって、まだ街区もできていなかった。見渡すかぎり茫々(ぼうぼう)たる蘆荻で、人口も少なかった。僅かに同業の丁(てい)氏の倉庫が数十間あるだけで、四面に河溝(クリーク)を掘り、堤防を築き、その外側に柳を植えていた。丁氏は(中略)崇明に家があって、この永泰沙の名主である。その会計係は王(おう)という人であった。いずれ劣らぬ気前のいい客好きな人たちで、礼節に拘(こだわ)らず、私と一見旧知のごとくに親しくなり、豚を宰(ころ)して肴(さかな)とし、甕(かめ)を傾けて飲むのであった。(中略)酒酣(たけな)わになると、作男たちを呼んで拳(けん)の舞いや相撲(すもう)をさせて楽しむのであった。百余頭の牛を飼っていて、それをみな堤防の上に露宿させていた。また鵝(がちょう)を飼っていたが、これはその鳴声によって海賊を防ぐのであった。昼間は鷹や犬を駆って蘆の茂みや沙浜で狩猟をした。獲物は大抵鳥類であった。私もいっしょに付いて行って駆けまわり、疲れるとそのままごろ寝をするのであった。」
「人も自然も、さながら太古のごとき原始的な生活であった。
 寝床に臥(ふ)せったまま外を見ると、洪濤(こうとう)が見えるし、枕元に響いてくる潮の音は金鼓の鳴るがごとくであった。ある夜、突然、数十里かなたの沖あいに、籠ほどもある赤い提燈の浮かんでいるのを見た。また赤い光がまるで火事のような勢いで天をこがすのを見た。宝初はいった。
 「あれは御神燈なんです。御神火なんです。あれが現われたのは、まもなくまたここに沙田ができるというお前兆(しらせ)なんです」
 揖山はもともと豪傑肌の男であったが、ここへ来てますます放達になった。私ときてはいっそうそれに輪をかけて、牛の背中で狂い歌うは、沙浜で酔って踊るは、それこそ興にまかせてしたい放題のことをして暮らした。まことにこれは私の一生のうちでも最も拘束されなかった快遊であった。」





こちらもご参照下さい:

ローデンバック 『死都ブリュージュ』 窪田般彌 訳 (岩波文庫)






































































































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趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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