張岱 『陶庵夢憶』 松枝茂夫 訳 (岩波文庫)

「癖(へき)のない人間とはつき合えない。彼らには深情がないからだ。疵(きず)のない人間とはつき合えない。彼らには真気がないからだ。」
(張岱 『陶庵夢憶』 より)


張岱 
『陶庵夢憶』 
松枝茂夫 訳
 
岩波文庫 青/33-217-1

岩波書店
1981年8月17日 第1刷発行
382p
文庫判 並装
定価550円



本書「まえがき」より:

「この訳書には、一巻本にあって八巻本に収められなかった四篇を補遺として加えた外、『瑯嬛文集』の中から特に張岱の面目躍如たる『五異人伝』と『自為墓誌銘』の二篇を付録とすることにした。」


張岱 陶庵夢憶


帯文:

「明末清初の文人・張岱(陶庵)が江南の飲食・風習・人物・自然・奇譚などに託して若き日の「美しかりし夢」を語った無類のエッセー集。」


目次:

まえがき

陶庵夢憶自序

巻一
 1 鍾山
 2 報恩塔
 3 天台の牡丹
 4 金乳生の草花
 5 日湖と月湖
 6 金山寺の夜芝居
 7 筠芝亭
 8 砎園
 9 葑門の蓮池
 10 紹興の墓参り風俗
 11 奔雲石
 12 木猶竜
 13 天硯
 14 蘇州の絶技
 15 濮仲謙の彫刻

巻二
 16 孔子廟の檜
 17 孔林
 18 燕子磯
 19 魯王府の花火
 20 朱雲峡の女役者
 21 紹興の琴の流派
 22 花石綱の遺石
 23 焦山
 24 表勝庵
 25 梅花書屋
 26 不二斎
 27 砂の罐と錫の銚子
 28 沈梅岡
 29 岣嶁山房
 30 三代の蔵書

巻三
 31 絲社
 32 南鎮に夢を祈る
 33 禊泉
 34 蘭雪茶
 35 白洋の高潮
 36 陽和泉
 37 閔老人の茶
 38 竜噴池
 39 朱文懿家の木犀
 40 逍遙楼
 41 天鏡園
 42 包涵所
 43 闘雞社
 44 棲霞山
 45 湖心亭の雪見
 46 陳章侯

巻四
 47 不繋園
 48 秦淮河の河房
 49 兗州の閲兵式
 50 牛首山の狩猟
 51 楊神廟の山車
 52 雪精
 53 厳助廟
 54 乳酪
 55 二十四橋の風月
 56 世美堂の灯籠
 57 寧了
 58 張氏の声伎
 59 各地のうまいもの
 60 祁止祥の癖
 61 泰安州の宿屋

巻五
 62 范長白
 63 于園
 64 いろいろの職人
 65 姚簡叔の画
 66 香炉峯の月
 67 湘湖
 68 柳敬亭の講談
 69 燓江の陳氏の蜜柑
 70 治沅堂
 71 虎邱中秋の夜
 72 麋公
 73 揚州の清明節
 74 金山の競漕
 75 劉暉吉の女優
 76 朱楚生
 77 揚州の痩馬

巻六
 78 彭天錫の芝居
 79 目連劇
 80 甘文台の香炉
 81 紹興の灯節風景
 82 韻山
 83 天童寺の僧
 84 水滸牌
 85 煙雨楼
 86 朱氏の収蔵
 87 仲叔の骨董
 88 噱社
 89 魯王府の松棚
 90 一尺雪
 91 菊の海
 92 曹山
 93 斉の景公の墓の花罇

巻七
 94 西湖の香市
 95 鹿苑寺の方柿
 96 西湖の七月十五夜
 97 及時雨
 98 山艇子
 99 懸杪亭
 100 雷殿
 101 竜山の雪
 102 龐公池
 103 品山堂の養魚池
 104 松花石
 105 閏の中秋
 106 愚公谷
 107 定海の海軍演習
 108 阿育王寺の舎利
 109 剣門の渡り
 110 冰山記

巻八
 111 竜山の灯籠飾り
 112 王月生
 113 張東谷の酒好き
 114 楼船
 115 阮円海の演劇
 116 巘花閣
 117 范与蘭
 118 蟹の会
 119 露兄
 120 閏の元宵節
 121 合釆牌
 122 瑞草谿亭
 123 瑯嬛福地

補遺
 二 魯王(仮題)
 四一 獣妖・草妖・服妖・氷妖(仮題)
 四二 草木妖(仮題)
 四三 祁世培(仮題)

付録
 五異人伝
 自為墓誌銘

あとがき




◆本書より◆


「陶庵夢憶自序」より:

「昔、西陵(せいりょう)の人足が、人のために酒をかついで行く途中、うっかり足をすべらせてその甕をこわした。どう考えても弁償するすべがないので、ぼんやり坐りこんで考えた。「これが夢だったらなあ」と。
 またある貧乏書生、郷試(きょうし)に合格して、いざ鹿鳴宴(ろくめいえん)におもむく段になり、なんだか本当ではないような気がして、われとわが腕を噛みながら、つぶやいた。「夢じゃないだろうか」と。
 同じく夢である。しかるに一人はひたすらそれが夢でないことを恐れ、一人はひたすらそれが夢であることを恐れている。その痴人たるは同じである。
 わたしは今や大夢まさに醒めんとしているのに、なおかつ筆ひねこくって物書くわざに憂身をやつしている。これまた夢であり、たわごとである。」



「三代の蔵書」より:

「わたしの家には三代にわたって積まれた蔵書が三万余巻あった。祖父(張汝霖)はわたしにいった。
 「数ある孫のなかで、おまえだけが書物好きだ。おまえが見たいと思う書物は、勝手に持ってゆくがよい」」



「天鏡園」より:

「天鏡園の浴鳧堂(よくふどう)は、高い槐(えんじゅ)の木と深い竹林で千層の暗い木蔭を成している。坐ったまま蘭の池の満々とたたえた水に向かっていると、水も木もはっきりと透きとおり、魚も鳥も、藻(も)も荇(あさざ)も、さながら空に浮かんでいるのではないかと思うほどである。
 わたしはその中で読書した。面を撲(う)ち、頭にふりそそぐ緑一色の中にどっぷりと浸(つか)って、ひっそりとした窓に向かって書巻をひらくと、一字一字が鮮かな碧(あお)に染まるのだった。」



「湖心亭の雪見」:

「崇禎五年十二月、わたしは西湖に住んでいた。大雪が三日つづいて、湖の中は人の声も鳥の音もはたと途絶えた。
 この日の夜の八時すぎ、わたしは小さな舟に乗り、毛皮にくるまり炉火を擁して、ひとりで湖心亭へ雪見にいった。いちめんの霧氷(むひょう)と立ちのぼる水蒸気で、空も、雲も、山も、水も、上下みな一様に白かった。湖上の影とては、ただ長い堤が一線、湖心亭が一点、それにわたしの舟がさらに細かい一点、舟中の人がさらに細かい二、三点にすぎなかった。
 亭に着いてみると、二人の男が毛氈を敷いて対坐し、一人の童子が七輪に酒を暖め、ちょうど燗(かん)がついたところであった。わたしを見ると大いに喜び、「湖中にまたとこんな人がありましょうか」といって、わたしを引っぱっていっしょに飲ませた。わたしは飲めぬ酒を大杯に三杯飲んで別れた。その姓をきくと、南京のもので、この地に逗留しているのだという。舟に乗ってから、船頭がしきりにぶつぶついった。
 「旦那さまはよほどの変り者だと思っていやしたが、旦那さまよりももっと変った人もいるんでございますな」」



「祁止祥(きししょう)の癖(へき)」より:

「癖(へき)のない人間とはつき合えない。彼らには深情がないからだ。疵(きず)のない人間とはつき合えない。彼らには真気がないからだ。」
「崇禎十五年、南京に行ったとき、止祥は阿宝(あほう)(孌童(らんどう)の名)を出してわたしに見せた。わたしはこんな西方浄土の迦陵頻伽(かりょうびんが)を、どこから手に入れたのだろうかと思った。阿宝は生娘(きむすめ)のように嬌(なまめ)かしかったが、我儘なあまえん坊で、ことさらに駄々をこね、決して人の言いなりにならなかった。橄欖(かんらん)を食うように、喉(のど)に渋くて味がないようでいて、しかも、言うに言われぬ後味(あとあじ)のよさがあった。(中略)骨が喉につかえて、どうにも呑み下せないようでいて、しかも、ちょっと嘗(な)めただけで酔ってしまうような軟かさがあり、初めは厭(いと)わしいようでも、過ぎての後にはしきりに懐(なつか)しまれるのであった。」
「乙酉(いつゆう)の年(明亡後二年目)、南京が陥落し、止祥は郷里に逃げ帰る途中、土匪に襲われて、刀剣を顎に当てられ、命のほども危かったが、一番大事な宝だけは守り通して、あくまで阿宝を手放さなかった。
 丙戌(へいじゅつ)の年(明亡後三年目)、監軍として台(たい)州(浙江省)に駐箚(ちゅうさつ)していたとき、乱民の掠奪に会って、止祥は金銀財宝をことごとく失い、無一文になったが、阿宝は帰郷の途々、曲(うた)をうたって金をかせぎ、主人に食べさせた。郷里に帰りついて半月たつかたたぬに、彼はまたも阿宝を連れて、どこか遠くへ行ってしまった。
 止祥は妻子を古草履でも捨てるように捨てて顧みず、孌童かげまを生命としていた。その癖は実にそのようであった。」



「劉暉吉(りゅうききつ)の女優」より:

「女優は妖(なまめ)かしさで同情され、身のこなしのたおやかさで同情され、優しいそぶりで同情される。(中略)ところが劉暉吉の場合はそれとちがう。劉暉吉は奇情と幻想をもって従来の芝居の欠陥を補おうと考えている。
 たとえば唐の玄宗皇帝が月宮に遊ぶくだりで、葉法善(しょうほうぜん)が登場すると、とたんに舞台が真暗闇になり、法善が手をあげ、剣が落ちてくるよと見るまに、霹靂(へきれき)一声、黒幕がさっと引かれて、月がポッカリ現われる。コンパスで画いたようなまん円い月である。四面の羊角灯によって五色に染められた雲気のなかに常儀(じょうぎ)が坐っており、呉剛(ごごう)は桂(かつら)の樹を斫(き)り、白兎は薬を搗(つ)いている。薄紗(うすぎぬ)の帳(とばり)の内には数本の松明(たいまつ)が、青黒い焰をあげて燃え、いましも夜が明け初(そ)めたけはいで、さっと布(ぬの)を投げると、それが梁(かけはし)となって、玄宗はついに月窟へと渡って行くのである。その境界の神奇さに、人はそれが芝居であることを忘れてしまう。」



「朱楚生(しゅそせい)」より:

「朱楚生は女役者にすぎぬ。(中略)しかしながらその科(しぐさ)・白(せりふ)の妙は、本腔の役者といえども、彼女の十分の一にも及ばぬものがある。」
「楚生は、容色こそそれほど美しくないが、絶世の美人といえども彼女のもつ風韻はあるまい。楚々として秀で、その思いつめた心は眉にある。その情(じょう)の深さは睫(まつげ)にある。その人意を解する様子は、眼を半眼に閉じてそろそろ歩くところにある。芝居に生命を打ちこみ、全力をくだしてこれを為すのである。」
「楚生は放心状態になることが多かった。そのいちずに思いつめた情は、われ知らず風に乗ってふらふらと飛び去るのだった。
 ある日、(中略)折から日暮れ方であったが、靄(もや)が立ちこめて、林の木々が薄暗くなると、楚生はうつむいたきり物も言わず、ぽろぽろと涙を流した。わたしがどうしたのかと訊ねると、彼女はさあらぬていに言葉を濁したが、うつうつとして心を痛め、ついに情に殉じて死んだのであった。」



「韻山(いんざん)」より:

「祖父は年をとってからも、決して書物を手から放さなかった。書斎に書画や瓶子(へいし)、骨董などを飾ることも好きだったが、あの書物この書物のページをめくったり、書物の山の中から書物をさがしたりするため、数日もたたぬうちに巻帙(かんちつ)は逆さまになるは、順序はめちゃくちゃになるはで、硯の表面は埃がうず高く積もってしまう。祖父はいつもそうした中で埃まみれの硯に墨をすり、紙と筆に頭と眼を突込むようにして、さっさっと書生流に蠅の頭ほどの細字を書きなぐるのだった。日が暮れて暗くなりかかると、書物を持ったまま簾(すだれ)の外に出て、外の光に近づけて読む。燭台が高くて、灯火の光が紙に届かないと、机に倚(よ)りかかったまま、書物を灯火に近づけて、光と共にうつ伏せになる。いつも真夜中までそのようにして、疲れを知らぬのであった。」


「懸杪亭(けんしょうてい)」より:

「わたしは六歳のとき、亡父のお供をして懸杪亭で読書した。」
「わたしは子供の時分に遊びに行くのを楽しみにしていたものだが、今でも夢の中でよくそこへ尋ねて行くのである。」



「龐公池(ほうこうち)」:

「龐公池には一年を通じて船は得られぬ。ましてや夜船、ましてや月を見るための船など、むろんありはしない。
 わたしが山艇子(さんていし)で読書するようになってからは、池の中に小舟を備えることにし、月の夜は毎晩池の中に漕ぎだし、城壁に沿って北海坂(ほっかいはん)までゆき、往復五里ほどの間をぐるぐる漕ぎまわった。
 山かげの家々は、門を閉ざして寝てしまっており、灯火も見えず、ひっそりとして暗く、寂寥の気はそぞろ身に沁みる。わたしは舟の中に敷いた竹むしろの上に寝ながら月を見る。小童が船首で曲(うた)を唱うのをうつらうつら夢心地で聞いているうちに、声はしだいに遠のき、月もしだいに淡くなって、とろとろと寝入ってしまう。歌が終わったとたんに、はっと眼が覚めて、むにゃむにゃと口の中で歌をほめると、ついでまた鼾(いびき)をかく。小童も欠伸(あくび)をしてごろんと横になり、たがいに重なり合って寝る。船頭は船を返して岸に着くと、篙(さお)をコトコトと叩いて、わたし達を起こして寝に就くよう促がす。このとき胸中はからりとして、芥子粒(けしつぶ)ほどの夾雑物もなく、枕につくなり、ぐっすり寝入ってしまって、日が高く昇ってからやっと起き、世の中の憂愁というものがいかなるものかも知らないのであった。」



「王月生(おうげつせい)」より:

「月生は冷淡なこと孤梅冷月のごとく、誇り高きこと冰霜を含めるがごとく、俗人と交わることを好まなかった。面と向かって同坐している時でも、まるで何も見ていないようなふうであった。ある貴公子は彼女に入れ揚げて、半月がほども寝食を共にしたのであるが、彼女に一言(ひとこと)も物を言わせることができなかった。ある日、彼女の口がもぐもぐ動いていたので、幇間(ほうかん)が驚喜して、公子のところへ走って行き、「月生が物を言っております」と注進におよんだ。すわこそ瑞祥、とばかりに色めき立ち、さっそく駆けつけて様子を伺うと、彼女は顔を赤らめ、ついでまたやめた。公子が口をすっぱくしてしきりに頼むと、もごもごと、やっと一言いった。
 「帰ります」」



「自為墓誌銘」より:

「蜀(しょく)人張岱(ちょうたい)、陶庵(とうあん)はその号である。(中略)きわめて繁華を愛した。(中略)ついにうかうかと半生を過ごし、すべては夢まぼろしとなってしまった。
 五十になった年に、国は破れ、家は滅びたので、世を逃れて山にはいった。」
「常に自分を批評して、七つの不可解ありとした。さきには布衣(ほい)のくせに公侯を気取っていたのが、今では世家(せいか)粉でござると称しあんがら、乞食同然の暮らしをしている。かくの如きは貴賤をごっちゃにしたもので、不可解の一である。産は中流階級の人にも及ばぬのに、石崇(せきすう)のような大富豪の向うを張って金谷(きんこく)の宴のような豪奢な宴を張りたがるし、世には随分と出世の抜け道も多いものを、独り頑固に株(くいぜ)を守って山に引きこもっている。かくの如きは貧富をあべこべにしたもので、不可解の二である。書生の身をもって戦場に乗り出し、将軍の身をもって文苑をひっくり返している。かくの如きは文武をとりちがえたもので、不可解の三である。上は玉皇大帝に陪(ばい)しても諂(へつら)わぬが、下は卑田院(ひでんいん)の乞食に陪しても驕(おご)ることがない。かくのごときは尊卑をごたごたにしたもので、不可解の四である。弱気のときには面に唾(つばき)を吐きかけられても乾くにまかせているが、強気のときには単騎で敵陣の中に躍りこむ。かくの如きは寛猛をあべこべにしたもので、不可解の五である。名利の争奪には甘んじて人後に居るが、物見や遊びごとには断じて人に先を譲りはせぬ。かくの如きは緩急をとりちがえたもので、不可解の六である。博奕(ばくち)やちょぼいちでは勝負の見分けさえつけきれぬのに、茶を啜(すす)り水を嘗(な)める段になると、よくその水の出所を言いあてることができる。かくのごときは智愚をまぜこぜにしたもので、不可解の七である。以上七つの不可解を有している。自分でさえ解せぬのであるから、どうして人の解するを望もうか。(中略)書を学んで成らず、文章を学んで成らず、仙を学び、仏を学び、農を学び、圃を学び、いずれも成らなかった。世人が自分を呼んで、極道(ごくどう)息子といおうと、廃物(すたれもの)といおうと、頑民といおうと、鈍秀才といおうと、居眠り男といおうと、死にぞこないの老いぼれお化けといおうと、仕方のないことである。」



























































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本