川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 (研究社選書)

「人間がこの地上に生をうけるとは、光の国であるイデア界から追放されることにほかならず、彼は数十年の苦難の生の後、ようやく元の光の国に回帰する。」
(川崎寿彦 『鏡のマニエリスム』 より)


川崎寿彦 
『鏡のマニエリスム
― ルネッサンス想像力の側面』
 
研究社選書

研究社
昭和53年9月10日 初版発行
227p 
18×11.8cm 
紙装上製本(薄表紙) カバー
定価980円
装幀: 熊谷博人



冒頭に引用した「光の国」うんぬんはネオプラトニズムの死生観の説明ですが、かんがみるに、わが国「物語の出で来はじめの祖(おや)」であるところの「竹取物語」こそまさにエイリアン少女が主人公のネオプラトニズム小説であったわけで、カグヤ姫の鏡はマニエリスム的な自閉症の月の鏡でありました。
それはともかく、本書はうっかりしてまだよんでいなかったのでアマゾンマケプレで最安値のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。

本文中図版(モノクロ)多数。


川崎寿彦 鏡のマニエリスム 01


目次:

プロローグ――エリザベス女王と浴室の鏡

1 鏡の歴史相と普遍相
 古代の鏡は人間的欲望の万華鏡であった
 比喩としての鏡はいっそう重要である
 明晰な近代リアリズムの鏡
 魔法の鏡もあった……
 鏡像体験は分身体験でもある
 『雪国』の鏡もドッペルゲンガーを生む
 鏡面呪術は今日にも生きている

2 ダンとマニエリスムの鏡
 ベイコンは鏡の比喩をどう用いたか
 マニエリスムの鏡は新プラトン主義につらなる
 ベイコンと同時代のダンの鏡は……
 ダンは鏡の眩暈を知っていた
 恋人の瞳も鏡であった
 涙の凸面鏡と触覚型イメジ
 涙は地球儀に変わる
 「恍惚」の瞳と視覚の原理
 新しい世界が新しい視覚の原理を生む
 シェイクスピアにとって眼は何であったか
 眼の〈マニエラ〉
 瞳の凸面鏡は子を孕む
 奇想(コンシート)とは妊娠(コンシーヴ)することである
 凹面鏡はきらわれ、凸面鏡は好かれた
 絵画史のなかの凸面鏡
 聖パウロの鏡と眼鏡の比喩
 ハーバートの鏡とステンドグラス

3 望遠鏡からマーヴェルの鏡まで
 ヴォーンと聖パウロと望遠鏡
 ダンの宗教詩と望遠鏡
 望遠鏡は宇宙の歪みを教える
 でも、まだ凸レンズはタブーであった
 顕微鏡とともにタブーは消える
 パスカルにおける極大と極小
 ガラスと鏡の両義性
 形而上詩は鏡の両義性を愛した
 〈感性の分裂〉は魔法の鏡を割る
 マーヴェルの緑の鏡
 マーヴェルは時代の最後の鏡をかざす
 だがマーヴェルの新しい鏡はスウィフトを占う

エピローグ――無限級数の戦慄

あとがき



川崎寿彦 鏡のマニエリスム 02



◆本書より◆


「鏡の歴史相と普遍相」より:

「鏡が「映す」ものでありながら「顕す」ものであるという二面性は、おそらくそのままイメジというものの二面性とつながっているのだろう。そもそも〈イメジ〉という概念が、二つのまったく違った方向を指し示す。その語が一つには「外界の模像」を意味し、もう一つには「内界の反映」を意味するからである。心理学における〈イメジ〉の重要性は、その概念が後者の意味で理解される場合に高まるといえるだろう。
 鏡の奥をのぞきこむ行為は、自己の心理の深層をのぞきこむような、畏怖に満ちた体験である。心象としてのイメジの問題は、鏡を軸にして、肖像(にすがた)としてのイメジの問題とからんでいく。
 水面にしろ、なにか磨かれた物の表面にしろ、そこに自分の影が映し出されるのを認めた瞬間のわれらの祖先の狼狽、畏怖、感動、不安は、おそらくわれらの内部に祖型的な体験として残っているだろう。それは自己の実在性の確認であるとともに、その分裂、稀薄化の体験であったと思われる。(中略)「映す」とは「移す」ことにほかならなかった。鏡の向う側に自己の実体が移動し、こちらを見つめているという眩暈に似た体験、鏡の向う側にもう一つ世界があるという認識がもたらす恍惚たる分裂感覚は、人間心理のある局面とつねに深くかかわってきたのである。」

「わが国の能舞台の奥にある〈鏡の間〉とは、舞台に歩み出る前の能役者が自己の姿を鏡に映しつつしばしたたずむための空間であるが、その行為の目的は、たんに衣装や面を整えるという実用的なことでなく、着衣着面のおのれの姿を見つめることによって、そのペルソーナを獲得することにある。きわめて厳粛な呪術空間と呼ぶべきである。」



「ダンとマニエリスムの鏡」より:

「グロテスクにゆがんだ映像を与える種類の鏡、あるいはその種の鏡を何枚か組み合わせた遊戯的な光学器械は、当時のヨーロッパでかなり出回り、話題になったものであるらしい。皮肉なことだが、これも鏡の製造技術の進歩の副産物であったのだろう。つまり、物を明るく正しく映す鏡をたくみに作れるようになった職人たちの、いささかよこしまな手すさびの結果だったのである。
 これはすぐれてマニエリスティックなことではなかっただろうか。なぜならマニエリスムとは、実用性よりは遊戯性が、自然よりは術(アート)が、表現よりは手法(マニエラ)が、そして理性よりは想像力が、優位に立ったときに生まれるものにほかならないから。」

「芸術家は、外に実在するものを模写するだけでなく、外には実在しなくても彼自身の内部で着想(コンシーヴ)されたものを外部へ投射する存在となる。」
「時代はあきらかにプラトン主義的な模倣の反射鏡から、新プラトン主義的な創造の映射機に、鍵暗喩(キー・メタファー)を移しかけていたようである。」

「外の世界で科学的認識構造がコペルニクスの転回を達成しつつあったとき、内の世界ではそれをもう一度裏返す奇想の手づまが演じられていた。それは拡散に対する収縮の主張であり、宇宙論的中心喪失(コズミック・アセントリシズム)にあえて拮抗して、自分自身またはその密室を〈中心〉として再主張しようとする挑戦的意志であり、あるいは足元をすくわれて宇宙の暗闇に投げ出され塵と化する運命を拒否して、密室のベッドのぬくもりに自己の存在を確認し合おうとする退行的情熱である。」

「そもそも一六世紀には地球儀や天球儀の類が普及しはじめ、次第に紳士の書斎の必需備品となってきた。(中略)しかし詩人たちがこれらの地球儀・天球儀にかけたさまざまの想いには、複雑に屈折した反動的感性が垣間見られることが多いように感じられる。彼らのある者は、宇宙像が急速に拡大してゆくことに純粋な知的興奮を感じたかもしれないが、他の者はむしろ自己の書斎(ストゥディオーロ)に愛玩可能なサイズの宇宙を閉じこめようとこころみていたのではなかったろうか。トマス・ブラウン卿(一六〇五―八二)はつぎのように意味深い述懐をしている。
   私が本気で考える世界は私自身であり、見つめるのは私の身体という小宇宙である。もう一つの世界のほうは、地球儀のように使って、ときどき暇つぶしの楽しみにくるくる回して見るだけだ。(『医家の信仰』 Religio medici 第二部)」

「古代から中世をつうじルネサンスまで、視覚についての多くの仮説があったが、それらに大なり小なり共通しているのは、視覚をある種の触覚として理解しているという点である。たとえばピタゴラス学派は、物体が粒子を放射し、それが眼に当たることによって視覚が生じるとする、放射理論の立場をとった。プラトン学派はもうすこし複雑で、光源から放出された光線と、物体から放出された粒子と、そして眼との間の相互作用として視覚を説明している。」
「中世を支配したスコラ哲学も、視覚についての理論においては、古代の理論を継承していたといえるだろう。すなわち古代の原子論におけるアトムと同じく、物体から放出される〈志向的形質(エスペケス・インテンチオネレス)〉が空中を飛来し、眼球の触覚を押して視覚を生ぜしめる。こうして受けとめられたのが感性的形質であり、これを能動的理性が抽象して知性的形質(本質)をとらえるのだと説明された。とくにわれわれとしては、この〈志向的形質〉の別名が〈形象(イマーゴ)〉すなわちイメジであったことに、興味をひかれるのである。」

「人類にとって眼とはそもそも強い呪力を有するものであった。(中略)邪眼(イーヴル・アイ)といういみじき言葉も忘れがたい。さらには暴力社会で「眼(がん)をつける」という行為がおそろしいタブーである理由もそこにあるだろう。そのうえどうやらその呪力は、たんに破壊的な作用を有しただけでなく、生殖の作用ともかかわり得たらしいのである。わが国の古語において「目合(まぐはひ)」が性的結合を意味したのは、けっしてたんなる婉曲語法(ユーフィミズム)ではない。(中略)ダンの恋人が目で子を孕ませたとしても、すこしも不思議ではない。彼らは互いの視線を「二重の縒り糸」にするほど、ひたと見つめ合うことによって、まさに祖型的に「目合(まぐわ)」っていたのである。」



「エピローグ」より:

「さてわれわれは、レオナルドとスウィフトの間にはさまった時代の文学を考察し、そこにたとえば、ダンの瞳や涙の凸面鏡が自己の映像を無限に反映するのを見た。またパスカルのダニが宇宙を含み、さらにその宇宙がダニを含むのを見た。あるいはマーヴェルの緑の牧場が鏡に変じ、人の肉に変じ、人の心に変じて、自然のたたずまいをさまざまに映すのを見た。映像(イメジ)が、また想像力(イマジネーション)が、分裂し、交錯し、自己増殖を続けつつ、最後のきわどい人工的な統一を保持していた時代だったと思われる。そしてそこに各種の鏡の乱反射が多様な光芒を添えていたことが、とりわけて注目を惹くのである。」




こちらもご参照下さい:

多田智満子 『鏡のテオーリア』
宮川淳 『鏡・空間・イマージュ』
由水常雄 『鏡の魔術』 (中公文庫)
谷川渥 『鏡と皮膚 ― 芸術のミュトロギア』
































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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