川崎寿彦 『ダンの世界』

「このような逃亡の姿勢はすべての形而上派詩人たちになんらかの形で共通するものだが、とくにダンと、この伝統の最後を飾ったサー・トマス・ブラウンとの類似はいちじるしい。」
「ブラウンは、ひそかなもの、かくされたものにこそ、真実と永遠性の保証を見るのだし、小さく目立たぬものの至福を讃美するのである。(中略)ブラウンは言っている――「知られずにあることこそ永続の手段であり、めだたぬことこそ守りである」と。」

(川崎寿彦 『ダンの世界』 より)


川崎寿彦 
『ダンの世界
― 天上の女と地上の神』
 

研究社
1967年6月1日 初版発行
1972年7月20日 三版発行
274p まえがき・目次7p
18.6×13.4cm 
丸背クロス装上製本 カバー
定価1,000円



本書「むすび」より:

「私はダンを、若くして〈天上の女〉を求め、老いて〈地上の神〉を追った詩人である、と考えたい。」
「なぜなら人間は、若いころ(中略)は、みんな大なり小なりアイデアリスト・パーフェクショニストであり、のちに社会人として人生を生きるようになってはじめて、妥協と不純を学ぶのだから。ただ、このおなじ経過が、その人にとって成長を意味する場合もあれば、退歩を意味する場合もある――それだけの違いはあるわけだが。」



本書はアマゾンマケプレで最安値のを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。
そういうわけで、前半(非社会人=「孤島」であったころのダンを論じた部分)はたいへん興味深いですが、後半(その後の「孤島」でなくなった社会人としてのダンを論じた部分)はたいへん退屈でした。「社会人」とか「人生を生きる」とか「成長」とかにはまったく興味がないからです。
しかしそれはそれでよいです。


川崎寿彦 ダンの世界 01


目次:

まえがき

序――方法について

第一章 なぞのダン
 1 懐疑的な主任弁護人
  〈分裂〉の神話
  証言の要約
  証言をひるがえす
  回心の実態
  〈主観的〉批評と〈客観的〉批評
2 さまざまな証言(占星術師から宇宙飛行士まで)
  アウグスチヌスからハムレットへ
  二十世紀のファンタジー

第二章 その恋愛詩
 1 恋愛への逃避?
  宇宙迷亡
  「お早よう」
  居心地よい小さな世界
  反社会性
  シニカルな詩
  パーフェクショニスト
 2 恋愛からの逃避?
  アイデアリズム
  〈一〉に向かう姿勢
  弁証法的単性生殖
  新プラトン主義
 3 天使的愛についての仮説
  非行為者の恋
  「遊離」の態度
  女性のイデア
  イデアとシャドーボクシング

第三章 イメジャリー分析
 1 イメジャリーの奥ゆき
  底になにかがある
  ふたたび〈なぞのダン〉
  傍証――「列聖」の比喩
 2 あるイメジャリーの系譜
  〈照応〉の原理
  〈巨大な鎖〉
  〈秩序〉への願望
  〈象徴主義〉の伝統
  ルネッサンスとプラトン主義
  近世のマイクロコズム
 3 そしてダンはそれを……
  正統的な象徴主義
  より広く〈象徴的〉に
  逆説・誇張・行きあたりばったり
  涙の〈マイクロ・マイクロコズム〉
  より小さく、より奥まって
  そしてイデアへむかう

第四章 天国は汝のうちにあり
 逃避者の天国
 宗教的恋愛詩
 エゴチスト
 あこがれは自我の喪失
 プラトン主義者
 プラトニック・リアリスト
 「恍惚」
 ペトラルキスト・ダン
 天国の所在

第五章 時代背景
 1 分裂の時代
  危険な次代
  ダンと時代不安
  何を、なぜ、おそれたか
  逃亡の姿勢(サー・トマス・ブラウン)
  拡大する宇宙と考える葦
  アゴラフォービア(広場恐怖症)
  小さいものへの偏愛
  その他の詩人たちも
 2 融合の願望
  意味づけ
  調和の原型
  ダンのばあいも
  宗教的奥ゆき
  ノミの歌
  分裂の時代なればこそ
 3 美しすぎる〈囲われた庭〉
  〈メタフィジカル〉という意味
  クーリーとダン
  形而上的逃避
  マーヴェルの「庭」
  楽園脱出

第六章 その後の足どり
 1 純粋観客
  エラスムスとダン
  〈小さな部屋〉の現実
  苦悩と成長
  行動への欲求
  屈折・ゴスの推理
  神の道・人の道
  二転・三転
  不決断・行動からの逃避
 2 ためらいながらも
  家賃の詩
  その構造
  「第一周年追悼詩」――悲嘆のエレジー
  「第二周年追悼詩」――なぐさめのエレジー
  進歩
  伝道者意識の誕生

第七章 ヨルダンを渡れば……
 1 雲より語る天使
  スター牧師
  不純と妥協
  プリムローズの教え
  〈小世界〉のゆくえ
 2 〈自〉と〈他〉――〈一〉と〈多〉
  観客から役者へ
  〈他〉の意識
  聴衆への伝達
  〈働きかけ〉の神学
  〈多〉の主張
  もうひとりのプラトン
 3 ヨルダンを渡っても……
  ぶきみなナルチス
  スーパーデラックスの元祖
  神への溶解
 4 誰のために鐘は鳴ったか?
  二人のダンがいた
  島と大陸
  鐘は鳴る

第八章 天国は汝らのあいだにあり
 文体の変遷とダン
 英国国教会とダン
 プロテスタンティズムとダン
 宗教の二つの面とダン

むすび――天上の女、地上の神

参考文献
索引



川崎寿彦 ダンの世界 02



◆本書より◆


「序」より:

「もしかりにダンを山にたとえるとすれば、妙義山のような山ではないだろうか。突兀峨々(とっこつがが)として奇抜ではあるが、ひじょうに品位ある山容とはおもえない。」
「時代によって、また個人によって、ダンに対する好みが極端にちがうのも、こんなところに原因があるのかもしれない。すくなくとも私は、どちらかといえば伊吹山のような山が好きなのである。それはとくに高くはないが、裾野からのゆったりした稜線がいつ見ても美しい。おなじ十七世紀の作家でも、サー・トマス・ブラウンなどはこの感じである。」



「第二章」より:

「たしかにエンプソンのいうように、ダンがその恋愛詩の多くを書いたと考えられる一五九〇年代のロンドンでは、若いインテリのあいだに異端的風潮がうずまいていた。そしてそのいくらかの部分が新しい天文学に関係していたこともまちがいない。つぎつぎに発見された「新星」が、古い宇宙秩序の崩潰を不吉に予言していたし、そのような現象とそれまでに達成されていた地球上の新大陸発見との当然と言えば当然すぎる連想から、「新しい世界」「新しい人種」が宇宙のかなたの惑星上に空想されるようになったことも、自然の勢いであったといえよう。この間の事情については、エンプソンのような無責任(?)なニュークリティックだけでなく、博学無類な概念史派の学者ニコルソン教授によって充分に語りつくされていることを、つけくわえておこう。」
「ところでエンプソンはここから出発して、当時のインテリの最尖端を行っていたダンが、「惑星移住」のひそかな願望を彼の恋愛詩にこめたと推断するのである。」



「第二章」より:

「ダンとその後継者たちについてもっとも初期に語られたもっとも有名なことばは、ドライデンのつぎのことばだろう。

  ダンは、サタイアのなかだけでなく、自然の感情のみが支配すべき恋愛詩のなかでさえ、メタフィジックスをてらう。そして、彼が女性たちのこころをとらえ彼女らを愛のやさしさでたのしませるべきときに、哲学のややこしい思弁でもって女性の頭を混乱させる。

 またこれに続いて十八世紀のジョンソン博士が、クーリー(Abraham Cowley)を形而上派詩人の代表に立てて批判した評論も有名である。これも論旨を簡単にまとめれば、これらの詩人たちが「自然を逸脱して形而上学をてらった」ということである。」
「私は、この二人の言っていることはまことにもっともだとおもう。たとえばジョンソン博士がこれらの詩人たちを評して「遊離した」(“detached”)傍観者であると評したことばは、彼ら文学のある一面をついてまさにこれ以上を望めない洞察だとおもう。」
「エリオットも、さすがにすぐれた洞察力を示している。ダンはたいした恋愛はしなかったろう、というのだ。」
「ただわれわれにとって重要なのは、ダンは「たいした恋愛」をしていなくってもたいした恋愛詩が書ける詩人だった、ということである。(中略)つまり、やはり詩的想像力の問題である。
 そしてもうひとつ、さらに重要なのは、その「たいした恋愛詩」が、たえずなにか純粋な恋愛以外のもの、なにかダンにとってもっと切実であるらしいもの、を表しているような印象を与えることである(中略)。つまり、詩的想像力の偏向の問題とでもいえるだろうか。」
「つまり本質的に恋愛に身をゆだねていないということである。」

「私はダンが典型的な〈アイデアリスト・パーフェクショニスト(つまり、イデア的存在に執着しているため、地上の妥協に満足できないタイプ)であったことが、その全般的に〈非行為者的〉姿勢の原因だとおもっている。その意味でダンはハムレットに似ているのだ。そしてダンがごくまれに示すほとんど突発的ともおもえるほどの行動力(中略)も、やはりいくぶん、カーテンのかげのポロニアスを刺殺したハムレットのそれと似かよっていないだろうか。」



「第三章」より:

「〈マイクロコズム〉はけっして思想史上の一時的な気まぐれではなく、西欧の思想体系のなかにがっちりと組みこまれたものだった。たとえば、ライプニッツの〈モナド〉はやはり一箇のマイクロコズムではなかったろうか。私はライプニッツをよく知らないから、『ブリタニカ』第八版がまとめたところを引用しておきたい。

  多を一にあらわすのがモナドの性質であり、そしてこのあらわす行為はすなわち、外界の事象が内部に映されるところの知覚である。それ自体の活動によってモナドは宇宙を映し出すが、それぞれのモナドがそれぞれの方法でそれぞれの視点からそれをおこなうのである。」

「だが私の目的はけっしてダンを新プラトン主義者と定義することではない。彼に出来あいのレッテルをはろうとするこころみは、たいていの場合、こっけいな失敗に終わるだろう。たとえば、このマイクロコズム概念のとりあつかいにしても、ダンの特徴はけっして正統性のなかには発見されない。たとえどれだけ伝統的な概念でも、彼の手にかかれば、特異な、きわめて個性的な機能を発揮するものに変えられてしまう。」



「第四章」より:

「ここで私は、かつてなされた二つの重大な発言を想起する。第一は、ラヴジョイが〈存在の鎖〉について語った「〈一〉への指向は、中世キリスト教会が教えた contemptus mundi (現世の軽蔑・天への渇仰)の方向にほかならない」という正確な指摘である。ダンの恋愛詩にはたしかにそれがある。」
「もう一つは、リーシュマンが「ベン・ジョンソンとダンの詩の相違は、public な詩と private な詩の違いだ」と定義したことである。引用してみよう。

  ホワイトヘッドがかつて宗教を定義して「個人が孤独をどう扱うかということだ」と書いたことがある。ダンのまじめな詩のほとんどすべて――宗教詩におとらず恋愛詩も――は(中略)詩人が孤独をどう扱っていたかの記録である。この孤独性(solitariness)この私的性格(privateness)この自己充足性(self-containedness)、これこそが、しばしば弁証法的で劇的な表現もとるが、ダンおよびいわゆる形而上派と、ジョンソンおよび古典派またはホラチウス派とのあいだのもっとも重要な差違であるようにおもわれる。」

「また、よく言われるダンに自然描写がないという事実も、すこし比喩を延長すれば、窓際に立ったダンが、外の景色は見ずに窓ガラスに映る自分の姿に見とれているからだ、といえなくもない。ある批評家はいみじくも言っている――「ダンは、一生、自分自身の姿を反射しないような窓を知らない男だった」と。」

「ダンの恋愛詩は、〈一〉へ、絶対的な〈イデア〉へと向かう衝動を顕著に示すものであり、その意味で本質的に宗教的性格を帯びたものであった。
 しかもその〈一〉への圧倒的な指向は、彼の内部の強烈な自我の渇望を満たすためのものであった。その意味で、彼の天国は、エンプソンのいう宇宙の涯(はて)の新惑星にあったのではなく、彼自身の内部にあったのである。」



「第五章」より:

「このような逃亡の姿勢はすべての形而上派詩人たちになんらかの形で共通するものだが、とくにダンと、この伝統の最後を飾ったサー・トマス・ブラウンとの類似はいちじるしい。」
「ブラウンは、ひそかなもの、かくされたものにこそ、真実と永遠性の保証を見るのだし、小さく目立たぬものの至福を讃美するのである。ダンの恋人たちが「半エーカーの墓地」よりも「美しく作られた骨壺」におさめられたいとねがったのと、まったく一致するわけだ。ブラウンは言っている――「知られずにあることこそ永続の手段であり、めだたぬことこそ守りである」と。また、「ひそやかにひとりいることにより罪を知らぬものはさいわいなるかな」と。」

「ブラウンは、つぎのような忘れがたく印象的なことばを語るのである。

  私が見つめる世界は私自身であり、私が目をやるのは私自身の体というマイクロコズムである。もう一方〔すなわち大宇宙〕はといえば、それを私は私の地球儀のように用い、自分のたのしみにくるくる廻してみるのだ。(中略)地球がわずか一点にすぎないのは、われらの頭上の天と比較した場合だけでなく、われらの内部の天国のごとく霊的な部分と比較してもそうなのである。(中略)私は自分自身がどのようにマイクロコズムまたは小世界であるかと研究してみても、自分が大世界より以上のものであることに気づくのだ。たしかにわれわれの内部には神性の一片が存在する。(『医家の信仰』第二部十一節)
 
 大世界がじつは小世界にすぎず、小世界こそがじつは真の大世界なのだという逆説は、ダンのお得意であったことをわれわれは知っている。しかも大世界を一箇の地球儀にみたてる比喩も、ダンがすでに用いている。ただダンの場合にはそれらの逆説が、説教者としての修辞的効果を最大限に発揮することを第一の目的にしているのにくらべ、ブラウンの場合、彼の生活全体が、科学者としての自然観察をじつは科学と自然からの逃避の手段として利用していたという逆説になっている。その意味でこのおだやかな新プラトン主義者の文学は、ダンの場合よりもさらにいっそう切実になった時代精神の苦悩の象徴とみなされるのである。」

「こうして、いわゆる形而上派の詩のもっともそれらしい表現のかなりな数は、〈大〉と〈小〉の象徴関係をもって代表されるような〈照応〉の原理に対するさまざまな働きかけを示し、しかもそこになんらかの全価値的意義を信じたいという姿勢を示すものであることがおわかりいただけたとおもう。それは、現実の世界――大世界――が膨脹し、拡大し、自己崩潰の危険にさらされるにつれて、すくなくともそれに対する詩の世界には、美しく緊張した統一と照応の原理があることを信じようとする態度であったといえないだろうか。」





こちらもご参照下さい:

M・H・ニコルソン 『円環の破壊』 (小黒和子 訳)
オリバー・サックス 『妻を帽子とまちがえた男』 高見幸郎・金沢泰子訳 (サックス・コレクション)
岡谷公二 『島 ― 水平線に棲む幻たち』 (日本風景論)


















































































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本