川崎寿彦 『マーヴェルの庭』

「〈囲われた庭〉についても、その背後にはかなり広汎な心理的要因がひそんでいると推測するのが至当であろう。そしてそれは、(中略)十七世紀の一部の作家たちに共通する、あの広場恐怖症的 agoraphobic な心理傾向であったように思われる。」
(川崎寿彦 『マーヴェルの庭』 より)


川崎寿彦 
『マーヴェルの庭』


研究社
1974年3月10日 初版発行
340p 目次3p
A5判 丸背クロス装上製本 
機械函
定価2,300円



本書はまだよんでいなかったので、アマゾンマケプレでよさそうなのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。送料込で1,400円でした。
本書は要するに引きこもりの心理と世界観を英詩の伝統に探った本であります。
欧米的労働尊重的世界観からすると引きこもりは「悪」であり、あらかじめ失われた楽園は地上に求むべくもないですが、東洋的無為自然の世界観からすれば引きこもりは「徳」であり、仙境はいま・ここにあります。引きこもらずに外へ出る「成長」好きの欧米人は植民地主義者や侵略者、環境破壊者にならざるを得ないです。近代日本はある意味欧米なので引きこもりへのバッシングはとてつもなく熾烈であるゆえ、高度経済成長期の日本人である川崎氏は十八世紀英国形而上詩人の庭=小世界(ミクロコスモス)へのアンビヴァレントな愛憎(引きこもりたいけれどうしろめたいから外に出なければならない)に共感するのでありましょう。


川崎寿彦 マーヴェルの庭


帯文:

「近代思想史の大分水嶺である十七世紀の英国にあって、その精神風土が象徴的に表われた〈庭〉を秀抜に歌い上げたマーヴェルの驚嘆すべき詩才を、気鋭の著者が繊細な詩的感受性に裏打ちされた明敏な批評眼でとらえる。」


目次:

序章 ホモ・ホルトゥラーヌスからクロムウェルまで

第一章 マーヴェルと十七世紀の庭
 庭狂い(フュロール・ホルテンシス)
 清教徒たちの庭
 王党派の庭
 両派の対比
 そしてマーヴェル……
 囲われる心理
 〈庭〉と〈小世界〉

第二章 庭に自閉する――「子鹿の死を悲しむニンフの歌」
 ポリフォニック・イントロダクション
 政治世界との照応
 子鹿と小羊
 小羊派の系譜
 鹿狩りの儀式
 ピエタ
 〈庭〉と聖母
 処女と一角獣
 ニンフの純潔
 傷心と自閉と白昼夢
 投射と補償
 庭の侵入者
 イデアの世界へ
 彫像と永遠化

第三章 庭を賛える――「庭」
 家庭教師
 〈庭〉の喚喩法
 創作年代推定の問題点
 花時計のなぞ
 第一連――安息の庭
 第二連――美味なる孤独
 第三連――女嫌いの庭
 第四連――愛欲と変身
 第五連――樹木性愛(デンドロエロチシズム)
 その暗喩性の評価
 第六連――緑蔭緑想
 第七連――銀の翼に紅の光
 第八連――アンドロギュノス・アダム
 最終連――かぐわしき花時計
 庭のなかの時間
 花のカイロス
 〈庭〉の隙間風

第四章 庭を責める――「庭を責める草刈人」
 〈反〉の英雄
 〈反〉の庭
 Art 対 Natura
 Nature 対 Nurture
 「接ぎ木」は是か、否か?
 「自然児」は自然か?
 政治と自然
 草刈人の正体は?
 庭のメフィスト

第五章 庭でためらう――「アプルトン屋敷を歌う」
 作品の構成
 つつましい家
 誇張の調子(トーン)
 仮の宿
 尼僧院という〈庭〉
 蛇の雄弁
 行動の人ウィリアム
 英雄像の曖昧さ
 花園の人工性
 賞賛のアンビヴァレンス
 不思議の国のマーヴェル
 草刈人の恐怖
 草刈人への賛美
 鏡さまざま
 草地から森へ
 心の森(シルウァ・メンティス)
 鳥類寓意画
 キツツキの寓意
 森のヘルメス性
 あまりに快い場所
 水辺有閑
 デミウルゴス登場
 夕闇に飛ぶカワセミ
 マリーア・ハイメン
 〈小世界〉の力業
 形而上詩の宿命
 素性を隠した苦い道化(ビター・フール・インコグニトー)

第六章 庭から歩み去る――「バーミューダ島」そのほか
 定住性と流動性
 〈小世界〉対〈新世界〉
 〈エミグレ〉と〈ピルグリム〉
 洋上楽園の秘密
 文脈の混乱
 〈時〉さまざま
 クロムウェル的〈時間〉
 クロノス対クロムウェル
 〈エデン〉から〈新エルサレム〉へ
 〈ユートピア〉から〈千年王国〉へ
 第三の〈時間〉

結章 〈世界〉から〈歴史〉へ

あとがき
主要文献
索引




◆本書より◆


「序章」より:

「庭が人間に与える喜びは、自己の手で、自己の尺度に合うように、自然を再生産し支配しえているという、象徴的満足感であろう。いいかえれば庭とは、それを作る人にとって世界の模像(イマーゴ・ムンディ)であり、小宇宙(ミクロコスモス)なのである。(中略)人間とはまさしく「庭を作る動物」と呼ばれるべきである。ホモ・サピエンスはホモ・ホルトゥラーヌスなのだ。」
「そもそも詩を書くことが象徴的行為であり、いままた庭を作ることが象徴的行為であるとすれば、庭をめぐって書かれた詩というものには、かならずや濃密で根元的な象徴性がこめられているに違いない。本書はマーヴェル Andrew marvell (一六二一―七八)の詩のなかで、〈庭〉の象徴心象が果たす機能を分析追求し、それによって彼の文学の本質に迫ろうとこころみるものである。それはこれまで私がダン John Donne (一五七二―一六三一)の文学のなかで、〈小世界(マイクロコズム)〉のイメジャリーが果たす機能を追ってきたのと、発想および方法において豊富な共通点をもつことになるだろう。そしてもしわれわれが、ダンとマーヴェルこそあの形而上詩と呼ばれる十七世紀英詩の伝統の最初と最後を飾った詩人であるという事実に注目するとすれば、この両者に共通する、類似の象徴心象の機能の分析は、形而上詩の本質に向けてのある種の洞察にわれわれを導くかもしれないのである。」



「第一章」より:

「この種の清教徒的な庭を、伝統的なホモ・ホルトゥラーヌスの庭と比較するとすれば、実体の懸隔はいかんともなしがたい。清教徒の庭は、やはり清教徒の世界の模像(イマーゴ・ムンディ)であり、それ以外の何物でもなかった。まずそれは、なによりも生産を目的とした空間なのだから、(中略)〈庭〉の根本に横たわる象徴化衝動からは、数歩遠のいた場所に位置している。」

「共和制下に王党派の人びとが作り、あるいはそれについて書いた庭が、(中略)「遊びのための庭」の伝統をつぐものであったろうことは、容易に推測できるであろう。その特徴の第一は「装飾性」であった。そして第二は(これが意外に重要な意味をもつことになるのだが)、「秘密性」といおうか、つまりは人目から守られていること privacy なのであった。」

「ヴォーンやペンロゥズの詩が都市を嫌悪し田園を賛美する強い傾向をもっていたことはすでに述べたが、クーリーの(中略)つぎの一行は同じ心情をエピグラマティックに集約している。

  God the first Garden made, and the first City, Cain.
  神は最初の庭を作り、カインは最初の都市を作った。

なお、“Cain”の語源が「鍛冶屋」であり、その子孫が「文明」の担い手となったという伝承を、想起すべきであろう。」

「十七世紀中期の〈庭〉は、すくなくとも精神的・心理的には、「囲われ」ていたのである。」
「すでに私は、十七世紀の〈庭〉が世界の代わり(スロガートゥス・ムンディ)であったであろうという推測を語った。〈囲われた庭〉がまさしくそれであったことを、いまやわれわれは疑うことができない。そもそも、なんらかの理由で世界が自分の手に負えなくなったとき、故意に自分の周囲に囲いを立てめぐらせ、扱いやすい小空間を作ってそこに自閉しようとする衝動は、人間にとってごく自然な衝動なのであろう。それはまさしく、バシュラールのいう「トポフィリ」(場所への愛)を生み出す衝動である。そしてこのようにして作られる空間は、バシュラールが「幸福な空間」、「所有している空間」、「敵の力に対して守られた空間」、「ほめ賛えられた空間」などの言葉で呼ぶところのものであろう。われわれは〈囲われた庭〉をその種の小空間の一つだったと解釈すべきである。そしてそれが十七世紀中期にとくに必要とされた理由は、あの清教徒革命を頂点とする政治・宗教・思想的緊張にほかならなかった。」
「ただし十七世紀の世界の代わり(スロガート・ムンディ)は、〈囲われた庭〉のほかにもあった。たとえばダンの部屋とか小世界のイメジャリーは、まさしくそれなのである。そして、いうまでもなく、ダンのこれらのイメジャリーは清教徒革命と直接のつながりをもたない。 
 とすれば〈囲われた庭〉についても、その背後にはかなり広汎な心理的要因がひそんでいると推測するのが至当であろう。そしてそれは、(中略)十七世紀の一部の作家たちに共通する、あの広場恐怖症的 agoraphobic な心理傾向であったように思われる。」



「第六章」より:

「マーヴェルが美しいアプルトン屋敷に「後ろ髪をひかれ」たのは、じつは彼が清教徒によって代表される新興商工業階級に最終的に身柄をあずけようとして、なおかつ定住的領主階級へのあこがれを断ち切れなかったという、相反感情(アンビヴァレンス)にほかならなかったともいえるのである。」


「終章」より:

「かつて私は、ダンのさまざまな〈小世界〉イメージが解体していく過程を論じた。いま、マーヴェルの〈庭〉という、〈小世界〉イメージの崩壊を論じ終えたところである。あとの、醒めたマーヴェルに、何が残ったか? それはあのバーミュダ島の水夫たちが、黙々と、規則正しいリズムで、オールを漕ぎ続けるような、そんな詩風であった。また彼が、凡庸なる世の為政者たちに期待したような、「規則正しい歩調で謙虚に」歩み続ける、そんな詩風であった。規範からはずれるものをきびしく責める冷厳さはあっても、それはもはや、静的恍惚とも、激動の陶酔とも、無縁であった。「ダンの息子」は、こうして、「ドライデンの父」――それも、かなり見劣りのする父――として、つつましい文学的生涯を終えるのである。」























































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本