『ミシェル・レリスの作品 3 獣道』 後藤辰男 訳

「マリネットの夢・《黒毛の小犬たちと白い小猫一匹の一隊を連れて、散歩していたの。犬たちには綱がついていたけど、猫にはないの。犬たちも猫も、雲になっちゃったわ。》」
(ミシェル・レリス 「不可能事バタイユから途方もないドキュマンへ」 より)


ミシェル・レリス 
『獣道』 
後藤辰男 訳

ミシェル・レリスの作品 3

思潮社
1971年12月15日 発行
388p 「内容」4p
口絵(カラー)1葉
21.6×13.6cm 
角背紙装上製本 機械函
定価1,800円
装幀: 田辺輝男



本書「訳者あとがき」より:

「ここに訳出したのは、Michel Leiris: Brisées, avec un portrait de l'auteur par Picasso (Mercure de France, 1966) である。これは、(中略)一九二五年から一九六五年の四〇年間に書かれた作品ノート、書評、劇評、雑報、展覧会用パンフレット記事、単行本序文、単行本別刷り折り込み宣伝文、講演原稿、雑誌論文等を収録したものであり、文学は言うまでもなく、演劇、映画、音楽、絵画、彫刻、はては民族誌学というように、多様な領域にわたってレリスを捉えたことがらの、いわば一覧表とでもいうべきものを構成している。」


本体表紙にレリスの署名が金箔押しされています。栞ひも(赤)付。


レリス 獣道 01


帯文:

「内部透視への執念が晦渋かつ特異な批評様式に結晶する評論集。
1920年代より今日に至るまでのエッセイを収録した本書は、詩人として、美学者、人類学者、また「私」にひたすら関ってゆく個人としてのレリスの基底のありようの上に、複雑に屈折し、また見遁される尖孔を通って眩暈くばかりによじれひろがる内的地平を望見させるものである」



内容:

語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九二五年
ジャン=アルチュール・ランボーの冒険的生涯
聖刻文字モナド
アーノルド・シェーンベルクについて
隠喩
文明
ホアン・ミロ
トーキー
ハンス・アルプ
よだれ
瓦壊(デバークル)
一九二九年の『フォックス・ムーヴィートン・フォーリーズ』
人間とその内部
幻のアフリカ
フレッド・アステア
私は私の作品のあるものをどう書いたか
スペイン 一九三四年~一九三六年
エリック・サティのユーモア
ニーム、十月九日のラファエリヨ
語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九三九年
癲癇
導師マラルメ
オレステースと市民
ミシェル・ファルドゥーリス=ラグランジュと詩的小説
殉教者、聖マトレル
エリ・ラスコー
アンリ・ローランス、あるいは名匠の彫刻
『逃亡』紹介
ベルナルダの家
六月の数日間
神の言葉
アンケート《カフカは焚書にすべきか?》への回答
マルセル・デュシャンの工芸
サルトルとボードレール
植民地主義を前にした民族誌学者
アルベルト・ジャコメッティのごとき芸術家にとっての石
ハイチ・ヴォードゥー教徒のカトリック教色彩石版画利用法についてのノート
ポール・エリュアールの思想における芸術と詩
ユビュのマリオネット人形
ピカソと人間喜劇、または大足(グロ・ピエ)の栄枯盛衰史
この空虚、ジャン・オービエ
『悲しき熱帯』横断
彼らの道徳とわれわれの道徳
ミシェル・ビュトールの神話的レアリスム
ルヴェルディ、日常性の詩人
レイモン・クノーについて
郵便切手の、あるいはメダルのアルベルト・ジャコメッティ
アルフレッド・メトロー管見
不可能事(アンポシーブル)バタイユから途方もない(アンポシーブル)ドキュマンへ
アンドレ・マソンの想像的世界
エーメ・セゼールとは何者か?
オペラ、プロット化した音楽

原著者解題

原・訳註
訳者あとがき



レリス 獣道 02



◆本書より◆


「語彙集(私の註釈をおし込んで) 一九二五年」より:

「奇怪な錯誤が、人々に、言語活動とは自分たちの相互関係を円滑にするために生まれたと信じさせている。このような実利的目的から、彼らは慣用と語源を基盤として、明確に定義された(と、彼らが信ずる)意味をもつもろもろの語のカタログである辞典を作成するのだ。ところが、語源学とは、全く空虚な学問であり、ある語の真の意味、各人が自分の精神的愉楽に従って当の語に賦与する特殊で、個人的な意味については何も教えてはくれない。」
「ある語の通常的な意味と語源学的意味がわれわれ自身について何も教え得ないのは、それらが言語の集団的な部分、つまり、すべての人々のために出来ていて、われわれ各人のために出来ているのではない部分を表わしているからである。
 語源学に従うことや、一般に認められている意義に従うことに頓着せず、愛する語を解体するならば、それらの語がもつ最も奥深い美質、あるいはそれらの音、形態、観念の連合をとおして互いに連絡し合う、密やかな、言語全体にわたる分枝的組織を、われわれは発見することになろう。そのとき、言語は神託と化す、そして、われわれは、そこでこそ、(中略)われわれの精神のバベルの塔の導きの糸を手にするのだ。」



「アーノルド・シェーンベルクについて」より:

「しかし、この魔術師が、周囲を溝で絶縁されて純粋状態におかれ(互いに連結し合ってはいるが)永久に他とは分離されている稀元素より成る世界、――その構成要素の各々が、それぞれ特性を保ち、いかなる関係からも独立的で、一体的ではあるが、同時に細かく分割されてもいる一宇宙である(中略)大空間を組み上げるとき、彼はまさに自分の音楽のなかに海の緑したたる一世界(ヴィジョン)を復原するのである。それはあたかも、岩石、植物、動物が間隙をおきながらも常時作用を止めぬ神秘的な照応関係によって緊密に結ばれていながら、それぞれが固有の生命を有し、独立の小世界を織りなす古典魔術の世界なのである。」


「人間とその内部」より:

「前世紀に出版された大衆的書物(エミール・コロンベ著『臨終時の奇人たち』パリ、一八六二年、エツェル文庫、E・ダンテュ書店刊、一〇五頁)の中で私は次のごとき挿話を読んだことがある。

   潔癖症
 
 臓物を裂かれた一頭の牛が肉屋の爼板の上に乗せられているのを見たある婦人が、非常に深い嫌悪を覚え、危うく気絶しそうになった。彼女を捕えた危機状態について質問されたとき、彼女は言った。
 ――私どもの身体の中にも、同じようにああいういやしいものがあるのでしょうか?
 彼女が得た答は、彼女に飢え死にする決心をさせた。

 動物あるいは人間の内臓を見るということはおおよそいつでも不愉快なことであるが、それら内臓を図に表わしたものは必ずしも同様ではない。古い医学書を飾る解剖図を、もし厳密に医学的見地から見るだけで、そこに鮮かに刻まれている数多くのただならぬ美しさに普通以上の考慮をしないならば、それは正しくはないであろう。このただならぬ美しさ、それは諸形態の何らかの明白さに結びついたものというよりは、むしろ人間の身体がその目に見えぬ部位、かくされた諸反応ともども、その最も内奥の神秘をそのまま露わにしているという事実に関係があるのであり、隠された反応ということからすれば、人間の身体というものは、簡単に言って縮尺された宇宙の魔術的価値を人体に賦与してくれるすべてのものを備えた諸反応の劇場なのである。」



「アンケート《カフカは焚書にすべきか?》への回答」より:

「真の作家とは、書くことによって自分自身を一層よく認識し、作品のお蔭で彼が磨き上げ、あるいは明らかにすることが出来た――はじめは彼自身の為ですが――特殊な経験的事柄を、出版することによって他の人々に伝え、人々が一層よく自分というものを認識するよう教える人であります。
 それゆえ、(中略)このような作家にとっては、社会的な命令、政治的命令に従うことは――彼らがいかなる根拠をもとうとも――問題ではありません。彼にとって、書くという行為は自覚の方法でありますから、白紙状態でその仕事がすすめられるよう彼はあらゆる先験的推理を(倫理面でも美的面でも)捨て去らねばなりません。」



「ピカソと人間喜劇、または大足(グロ・ピエ)の栄枯盛衰史」より:

「芸術家はつねに、過剰あるいは、欠陥によって、通常的なるものの外にある。すなわち、彼は征服の神あるいは責めさいなまれる神であり、啓示を与える予言者あるいは人々の嘲弄の的たる気違いである。《その巨いなる翼は彼の歩みを妨げる》のであり、この世に唯一なるもの、この俗世に対立するこの例外的存在は、娼婦のごとく、その栄華と悲惨をもつのである。昔、ピカソは乞食、不具者、病人、娼婦あるいはその友人たちを(中略)、おのれの孤独の中でとらえて描いた。これらの人物の共通の特色はアウトカーストの人間、すなわち、芸術家もその中に数えられる周辺社会のものたちであるということであり、魔法の組織者であると同時に飢えた浮浪人といういかがわしい人間である軽業師たちがそのもっとも完成されたイメージを提供してくれているのである。」


「『悲しき熱帯』横断」より:

「香りを吸い、親しい動物と共犯的な視線を交す一つの鉱物を瞑想しつつ、最後に彼が人間に認める《自己を解放する》可能性というものは実際は何であり得ようか? われわれを空間的に取り巻き、神話と詩の時間に混ざり合う或る時間の中にわれわれをひたすところのこの自然のなかへの沈下によって、歴史と労働とが記録されるクロノメーター的時間を間歇的ながらも抛棄する可能性でないとしたら。」


「レイモン・クノーについて」より:

「彼にあって私に印象を強く与えているもう一つの特色は、エキゾティシズムへの彼の嫌悪である。恐らく御存知のことと思うが、彼は余り旅行が好きでない。(中略)彼が旅行するのは、新しいものを発見するためであるというより、よその土地で、自分の聞き慣れた民謡を再発見するためである――この全く個性的な民謡を、半ば真面目に、半ば皮肉たっぷりと、一つ、あるいはいくつかのレトリックを用いて、彼は見事に、最も高度な意味での独特さと効果に富む詩に作り変えてしまうのである。」


「エーメ・セゼールとは何者か?」より:

「詩人というものが、本来、この世界においてはどこにも真に自己の根を下すべき場所を見出だせないがゆえに、自己のために別の一世界を建設しなければならない人間であるとするならば、自分が暴虐と不平等のなかで形成されたばかりか、すべてに移植の刻印を受けて形成された、ちぐはぐで狭小な一社会の所産であることを自覚しているがゆえに、誰よりも一層根こそぎにされた人間であるセゼールは、誰よりも一層詩人たるべき最良の条件のなかにおかれていたと考えたくなるのである。」


レリス 日常生活の中の聖なるもの ほか




「人間とその内部」については、こちらもご参照下さい:

Robert Burton 『The Anatomy of Melancholy』 (Everyman's University Library)





















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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