高津春繁 『ホメーロスの英雄叙事詩』 (岩波新書)

「ホメーロスのギリシア語は、甚だ特殊なもので、その中には非常に古いものからホメーロスと同時代を経て、恐らく紀元前六世紀に至る新しいものまでを含んでいる。」
(高津春繁 『ホメーロスの英雄叙事詩』 より)


高津春繁 
『ホメーロスの英雄叙事詩』
 
岩波新書 青版 615

岩波書店
1966年12月20日 第1刷発行
1973年10月20日 第7刷発行
214p 目次iii 地図i 
別丁口絵(モノクロ)2p
新書判 並装
定価表記なし



本文中図版(モノクロ)多数。


高津春繁 ホメーロスの英雄叙事詩 01


目次:

一 古代ギリシアにおけるホメーロスの評価
二 ホメーロスの伝記
三 トロイエーをめぐる英雄叙事詩群
四 ミュケーナイ時代とその文化
五 暗黒時代
六 ホメーロスの叙事詩の成立
七 ホメーロスの社会
八 ホメーロスとミュケーナイ時代の社会
九 英雄の世界
十 再びホメーロス



高津春繁 ホメーロスの英雄叙事詩 02



◆本書より◆


「六 ホメーロス叙事詩の成立」より:

「現在も生きている叙事詩の歌い手は、前にも言ったように、忠実に作品を暗誦しているわけではなくて、その時々にかなり違った歌い方をしている。ホメーロスの中の歌い手である「アオイドス」もまた、ミューズの神に言葉の術を授けられて、自らその場で歌を作りながら、即興で歌っているように見える。ホメーロスといえども、一度『イーリアス』を作り上げた後で、もう一度それを歌う場合には、寸分違わず、前と全く同じに歌ったのではあるまい。しかし、世の中には絶倫の記憶の所有者がいて、一度耳にした言葉を、一語一句間違えないで繰り返すことの出来る人もある。文字のない社会では、現代の文字に頼っているわれわれには想像もつかないほど記憶力がすぐれていることもわかっている。それにホメーロスの作品は、すでに出来上った類型的な場面やテーマ、言葉から作られているから、彼が一度歌ったものは、ほとんど完全に再現し得たと考えられるし、彼自身次第に自作を改善して行ったとも考えられる。」
「しかし「アオイドス」は自分で歌う者であるから、単なる暗誦者ではない。(中略)とにかくホメーロスも最初はアオイドスの伝統の中に生きていたはずであるから、その間にやはり改変の手が加えられたと考えるべきであろう。やがてアオイドスはラプソードスに変った。アオイドスは、ホメーロスの中にあるように、竪琴を自分で弾きながら、叙事詩を歌ったが、ラプソードスと呼ばれる吟唱者は、もはや歌わず、むしろ芝居のように、声色を作って、語ったものと思われる。この時代になると、もちろん文字はすでに十分に行き渡っているから、ラプソードスたちはテクストを持っていたであろう。そして完全に暗記し、それをいかに劇的に語るかが彼らのテクニックであって、従って、もはやテクストそのものはほとんど変ることはあり得ない。
 こうして、紀元前六世紀の、前に話した、ペイシストラトス、或いはソローンによるホメーロス結集の時に達する。これ以後、ホメーロスの伝承にはアテーナイが大きな役割を演じた。そして、ここに、現在われわれが持っている流布本が定着したのであろう。」

「このように見て来ると、『イーリアス』も『オデュッセイア』もその大部分は、きまりの小さい話題を巧みにつなぎ合わせて出来上っていることがわかる。(中略)作者がいかに同じテーマを少しずつ変えて、その場その場に適応するように利用しているかが、察しられる。」
「このようなきまりの表現ときまりの話題とを形成しているホメーロスのギリシア語は、甚だ特殊なもので、その中には非常に古いものからホメーロスと同時代を経て、恐らく紀元前六世紀に至る新しいものまでを含んでいる。しかし、このような、作者以後に、語り伝えられたり、文字に写されたりしている間に生じた誤解や誤伝や或いは故意にした改竄をすべて除いても、なおホメーロスの言葉には、普通の言葉にはあり得ない多くの現象が認められる。彼の言葉にはどうしても生きている単一な言語には不可解な自己矛盾を示している複雑な要素があって、これは明らかに長い間の叙事詩の言葉の伝統が積み重ねられて来たことを示している。」
「これは何百年もの間に大勢の歌人(うたびと)が次々に新しい型を創り出し、そのすぐれたものが伝えられて、叙事詩の言葉として蓄えられて来た結果である。」

「スカンディナヴィアのスカルド詩人たちと同じように、ギリシアの歌人たちは王侯の広間の饗宴や、人々の集いの場で歌い、時には自作の新しい歌を弾唱した。『オデュッセイア』の中では、歌人たちはトロイエー戦争という非常に新しい、わずか十数年前の事件を題材にしている。(中略)ゲルマン民族の中には、夕にその日の戦闘を歌ったという歌人のことが見えている。英国の『ベオウルフ』の中にも、英雄ベオウルフがグレンデルを負かした時に、フロスガルの宮廷の歌人がその場で英雄の勇ましい行為を歌っている。」
「このような生きている叙事詩は本来歌いか、または語りであるが、その際に歌い手はいつでも同じ歌をそっくりそのまま暗誦するのではなくて、おおよその筋と話題とを記憶していて、その時その折に応じて、変えるのである。これは現在もなお叙事詩を生きた姿で保っている民族の例によって明らかである。(中略)語り手は自分の才能に応じて筋を変えたり、新しい見事な表現を加えることによって、聴衆の賞讃を得ることが出来る。それだから、叙事詩は単に暗誦されるのではなく、歌われたり語られたりしているうちに、即興で作られて行く部分が多いのである。新しい題材を歌う時にも、その中の大部分は古いテーマを組み合わせ、古いきまりの表現で詞を作ることが出来る。」
「ユーゴの歌い手たちは、グスレ gusle と呼ぶ一弦のバイオリンのような楽器を弾きながら歌うので、グスラリ guslari と呼ばれている。彼らの歌もまたホメーロスと同様に、多くのエピテタ、きまりの句より成っていて、話題もやはり一定している。(中略)歌人はこのようなきまりの表現ときまりの場面を数多く記憶していて、(中略)これらの言葉がほとんど反射的に口をついて出るようになる。」
「歌い手は一行歌うと、その後に複雑な相(あい)の手を入れる。これは歌い手に次の行に移る前に一息つかせる役をし、その間にグスラルに次の行をどう歌うかを考える暇を与える。要するにグスラルの歌は、その荒筋は一定しているけれども、一行一行は、彼が単なる暗誦者ではなくて、本当のグスラルである場合には、彼自身の即興による創造なのだ。だから、同じグスラルが同じ叙事詩を歌っても、その長さが相当に違い、また同じ場面もある時は簡単に、ある時には入念に作られるということになる。」
「金田一先生から伺った話によると、ある時、先生のお宅でアイヌの人たちがユーカラの朗唱をやったことがあって、先生がそれを筆記しようとなすったけれども、朗唱の速度がはやすぎて、とてもついて行けない。(中略)しかし(中略)ちょうど都合よく東京の女学校に通っていたアイヌ出身の若い女性がいて、自分がいま歌われているユーカラを聞いていて、後で全部ローマ字で書くから、心配はいらないと言って、じっと畳に伏すように頭を垂れて熱心にユーカラに耳を傾け、約束通りに後でこれを書いてくれたというのである。
 これは、このアイヌの若い女性がとくに記憶力にすぐれていたせいもあろうが、一方には、彼女がすでにほかの多くのユーカラを小さい時分から何度となく聞き、その表現法やテーマや筋をよく覚えていたために、新しいユーカラを聞いても、その大部分がすでに記憶にある表現やテーマをもととしたものであるから、このようにたやすく覚えることが出来たのである。
 このような非凡な記憶力はユーゴスラヴィアのグスラルたちについても報告されている。彼らも長い叙事詩を一度聞いただけで、寸分違わず繰り返すことが出来ると誇っているそうである。しかし、本当に歌わせてみると、そこにはやはり多少の相違があるという。ことに興味が深いのは、彼らは旅して歩いて、名高い歌を名人から聞いて、これを仕入れるのであるが、この際にも彼らは自分では聞いた歌と全く同じように歌っている積りで、実は少しずつ違っており、長い年月の間には、かなり違った形を取ることがあり得るということである。」

「ホメーロスはギリシアがまさに文字の時代に移ろうとしていた直前の産物である。そしてその背後には、ミュケーナイ時代の王たちの輝かしい記憶、その後の暗黒時代における、徐々にではあるけれども、着実な文化と秩序の回復期の間に養われた英雄物語とこれを歌う叙事詩のテクニックがあったのである。このような叙事詩がいつ頃生まれたかについては、残念ながら、未だたしかな答えは得られていない。しかし上に述べて来たいろいろな事実を綜合して考えると、大体ホメーロスを紀元前八〇〇年から七五〇年の頃におくことが出来るであろう。」



「七 ホメーロスの社会」より:

「外国人は甚だ危険な客人である。一体彼が平和な用件で来たのか、略奪が目的なのか、(中略)判断がつかない。(中略)よく言われるように、客人を表わすギリシア語の「クセノス」 xenos という言葉は、同時に外国人、他所者の意味をもっている。英語の guest と同じ語源のラテン語の hostis は、以前は「他所者」の意味だったが、普通のラテン語では「敵」となった。ホメーロスの世界でも、自分たちの小さな社会の外にある者は、すべて他所者であると同時に、常に敵となり得る可能性がある。昔の日本の、小さい村や共同体が他所者を見た目と同じ目で、ホメーロスの時代の人は彼らを見ていたのである。」

「ホメーロスの人間は、自分の行為や感情が人間以外の、超自然な存在に由来すると思っていた。夢はゼウスが送ってよこしたものであり、投げた槍があたるも、あたらぬも、神の意志による。(中略)それだからこそ、戦場での勝負の結果は英雄の名誉とは関係がないのである。
 ホメーロスでは、人間が何か普通ではない行動をした時にも、それは彼自身のせいではなくて、何か彼以外のものの力によるとされがちである。激しいわれを忘れた怒りとか、突然の恐怖とかがそれである。」
「このような、われを忘れた愚かな行為は、「アーテー」 ate と呼ばれている。」
「アーテーはさらに、呆然自失の精神状態を表わすにも使われる。」















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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