久保正彰 『ギリシァ思想の素地 ― ヘシオドスと叙事詩』 (岩波新書)

久保正彰 
『ギリシァ思想の素地
― ヘシオドスと叙事詩』
 
岩波新書 青版 855 

岩波書店
1973年4月20日 第1刷発行
1978年3月10日 第3刷発行
iii 238p 
新書判 並装
定価280円



本書「さいごに」より:

「ヘシオドスというのはまったく地味な人間で、くそ真面目で、教訓ばかりたれていて、詩は下手というよりほかはなく、要するに面白くない。どうしてこんな人間に、徹底的につきあって見ようと思ったのか今なお自分でもよくわからない。こんなことにだってその気にさえなれば我慢できるのだ、ということを、自分自身にむりやりに納得させたかったのかもしれない。(中略)いずれにせよ、(中略)どうしてもこの詩人の姿をとらえてみたい気持から生まれたのが、このヘシオドスである。」


本文中図2点、図版(章扉)6点。


久保正彰 ギリシァ思想の素地


目次:

凡例

Ⅰ ヘシオドスの暦
Ⅱ 詩人誕生
Ⅲ 大地(ガイア)
Ⅳ 競合(エリス)
Ⅴ 新しき女神
Ⅵ エピローグ――ヘシオドスの継承者たち

なお詳しく調べてみたい人のために
さいごに




◆本書より◆


「ヘシオドスは前七〇〇年ころのギリシァの叙事詩人である。そのころの叙事詩人といえばホメロスが思いうかべられるだろう。また叙事詩といえば『イリアス』、『オデュッセイア』などの華麗な英雄世界を連想するむきもあろう。しかし神事や農事をうたうヘシオドスの詩には、派手なよそおいはさがしても見つからない。それでも古代のギリシァ人はホメロスとおなじくらいにヘシオドスを高く評価していた。ヘシオドスの詩には、人間や神々のあり方を、ほんとうの根本から見なおそうという強い、鮮明な意識がきざまれているからであろう。
 私たちはこの本のなかで、かれの考えをたどりたい。しかしその本題に先だって、かれの作品『仕事と日々』の後半の約四百行ばかりを占めている「天地のおのずからなるこよみ」について、かんたんな説明をこころみたい。」
「一体、暦とはどういう意味をもつものなのか。周到なる資料調査の上に立って『日本の暦』(昭和四七)を著わされた岡田芳朗氏がいみじくも指摘しておられるように、暦とはちょうど空気や水のようなものだから人は深く意識しないけれども、「しかし空気や水のようなものと暦とは勿論本質的な違いがある。それは暦は社会によって産みだされるということだ。したがって暦は産みだした社会の鏡ともいえることだ。ところがこの点が忘れられがちで、暦の問題は天文学者、暦学者の問題だときめてかかっている人が多い。また暦の楯の半面である通俗的な暦註や日の吉凶の問題はまったく次元の違った問題だと思い込んでいる人が多い」。
 岡田氏が具体的にあつかっている資料は日本の暦にかかわりのあるもので、そのなかにはヘシオドスの暦はふくまれていない。しかしこの指摘は、ヘシオドスの暦についてもこれまでの多くの研究者が見落してきた、大切な問題をついている。
 たとえば、ヘシオドスの暦には、オリオン、シリウス、スバルなどの恒星の運行や、冬至(とうじ)から つばめ が帰ってくる季節までの日数などが記されている。したがってこのことから、これを紀元前八世紀末のギリシァ人の天文学の知識を告げる文献としてあつかうことは、古くからの学者がなしてきたところである。また、ヘシオドスの農事暦はその時代の農事ないしは暦の実情を告げている文献としては認めるけれども、そのすぐ後に記されている部分、すなわち四の日はよいが五の日は悪いというような、日々の吉凶の指示はまったく異質な作者によるところの、俗信的迷信的なものと見なすことが、ヘシオドス研究ではほとんど常識となっている。極端な場合には、日々の吉凶を語る詩行を原本から削除してしまって注解さえほどこさない学者もいる。日本の暦についての従来の研究者の観点がそのままであってよいのか、と問う岡田氏の指摘は、まったくの別領域とはいえないヘシオドスの農事暦についても、これまでどおりの解釈にたいする反省をうながし、問題の再検討を求めているように思われてならないのである。」

「「暦」や「系譜」を語るのは、まさしく種族という概念への最初の目ざめにほかならない。ヘシオドスは人間と人間以外のものとの多様なふれあいをみな等しく神々という言葉であらわすことによって、神々なるものの全体をとらえようとする。ヘシオドスの時代の人々にとっては、天や季節や嵐のように自然力として人間を支配するものも、恐れや恥のように人間に思慮、判断、行為をせまるものも、つまり人間に何らかの具体的な対応をせまってくる力は、たんなる現象あるいは抽象ではなく、みな神々でありその現われはいたるところで人間とふれあった。人間中心にみれば、人間の行為が多種多様でありまたその動機や目的が多種多様であるかぎり、その一つ一つがそのときその場で対応する神々との触れあいを意味することになる。
 その触れあいがゆるやかな時の流れとともに生活のリズムのなかで定着したものが暦である。また人間の対応が祈りや儀式という集団的な行動の形に収まってきたばあいが個々の祭祀であろう。」



































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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