クセノフォーン 『ソークラテースの思い出』 佐々木理 訳 (岩波文庫)

クセノフォーン 
『ソークラテースの思い出』 
佐々木理 訳
 
岩波文庫 青/33-603-1 

岩波書店
1953年3月5日 第1刷発行
1974年12月16日 第22刷改版発行
1978年11月20日 第27刷発行
294p 索引16p
文庫判 並装
定価300円(☆☆☆)



ΞΕΝΟΦΩΝΤΟΣ: AΠOMNHMONEΥMATA


クセノフォーン ソークラテースの思い出


帯文:

「プラトーンとはちがった立場から師の言行を見聞のままに忠実に記述した追想録。歴史的ソークラテース像を知る上での貴重な一書。」


内容:

まえおき
 一 メモラビリア
 二 クセノフォーン
 三 原典

ソークラテースの思い出
 第一巻
 第二巻
 第三巻
 第四巻


索引




◆本書より◆


「第三巻」より:

「アテーナイに或るときテオドテー(*)という美しい女がいたことがあって、(中略)この女のことをソークラテースのところにいたうちの一人が話に出して、言葉を絶した美人であり、そして画描きたちがその姿を写しに家を訪れ、女は風俗の許すかぎり、身体を現わして見せると述べたとき、「それは行って見学するよりほかはない」とソークラテースが言った。「なぜと言って言葉を絶した美しさというものは聞いただけではわかりっこないからだ。」
 するとその話をした男が「すぐみなさん私についておいでなさい」と言った。そこで一同がテオドテーの家へ出掛けてゆくと、ちょうどある画描きのモデルになっている最中で、一同この女を眺めたのであった。
 画工が筆をとめたとき、ソークラテースは言った。
 「諸君、テオドテーがわれわれに彼女の美を見せてくれたことに対して、われわれの方が大いに彼女に礼を言うべきであろうか、それとも、われわれが見てやったことに対して、彼女の方がわれわれに礼を言うべきであろうか。もし見せることがこの女(ひと)の利益を増すならば、このひとがわれわれに感謝しなくてはならんし、また見たことがわれわれの利益を増すならば、われわれがこのひとに感謝しなくてはならないであろうが。」
 誰かがそれにちがいないと言ったとき、彼は言った。
 「このひとは、すでにわれわれの賞讃を獲得し、そして、われわれがさらに多くの人々に吹聴するときには、いよいよたくさんの利益を得るのではないか。しかるに、われわれは見たところのものに早くも触れんことを欲し、煩悩を抱いて立ち去り、立ち去って見ると恋慕の情に堪えないであろう。その結果は自然、われわれはこの人の崇拝者になり、この人は崇められる本尊になるわけだ。」
 するとテオドテーが、
 「まあ、ほんとに」と言った、「そのとおりといたしますと、私の方が皆さんに見ていただいたお礼をしなくてはなりませんわね。」
 このとき、ソークラテースは、彼女が豪奢な衣裳をつけて居り、そばには母親がいて、これも並々ならぬ着物や飾りをつけて居り、大勢の美貌の侍女がいて、しかもその侍女たちがまたよく世話をされて居り、それにまた家が贅沢に装飾されているのを見て、こう言った。
 「私に言いなさい、テオドテー、お前さんは地所を持っているかね。」
 「持っていません。」
 「ほう、それでは収入のはいる家作(かさく)はあるだろうね。」
 「家作もありません。」
 「では、職人くらいはいくたりかあるだろうね。」
 「職人もありません。」
 「それでは、どこから生活の資を得るのかね。」
 「世間の方(かた)で私のお友達になって善くしてくださろうという方があれば、その方が私のくらしの道なのです。」
 「いやまったくそれはすばらしい財産だ、テオドテー、友達の群を持っているということは、羊や山羊や牛の群を持っているよりはるかにまさる。だが、お前さんは誰かお友達が蠅のようにお前さんの所へ飛んで来るのを、運任せで待ってるのかね、それとも自分でも何か工夫をするかね。」
 「どうしたら、それに善い工夫が私、見つけられるでしょう。」
 「それは実に女郎蜘蛛どもよりもなお容易にできるよ。それ、お前さんはこいつらが生命をつなぐために獲物を捕えるのを知っているだろう。すなわち蜘蛛はたしか薄い網を張って、ここへ飛びこんで来た物を食い物にしている。」
 「それでは、私にも何か罠(わな)を張るようにおすすめなさるわけですか。」
 「いや、そんな単純な方法で世にも尊い獲物の友人を捕えるのだと考えてはならない。お前さんは兎というようなごくつまらぬ物を捕(と)るにさえ、すこぶる手がかかることを知っていないか。兎という奴は夜半(よなか)に草を食いに出るから、夜狩りに適した犬を求め、これを用いて兎狩りをする。そして夜明けに逃げてゆくから、草を食べていた所から穴へ走った跡を、匂いを嗅いで辿って行って兎どもを見つける犬を、別に手に入れる。そして兎はすこぶる脚が速く、眼の前でおおっぴらに走って逃げるから、また別に脚の速い犬を用意し、追いつめてとらえさせるようにする。そしてまたこの犬どもをすら逃げおおせるのがいるから、逃げ道になっているところへ網を張って、この中へ飛びこんで搦まるようにするのだ。」
 「では私は、こんな風の何を用いて友達を捕えたらよいのでしょうか。」
 「いいかね、それには、犬のかわりになる人間を一人手に入れればよい、その人がお前さんのために美人の味がわかる金持の人間どもを嗅ぎまわって探し出し、探し出したらこの人々をお前さんの網の中へ追い込むように工夫するのだ。」
 「まあ! 私にどんな網がありますか。」
 「あるとも、一つある、しかもなかなかよく引っ括(くく)る網、すなわちお前さんの肉体だが、この中に魂が入って居る、この魂によってお前さんはどういう眼つきが人を喜ばせ、どういうことを言えば嬉しがるかがわかり、また真実お前さんを大切がる人は喜んで迎え、道楽心で来る人は閉め出しを食わせ、そして愛人(ともだち)が病気でいるときには心から案じて逢いにゆき、また何か立派な成功をしたときにはともどもにかぎりなく喜び、しんそこお前さんを思ってくれる人には、魂のすべてをささげて情愛を示さねばならぬことが、わかるのだ。愛し方は、これはただに嬌(なまめ)かしく愛するだけでなく、また真心をこめて愛することを、お前さんが心得ているのが、私にはよくわかって居る。そしてまたお前さんは、お前さんの愛人(ともだち)がお前さんを喜ばすように、言葉でなく実を見せて納得させることも、私は知っている。」
 「まあ、ほんとに」とテオドテーは言った、「私はそうしたことを何一つ工夫していません。」
 「だがじっさい、自然のすじみちにかなった、正しい態度で人に接するということは、大したちがいのあるものだ。じっさい、腕力を以ては友人は捕えることも、捕えておくことも、できないであろうが、深切と愉楽とを以てすれば、この動物は捕えることも、そばにとどめておくこともできるのだ。」
 「ほんとうですわ。」
 「それでまず第一に、お前さんはお前さんを慕う人々に、何でも気軽にやって貰えそうなことを、頼んで見ることが大切だ。その次に、こんどは自分で、おなじ調子でその好意に酬いなくてはいけない。というのは、こういう具合にして、何よりも本当に友人ができ、そしていつまでも愛情がかわらず、親身の深切をつくして貰えるからだ。好意は求められてはじめて此方(こっち)から与えるようにするとき、もっとも喜ばれる。お前さんも知っているように、最大の美食も欲しくならぬうちに出せば不味(まず)く見え、満腹のときだと胸さえ悪くなるものだ。しかし空腹にさせてから出せば、すこぶるの粗食もきわめて美味に覚えるのである。」
 「では、どうしたら、家(うち)へ来る人に空腹を感じさせられましょうか。」
 「それは、まず第一に、満腹の人々には飽満が終って再び欲しくなるまでは、こちらから提供もしないし、思い出させもしないようにする。その次に、欲しくなっている人々には、この上もなく上品な交際と、承知することを渋るようすを見せることとによって、思い出させながら、最大限に欲しくなるまで逃げて居ればよい。なんとなれば、そのときこそ、欲しくないときに与えるよりも、おなじ贈りものも値打がまるでちがうからだ。」
 するとテオドテーが言った、
 「それなら、どうして、ソークラテース、あなたは私の協力者になって友人を捕えてくださらないのですか。」
 「もちろんそうするよ――お前さんが私を説きふせるなら。」
 「では、どうしたら、私、あなたを説きふせられましょうか。」
 「それは、自分で探して、自分で工夫することだ、私の助けが要るなら。」
 「そんなら、ときどき家へ来てくださいな。」
 するとソークラテースは、自分の暇なのを冗談にしながら言った、
 「だがね、テオドテー、私には容易に暇がないのだ。というのは、自分の仕事もたくさんあれば、公(おおやけ)の務めも甚だ忙しい。その上、可愛い娘(こ)(*)がどっさりついていて、夜も昼も私を離さないで、惚れ薬や呪(まじな)い歌を、私から習って居るんでね。」
 「まあ、それではあなたはそんなことまでご存じなのですか、ソークラテース。」
 「それでなかったら、どうして、このアポルロドーロスやそれからアンティステネースが、私のそばを決して離れないのだと思うかね。どういうわけで、ケベースとシンミアースとがテーバイから、私のところへやって来たのだね。保証するがね、これはたくさんの惚れ薬や、呪文や、糸車(*)の力がなくては、できないことだよ。」
 「ほんとうにその糸車を、私に貸してくださいな、私それをまわして、最初にあなたを引き寄せますから。」
 「だが、実のところ、私はお前さんの方へ引き寄せられるつもりがないのだ。お前さんが私の方へ来るのを望むよ。」
 「行きますわ、私。ただ歓迎してください。」
 「歓迎するとも、もし家にお前さんよりもっと好きな娘(こ)(*)がいさえしなければ。」」



「註」より:

「テオドテー――いわゆる hetairai の一人で、アルキビアデースの寵愛した女である。アルキビアデースがフリュギアで死んだとき、この女が彼を自分の衣裳に包んで葬ったと伝わっている。」
「可愛い娘(こ)がどっさり――philai (女性複数)。弟子たちのこと。」
「糸車――「イュンクス」 iynx. 本来は鳥の名。きつつきに似た一種の鳥、ありすい、Iynx torquilla. この鳥は交尾期に奇妙に頸をねじる習癖がある。これを糸車の輪にとりつけてぐるぐるまわして、変心した恋人の心を取り戻す呪(まじな)いに用いる。Pindaros, Pythionikai. 4. 213. ff. に見える。のちには鳥をつけないで、「糸車」だけをぐるぐるまわして呪文を唱えた。有名なテオクリトスの歌(Theokritos II)に見える道具「イュンクス」はすでに鳥のないものである。」
「好きな娘(こ)――弟子のこと。ここは単数。」





こちらもご参照下さい:

クセノポン 『アナバシス ― 敵中横断6000キロ』 松平千秋 訳 (岩波文庫)











































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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