高津春繁 『古典ギリシア』 (筑摩叢書)

「ギリシア人はできるなら家から一歩たりとも踏み出さずにいたいのである。寒いのに雪の中にわざわざ出かけて美しいと眺める酔狂はない。寒いときは寒いので家の内に暖かにしている。」
(高津春繁 『古典ギリシア』 より)


高津春繁 
『古典ギリシア』
 
筑摩叢書 19

筑摩書房
昭和39年3月30日 初版第1刷発行
昭和60年5月30日 初版第5刷発行
254p
四六判 並装 カバー
定価1,200円
装幀: 原弘



本書「あとがき」より:

「これは終戦の翌年八月に出た本である。」
「別に本にして出そうなどとは、初めは考えもしなかった。」
「いまから見れば書き足りぬところ、いまならばこう書くところなど、不満と思う点がまことに多い。文章も古くさいし、何か妙に気負い立っている。」
「書いているうちに、やはり本にして出したくなった。(中略)これはわたしの、ささやかではあるが、特別な記念だからだ。だからここにまた出るにあたっても、(中略)どうしても訂正したり書き加えなくてはならない場合のほかは、多少文章に手を加えただけで、元のまま出してもらおうと考えた。」



高津春繁 古典ギリシア


目次:

自序 (昭和21年2月1日)

第一章 土地と人
第二章 ギリシア語
第三章 芸術
第四章 生活
第五章 ヘレニズムと古典文化の伝承

あとがき (昭和39年3月3日)




◆本書より◆


「第一章 土地と人」より:

「このほかギリシア人の主食は魚であった。エーゲ海域はわが国の瀬戸内海と同じく、まことに無限の魚の種類を供給する。ギリシア人は狂気に近いほど魚を愛好し、魚に対する彼らの偏愛と嗜好については多くの逸話が伝えられ、喜劇詩人によい揶揄(やゆ)の題材を与えている。ギリシア人は悪食に近いほどありとあらゆる種類のものを食った。彼らの言葉ではうまい物とは魚の異名となっている。魚をあまりに食うことは贅沢の極致であった。収入の大部分を魚に費い果した男や、二人の男に魚を一尾出されたところ、一人の男はいきなりその眼玉をひっ掴(つか)む。今一人の男はそれではとばかりに相手の男の眼玉に飛びかかり、魚の眼玉を譲るまでははなさなかった、という話をアテナイオスが伝えている。また同じこの古代の驚くべき料理書の著者によれば、ある男は六尺以上もある大蛸(おおだこ)を二本の足を残してすべて啖(くら)いつくし、大食の結果死に瀕したところ、最後に二本の足を食い残したことが残念だと叫んで世を去ったとある。アテナイの魚市場の喧騒は言語に絶していたらしい。(中略)ストラボン(中略)は滑稽な話を伝えている。ある音楽家が大勢の聴衆の前で演奏の最中に突然魚市場の開始を知らす鐘が鳴った。一瞬にして全聴衆はただ一人の男を残して席をけって飛び上り市場にかけ去った。音楽家はただ一人残った聴手にむかって自己の芸術に対する彼の愛顧を謝したところが、「なんだ、鐘が鳴ったんだって。」と叫ぶがはやいか、聾(つんぼ)の男は一目散に魚市場にむかって群集の跡を追ったということである。
 ホメロスの英雄たちは肉を主食とし、獣肉を脂と共に串にさして火に焙(あぶ)り、葡萄酒でもって渇をいやしつつ、啖いかつ飲んだのであって、魚はよほど困ったとき以外には食べなかったが、歴史時代にはいつの間にかこのように魚食に変り、ギリシア人が肉を食べるのは神に捧げた犠牲獣のある場合のみであったらしい。」

「磽确(ぎょうかく)の地が多いために、山羊や羊の牧場以外には適さぬ急坂の地が全土の大部分を占めている。牧者は、春より夏にかけて雪の後退と共に、次第次第に高地へ高地へと雪の下に保護されていた若草を追って登り、寒気の来襲と共に平地に移動することは今日と同じであったであろう。彼らの生活は必然的に孤独であり、唯一の友は犬であった。孤独に暮す者の常として、彼らは山や森に多くの幻想的な超自然の者どもをすまわせた。森の精であるニムフやサチュロスや半神パンが彼らの伴侶であった。」

「現代のギリシアには樹木が尠(すくな)い。禿山ばかりである。かつてソクラテスが若い弟子パイドロスと、その樹陰に夏の激しさをさけ、その水に足を冷したとプラトンが伝えるイリッソス河は今日では樹陰など薬にしたくもない一条の穢(きたな)らしい溝にすぎない。ペロポネソスの山塊中には今なお森の深いところもあるし、オリュムポス山麓、オッサとの間にある古来有名なテムペの渓谷には谷間を蔽うに足る樹林があるが、昔はもっともっと欝蒼と、昼なお暗きという形容の適切な所が多くあったであろう。古典作家の言葉が信用するに足るとすれば、至るところに照りつける太陽をさえぎる森があった。アッティカとボイオティア国境のキタイロン山のごときは千古の森に蔽われていたらしいし、アルカディアの山々や、ペロポネソスの西岸の高地には深い深い森があった。神々の地上における住居たる神殿にはしばしば聖林が附属していたし、各都市の周囲にも市民の憩い場所たる森があったであろう。ソポクレスは「コロノスのオイディプス」の中で、生れ故郷であるポセイドンのささやかな神殿のあった「白きコロノス」を讃美して、緑の木立深き谷間に、葡萄色濃きつたの葉蔭に、莓(いちご)に富み陽(ひ)の光の訪れることなく嵐の風にも騒がされることのない、人の子の足を踏入れることを許さぬ神の住居に夜鶯が囀(さえず)り、酒神ディオニュソスがニムフの群と共に歩く、いにしえより大いなる女神達(デメテルとペルセポネ)の頭を飾る水仙が露(あらわ)に養われて朝ごとに、また、クロコスが黄金(こがね)色
なす光を放って花を開く、ふくよかな胸もつ大地に穢(けが)れなき流れをなしてすみやかに豊穣をもたらすべく日ごとに流れるケピソスの水の眠りを知らぬ泉の水の絶えることなく、詩神(ミューズ)の歌人の群も、黄金の手綱(たづな)の愛の女神(アフロディテ)も喜んで訪れる地(六六八行以下)と歌っている。この地もまた今は昔の面影はしのぶよしもなく荒れ果てている。」

「ギリシア人の性格は不思議に相反する要素の混合である。ブッチャの言うように、彼らは、
 「目ざとく実際的でありながらきびしく理想主義的であり、外国の影響を嫌いながら外国人に親切であり、正統ならざるものをいみながら自分自身の神々を笑い、党派心の奴隷でありながら不可思議な政治的妥協性をもち、まことに陽気な心を具えながら、それは時には厭世に近い悲しみを混えている」(S. H. Butcher: Harvard Lectures on Greek Subjects. 1920, p. 168)
のであり、また彼の言うようにこれが彼らの比類なき精神の秘密でもあった。」



「第三章 芸術」より:

「無限を考えることができなかった、というよりはむしろこれを嫌悪したギリシア人にはまた真の意味でのロマンティクなものに対する嗜好もなかった。彼らの心はあらゆる意味での奔放を嫌ったのである。常にしっかりと捕え得る物、纏ったものを希求している。芸術においても彼らは全体が彫刻のように見事にしかも少い要素で形成された明らかな完成を求めたのである。またロマンティシズムには不合理の肯定と飛躍的な想像とが必要であるが、彼らには冒険のために冒険を犯したり、苦悩のために苦悩を喜んだりする不合理な趣味の持合せがないのである。「オデュセイア」に歌われ、アルゴナウタイの伝説に語られているのは歴史時代のギリシア人にはただのお話にすぎない。オデュセウスもイアソンもヘラクレスも誰一人として冒険のために好んでさ迷ったのではない。すべてやむを得ずある目的のために危険を犯すので、オデュセウスほど一刻も早く流浪をやめて家に帰りたがっている男はないとチェスタトンは例によってうまいことを言っている。(中略)ギリシア人はできるなら家から一歩たりとも踏み出さずにいたいのである。寒いのに雪の中にわざわざ出かけて美しいと眺める酔狂はない。寒いときは寒いので家の内に暖かにしている。」
「ロマンティクにはただの物語を喜ぶだけでは駄目で、その中に自ら住みたいという心がなくてはならぬが、ギリシア人にはこの同感があまりないのである。さらに彼らは漠然たるもの、形のないものに対して不思議に恐怖とも言うべき嫌悪の情を抱いていた。「形なき」は彼らにとっては悪でさえある。(中略)叙事詩の中にせっかく生れかけたロマンティシズムの世界は直ちに死んでしまった。ロンギノスが「オデュセイア」を評して偉大ではあるがそれはホメロスの老年期の作、夕日の偉大さであるとして、「イリアス」に劣っていると考えたのは、(中略)オデュセウスという人物に中心を求めているロマンティシズム的な傾向に対する嫌悪の情に発しているとも思われるのである。ロマンティクへの嗜好は再びエウリピデスに生れ、ヘレニズムのときに延びんとしたが、これもまたのちの古典主義によって延びることなくして終った。」
「彼らの芸術への精進は(中略)限りある限界の中に完成を志したのであって、かくてはついに真のロマンティクなものは生れ得ない。これはギリシア文学のみならずその全芸術にとって大きな損失であった。」
「ギリシア古典期の芸術はしたがってこのうえない見事な平均のとれた、清澄の芸術である。(中略)一つ一つがはっきりとしていて、ぼかしというもの、不分明なもの、不確かなものは全くない。このギリシア精神が最も端的に現われたのが、その芸術における「数理性」とも言うべき傾向である。
 ギリシア人が調和、均整、リズムを求めたことは周知の事実であるが、何事であれ割切れぬままに放置することのできかねるギリシア人は、このようなものの中にも常にはっきりとした形態を要求し、漠然たる均整とリズムでは満足ができない。必ず(中略)整数的に単純な繰返しとか、左右対象とかにこれを求める。神殿の前部に列柱をつければ、その後部にもまた同じく列柱を置かねば承知ができない。彫刻において左に一人の人物があれば右にもまた一人の人物がなければ気がすまぬ。神殿の前後の破風は扁平な等辺三角形であるためでもあるが、ギリシア人の均整とリズムの観念を最もよく表わしていて、一番高い中央に一番丈の高い人物を置き、次第に左右に進むにつれて丈の低い人物、次に坐った、次に横臥した人物という風に置いてゆく、そしておのおのの人物がまた左右に一定数の群をなし、群が群に対してまた一定の対応を示す。」
「この均整と調和を好む心はまた文学にも見出される。これを最も明らかに示しているのは合唱隊歌であって、その最も発達した形式では必ず一定のリズムの下に一定の韻律が繰返される。」

「擬人化の一つの著しい現われは自然の描写に見出される。ギリシアの芸術が自然に対して無関心であったとはよく言われることで、その芸術にはなるほど自然は不思議に無視せられているかに見える。ギリシア人は自然をそのまま見ずして擬人化した結果、自然もまた人間の形をとって現われるのである。たとえば、ある事件がある場所で起ったとき、これを示すにギリシア人はその背景としてその地の自然を写す代りに、その地を擬人化した人物を添付するのである。トリプトレモスがデメテルとペルセポネに祝福されて世界に穀物の種子を与える旅立の場面がエレウシスであることを示すためにはエレウシスを女神の姿で描き、オリュムピアの神殿破風のペイリトオスの結婚の浮彫には場面がテッサリアであることを示すためにテッサリアのニムフが、ペロプスとオイノマオスの戦車競争の場面を示すためには両端にクラデオスとアルペイオスの両河神がおかれる。暁を示すにはアクロポリスのパルテノンの破風の浮彫のごとくに太陽神が戦車をかってまさに地平線より出ようとする図を用いる。このような自然の擬人化は印欧語民族に共通であって印度のリグ・ヴェーダなどの中にも明らかに自然神が多いが、ギリシアの場合は極端である。」




































































































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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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