武田泰淳 『目まいのする散歩』 (中公文庫)

「私はサボテンが好きだった。それは植物のもっている意義を突破し、独立孤立している植物だった。」
(武田泰淳 「あぶない散歩」 より)


武田泰淳 
『目まいのする散歩』
 
中公文庫 た 13-3

中央公論新社
1978年5月10日 初版発行
2016年9月30日 14刷発行
209p
文庫判 並装 カバー
定価629円+税
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修



本書はもっていなかったので honto で注文しておいたのが届いたのでよんでみました。
本文によると、著者の口述を武田百合子さんが筆記したものとのことですが、ある意味、本書は武田泰淳・百合子夫妻の共著であるといってよいのではないでしょうか。大学教授の家におよばれにいって、よっぱらった武田百合子さんが「インテリだからな。ここのうちは、インテリだ。インテリは、やだねえ」とののしったり、意識不明になって吐いたり座ぶとんにおしっこしたりする話も口述筆記されています。


武田泰淳 目まいのする散歩


カバー裏文:

「近隣への散歩、ソビエトへの散歩が、いつしかただ単なる散歩でなくなり、時空を超えて読む者の胸中深く入りこみ、存在とは何かを問いかける。淡々と身辺を語って、生の本質と意味を明らかにする著者晩年の名作。野間文芸賞受賞。」


目次:

目まいのする散歩
笑い男の散歩
貯金のある散歩
あぶない散歩
いりみだれた散歩
鬼姫の散歩
船の散歩
安全な散歩?

解説 (後藤明生)




◆本書より◆


「目まいのする散歩」より:

「『中央公論』の新人賞の選者にえらばれたのは、伊藤整、三島由紀夫、それに私の三人だった。その二人は死んでしまったが、一人はガンを患っての病死だし、一人は割腹自殺だった。(中略)私はどんな死に方がいいだろうか、と冗談めかして話題にしたときに、二人とはちがった死に方をするとすれば、殺される、刺殺される、処刑される、あるいは誰にもわからぬやり方で抹殺される死に方がいいだろうとしゃべったことがあった。理くつはその通りだが、殺されるチャンスなど、私を訪れるはずもなかった。だが、今、何の苦痛もなく、ただ寝そべっているだけの自分を発見したとき「恍惚死」ということが思い浮んだ。「恍惚死」といえば聞えはいいが、ボケて死ぬことである。」


「笑い男の散歩」より:

「漱石はノイローゼにおちいり、いつも自分が秘密の国家要員から監視されているような気配を感じていた。(中略)現在の私は、(中略)監視されているという感じのほかに、もしかしたら、自分が誰かを監視する任務をうけているのではないかというスリルを感じる。(中略)スパイ映画は出来得る限り見物するようにしている。「スパイ大作戦」もテレビで見ている。それらのスパイ映画から、知らぬうちに影響されているのかもしれない。」


「貯金のある散歩」より:

「進駐軍放出物資というものが、かつてあった。女房は金魚のヒレのぴらぴらついたようなアメリカ中古服を喜んで買った。アメリカ人の服はサイズが大きくて、なかなか適当なものがない。女房の買ったのは、おそらく子供服であろう。赤いだんだらの金魚のようになった女房と、毛皮のチョッキ(中略)を身につけた和服の私が揃って歩いていると、通りかかった学生たちが「わあ、チンドン屋が通るぞ」と、ひやかした。その一方で、女房のただごとならぬ通行を、毎日見守っている五、六歳の幼女がいた。その幼女が或る日、父親に向って「ああいうきれいなおべべをきている人は、お金持なのねえ」と、感に堪えたようにいった。」

「何と沢山の苦悩が、そのあたりの空気に浮遊していることだろう。それらの心理の浮遊物は、何一つ他人には理解されないまま、目に見えない塵のようにして漂っている。壁のようにたちふさがる亡霊か、ほかの星からきた怪しき生物の「暗示」「命令」をうけとったかのようにして、息をつまらせることなくわれわれは歩いて行く。街頭にあらわれないで家並みの室内にとじこもっている苦悩も感じとられる。それは、もっと奥深くひそめられて、じっと我慢しているにちがいない。耳の外を流れる街頭のささやきは、沈黙のささやきを通じ合っている。それは「神秘なるざわめき」としか称しようのないものである。」



「あぶない散歩」より:

「少年の頃には、ほんの短い距離の町並みが、はかり知れぬ驚異に充ちていた。」
「何か頼りなげな淋しい影が、住民の運命を暗示するように、寺に住む少年のあたりに漂っていた。」
「借家の隣は家具屋だった。ざくろの木のある陰気な家には、塀越しに秋になると、人肌のようにざくろの実がなまなましくついた。家具屋からは、いつもニスの香が漂ってきた。そして家具はちっとも売れなかった。娘さんが一人あって奇病にかかった。体がだんだん縮まって、自分の肉に自分の内臓がまきこまれたようになり、東大病院に無料で入院した。めずらしい症状のため、その肉体は保存された。そんな悲しい娘さんが生れて死ぬのにはふさわしい惨めな家具店だった。
 何と狭い空間に、音や、光や匂いの驚異が充満していたことだろう。」
「小さな家々は、みな裏側をこちらに向け、透けて見える生け垣や、板塀でさえぎられていたが、なかには建物の背なかをジカに押しつけるようにして、とり囲んでいた。寺そのものが不安定な外界につながり、その外界は一歩外へ出ると、めくるめくような未知なる世界につながっていた。」
「私はサボテンが好きだった。それは植物のもっている意義を突破し、独立孤立している植物だった。」
「箱庭の小舟や橋や水車や鳥居や百姓家は、泥を焼いて出来ていた。犬や馬や鶴など、動物もあって、地面に据えいいように針金がつきでていた。しゃがみこんでは何回もやり直す。宇宙の支配者にでもなった気分で、蓑を着た漁師、仙人じみた男などの小さな姿を、どこに配置するか。それには神の配慮じみた慎重な気の配りが必要である。私は一つ一つ叮嚀に動かしてみた。(中略)その小さな小さな素材に色づけされた自然の部分は、私の自由になるようでいて、実は自由にならない秩序に従っていた。」



「鬼姫の散歩」より:

「夜更け、店がひけたあと、酔払った彼女が、焼跡の空地のごみ箱の上にのって動こうとしなかったことがある。(中略)彼女は、あくまでごみ箱を陣地として頑張り、そこから降りようとしなかった。怨恨を噴き出し、髪の毛まで逆立ったようで、テレビ漫画に出てくる「鬼姫」そっくりだった。白土三平の「サスケ」に活躍する眼玉の大きい少女は、あくまでも執念深くサスケをつけまわし、その命をとろうとする。サルトビ一族の敵対者たる九鬼一族の生き残りである。気の強いこと無類であり、忍耐もすばらしくうまい。絶対に反省はしない。闇笛を吹き、毒蛇を招きよせ、いたるところに火薬を仕掛け、手裏剣を乱射し、失敗すると、あっと驚くほど、ものすごい顔つきをする。」

「「サスケ」のテレビ番組がはじまると、いかにも忍者生活の孤独と殺気をただよわせた音楽が流れ、前口上がきこえる。「光りあるところ、影がある。ひとよ、その名を問うなかれ。闇にうまれ、闇に消ゆる。それが忍者のさだめであった」と、テテヤテエ、テテヤ、テテヤ、テテヤテエ、と運命的な音楽が流れる。彼女は「あたしは忍者おぼろ。馬鹿みたいにみえて、実はそうじゃない」という。」



「安全な散歩?」より:

「見えざる警察機構にとっては、人民の間に潜伏しているかもしれない「スパイ」たちが、同様に「見えない」ことが不気味なのである。探りだそうとするものがいる以上、どうしても、探りだされるものが存在しなければならぬ。それは、発見され、そして、闇から闇へ消え失せてしまう。
 苦労なさそうな日本作家の気ままな散歩が、案外、曲りくねった目的のある散歩とみなされることだってあり得るのだ。日本の文学者だって、いつ粛清されるか、先のことは何も分らないで歩いているにすぎない。」
































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

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