杉田玄白 『蘭学事始』 緒方富雄 校註 (岩波文庫)

「その日の刑屍(けいし)は、五十歳ばかりの老婦にて、大罪を犯せし者のよし。もと京都生れにて、あだ名を青茶婆(あおちゃばば)と呼ばれしものとぞ。」
(杉田玄白 『蘭学事始』 より)


杉田玄白  
『蘭学事始』 
緒方富雄 校註
 
岩波文庫 青/33-020-1 

岩波書店
1959年3月25日 第1刷発行
1982年3月16日 改版第28刷発行
196p
文庫判 並装 
定価250円



本書「凡例」より:

「本文は、医学古典会が発表した『復原試作 蘭学事始』(昭和二十六年四月)に多少修正を加えたものを採った。」


参考図版(モノクロ)9点。


杉田玄白 蘭学事始 01


帯文:

「この回想記を通して蘭学創始に参画した先人たちの労苦を追体験する者は今も鮮烈な感動をおぼえる。解説・註を全面的に補訂(改版)。」


目次:

新版の刊行にあたって (昭和57年3月)
旧版の序
凡例

蘭学事始 上之巻
蘭学事始 下之巻


年表
解説
 一、古写本と「復原蘭学事始」
 二、『蘭学事始』のなりたちをめぐって
 三、題名のうつりかわり
 四、杉田玄白のおもな著作
 五、蘭学事始附記
 六、杉田玄白を中心とする杉田家の系譜
 七、記念碑・記念展覧会
 八、『蘭学事始』に関するおもな参考文献



杉田玄白 蘭学事始 02



◆本書より◆


「さて、翁(おう)が友豊前中津(ぶぜんなかつ)侯の医官前野良沢(まえのりょうたく)といへるものあり。この人幼少にして孤となり、その伯父淀(よど)侯の医師宮田全沢(みやたぜんたく)といふ人に養はれて成り立ちし男なり。この全沢、博学の人なりしが、天性奇人にて、万事(よろず)その好むところ常人に異りしにより、その良沢を教育せしところもまた非常なりしとなり。その教へに、人といふ者は、世に廃(すた)れんと思ふ芸能は習ひ置きて末々までも絶えざるやうにし、当時人の捨ててせぬことになりしをばこれをなして、世のために後にその事の残るやうにすべしと教へられしよし。いかさまその教へに違(たが)はず、この良沢といへる男も天然の奇士にてありしなり。専ら医業を励み東洞(とうどう)の流法を信じてその業(わざ)を勤め、遊芸にても、世にすたりし一節截(ひとよぎり)を稽古(けいこ)してその秘曲を極め、またをかしきは、猿若(さるわか)狂言の会ありと聞きて、これも稽古に通ひしこともありたり。」

「その頃より世人何となくかの国持渡(もちわた)りのものを奇珍(きちん)とし、総(す)べてその舶来(はくらい)の珍器の類を好み、少しく好事(こうず)と聞えし人は、多くも少くも取り聚(あつ)めて常に愛せざるはなし。ことに故(もと)の相良(さがら)侯当路(とうろ)執政(しっせい)の頃にて、世の中甚だ華美繁花の最中なりしにより、かの船(ふね)よりウエールガラス(天気験器)、テルモメートル(寒暖験器)、ドンドルガラス(震雷験器(しんらいけんき))、ホクトメートル(水液軽重清濁験器)、ドンクルカームル(暗室写真鏡)、トーフルランターレン(現妖鏡(げんようきょう))、ソンガラス(観日玉(かんじつぎょく))、ループル(呼遠筒(こえんとう))といへるたぐひ種々の器物を年々持ち越し、その余諸種の時計、千里鏡、ならびに硝子細工物(ガラスさいくもの)の類、あげて数へがたかりしにより、人々その奇巧に甚だ心を動かし、その窮理(きゅうり)の微妙なるに感服し、自然と毎春拝礼の蘭人在府中はその客屋に人夥(おびただ)しく聚(あつま)るやうになりたり。」

「その頃平賀源内(ひらがげんない)といふ浪人者(ろうにんもの)あり。この男、業は本草家(ほんぞうか)にて生れ得て理にさとく、敏才にしてよく時の人気に叶(かな)ひし生れなりき。何(いず)れの年なりしか、右にいふカランスといへる甲比丹(カピタン)参向の時なりしが、ある日、かの客屋に人集まり酒宴ありし時、源内もその座に列(つら)なりありしに、カランス戯れに一つの金袋(かねぶくろ)を出(いだ)し、この口試みに明け給ふべし、あけたる人に参らすべしといへり。その口は智恵(ちえ)の輪(わ)にしたるものなり。座客次第に伝へさまざま工夫すれども、誰も開き兼(か)ねたり。遂に末座の源内に至れり。源内これを手に取り暫く考へ居(おり)しが、たちまち口を開き出せり。」

「そもそも頃は三月三日の夜と覚えたり。時の奉行曲淵甲斐守(まがりぶちかいのかみ)殿の家士(かし)得能万兵衛(とくのうまんべえ)といふ男より手紙もて知らせ越せしは、明日手医師(ていし)何某(なにがし)といへる者、千住(せんじゅ)骨(こつ)ケ原(はら)にて腑分(ふわけ)いたせるよしなり。御望みならばかのかたへ罷(まか)り越されよかしといふ文(ふみ)おこしたり。」
「これより各〃(おのおの)打連(うちつ)れ立ちて骨ケ原の設け置きし観臓の場へ至れり。さて、腑分(ふわけ)のことは、えたの虎松(とらまつ)といへるもの、このことに巧者(こうしゃ)のよしにて、かねて約し置きしよし。この日もその者に刀を下(おろ)さすべしと定めたるに、その日、その者俄かに病気のよしにて、その祖父なりといふ老屠(ろうと)、齢(よわい)九十歳なりといへる者、代りとして出でたり。健(すこや)かなる老者(ろうしゃ)なりき。彼奴(かれ)は、若きより腑分は度々手にかけ、数人を解きたりと語りぬ。その日より前迄の腑分といへるは、えたに任(まか)せ、彼が某所をさして肺なりと教へ、これは肝(かん)なり、腎(じん)なりと切り分け示せりとなり。それを行き視(み)し人々看過(みすご)して帰り、われわれは直に内景(ないけい)を見究(みきわ)めしなどいひしまでのことにてありしとなり。もとより臓腑にその名の書き記しあるものならねば、屠者(としゃ)の指し示すを視て落着(らくちゃく)せしこと、その頃までのならひなるよしなり。その日もかの老屠がかれのこれのと指(さ)し示(しめ)し、心、肝、胆(たん)、胃の外(ほか)にその名のなきものをさして、名は知らねども、おのれ若きより数人を手にかけ解き分けしに、何(いず)れの腹内(ふくない)を見てもこゝにかやうの物あり、かしこにこの物ありと示し見せたり。(中略)また曰く、只今(ただいま)まで腑分のたびにその医師がたに品々をさし示したれども、誰一人某(それ)は何、此(これ)は何々なりと疑はれ候(そうろう)御方もなかりしといへり。良沢と相ともに携(たずさ)へ行きし和蘭図に照らし合せ見しに、一(ひとつ)としてその図に聊(いささ)か違(たが)ふことなき品々なり。」
「さて、その日の解剖こと終り、とてものことに骨骸(こつがい)の形をも見るべしと、刑場に野ざらしになりし骨どもを拾ひとりて、かずかず見しに、これまた旧説とは相違にして、たゞ和蘭図に差(たが)へるところなきに、みな人驚嘆せるのみなり。」
「その日の刑屍(けいし)は、五十歳ばかりの老婦にて、大罪を犯せし者のよし。もと京都生れにて、あだ名を青茶婆(あおちゃばば)と呼ばれしものとぞ。」




























































































































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