タイモン・スクリーチ 『江戸の身体を開く』 高山宏 訳 (叢書メラヴィリア)

「一にとってあるひとつの絶対の「内」が存在したのに、他にとってはついに空無に行きつく積層の連続体があったにすぎない。そもそも、ひとつの内などというものが存在するのか。それとも、その内なるものはもっと奥に重畳していく内というひだの、かりそめのひとめくりにすぎないのだろうか。」
(タイモン・スクリーチ 『江戸の身体を開く』 より)


タイモン・スクリーチ 
『江戸の身体を開く』 
高山宏 訳
 
叢書メラヴィリア 3 
Serie Meraviglia......No. 3

作品社
1997年3月1日 初版第1刷印刷
1997年3月5日 初版第1刷発行
347p 図版(カラー)8p 
著者・訳者略歴1p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,700円(税別)
造本・装幀: 阿部聡
ロゴマーク: 建石修志 画



Timon Screech: Opening the Edo Body
カラー図版6点。本文中図版(モノクロ)多数。


スクリーチ 江戸の身体を開く 01


帯文:

「解剖=「切り開くこと」の衝撃!
人体解剖
から見た
江戸文化論。」



帯裏:

「解体新考!
解剖=人の身体を切って調べること」を高らかに謳いあげて『解体新書』は上梓された。蘭医とは即ち「切る医者」であり、江戸の人々は死体を切り、生身の人間を切る「切る医術」へのスプラッタ・ホラーじみた好奇心と怖れを隠さない。「全体として生きて在ること」を捉えようとする日本の知と、「切って中身をさらし、くまなく光をあて」ようとするヨーロッパ近代知の出会い。「解剖」から見た気鋭の江戸文化論!」



目次:

序◆アクセスの図像学

第一章 刃
 人斬りは、はや時代遅れ
 人々は刃に異国を見た
 鋏、花、そして人体
 舶来の鋏
 ブルータルな魅力
 箱と折りたたみナイフと

第二章 身体を切る
 外科と外科道具
 オランダ医学
 切る医者

第三章 さらされる身体
 人間は一個のプロセス
 西洋の絵のインパクト
 彼らは本当に切ったのだろうか
 解剖と権力

第四章 つくられていく身体
 骨のある話
 内外真偽、それ条件次第也
 「食物合戦」のメタフォリックス
 オランダ料理、切られる食材
 内に身体ができる

第五章 身体と国家
 手
 身体地理学
 解剖と旅行
 循環
 身体は世界に開かれる

エピローグ
結び


図版一覧
写真提供



スクリーチ 江戸の身体を開く 02



◆本書より◆


「アクセスの図像学」より:

「蘭学の感覚では、何にもせよ理解の対象となるにはその内部を開示されなければならないのである。」
「現象の充足した外貌にではなく、その内部に目を向ける強迫観念じみた眼差しというものは日本的思考にありふれたものではなかった。(中略)日本ではその逆に、あるがままの一個の総体としての事物が意味を持っていた。(中略)それらの事物はその全体性(トータリティ)によってこそ意味を持っているのだから、その統一性を破ろうとするのは平衡破壊の愚挙である。そんなことをされれば事物は理解されるどころか、かえって誤解されてしまうだろう。」

「こうした状況と比較してみると面白そうなのが同時代のヨーロッパ、とりわけオランダの状況である。オランダ美術の研究者たちがその静物画ジャンルにふれていつも言ってきたことだが、低地地方には「内部へ」という大きな文化的衝迫と言うべきものがあった。芸術的表象の世界では絵の中の果物はそのままで見物者の目にさらされるばかりではなく、皮を剥(む)かれたり、刃を入れられたりして自らの内部をも見せようとする。ティーカップが転がって中がのぞけ、牡蠣(かき)はからをこじ開けられている。オランダの風俗画(ジャンル・ペインティング)さえ、そういえば開いた窓、扉、戸棚のたぐいを得手(えて)とするが、絵を見る人間が中を(引用者注: 「中を」に傍点)のぞけるようにというわけだ。」

「「開ける(オープニング)」現象を追ってみるのがこの本の狙いである。もっともその主題を全面展開するには紙幅が足りない。「開かれる」ものをそこで差し当り人の身体に限ってみることにする。この選択は思いつきのものではない。ヨーロッパでは人の身体は小さな世界、壮大な全創造(マクロコスモス)を小さく凝縮したところの「小宇宙(ミクロコスモス)」であるとされていた。従って、切り開かれた人体はその向こうに広がるさまざまな意味を持ち、外のものを、宇宙全体の現象を指示していた。従って身体はぜひこれを知る必要があったし、それを知ることはある意味ではすべてを(引用者注: 「すべてを」に傍点)知ることであった。」



「さらされる身体」より:

「ヨーロッパでだって死体が手に入れにくいことにちがいはなかった。であればこそ、新(にい)墓をあばき、盗掘した死体を医療関係に流す「蘇生業者(resurrection men)」が十九世紀の墓地に跳梁したのである。しかし西洋では、犯罪人や狂者の死体を相手にするということで問題は解決されていた。レンブラントの『トゥルプ博士の解剖学講義』中の死体は、殺人の罪で処刑されたアリス・キントという人物のそれである。」

「死後の制裁――普通には晒(さらし)もしくは四肢の切断――は「死体晒(さら)し」として知られていた。死者の身元を明かして辱しめようというのだから、解剖とはまるで目的がちがっていたわけだが、結果を見る限り、両者は似通っており、解剖は死体晒しに近いものという甚だ居心地悪い位置ずけであった。(中略)幕府は一七五八年、夫殺(せつ)害の大犯をおかした女への判決を、彼女が死んだ後、その死体を医者たちにやって良いという条件と引き替えに磔(はりつけ)から打ち首に替えることで、いつの間にか解剖イクォール死体晒しという連想に根拠を与えてしまった。」

「当局が罪人の死体を晒すときには、その傍に捨札(科書(とががき))が立って犯罪者の名と犯行の仔細を伝え、通行人への「見懲(みこら)し」とした。解剖死体もまったく似た扱いだった。というのは、(中略)『平次郎臓図』のような巻物をうむことになる橘南谿指揮の解剖がそうであったが、解剖された人間は名前で(引用者注: 「名前で」に傍点)呼ばれたのである。(中略)こういう状況を考えてみると、実地の解剖自体、一種の死体晒しであるばかりでなく(中略)、その後に続く学問的議論や、知見を記す出版物の中でもその死体ははっきり名指しされるわけで、恥辱は耐えがたいほど末代にまで引き延ばされることになる。(中略)絵というものは長い間、消滅することがないからである。
 イタリア・ルネッサンスの「恥辱絵(さらしえ)(pittore infamanti)」製作の伝統のことを思いださせる。その肉体の滅びの後にも恥辱をずっと引き延ばそうとして死者の姿を留めるための無残な絵である。」

「平次郎や三之助を描いた日本の解剖図譜は(中略)、西洋のどんな絵とも異なるある特殊な性格を帯びている。まず、巻物(スクロール)であることが多い。(中略)このフォーマットは進行する(プログレッシヴな)ところに特徴がある(中略)。不可避的に一個の語り(ナラティヴ)が生じる。実際、日本の解剖学書に付された絵は絵による物語としてつくられ、解剖の事象の時間的継起を改めて追復する。(中縷訳)即ちそこに現に描かれている身体がどういう具合に切り分けられていくかを示すのである。(中略)死体がそこから医学情報を得るため、切られ、剥がされ、ぶっちぎられ、ばらばらにされる過程を展開する迫力ある視の世界である。」



スクリーチ 江戸の身体を開く 03


スクリーチ 江戸の身体を開く 05


スクリーチ 江戸の身体を開く 04


スクリーチ 江戸の身体を開く 06


スクリーチ 江戸の身体を開く 07




こちらもご参照ください:

荒俣宏 編著  『Fantastic Dozen  第11巻  解剖の美学』
石鍋真澄 『聖母の都市シエナ ― 中世イタリアの都市国家と美術』
杉田玄白 『蘭学事始』 緒方富雄 校註 (岩波文庫)
石井良助 『江戸の刑罰』 (中公新書)






























































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

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将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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