パノフスキー 『ルネサンスの春』 中森義宗・清水忠 訳

パノフスキー 
『ルネサンスの春』 
中森義宗・清水忠 訳


思索社
昭和48年6月25日 第1刷発行
昭和55年9月30日 第4刷発行
305p xxxviii 
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,800円



本書「訳者後記」より:

「本書は Erwin Panofsky, Renaissance and Renascences in Western Art, Stockholm, 1960 を底本に訳出したものである。」
「本書は一九五二年夏スエーデンのウプサラ大学主催のゴッツマン夏期ゼミナールの講師として招かれたパノフスキーが、自身の終生のテーマ「美術史におけるルネサンスの問題」をとりあげて一週間にわたる講義をもとにまとめたものである。第一章では文芸復興というルネサンス解釈に対して、建築における古代復帰と、絵画における自然への復帰と、彫刻における両者への復帰を論じ、それがヴァザーリによって総合される経過を述べる。第二章ではイタリア・ルネサンスに先行する二つの古代復興が、カロリング朝と十二世紀のリナスンシズであるといい、前者は異教的古代とキリスト教的古代を分別できず、比較的短期であったのに対して、後者は視覚芸術上の「早期ルネサンス」の中心は南仏、イタリア、スペインであったが、文学上の「早期ヒューマニズム」は北仏、ドイツ、イギリスに栄えたとする。そして古典の形式と内容の結合が初めて可能となったのが、イタリア・ルネサンスであることを解明する。第三章ではジョットとドゥッチョによるイタリア絵画の革新運動がヨーロッパにみとめられたこと、一方建築と彫刻では北方諸国がイタリアへ影響していることを述べ、最終章で視覚芸術全般にわたって古典主義と自然主義への傾向が強まり、イタリアとネーデルラント美術との関係が深まることを述べる。」



本文中図版(モノクロ)157点。


パノフスキー ルネサンスの春


目次:

編集者序文 (グレゴール・ポールソン)
著者序文

第一章 ルネサンス――自己限定か、自己欺瞞か
第二章 ルネサンスとリナスンシズ
第三章 最初の光明――イタリア十四世紀絵画とヨーロッパ諸国に対するその影響
第四章 古代の復活――十五世紀

原注
訳者後記

参考文献
索引




◆本書より◆


「第一章」より:

「人間の問題を扱う歴史においては、千人の行動の効果は、一人の行動を千倍した効果と同等のものではない。そしてさらに重要なことは、人間の行為だけが価値を有するだけではなく、人間が考え、感じ、信ずることを忘れてはならない。「質」と「量」を切り離すことができないように、主観的な情感や信念と、客観的な行為や業績を切り離すことはできない。預言者の布教に対する回教徒の信仰、教父たちが解釈した福音書に対するキリスト教徒の信仰、自由な企業・科学・教育に対する現代アメリカ人の信仰――これらすべての信仰が、回教徒、キリスト教徒、現代アメリカ人の現実を決定しており、少なくともその決定に貢献しているのであり、彼らが信ずるものが「真理」であると証明できるか否かは別の問題である。
 ある人がいうように、「祖母が十八歳のときに着ていた衣服を十八歳の孫娘に着せると、現在の祖母から想像するよりも、ずっと往時の祖母の姿を彷彿させる。しかし孫娘には、半世紀前の祖母と同じように感じたり行動することはできない。」しかしながら、もしこの孫娘が祖母の衣服をいつまでも離さず常時身につけ、そのほうが以前着ていたものより似合うし、自分にふさわしいと信ずるならば、その孫娘は、身のこなし、礼儀作法、言葉使い、感情などをこの改めた姿に合わせてゆくことができないことはないであろう。彼女は内面的な変身をとげるのであり、それは、彼女を祖母の複製に仕立てあげることではなく(中略)、彼女が自分に合うのはスラックスとポロシャツ姿だと信じていたときとはまったく別なふうに「感じたり、行動したり」するようになるであろう。彼女の服装の変化から生ずるのは――そして後にはそれが永続的になるのだが――心情の変化である。
 しかしながら、「変身」に対するルネサンス人の考えは、心情の変化以上のものであった。それは、内容的には知的・情感的体験であるが、性格的にはほとんど宗教的な体験でもあったといえよう。われわれも知るように、「新しい時代」と中世的過去を区別するのは、「暗黒」と「光明」、「眠り」と「目覚め」、「盲目」と「明察」という対照であり、それが聖書と教父たちの言葉から出ていることはすでに述べたとおりである。そして、復活する(レヴィヴェーレ)・蘇生する(レヴィヴィシェーレ)、そしてことに再生する(レナシ)などという言葉が宗教的起源と含みをもっていることは、同様にまぎれもないことである。それには、ヨハネ福音書からの一節を引用するだけで十分であろう。“nisi prius renascitur denuo, non potest videre regnum Dei”(「人あらたに生まれずば、神の国を見るあたわず」、すなわちィリアム・ジェイムズが、「二度生まれし」人の体験として述べたことを表わすのに最高の文章(ロクス・クラシクス)である。
 このような借用は、独創性もしくは誠実性の欠如を意味するものと解釈すべきではないと思う。もっとも偉大な美術家でさえ、流用や、さらには引用を頼りにし、それを徹底した創案として押し通してきた。十字架を背負って難儀するキリストの苦悩を表現するために、デューラーは、マイナデスに殺されるオルペウスの姿態を採用した。『われらに平和を与えませ(ドナ・ノビス・パーチェム』にこの上ない確信を、『われら、いましに謝す(グラティアス・アギムス・ティビ)』にこの上ない荘厳さを与えるため、バッハはこれら二つの遁走曲(フーガ)のテーマをグレゴリオ聖歌から流用した。『魔笛』のフィナーレに適切な雰囲気を盛り上げるために、モーツァルトは、古い讃美歌(コラール)(「神よ、照覧あれ」“Herr Gott, vom Himmel sieh darein”)を定旋律(カントゥス・フィルムス)「この道を苦しみもて歩むもの」“Der, welcher wandelt diese Strasse voll Beschwerde”に変えてしまった。そして、オーケストラの伴奏をつけて、バッハの『マタイ受難曲』中の「血に塗れ(ブルーテ・ヌル)」というアリアから借用したヴァイオリンによる音型を繰り返し用いている。ルネサンスの人々が、新しい美術と文学の開花を単なる刷新と述べる代わりに、再生、啓示、覚醒などという宗教的な比喩(シミリ)に頼ったとき、彼らも同じような衝動からそうしたといえるかもしれない。彼らが体験した新生の感じが、あまりにも急激で強烈であったために、聖書の言葉による以外、それを表現できなかったのである。
 こうしてルネサンスに対する自意識は、たとえそれが一種の自己欺瞞であったと証明できるにせよ、客観的で独特な「革新」として認めなければならないであろう。しかしながら、事実は少々ちがっている。ルネサンスは、両親にそむいて祖父母に援助を求める反抗的な若者に似て、結局は両親である中世から譲り受けたものを否定し、もしくは忘れようとする傾向があった。この負債額を査定することが、歴史家の本務である。」

「美術史家は、(中略)つぎのような基本的事実を認めないわけにはゆかないであろう。すなわち、可視世界を線と色とによって描写しようという中世の原理に対する最初の根本的断絶は、十三世紀の転換期に、イタリアで行なわれたということ。絵画よりはむしろ建築と彫刻から始まり、あくことなき古典古代への傾倒をともなう第二の基本的変革は、十五世紀の初頭に始まったということ。ついには三美術を時間的に一致させ、一時的にせよ、自然主義的立場と古典主義的立場との分裂を消滅させた、全発展段階のうちで第三の、最高潮の段階は、十六世紀の当初に開始されたということである。」



「第三章」より:

「シエナとフィレンツェの差は、グィド・ダ・シエナとコッポ・ディ・マルコヴァルドの差によって、予示されてはいるが、ドゥッチョとジョットにおいてはっきりし、明確に二分された。(中略)ドゥッチョの芸術は叙情詩的であるといえよう。彼の描く人物像は、音楽的な情感のようなもので像を結びつける情緒に揺り動かされている。ジョットの芸術は叙事詩的もしくは演劇的であるといえよう。彼の描く人物像はそれぞれ相互に反応し合う別個のものとして扱われている。」
「しかしながら、ドゥッチョとジョットが相容れない手法でそれぞれの問題を解決しようとしたことは、二人の問題が実は同じものであったという事実をぼかすものではなく、逆にその事実を解明するものである。つまり、われわれがよく「絵画空間」とよんでいるものを創造しようとする問題である。そしてこの問題は、きわめて新しく――あるいはむしろ、何世紀ものあいだ西欧世界から完全に姿を消していたので――それを最初に再興しようとした人々は、やはり「近代絵画の父」とよばれるだけの価値がある。
 絵画空間を定義すれば、いくつかの物体(もしくは雲のような擬物体)とすき間から成る外見上は三次元的な広がりで、それは、客観的には二次元的な画面の背後に、必ずしも無限とはいえないが、どこまでもつづいているように見える。ということは、この画面は、中世盛期の美術では所有していた具体性を失ってしまったことを意味する。それは(中略)不透明で不通性の現実面ではなくなり、われわれが可視界の一部分をのぞき見る窓になった。レオネ・バッティスタ・アルベルティはつぎのようにいっている。「画家は線を使って平面上に描き、そのように限定された範囲を色彩でみたす場合、画家が完成しようとする唯一のことは、目で見た事物の形式が、透明なガラスからできているかのようなこの平面上に現われることである、と自覚しなければならない。」さらにはっきりとつぎのようにいっている。「私は好きな大きさの長方形を描き、それを開いた窓に見立て、それを通してそこに描写されるべきあらゆるものを眺める。」
 このようにして、絵画を窓にたとえることは、視覚を通して直接現実に接することを画家の仕事であるとし、それを要請している。」



「第四章」より:

「この画家とは、愉快で風変わりなピエロ・ディ・コジモであった。彼は「善良な熱血漢」であったけれども、臨終の際には司祭の訪問を拒否した。聖歌を詠唱する修道士と同じくらい医者や看護婦も嫌いだったが、すさまじい豪雨の音を聴くのが好きであった。動物たちを「溺愛し」、自然が「気まぐれか偶然に」造り出したものに対しては讃嘆を惜しまなかった。長時間にわたる孤独な逍遙に歓びを見出していた。「自然の世話は自然にまかせるべきだ」という理由で、自宅の庭園の樹木を手入れさせなかった。
 ピエロ・ディ・コジモは場違いの原始人だったといえるが、人類の原始的状態を――ヘシオドスの黄金時代の意味でも、聖書の「けがれを知らぬ状態」の意味においても――平穏な至福の状態と考えていたのではなかった。彼が自分の生きている時代が腐敗していると考えたのは、満ち足りていた太古の状態から故意に訣別したからでもなく、まして神の恩寵の喪失によるのではなく、それはとどまる所を知らぬ文明の発達の思い上がりだけが理由であると考えた。」





こちらもご参照ください:

J・ホイジンガ 『中世の秋』 堀越孝一 訳



























































































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Author:ひとでなしの猫
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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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