高階秀爾 『ルネッサンス夜話 ― 近代の黎明に生きた人びと』

高階秀爾 
『ルネッサンス夜話
― 近代の黎明に生きた人びと』


平凡社
昭和54年6月29日 初版第1刷発行
昭和54年9月25日 初版第5刷発行
238p
20×15.4cm 角背紙装上製本 カバー
定価1,500円
造本: 中垣信夫



本書「あとがき」より:

「本書の第一章から第七章までは、もと、「ルネッサンス夜話」の標題のもとに、『月刊百科』昭和五〇年五月号から同五一年一二月号まで連載された。また第八章の「人相学――四性論と動物類推」は、『みづゑ』昭和三五年五月から九月まで、「デューラーと人相学」の標題で発表されたものである。いずれも、本書に纏めるにあたって、若干の補筆を施してある。最終章「ルネッサンスの女たち」は、本書のための書き下しである。」


図版(モノクロ)多数。


高階秀爾 ルネッサンス夜話 01


帯文:

「中世から
近代への曲り角、
激動の
ルネッサンスを
めぐる歴史夜話
†――第一章
フィレンツェに君臨した
メディチ家の資産は
今に換算して何億?
†――第四章
延々四時間にわたる
傭兵隊同士の〈激闘〉で
死者はたった一人
†――第七章 第八章
盛んだった占星術と
人相学
†――第九章
〈理想の女性〉はやはり
ブロンドだった」



目次:

1 メディチ家の金脈と人脈
2 一市民の日記
3 フランス病かナポリ病か
4 マルスの休息
5 傭兵隊から常備軍へ
6 学者たちの世界
7 占星術
8 人相学――四性論と動物類推
9 ルネッサンスの女たち

参考文献
あとがき



高階秀爾 ルネッサンス夜話 02



◆本書より◆


「学者たちの世界」より:

「これまでにもしばしば引き合いに出して来たレオナルド・ブルーニの例で言うなら、著述家としての彼の業績は、すでに触れたアリストテレスの数多くの翻訳や主著『フィレンツェ史』のほか、きわめてジャーナリスティックな『対話篇』や(中略)ダンテなどの偉人の伝記、軍事論、演説集などに及んでいる。そして、そのような幅の広さが、ブルーニにとって望ましいものと考えられていたことは、彼自身の手になるダンテの伝記が、『神曲』の詩人をまさしくそのような「万能の人」として描き出しているという事実からも、明らかである。
 事実、デニス・ヘイ教授は、(中略)学問がもっぱら聖職者たちの専売特許であった一四世紀においては、ダンテは、世俗の人でありながら学問にも造詣の深いいささか風変りな存在と考えられていたのに対し、ブルーニの伝記では、詩人、哲学者であるのみならず、さらに家庭人としても市民としても完全な理想的人物とされていることを指摘して、そこにトレチェントとクァトロチェントの社会風土の差を見ているが、その見方は、たしかに当っていると言ってよいであろう。その上、ブルーニは、ダンテの生涯を語りながら、時に応じて、人間の生き方について、自分の意見を勝手に述べている。ここらあたり、ルネッサンスの人びとは、本を書くにあたっても、まことに奔放自在と言ってよい。すなわち、ブルーニは、ダンテが若い頃から文学に興味を持っていたのみならず、その他の「自由学芸」も広く修め、その上「勉学のためにひとり閉じこもるようなこともなければ、世間から離れることもなかった」と言って、次のように語っているのである。

  「序でにここで、勉学にいそしむ者は、孤独と余暇のなかに身を隠して努力しなければならないなどと考える多くの無知な人びとがいかに誤っているかについて、一言述べておきたい。私の体験から言えば、人間同士の交際を避けて密に自分だけ引きこもっているような人で、三文字でもきちんと知っている人には出会ったこともない。偉大で気高い精神は、そのような制限は何も必要とはしないのだ……」

もちろん、この一節は、ダンテの生涯とはもはや何の関係もない。学問はいったい何のためにするのかということについての、ブルーニの考え方が、ここにはっきりと顔を出しているのである。同じような思想を、ブルーニはまた、別のところで、「偉大な哲学者は今や偉大な指導者に席を譲らなければならない」という言い方でも述べている。
 ブルーニのこのような思想が、決して彼ひとりのものではなく、一五世紀前半のフィレンツェの人文主義者たちに共通のものであったことは、たとえば前にも触れたアルベルティの『家庭論』のなかで、人間にとって大切なことは何もしないで考えることではなく、仕事であり、行動であると述べられていることからも明らかであろう。学問とか思想というものは、それまでは、文字通り「世間から身を離して」自分の世界に閉じこもっていた修道士や聖職者たちのものであった。しかし今や、政治家でも、商人でも、あるいは傭兵隊長でも、実際に「仕事」をし、「行動」する人びとが、その故に優れた人間であると考えられるようになった。学者たちの場合も、単に知識を所有しているだけでは何にもならず、それが実践されてこそ価値があるという思想が支配的になって来たのである。」



「人相学――四性論と動物類推」より:

「イタリアのネオ・プラトニズムは、言うまでもなくフィレンツェの優れた人文主義者マルシリオ・フィチーノによって大成され、ルネッサンス期の芸術活動にも見逃すことのできない深い影響を与えているが、彼自身憂欝質に属していたフィチーノは、その『人生論』の中で「知識人は何故憂欝質になるか」を論じ、芸術の霊感源であるあのプラトンの「神の狂気」を黒胆汁の作用と結びつけたのである。このようにして、フィチーノが言う通り、「哲学においても、国の政治においても、または詩や芸術の領域においても、すべて真に傑出した人々は皆憂欝質である」という公理が成立した。この考えはただちに当時の人文主義者、芸術家たちの間に拡まり、後世にも長く伝えられた。たとえば、一七世紀英国の詩人ミルトンは、イタリア語をそのまま題名にした長詩、Il Penseroso (沈思の人)の中で、

  いと神々しい「憂欝」よ、
  その聖なる相貌はあまりに強く輝き
  人の眼を眩ませるので、
  われわれの弱い視力のために
  深い智慧の色、黒で顔を覆う……

と歌っている。つまりここでも「憂欝」は、プラトンの「神々しい狂気」にも比すべき「いと神々しい」ものと考えられているのである。」
「ミルトンの詩におけるように、憂欝質が Penseroso と結びつくのは、これまた極めて普通のことであった。デューラーの「憂欝の女性」も、多くの手業の道具を前にしながら、膝の上に肘をついた左手に頭をもたせかけて、じっと考えこんでいる。この姿態は、瞑想にふける人のいわば古典的なポーズで、デューラーの木版画《男たちの入浴》の中の憂欝質の男もまったく同じポーズをしていたが、さらに有名な例では、ミケランジェロの Penseroso (メディチ家の墓)や、ロダンの《考える人》など、数多く挙げられる。
 ということは、デューラーの《メレンコリア》の姿勢が決して偶然のものではなく、瞑想、すなわち行動の拒否、ないしは行動の不能をことさら強調しようという意図にもとづいたものであることをはっきりと物語っている。」
「ここでわれわれは、フィチーノの説をさらに体系づけたもう一人の人文主義者アグリッパ・フォン・ネッテスハイムの『神秘哲学論』(一五〇九年)をひもとかねばならない。アグリッパはその中で、憂欝質の優れた特性は、人間の三つの能力、即ち想像力、知性、精神のいずれかを通って表われるとし、それぞれ、芸術家、哲学者、神学者の活動に相当すると考えた。そして、この三者は単に並列的な関係にあるのではなく、段階的な関係にあり、最後の精神の段階に至って、神の世界に最も近くなると説いた。このような思想的背景が明らかになれば、《メレンコリア・Ⅰ》の謎も今や自ら明瞭であろう。彼女は「憂欝の芸術家」でありながら、より高い段階を求めて芸術を顧みない。彼女の目指すものは、芸術をも越えたより高い神の世界である。しかしその神の世界は、ここでは達し得ない。そのためには、第二の段階、第三の段階を経なければならない。このように解して初めて、蝙蝠の背中の「Ⅰ」の数字の意味も明らかとなるであろう。それは四性論のひとつとしての憂欝質を示すものではなく、最も優れた「神々しい」気質としてのメレンコリアの、第一段階ということを表わしているのである。恐らくデューラーは、この後に、第二、第三のメレンコリアを描くつもりであったのだろう、もしその意図が実現されていたとしたら……、だがそれは遂に実現されなかった。」





こちらもご参照ください:

高階秀爾 『ルネッサンスの光と闇 ― 芸術と精神風土』 (中公文庫)



























































































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