『林達夫著作集 2 精神史への探究』

『林達夫著作集 2 
精神史への探究』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年7月13日 初版第1刷発行
1977年6月1日 初版第6刷発行
iii 340p 口絵(モノクロ)1葉
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円

付録「研究ノート 2」(24p):
批評的知性の運命(小松茂夫)/身にあまる不仕合わせについて(福田定良)/林邸訪問(飯沢匡)/断片(渋谷実)/図版(モノクロ)2点



本書「解題」より:

「本第二巻では、著者が、同時代批判の意味をもこめて、精神史への道を探った諸論篇と、単行本『ルソー』を、三章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



「ルソー」図版(モノクロ)1点。全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


ルソー (『ルソー』 「大教育家文庫14」 岩波書店 1936年3月)
 序
 第一章 教育思想家ルソー
  一 「教育学的大論争」
  二 「革新家ルソー」
  三 「ルソー問題」
  四 「『エミール』は教育小説である」
 第二章 文化概念としてのルソーの「自然」
  一 自然人と人間の自然、自然と文化
  二 自愛と憐憫、理性と自由
  三 自由の三つの段階
  四 幸福と徳
 第三章 教育の原理
  一 自由主義
  二 子供を自由たらしめるにはどうするか
  三 習慣に感染しない習慣をつけよ
  四 消極教育
  五 子供の立場
  六 教育動機論
  七 心情の教育
  八 知識教育の役割
  九 実物教育の合理主義的連関
 第四章 ルソーの教育史的地位


古典主義と合理主義 (「思想」151号 岩波書店 1934年12月号)
スローガンとしての「神学の婢」 (「思想」150号 岩波書店 1934年11月号)
吉利支丹運動の物質的基礎 (「思想」171号 岩波書店 1936年8月号)
大作家の唯物論的研究 (「思想」178号 岩波書店 1937年3月号)
『社会史的思想史』あとがき (『社会史的思想史』 岩波書店 1949年2月)
古代思想史の課題 (「思想の科学」 先駆社 1946年12月号)
呪術の世界 (「表現」 角川書店 1948年1月号)
マルクス主義と宗教理論 (「展望」 筑摩書房 1948年1月号)
平衡的精神について (「帝国大学新聞」 1937年3月8日号)
『妹の力』 (「朝日新聞」 1940年12月19日号)


『ヒュームとルッソー』を読んで (「日本読書新聞」 1950年1月28日号)
『恋愛の七つの顔』 (「東京タイムス」 1952年2月13日号)
わが失楽園 (「婦人之友」 婦人之友社 1958年10月号)
ユリの文化史 (「新婦人」 文化実業社 1957年7月号)
シェークスピアのバラ (「新婦人」 文化実業社 1958年5月号)

解説 (桑原武夫)
解題 (林達夫著作集編集部)




◆本書より◆


「『ヒュームとルッソー』を読んで」より:

「読後、ぼくはルソーがますますやり切れなくなりました。不幸な人と思いやりなど真平したくない気持です。何てモダンな奴でしょう。センシティヴでコンプレックスで……ああいう稟性は、今日の日本でも文士仲間には雑魚みたいなのならざらにいて、ぼくなどその煩に堪えません。が、ヒュームみたいな善意の社会人も、これも雑魚みたいなのなら、日本の進歩的評論家の間にはかなり存在していてこれも時としてやり切れません。というと他人事のようだが、ぼくなども、もっとわるいことにそのミックスドの雑魚かも知れません。あるときはルソー的雑魚になりあるときはヒューム的雑魚になり……最も宜しくないのはヒューム的雑魚に見参すると不可抗的にルソー的雑魚になって対面し、vice verca. それが日常化してしまっている始末です。
 近代の発端の偉人たちの間抜けないざこざというあの巨きな鏡に我々を映してみると、安心するどころか、何か人間の救えなさのようなペシミスティックな気分に捉えられます。チャールズ・ラムのような人がますます好きになってゆく所以です。」



「わが失楽園」より:

「庭という場所は、その持主というかその使用者というか、とにかくそれを経営する者にとって、たいがいの場合、計画の重なり合いや混乱やくいちがいや、特に庭木や草花の栽培の見地からみれば、数多くの失敗や喪失の思い出の地であります。」
「庭は子孫のために作るものだと称して一メートル二メートルの小さな苗木を植え、それが聳えるように亭々と生い繁る有様は五十年百年のさきに子か孫が見るだろうというイギリス人の悠長趣味は、その国でももう過去のものとなったらしく、イギリスの造園術の本でも、スピーディーに成長する樹木などが特に持て囃されるようになりました。」
「わたくしなども、その人間にとって庭は結局(引用者注: 「結局」に傍点)そこで次から次へと何か新しく持ち込まれた草木の試作場であり、新種、珍種を集める標本園であり、(中略)栽培の実験場であるところの種族に属するようであります。庭が雑然とし、景観としての統一を永久に持てないのは、そのためでありましょう。植物蒐集や栽培の興味の中心が絶えず変わってゆくので、わが庭の草木は、ある意味で、過ぎ去った自分の好みの名残り、打ちすてられ、忘れられた草木の勝手な、頑固な生き残りとも言えることは、お恥ずかしい次第です。作りにくい、世話の焼ける、そしてその努力にも拘わらず、結局は消えてなくなってしまった草木――甚だ妙な話ですが、、われわれの部類の蒐集家や栽培家は、むしろこの失楽園(引用者注: 「失楽園」に傍点)の方に未練があり、それについてめんめんと語りたい衝動を感ずるほどです。(中略)わが庭はいまは亡き、かつて愛した草木の墓場とも言いたくなるほどです。」
「書いてきて驚いたことに、自慢になるような草木は、わが庭に現存するもののうちにはほとんどないことに気が附きました。失われたものの中にか、あるいはこれから得たいと願うもののうちにしか、貴重なものはないと思うのは、人生に有り勝ちの人間特有の幻影でありましょうか。」





こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 3 無神論としての唯物論』
福原麟太郎 『チャールズ・ラム伝』 (講談社文芸文庫)




































































































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本