『林達夫著作集 1 芸術へのチチェローネ』

「内奥を閉ざすことによってしかも何かを表出しようとする積極的な芸術意欲がそこには巌として控えている。その何かは当人にもよくはわからなかったのではあるまいか。」
(林達夫 「精神史」 より)


『林達夫著作集 1 
芸術へのチチェローネ』

久野収 花田清輝 編集

平凡社
1971年5月28日 初版第1刷発行
1977年6月1日 初版第8刷発行
iii 378p 口絵(モノクロ)1葉
カラー図版1葉 モノクロ図版4p
四六判 並装(フランス表紙) 貼函
定価1,000円
装丁: 原弘

付録「研究ノート 1」(24p):
林達夫氏の再発見(中村雄二郎)/精神史家としての林達夫(生松敬三)/一高時代の林君(河野密)/若いころの林君と私(伊奈信男)/鵠沼の林さん(芥川比呂志)/林達夫著『共産主義的人間』(竹内好)/図版(モノクロ)4点



本書「解題」より:

「本第一巻では、著者が、芸術やルネサンスを素材として、西洋文化、西洋史への「案内(チチェローネ)」を書いた諸論文を、三章に分けて収録した。」


本書「校訂について」より:

「本著作集の底本には、原則として、評論集に収められたものについては、最初に出版された評論集を用いた。それ以外の論文については、初出の紙誌、書物によった。ただし、本著作集の刊行にあたって、幾つかの論文に、著者自身の手によって、若干の加筆訂正が施された。
 旧かなづかい、旧字体で書かれたものは、新かなづかい、新字体にあらためた。難解な漢字は、あるものは主として現代の慣用に従って、かな、または平易な漢字にあらため、あるものにはルビを付した。固有名詞の表記も、(中略)現代の慣用表記に統一した。」



全六巻。


林達夫著作集


目次 (初出):


歌舞伎劇に関するある考察 (「一高校友会雑誌」 第一高等学校友会 1918年2月)


ギリシア悲劇の起源 (「思想」8、9号 岩波書店 1922年5、6月号)
『みやびなる宴』 (「思想」66号 岩波書店 1927年4月号)
『タイスの饗宴』 (「東京朝日新聞」 1927年3月30日号)
『タイスの饗宴』 (『文芸復興』 小山書店 1933年11月)
文芸復興 (『岩波講座世界思潮』(第一次) 岩波書店 1928年2、5、7、11月)
発見と発明との時代 (「思想」69号 岩波書店 1927年7月号)
著者の言葉 (『文芸復興』 小山書店 1933年11月)
角川書店版『文芸復興』あとがき (『文芸復興』 角川書店 1947年10月)


ルネサンスの母胎 (『世界美術全集16 ルネサンスⅠ』 平凡社 1950年8月)
ルネサンスの偉大と頽廃 (『世界美術全集17 ルネサンスⅡ』 平凡社 1951年1月)
精神史 (『岩波講座哲学4 歴史の哲学』 岩波書店 1969年9月)

解説 (加藤周一)
解題 (林達夫著作集編集部)
図版目録




◆本書より◆


「歌舞伎劇に関するある考察」より:

「一口に言ってしまえばただ美しかったらいいのである。官能美に執する精神は徳川時代の美的生活者の根本的要求から出たこころであった。
 また例えばあの血である。歌舞伎劇においては大抵どの芝居にも「殺人」と「自害」とがついている。忠臣蔵の如きは殆ど殺人とはらきりの芝居といってもいい。鶴屋南北は脚本を書きながら、人物が不要になると大抵は殺すことにしていたそうである。しかしながら平和なおだやかな徳川時代の平民が何故に「血」の芝居を見ることを喜んだのであろうか。それは「血」が彼らの痺れかかった神経に一種のおののきを与えるからである。鈍りきった感覚に強い刺戟を与えるからである。あの『大晏寺堤』や『殿下茶屋聚』や『崇禅寺馬場』の返り討ちにおける残忍な、身の気もよだつような血の色を以て、彼らは自分のつかれた官能をぐんぐんあおり立て、そこに快楽を見出さんとしたのである。この頃は検察官が「血」をやかましく取り締まってしまったが、崇禅寺の芝居の如きは二人の兄弟が全身血みどろになって嬲り殺される凄惨な芝居である。細川血達磨、四谷怪談、伊勢音頭、五大力――「糊紅」の芝居はいくらでもある。……」



「ギリシア悲劇の起源」より:

「知られる如くディオニュソスはもとオリュンポスの神々には属していない、比較的後世に北方からギリシアに渡来した自然の生活の神、生と死の神である。彼はホメロスの神々には見ることの出来ない「人々を狂気に駆る」(ヘロドトス)力を以て人々を町々より家々より呼び出して自由なる自然の胸に、永遠なる大地、母に誘った。かくて「生命」を――山や叢や森や泉の霊を――体現していたところの多くの原始的存在たちが、この新しい霊の神にはじめから従属していたかのように人々から見なされたであろうことはおのずから解し得られよう。人々はこの釈放を与える神の招致に従ったとき、山の頂において森の中において、躁宴的乱舞の歓喜を体験しその歓喜のうちに神を見た。神は植物の冬死して春蘇るが如く、他界に姿を隠した後再び人間の前に姿を顕わすのであった。
 この神の到来(エピファニー) Epiphanie こそ彼の祝祭の根底となるところのものであり、それの動因となるところのものである。――神は、古の粗野な信仰が表象したような、牡牛、獅子、または熊として舞踏者の間にあらわれる。人々は暴れ狂う動乱のうちに彼と合一しようと努め、次第に自分の人間的な肉体性を離れてゆく。やがて恍惚のうちに内的転性の秘蹟をうけ自ら神性を有する獣的存在となるのである。この内的体験は必然に外的なるものと結びつく。人々はその効果を強調するために自ら仮装し自ら仮面して獣の姿になろうとした。ディオニュソス宗教の奉仕者がいわゆるティアソス Thiasos として自らをシレン、またはサテュルの姿に変えて神に従ったのはこの理由に基づくのである。そこにはローデの指摘したように、超人間的(ユーバーメンシュリッヘス)なるものと非人間的(ウンメンシュリッヘス)なるものとの混同があった。
 しかしギリシアに来た後のディオニュソスは次第にギリシア化され人間化されたことによって、古のトラキアの神の特性を失いつつあった。彼はついにオリュンポスの神々の間に自分の地位を獲得し、国家や町々は彼のために年毎に祭りを祝うに至った。かつてのエクシスタシス的祝祭はかくして(中略)一定の定期的祝祭に整えられ、個人的神秘的であった宗教的体験はいまや(中略)儀式や所作(ドロメノン)によって置き換えられた。かくてかつては実在であったところのものが、いまや象徴的意味を担うにすぎなくなったのである。」



「『みやびなる宴』」より:

「『みやびなる宴(うたげ)』 Fêtes Galantes と題せられた作品が絵画と詩と音楽との三つの芸術の分野に、それぞれ三人の名高い芸術家をその作者にもって存在していることは、フランス芸術史を学んだ者には知られた事柄であろう。言うまでもなく、それは第一にアントワーヌ・ワトー Antoine Watteau (1684-1721) の『みやびなる宴』、第二にその絵画の世界の詩的再現たるポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine (1844-1896) の同名の詩集、第三にその詩集中の幾つかの詩に節附けられたクロード・ドビュッシー Claude Debussy (1862-1918) の歌曲の一列である。」

「人々は普通これらの『みやびなる宴』物を歓楽、恋愛、幸福の讃頌と見なしている。事実、我々はこれらの画面に、「時」の無い理想郷があらわされており、そこに果てしもない歓宴が行なわれていて、うつつなく人のたのしみ、唄い、恋し、陶酔しているのを見る。しかしこの世界は果たして純一な曇りなき異教的快活の世界であろうか。このみやびなる宴に揺曳している人たちは、果たして身を忘れて歓楽し、心の底から愛と幸福とに浸っているであろうか。
 人はショパンのマズルカの軽やかな動律を聴いて、その音列の背後にひそむ苦悩の喘ぎを感じ取らなければならない。それと同じように、人はこの「幸福」と「歓楽」との讃頌のうちに、「不幸」と「諦念」との哀歌を聴かなければならない。(中略)彼は暫くこの画面を眺めているうちに、後苑にゆらめく樹々のかげにざわめき渡る華やかな歓宴の底に不思議にも「寂寥」と「孤独」との皺深い表情を見出し、集(つど)える人々の優美な物腰、美しい扮飾、あでやかな嬌態の下から、蔽い匿し難い深い「哀傷」と「憂鬱」との息づかいを聞くであろう。
 この異教的快活に包まれた抒情的厭世観――『みやびなる宴』はかかる外観とその裏底との二重性を感得する者にとって、初めてその真の全きすがたを呈露するのである。」
「しからばこの『みやびなる宴』の二重性を我々はいかに解すべきであろうか。作品の語る二重性が何等かの意味においてその作者の生活に内具する二重性の反映であるとするなら、それはワトーにおいて何であったか。
 私はこれを彼の担った運命の反語のあらわれだと解したい。彼の要求と彼の境遇との調停すべからざる背馳。疾患のため実現の可能を奪われた彼の切なる願望と、仮借するところなき痛ましい現実との間の悲しい矛盾。
 ワトーの薄倖な一生の物語を知る者は、誰しも彼が負わされた運命の悲惨に打たれるであろう。青年時代は極度の貧困と絶え間なき飢餓と寄る辺なき孤独との放浪生活の連続であった。ようやくにしてその悩みの路を辿り終えて、情深い友人と輝かしい名声と生活の安定とに恵まれた時は、更に険しい悩みの路に踏み入る第一歩であった。彼は窮迫と流浪とのあいだに受けた肺患の昂進のゆえに、多年心のうちに哺まれ愛惜せられた凡ての願望の実現を悉く断念せねばならなかったのである。無邪気な快楽児として希求し熱望した恋愛と悦楽との生活への永久の拒否が、彼にとっていかに深い痛手であり、諦めきれぬ強制であったかは、容易に察することが出来るであろう。
 しかしながら人は運命がその断念を強いたところの願望をたやすく忘れ得るものではない。少なくとも彼においては、その願望は放擲してしまわれるにはあまりにも強くあまりにも愛惜されていた。かくて願望はいまや夢想となり幻想となる。実現を拒まれた願望はいまや彼に夢を与える。そしてその夢はやがて時と共に恐らくそれが実際に提供し得たろう現実よりも一層鮮かな具象的な姿をとって彼の心に附き纏うに至ったのである。それはついに彼において一つのヴィジョンとなった。
 しかり、ヴィジョンである! 彼の芸術は、実にかかるヴィジョンの絵画的表現にほかならない。彼は彼の愛する夢を描く。『シテラの島への船出』にしろ『パストラル』にしろ『噴水』にしろそしてわが『みやびなる宴』にしろ、いずれもそれらは彼の愛し、しかも自らはその中に生くることを拒まれた願望の世界の画布の上への実現ならざるはない。されば、かかる際、彼の内なる背馳が、矛盾が、そして諦念が、おのずからにしてその詠嘆を、その哀傷を、そしてその憂鬱をしめやかにその画面に漂わすに至ることに、何の不思議があろうか。」

「いかなる意味において、ヴェルレーヌが一人のワトーであったか。――彼の性格と運命とについては、既に多くの人が熟知している。彼のうちには天国と地獄とがあった。この相容れざる両極の間を日夜彼は逐われた豚の如くに転々していた。一方には限りなき純潔、他方には限りなき汚穢――その二つが彼を交互に駆って、罪業と懺悔との繰り返しをその日課たらしめた。
 絶えざる放浪、動転、そして蹉躓(さち)。恐らく彼ほど内部の二つの対立に対して、克服の無能力を力強く示している人間は少ないであろう。ユイスマンスが彼の生涯を要約した警句は、この点において彼の悲劇的な痛ましい一生を暗示ぶかく語り得ていると思う。曰く、
 「彼は病院と牢獄とにおいてのみ、彼自身であった。」」



「文芸復興」より:

「ルネサンスとは第一義的には再生または新生を意味する。(従って我々は一応これを復興の意味にとる解釈を却けておかなければならぬ。)再生とは単に何等かの死せるもののよみがえり、例えば死せる文化の復興や滅びた世界の再興等を意味するのではない。むしろそれはそれ自らの我、それ自らの現在の生、それ自らの人間的更生、人間性の更新等に関する事柄である。即ちそれは永い間燻ぶっていた、衰弱していた、あるいは脇道に外れていた状態ののち、自らの本源的の生を再び取り上げるの謂である。」

「かくて「再生」の比喩を語る者は、古い、永遠の、しかし塞がれた生の源泉から、人間性の根源的なるものから、一つの大いなる転回や革新が来ると確信しているのでなければならぬ。」



「ルネサンスの母胎」より:

「一三四八年、黒海の奥深くからジェノヴァの船でもたらされたといわれる黒死病(ペスト)のヨーロッパ的蔓延は、フィレンツェにも会釈はしなかった。この年はこの市にとって最も暗い災厄の年で、長く降りやまぬ豪雨によって人々は病気と饑饉とに既に悩まされていたところへ、降って湧いたようなこの恐るべき伝染病の襲来で、市は殆ど恐慌状態に陥った。子供がまず倒れ、ついで大人が罹った。あまりに死亡のテンポが速いので、死骸の後始末に追いつかなかった。多くの店舗は扉を閉ざし、金持は倉皇として別荘や安全な地帯に逃げだした。遺棄されたまま救いを求める病人の声が町に充ち溢れた。サッケッティは、このとき全財産を蠅に遺贈する旨の遺言状を書く気になった一風変わった一フィレンツェ人のことを記している。蠅だけがどこまでも病人を見棄てなかったというのがその理由である。」


「精神史」より:

「ところで、ガントナーが(中略)レオナルドの手記に看取できる一つの「習癖」について語っていることは(中略)示唆的である。「手記」で度々起こる現象は、物を書く手がいわばある領域から別の領域へ逸脱してゆくこと、自然現象の熱心な記述に夢中になっているかと思うと、突然何の前触れもなしに今度は事象の自然学的説明が現われるといったあんばいである。例えば、ウィンザー宮所蔵手稿「大洪水とその絵画的証明」において、レオナルドは、今まで人間や動物の死骸が水に浮かぶ悽惨な情景を記述し、稲妻が天空を突っ走る様子を物語ってきたかと思うと、突如として今度はどうしたら画家は大気の動きを表現し得るかについて語るのである。すなわち画家はギャロップで走る馬の立てる埃の動きの要領でそれを描けばよいと書きしるす。ところが彼はその観察を略図で示し終わると、今度はすぐ調子を変えて「区分」 divisione なんて表題をつけて、せっせといろんなモチーフの分類に精を出すという有様である。一枚の画面の構想が頭に浮かんできて、その中の場面があれこれと頭の中を横ぎってゆくためであろう。
 ついでながら、わたくしはこうした気紛れというか移り気に、芸術家と科学者との分裂や芸術的意図と科学的認識との雑居といったものだけを見ようとする通俗的な意見には組することができない。そればかりでなく、研究者があの巨いなる海のように厖大な手稿を、覚書は覚書として素描や図解から切り離し、小賢しく項目毎に整理してみせている、判で捺したような、多くの編纂のやり方にも。(中略)論理的思考型の多くの研究者の心なき仕業によって、この精神的大鉱脈であり、一種の大ラビリントである、レオナルド・ダ・ヴィンチの手記の実体は著しく傷つけられ、歪曲されているのだ。彼の場合、いかに解読が困難であっても、否、解読が困難であればあるほど、先ずその手記のある限りのすべてのそのままのすがたの facsimile が刊行されねばならぬのである。彼についての数限りない「謎」は、そのあかつきに、はじめて解かれる一つの有力な手懸りを持つことになるであろう。わたくしの推測では、あの左から曰くありげにギッチョにかかれて(中略)他人の窺知することを許さなかった手記こそ、レオナルドの精神の人知れぬ複雑な明暗に富む軌跡をたどるための貴重なコードの役目をなすものである。」

「「宗教においては、卵は万物の物質的みなもと、arche geneseos (創造の始原)である。それ自身からしてすべての生をもたらし、生成と滅亡とのいずれをも包含する事物のみなもとである。それは自然の明るい側面と暗い側面とのいずれをも包む。オルフェウス教の始原的卵は半分は白く半分は黒か赤――(赤は破壊力のシンボル)――である。そしてこれらの色は、生と死、昼と夜、生成と滅亡のように間断なく流動している。それらは単に隣合せにばかりではなく、また相互のなかにも存在する。死は生の先条件であり、そして破壊が進行するのと同じ程度において創造力は効力を発揮することができるのである。」
          バッハオーフェン「三つの神秘的卵」

 宇宙的卵 L'oeuf cosmique または宇宙生成的卵 L'oeuf cosmogonique の神話的モチーフは、……世界の到るところに見られる。古代ギリシアの場合は、ハリソンが『ギリシア宗教研究序説』(「オルフェウス教のコスモゴニー」)で取りあげているから、知っている人も多かろう。
 アリストファネスの『鳥』(六九三)に、
  太初(はじめ)に混沌(カオス)があった、それに夜とくらい幽冥とそれから広い黄泉(よみ)とが。してまだ大地も下空(げくう)も蒼穹(あおぞら)もなかった。その幽冥(くらやみ)の涯しない懐ろにか黒の翼の夜が、一人でもって卵を産んだ。その中から時たち月満ちて、いとしなつかしいエロスが生れ出た。その背(せな)は金色の羽根に輝いて、疾風(はやて)の渦巻にも異ならなかった。それが濶(ひろ)やかな黄泉(よみ)でもって、暗澹として翼をもちたる混沌(カオス)に通い、われわれのやからを育(はぐ)くみ孵(かえ)し、まず最初に光明に接せしめたのだ……
         (呉茂一訳)
 「全くのオルフェウス教」だと彼女は言う。
 神々は卵から生まれたからには、人間の創造もコスモスのそれを模倣し繰り返すという鉄則に従って、世界の到るところに人間が卵から生まれたという信仰が遍く見られるわけだ。

 この生成の祖型的パターンが、自然と植物との若返り、つまり年のめぐりの儀式に結びつくことは見易い理である。方々に見られる新年の樹、「五月」の樹、聖ヨハネの樹が、卵や卵殻で飾られるという習俗や行事がそれを示している。色どった卵はペルシアの新年の贈物だし、キリスト教でも誰でも知っている復活祭や死者の供養の祭りの供物でもある。死と復活ないしは新生との深いつながりについては、今は誰知らぬものはなかろう。ボエオチアの墓地で発見されたディオニュソス像はひとりのこらず手に、生への復帰のしるしである卵を手にしていたという。(ニールソン『ギリシア宗教史』)そしてローデ(『プシケ』)やハリソンが触れているオルフェウス教における卵の食用禁止もこのことと関連がある。オルフェウス教は知られる如く、無限に続く転生、変身のサイクルからの脱出、つまり存在の周期的回帰の廃絶をはかる秘教なのであるから。」

「洞窟は先ずずばり言って住居であろう。そして住居であるということは、最初の住居であるとともに、それが最後の住居であるということでもあろう。言いかえると、それは胎であるとともに墓所であることを意味する。こうして、洞窟は母性と死とのダブル・イメージとなるのである。死――つまりそれは母なる大地が支度してくれている、自然の墓所である。」





こちらもご参照ください:

『林達夫著作集 2 精神史への探究』
J・ホイジンガ 『中世の秋』 堀越孝一 訳
ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 柴田治三郎 訳 (世界の名著 45)











































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本